訪れぬ平穏
遠征の間、溜まっていた報告を受ける。重要なことはあまり多くないが一つだけ無視できないものがった。
「ネテアに不穏な動きがあります。莫大な賠償金を支払うことになり、諸侯が反感を募らせているようです。彼らはニコラウス王に支払い拒否を求めています」
文官が報告する。
「ニコラウスはどうした?」
シェルイはフィオラに視線を送った。
「彼は支払いの意思があることをシェルイ様にお伝えするよう私に命じました。もっとも、誠意からではなく拒めば滅びることをわかっているからでしょうが」
「つまり勝てそうなら約束を反故にしようということだな」
ティンが言う。だが彼らの問題は単独では勝ち目がないことだ。しかし東方諸国連合と手を組めば勝機はある。ウィルヘルミナ王国は国力でも不利だし二正面作戦を強いられる。
「ネテアが我々に盾突くとしたらどこかの国と同盟を結んでからでしょう。候補としては…東方諸国でしょうか。東方諸国は最近、大国ベノンが勢力を拡大していると聞きます。ベノン王は近々、複数の国家による連合体を築くようです」
政治にも精通しているヴェレンが卓上に広げられている地図を指す。ウィルヘルミナ王国の東には数十の中小規模国家がひしめいている。その中でも目立つのが大国と呼んでも差し支えないほどの規模のベノン王国。
「連合王国みたいなもんか?」
「いえ陛下。彼らが目指すのは一つの国ではありません。国々は独自の法や軍隊、文化を持ち、主権を有します。ですが東方諸国で共同して軍事・経済を発展させウィルヘルミナ王国や南部諸国、さらには帝国の脅威に抗しようというものです」
シェルイは首を傾げた。
「要するに東方諸国を平和にし、強大化させるために国際的な組織を設置しようとしているのです。各国の代表者が合議によって様々な問題解決のために話し合うのです」
「なるほどー」
気の抜けた声で少年は頷いた。詳しく理解はできていないが何となくは、最低限のことは理解できた。
「ですが上手くいくとは思えません。東方諸国の勢力図はベノンが頭一つ抜けています。そのような連合体を設けたところでベノンがその経済力や軍事力を背景に政治を縦にするのが目に見えています」
イディアの発言は正鵠を得ていた。いくらシステムや法を整備したところでものを言うのは結局のところ力である。力あってこそのシステム、強制力があるからこそ従うのだ。東方諸国に新たに作られる連合体において抑止力の存在はない。ベノン王国が暴走したところで誰が止められるのだろうか。少なくとも東方諸国にそれだけの力はなかった。ベノンと渡り合えるのはウィルヘルミナ王国や南のガーデルード王国くらいのものだ。
「はい。ですからベノン王イクリシュは非難されているのです。それでもバラバラに帝国と戦って滅ぼされるよりはずっと良い未来でしょう。なので乗り気な国も多いと聞きます」
「へえ。じゃあその東方諸国連合が発足したとしてネテアと組む可能性はどれくらい?」
「イクリシュの母はニコラウスの姉です。両国は隣接しており、歴史的にも交流が深いと聞きます。先日、我が軍がネテアを攻めた際もベノン国内に内紛が発生していなければ救援に駆け付けていたでしょう」
ヴェレンの言葉にシェルイは頷く。
「じゃあ北と東が同時に挙兵するかもしれないな。国境の守りを固めるとするか」
東方を守るのはメージェベス。最近は病気がちであるが防衛に気を抜くことはない。定時報告も滞りなく行われている。
フィオラが何かを言おうとして口を閉ざした。
「どうした? 国境の守備を強化するのはまずかった?」
「いえ。つい自身が人質の身であることを忘れてしまいます。この立場ですべきではない提案をしてしまうところでした。邪魔をして申し訳ございません」
フィオラは頭を下げる。
「提案があるならしてくれ。その内容が良いものかは俺たちみんなで考えて話し合うし採用するかどうかは俺が決める。だから言いたいことは取り敢えず言ってみよう」
彼女は驚きを隠せなかった。閑職に回されるまで彼女はこれまで外交官として各国を回ってきた。帝国の宮廷にも行ったことがある。様々な国の宮廷に精通している。どこに国でも王宮では身分や立場に合った行動を求められ、自由な発言は許されなかった。それは間違いではないし、ウィルヘルミナ王国の自由なやり方が必ずしも正しいとは思わなかった。それでもそのやり方がとても新鮮でありやり甲斐を覚えたしシェルイという男にこれまでにない王の在り方を見た。
「では恐縮ながら。ネテア王国と東方諸国が結びつきたいというなら結ばせるべきであると考えます」
「だがそうなるとネテアは平和条約を破棄するに違いない」
クトゥの言葉に諸将は頷く。彼らは敵国の王族が甘い言葉でシェルイを滅亡の道へと誘惑しているのではないかとどこか甘いところがある主君の代わりに疑った。
「長い目で見て戦士の身を守るのは盾ではなく剣です。盾は敵の攻撃を防ぐことはできますが敵を倒すことはできません。敵は盾が朽ちるその時を虎視眈々と待ち続けるでしょう」
「要するに帝国が攻めて来れない今のうちに後顧の憂いを断てと?」
フィオラは頷く。確かに敵の攻撃を未然に防ぐのは簡単だ。国境に大軍を配置したりネテアや東方諸国に対して政治的な工作を行うだけである。だがそれが永遠に可能であるわけがない。今は帝国の侵略を考慮する必要がないため東に兵を置くことはできる。しかし一年や二年もすれば帝国は攻めてくる。当然西に大軍を配置しなければならないが東や北が動き出す。
「でも二正面作戦は嫌だな。そうでなくても俺たちは草原の統一が急務になってるのに」
ウィルヘルミナ王国は草原の全域を支配したわけではない。南方や北方にはまだ従属しない部族が多い。ウィルヘルミナ王国の支配地域は草原の六割程度に過ぎない。敵対部族の討伐や交渉はクジェに委ねている。そうなると数万単位の軍勢を指揮できるのは総司令官のシェルイしかいなくなる。
「ですから一つずつ潰していけばよいのです」
「どうやって?」
東方や北方国境には広い平地が広がっている。帝国との境のように道を破壊して侵攻を防ぐといった手が使えない。
「問題はそれにございます」
彼女は途端に歯切れが悪くなった。
「案はあるんだろ?」
フィオラは頷いた。
「東方諸国との戦いが終わるまでネテア王国に軍事行動を起こさせないようにするのです。例を挙げるとすれば損害賠償金の減額など彼らが関心を持つであろう提案を持ちかければ軍を遅らせることができるかと。元々人質を取られている立場ですし効く耳を持たないことはないでしょう」
「それで誰が交渉する? 俺は脅迫しかできないぞ」
ウィルヘルミナ王国は政治ができる人間が少ない。旧連合王国時代の遺臣がある程度は残っているが高齢化が著しく人手が足りていない。メージェベスの補佐官であるリットが頑張っているがそのうち我限界が訪れそうだ。もちろん外交官も足りていない。決してそういったものを軽視しているわけではないが遊牧民の気風から官僚や外交官が育ちにくいのだ。
「私が参ります。他国に外交官として赴いた経験もございますし王は私の叔父です。話も通じるでしょう」
フィオラの発言に諸将は困惑の目を向けた。
「なるほど。それは言いづらいわけだ。損害賠償金の担保として受け取った人質をわざわざ返すことになるからな」
ティンが腕を組む。彼はフィオラの能力について信頼しているが個人的には警戒していた。親友であり王でもあるシェルイが人をあまり疑わず信じてしまうような人間だから周りの人間はそれを補うようになってしまう。
「人質を返せばニコラウス王が戦争に対して二の足を踏む理由がなくなります。こちらとしてはより状況が悪化する手段ですね」
イディアの発言に皆が賛同する。
ヴェレンは彼女の言葉の真意に気付いたようだ。
「敢えて人質を返還することによって我々に策があると思わせることができる…」
「はい。ネテアの逆心を知っていることをアピールをした上で人質を返還すれば諸侯はともかく王や将軍は思うでしょう。ウィルヘルミナには何か罠があるのではないかと」
ウィルヘルミナ王国はネテア王国を軍事力の差ではなく奇策で破った。ネテア軍は多数の兵で少数の敵に打ち負かされたのだ。想像もできないような策を用意しているとネテアは疑うだろう。
「なるほど。確かに良い作戦です。上手くいけば一兵も失わずネテアを無力化できるでしょう。敵国から送られてきた人質をあてにしなければならないという一点を除けばね」
ヴェレンが言った。
「疑ってるのか?」
「はい。陛下が信用なさり、この世の誰もが信じたとしても私だけは疑います。陛下の不興を買うことになったとしても構いません」
「そうか。それは助かる。俺はどうもそういうのが苦手らしい。嫌な役回りを任せてごめん」
シェルイは申し訳なさそうに頭を下げた。彼は自分の至らなさが原因で仲間や部下に迷惑をかけている自覚があった。直そうとはしているもののどうにも性根は変えられないようである。
「とはいえ信用しないとこの作戦は成功しない。問題を先延ばしにして時間切れになったら笑い物だ。できるだけ早くネテアと東の問題を片付ける。他に案が出ない以上、できるだけ備えて挑むしかない」
シェルイは立ち上がった。
烈火の道を選んだ少年王に安静の日々はしばらく訪れないようであった。




