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暮らし

 シェルイは遊牧地の端の方でウィアナと共に暮らしていた。二人で暮らすのに大きな天幕は必要なかった。彼女は気分屋でふと思い立って部族を離れて旅に出ることが多かった。遊牧民以上の根無し草、それが彼女であった。

 少年はウィアナから馬術の手ほどきを受けていた。彼は馬に乗ることができる。しかし狼と過ごしていた時代に人間が乗っていたのを奪って見様見真似で乗っていただけであるため我流で非効率的だった。また彼らが暮らしていた山岳地帯での騎行に適した馬術だったため平原での戦闘を真骨頂とする遊牧民族の戦士として大きく劣っていた。

「この馬、乗りやすい!」

 シェルイはウィアナの馬を借りて練習していた。ウィアナの馬はとてもよく訓練されており、初心者を振り落とすようなことはしなかった。山で奪った馬は何度も暴れてシェルイを振り落としたものだった。

「ええ。良い子だから。昔はやんちゃだったけどね」

「そうなの?」

「暴れるわ言うこと聞かないわ他の馬に興奮するわで本当に手のかかる馬だったわ。おかげでみんな乗ろうとしなかったわ。それを知っててもらってきたのだけど」

 ウィアナは栗毛の愛馬シェナの首筋を優しく叩く。馬は小さく鼻を鳴らしてその手を受け入れる。

「何で他の馬にしなかったの?」

「何でかしらね。気まぐれってやつかしら。私は生来の捻くれ者だからこういう誰も気に掛けないものが気になっちゃうのよ。貴方を拾ったのも多分同じ理由ね」

「へえ。じゃあ俺とシェナは兄弟ってわけか」

 シェルイは小さな手でシェナの首を撫でた。シェナは喜ぶ素振りこそ見せなかったが拒絶もしなかった。

「貴方にはそのまままっすぐ素直に育ってほしいわ。くれぐれも私みたいになっちゃ駄目よ」

「じゃあまっすぐウィアナみたいになる」

「好きになさい」

 その時、野営地の中心から大人たちの叫び声が聞こえてきた。無数に並び立つ天幕のせいで何が起こっているのかシェルイらからは見えなかった。しかしすぐに騒ぎの正体に気付くことになった。一頭の大柄な黒馬が天幕群の間を駆けてシェルイらの方へ駆けてきた。鞍や手綱、蹄鉄などが装着されていない裸馬だ。その背中には族長メージェベスの娘シャルが乗っていた。しかしお世辞にも乗りこなせているとは言い難い状況であった。シャルは真っ青な顔で馬の鬣にしがみついて何とか落馬を防いでいる状態であった。

 一族の戦士たちがその馬を追いかける。しかし追いつくことができないでいる。シャルが乗っている馬は類稀なる駿馬であり大人を乗せた普通の馬が追い付けるわけがなかった。

 シェルイはシャルを助ける必要があることを瞬時に悟ると黒馬を追いかけた。シェナは黒馬に負けず劣らずの名馬であり、じぐざぐに走って暴れる黒馬にすぐに追いついた。手を伸ばそうとするシェルイに戦士の一人が叫んだ。

「呪いの目! 姫様に触れるな!」

 怜悧な言葉の矢は風よりも速く飛び、少年の胸を貫いた。全身が硬直し、シャルに伸ばした手が止まる。

 言葉を発した戦士は隣を走る僚友に睨まれて失言に気付き、慌てて手で口を覆ったものの、覆水盆に返らず、放った言葉を取り消すことはできなかった。

 良い感情を抱かれているとは思っていなかったし、大人たちが呪いの目に関して陰口を叩いていたのをシェルイは知っている。それでも直接、詰られるのは彼のまだ未成熟な精神に深い傷をつけた。

 シェルイは伸ばした手を引っ込めようとした。その時、黒馬が跳ねてシャルが振り落とされそうになった。もう長くは耐えられないだろう。

「た、助けて」

 シャルの両目から涙が零れ落ちる。

 シェルイはウィアナの笑顔を思い出す。柔らかで心地良い微笑み。優しい彼女であればこの状況でも助けることを躊躇わなかっただろう。今、シャルを助けられるのはシェルイしかいない。ここで見捨てればシャルは落馬して怪我をする。最悪死んでしまうだろう。彼女を見捨てたその顔でどうしてウィアナに会うことができるだろうか。

「ここで頑張るって決めただろ!」

 逃げ出そうとする自分を叱りつけた。

 黒馬がまた跳躍した。シャルの体は空中に投げ出された。シェルイはシェナの背を蹴って跳び、シャルを抱えた。彼の体はそのまま重力に従って落下し、背中から地面に叩きつけられた。着地したのは柔らかい草原だったが痛みが全身を駆け巡り、呼吸ができなくなる。それでもシャルに怪我がないか確認する。彼女はシェルイの体がクッションとなったおかげで怪我はないようだった。

 黒馬はそのまま逃げ去った。戦士たちがシェルイとシャルに追いついた。

「姫様! お怪我は?」

「…あ、ありません」

 戦士たちは胸を撫でおろした。それから地面に倒れ、起き上がれないでいたシェルイを抱え起こした。

「…怪我はないか?」

「…ない」

 両者の間に気まずい空気が流れる。沈黙を破ったのはシェルイを罵った戦士だった。彼は頭を下げて謝罪を口にした。

「申し訳ない。俺はお前を誤解してた。先ほどの…いやこれまでの非礼を詫びる。申し訳なかった」

 シェルイは呆気にとられた。まさか謝られるとは思ってもいなかったからだ。それに痛みで頭が回っていない。

 すると他の戦士たちも次々と頭を下げた。

「俺たちもだ。すまない」

 ウィアナがシェルイの肩を叩く。その笑顔はいつもよりずっと優しかった。

「頑張ったわね。見直したわ」

 シェルイの顔は少しだけ赤くなる。彼女の笑顔にようやく報いることができたように思えた。

 そこに一人の男が走ってきた。シャルの父にして族長のメージェベスである。顔は赤く、呼気には酒気が多分に含まれている。

「シャル! 無事だったか!」

 メージェベスはシャルを抱きしめて頬ずりした。シャルはされるがままになっていた。まだ放心状態のようだ。

 シェルイは戦士の一人に尋ねた。

「これ、どういう状況?」

「あ、ああ。族長は酒癖が悪いんだ。今日も昼間から酒飲んで酔っ払って言うこと聞かない暴れ馬に姫様を乗せたんだよ。みんなで止めたけど聞かなくてな…」

 言い辛そうに戦士は答えた。

「なんでそんな暴れ馬を?」

「族長の愛馬と同じ血統の馬ってことで族長が所有して近くに置いてたんだ。誰も乗れないし馬具も付けれないからみんな困ってた。危険だから離すように進言してたんだが…」

 族長の酒癖の悪さは伝え聞いていたがここまで酷いとは知らなかった。一族の者たちはメージェベスを睨んで叫んだ。

「姫様が危ないところでしたよ!」

「いい加減酒はやめろって言ってるじゃないですか!」

「禁酒しろ!」

「わ、わかった…」

 素面に戻ったメージェベスは酒を断つことを決め、飲む時は祝いの席で嗜む程度にということになった。

 大人たちはシェルイの勇気を称え、一族の仲間として迎え入れた。子供たちもシェルイの活躍を聞いて少しずつだが彼と打ち解けていった。彼はようやく自分の居場所を手に入れることができたのである。これまでどことなく居心地の悪さを感じていたシェルイだったがこの日を境に一族の一員となったのである。

 ある日、馬術の練習をしていたシェルイをシャルが呼びとめた。

「あ、あの…この前のこと…まだお礼を言えてなくて…。ありがとうございます」

「いいんだ。気にすんな」

 シェルイは笑った。彼の師に似た温かく優しい笑顔だった。

この一族での生活で族長の娘シャル、一族最強の戦士の娘のイディア、孤児のクトゥ、秀才のヴェレンなど後に同じ道を歩む者たちと知己を得た。


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