敗北
戦いにおいて先手を打てた者が勝利するのは言わずと知れた理であり、シェルイらウィルヘルミナ王国軍は大きく後手に回っていた。
アルディスは副官に対して勝利を確信した声で言う。
「長い槍と柵があれば騎兵はその最大の長所である突撃を封じられる。後退したところで二万の大軍が通行できる道は限られている。ここを突破するしかあるまいが」
「我らがここを堅守して動かなければ彼らは自然と干上がることになりますね」
独創性に欠ける戦術であったが堅実な策である。事実、ウィルヘルミナ王国軍遠征部隊に正面からそれを突破する方法は持っていなかった。
「後方にも柵を立てたのは?」
「背後からの奇襲に備えるためだ。奴らも馬鹿正直に正面から戦いを挑むことはしないだろうからな。少数の兵を我が軍の背後に迂回させる可能性がある」
「なるほど。よくお考えで」
二人は笑った。彼らの身分は皇族に連なる大貴族とそこいらの平民。しかし彼らの間にはそれを超えた絆がある。幾度の戦場を共に乗り越え、互いが互いの命の恩人である。
また騎兵一万を北の街道からドゥーボーム城の奪還に向かわせた。ドゥーボーム城を奪還すれば王国軍は街道の中に閉じ込められることになる。王国軍はドゥーボーム城を素通りして西に向かうこともできるがそこから先が続かない。東西から挟撃される恐れもあるし本国を攻められる可能性もある。
「さて、奴らはどんな手を打ってくるかな?」
若き軍司令官は雄敵とも呼べる男の到着を待った。
しかし街道に王国兵は一人としていなかった。
「報告! 隊列を解き、小隊規模で山岳を東に行く敵部隊多数!」
「なんだと?」
アルディスの整った眉が歪む。
「数は?」
「それが偵察部隊はほとんど殺されてしまっているため正確な数の予測ができません。峻険な地形であることも災いし…。ですが敵は侵攻の際に山中に道を敷いていたようです」
王国軍は正面からの戦闘に勝ち目はなく、すでに戦略的目標を達成したことから極力戦闘を避けて国へ戻ることにしたのだ。彼らは中隊・小隊規模に分散して山岳地帯を進んでいる。帝国軍の攻撃によって全軍が危険に晒されることを防ぐためだ。王国軍は侵攻時、山岳地帯に複数の道を敷設していた。何かしらの理由で街道が使えなくなった場合に行商人の通行路として用意していたのだ。まさかこのような時に使うことになるとはシェルイも予想していなかったが。
帝国軍はすぐには動けなかった。知るべき情報を集めなければならなかったからだ。山岳地帯を進む王国軍の兵力、ドゥーボーム城の状態、別働隊の安否など。知るべきことは山ほどある。一万も部隊を分けた以上、各個撃破の恐れがあるからだ。だがその情報を集めてからの行動は早かった。
部隊を散開させ、王国軍の退路を予測し、兵を配置したのだ。それによって多くの王国兵が討たれた。また、兵力の偏りからシェルイの本陣を発見し、大部隊をもって彼を包囲しようとした。
帝国軍の予想外の速さの動きに気付いた時、シェルイ本隊は包囲されかけていた。
「シェルイ様、何か策は?」
シェルイの本陣は約百騎。選りすぐりの精鋭揃いであったが敵は三千を超す。包囲されれば一瞬で崩壊する。
「ない!」
シェルイはきっぱりと断言した。それを聞いた兵士たちの顔に諦めが浮かぶ。だが武器だけは捨てず、最後まで戦い抜く気概を見せた。
「…じゃあ諦める?」
ディアナの問いに彼は首を横に振った。
「策はねえ。けど諦めてやるつもりもねえ。お前ら、あの旗が見えるか?」
シェルイが南を指した。指した先にはアルディスの本陣を示す軍旗があった。それを見て兵士たちは彼の意図を正確に読み取った。
「全員、あそこに突っ込め。策がなけりゃ力業だ。難しいことは考えなくていい。横も後ろも見なくていい。一心不乱に駆け抜けろ」
兵士たちの顔に不敵な笑みが浮かび上がる。
「行くぞ! 離れずに着いてこい!」
シェルイは剣を構えて真っ先に突進した。兵士たちは雄叫びを上げて彼に続いた。陣形などなく、興奮のままに走っている。
「ははは! 結局は突撃か! いつもと変わらんなぁ!」
「ああ。こうでなくちゃな!」
兵士たちは指揮官の無茶さに笑いながら敵兵を切り捨てた。帝国軍は敵がまだ包囲されていない北側に逃げると予測していた。そのため一切の怯みなく突っ込んできたシェルイ隊に対し、混乱を起こした。
「ウィルヘルミナの騎兵は命知らずか!」
シェルイらはアルディスの本陣に突入し、足を止めることなく暴れ回った。本陣を守る兵士たちは咄嗟にアルディスを守るために固まった。だがウィルヘルミナ軍はその横を駆け抜けていく。今は生き残ることに集中すべきだからだ。
「このまま抜けられます!」
「問題は他の部隊が逃げ切れるかだな」
シェルイは仲間たちを案じる。まだ死地から脱していないというのに。親衛隊長フォーヌはその甘さに対して危機感を抱き、さらに職務に精進せねばならないと自分を戒めた。
「それなら多少は効果がある策がありますよ」
そう言ったのは親衛隊副隊長のサーラ。不真面目で飄々とした性格の白髪の少女だ。武力はそれなりに備えている上、機転も効く。サーラは部隊から離れて数名の敵兵を斬り払うとアルディスの軍旗を手に取って戻ってきた。
「これを持って南に向かいましょう。帝国の皆さんもきっと着いてきてくれますよ」
王国兵は包囲を突破して南に走る。軍旗を取り返すべく帝国軍が追いかけてきた。全てではないが二千は着いてきている。総司令官の軍旗を奪われるということは軍の恥である。一生どころか後世にまで語り継がれるほどの恥になる。
「ほんとに着いてきてんだけど! これ俺らがやばくない⁉」
シェルイの頬を敵の矢が掠める。
王国軍の大部分は山岳地帯を抜けて国境に到達することができた。シェルイは殿として味方の撤退を支援しながらも帰還することができた。死者・未帰還兵は二千名を数え、シェルイ本陣も二十九名を失った。一方のアルディス軍は三千二百名を失った。包囲され、逃げ場を失って死を悟ったウィルヘルミナ兵が大暴れしたため被害が大きくなった。
多くの兵を失い、略奪した物資も大半を失った。草原の英雄が経験する初めての大きな敗北であった。彼は不敗の名将であるからこそ将兵の支持を受けていたのであり、その統治を続けていくためには勝ち続けなければならなかった。
「負けたな」
若き王は溜め息をついた。遠征の前半は連戦連勝だった。しかしアルディスという男が出てきてからは敗北を喫した。それもただの局所的な敗北ではない。全軍が帝国領から追い返される大敗だ。
「そうだね。でも得る物はあったでしょ?」
ディアナの言葉にシェルイは頷く。
「これでしばらくは帝国はこっちに攻めて来られないわけだ。攻めるにしても小規模な軍勢になる。俺たちはその間に内政と外政を落ち着かせて帝国を倒す力を生み出す」
それに注意すべき帝国の将を一人知ることができた。存在がわかれば情報を集めることができる。四万の兵を上手く動かしていた。それなりに戦歴のある武将だから調べれば癖や性格、弱点をある程度推測できる。
両者の戦いはまだ始まったばかり。数か月後か数年後か両国の戦いが終わった時、どちらが生き残るのか、それはまだ誰も知らないことである。




