ひと時の勝利とその後
帝国軍本軍は疲労の極みにいた。昼夜を問わず連合軍が攻撃を仕掛けてくるからだ。夜には雄叫びをあげ、陣の周囲を絶えず駆け巡る。時々、数千の兵が斬り込んで火を放ってくる。兵士たちはまともな休息をとることもできず、飢えと渇きで苦しんだ。ちょっかいをかけてくる連合軍に腹を立てた騎士たちは数千の徒党を組んで連合軍を追いかけたがクジェやドゥダイらが率いる軍勢の待ち伏せを受けて潰走して七割が討ち取られるという結果に終わり、さらに士気を低下させた。ハルキモは短期決戦を挑もうとしたが農兵たちが命令に従わない。騎士たちも飢えによって重装鎧を着ての戦闘が困難になっていた。何より、残っている騎士たちは一万程度。重装歩兵も一万。いくら数で勝っているとはいえ兵力の大多数が士気も低く装備の質が低い農兵だ。それをあてにして戦いを始めることは憚られた。シェルイ軍を追っている部隊との合流を果たし、兵たちの渇きを癒すため本軍は西へと後退し、川を目指した。その道中、彼らは西から逃げてきた兵と合流した。彼らは皆、火傷を負い酷く怯えていた。
「あ、悪魔だ! 火の悪魔! 狼の旗! 火の悪魔! 奴らが俺たちを皆殺しにしようとしてるんだ!」
逃げてきた兵士たちは何が起こったかを話した。それを聞いた司令部は例外なく青褪めた。半世紀にわたる戦績を誇るハルキモ将軍も狼狽せずにいられなかった。五万の大軍と副司令官を失った。農兵だけならまだいい。主力である騎士と重装歩兵を一万ずつ失ったのだ。その損失は計り知れない。
その半日後、千台ほどの荷馬車が本軍とかちあった。帝国軍が補給に使っている荷馬車だ。しかし護衛の兵はいないし御者もいない。兵士たちは馬車を止めて中身を検めた。中には焼死体がぎっしりと詰められていた。兵たちの心は折れた。脱走しなかったのは故郷へ繋がる道がある西側に彼らが恐れる火の悪魔がいるからだ。
「総司令、どうなさいますか?」
「…退却だ。これ以上の戦いは不可能だ。かくなるうえは皇帝陛下の兵を可能な限り損ねることなく再侵攻のために国へ連れ帰るのだ」
ハルキモは撤退を決定した。この遠征は半年以上続いている。東にある国々を悉く滅ぼしてからここへ来たのだ。元々兵は疲労しているし望郷の念が強かった。残存兵力は二十万を超えているが使い物にならない兵がいくらいたところで話にならない。弱兵は切り捨てて強兵に食糧を分け与えて軍を再編成し戦いを挑んだ方がまだ良い結果になるだろう。しかし連合軍の兵力がわからない以上、数的有利を手放すなどもってのほかだ。
帝国軍は退却を始めた。その移動速度は亀のように遅かった。馬は全て殺して食料にしてしまったからだ。騎士も歩兵も鎧を脱ぎ捨てて身軽になった。何より彼らを苦しめたのは空腹だった。草原に畑はない。遊牧民は農耕する文化がないからだ。略奪できる村もない。すでに略奪したから。森林に近づけなかった。火を付けられ、焼き殺されると誰もが思ったから。
また、彼らは山岳地帯の横断を強いられた。大軍の通行に適した平原には全て数万からなる連合軍が待ち構えていたからだ。今の帝国軍に万全の状態で待ち構えている数万の騎兵を突破する力はない。脱落者が大勢出ようとも騎兵が猛威を奮えない山岳地帯を通行する他なかった。三日ほど険しい山々を通行し、何とかデウノ平地に出ることができた。彼らはまた一日西進する。だが彼らの後方にシェルイ率いる五万の部隊が現れた。同時に左右にも四万ずつ出現した。銅鑼を鳴らし、騎兵たちは攻撃を開始する。弓矢を射掛け、重装騎兵が陣形を引き裂く。帝国軍は逃げ惑った。勇敢に立ち向かう者もいたが馬蹄に踏み潰される末路を辿った。
「騎士と正規兵を狙え! 陣形を保ってる部隊がそれだ! 徹底的に叩け!」
帝国軍は防御を捨てて逃走に徹し、何とか帝国領に逃げ込んだ。
一連の戦闘で帝国軍遠征部隊は半数の兵を失った。ハルキモは命からがら生き残った。しかし二万五千名ほどいた騎士の生還率は一割を切っていた。
敗報を聞いた皇帝マクシミリアンは激怒した。ハルキモを更迭し、再び遠征部隊を派遣する意思を表明した。
「おのれ東方の蛮族め! 神が余に与えし覇道を妨げよって! この恨みは必ず返す!」
老帝マクシミリアンは剣を抜いて荒れ狂った。彼の気分が落ち着き、通常政務に戻るまで丸二日もかかった。
連合軍は勝利に湧いた。奪われた大地を取り戻し、殺された家族の仇を討ったのだ。だが失ったものは多く、得たものはない。帝国の脅威は依然として残っている。西方部族に帝国の再侵攻を受け止める力はない。西方諸部族はジェメ族の支配下に入ることを決めた。
シェルイはメージェベスから後継者に指名された。クジェの推薦である。シェルイは戸惑ったものの、夢を叶えるために必要なことだと割り切って受け入れた。同時にクロトベキ族を始めとする西方部族を支配する西方総督に任命され、領地としてザーラを与えられた。
「がははははは! それでシェルイよ、いつシャルを嫁に迎えるつもりだ! 儂が引退できぬではないか」
メージェベスは近年、病気がちになっており常日頃から族長の座を退きたいと零していた。シャルは馬術と弓術に長け、シェルイに従って戦いに参加することが多かった。シェルイとしては彼女を憎からず思っている。彼女は器量も良く常にシェルイを支えていた。いつものメージェベスの言葉を聞き流しているとメージェベスは顔を近づけてきた。呼気に酒の臭いが混じっている。
「シャルを嫁にするか?」
「い、いや…シャル自身の意思もありますし俺だけで決めるわけ…」
その時、メージェベスはシェルイの頭を掴み、床に叩きつけた。シェルイの顔面は床にめり込み、気を失った。
「頷いたな?」
周囲の家臣たちが言葉を失った。メージェベスは彼らをぎろりと睨んだ。
「頷いたな?」
「は、はい。頷いておりましたともメージェベス様」
「シャル様の夫になるに相応しい頷きようでございましたメージェベス様」
「シェルイ殿も喜びのあまり言葉も出ないようでございますねメージェベス様」
こうしてシェルイとシャルの婚約が決まったのである。
目を覚ましたシェルイはティンから事の顛末を聞いて頭を抱えた。
「もっと首の筋肉を鍛えておけばよかった…」
「頭打ったせいで馬鹿になってるな。いや元からか。あとディアナが不機嫌になってるから気を付けろよ」
「何か変なこと言ったの?」
「…お前は遠くのものは良く見えるけど近くのものをよく見落とすよな」
シェルイは首を傾げた。
シェルイとシャルの結婚の報せは周辺諸部族を駆け巡った。新たな英雄の結婚を誰もが祝った。
「俺が婿入りすることになるんですか?」
「いいや。シャルを嫁入りさせる」
メージェベスの答えにシェルイだけでなく廷臣たちも驚愕した。シェルイは草原で名を知らない者はいないほどの功績を挙げた。しかし家柄で言えばシャルに遠く及ばない。シェルイの家にはティンとディアナ、手伝いの脱走奴隷のセルル、トール、ザウグの三人がいるだけだ。それも新参の流れ者である。
「お前は既存の権威ではなく己の力によって王朝を開くのだ。ジェメ族の族長の後継者としてではなく、新たな英雄として強くなれ。そうでなくては帝国を倒せん」
三週間後、シェルイとシャルの婚姻の儀が行われた。その準備のためにティンやディアナ、彼の部下たちが奔走した。




