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火刑

ジェメ族は総兵力三万四千のうち八割を派遣した。

 その頃にはシェルイは六千人の兵からなる遊軍を率いる武将になっていた。援軍を率いるのはメージェベスの弟のクジェ。勇敢で優れた将軍だ。

「ようやく出番か。もっと早く呼んでくれればよかったのにな」

 ティンが欠伸をしながらぼやいた。

「そうだね。クロトベキ軍とジェメ軍が万全の状況で連合していたら帝国に勝つことも難しくないのに…」

 ディアナはシェルイの参謀を務めていた。戦略や戦術を考案するのはシェルイの方が優れていたが彼は戦いになると先陣を切って突撃するため彼女が細かい指示を諸将に出していた。

「でも勝算はあるんだろ? なあシェルイ」

「まあこうなることはわかってた。クロトベキは周辺諸部族に戦争を吹っかけて大きくなった部族だ。警戒されてるのをわかってる。だから援軍なんて求めてくるはずもないし申し出を容れるはずもない」

 部隊を急がせながらシェルイは笑う。

「奴らは帝国の恐ろしさを知らない。強さも残虐さも。だから一回戦って痛い目を見るまでは絶対に助けを求めない。でもこれは好機だ。草原全土に帝国の恐ろしさは広まるしクロトベキ族は弱体化する。俺たちはこれ以上ない有利な条件で諸部族を纏められる」

 もちろんそれは帝国の遠征軍を打倒することができればの話である。だがそのための策は数通り用意してある。準備のための時間は二年もあった。帝国を倒すための兵器は用意してある。

「俺たちは本隊と分かれて自由に行動する。思いきり暴れてやろうぜ」

 シェルイの部下には五人の千騎隊長がいる。独創性はないが攻守のバランスがとれた戦い方を得意とするイディア、一撃必殺の戦法に秀でたティン、柔軟かつ広い戦術的視野を持つヴェレン、攻撃に特化し絶大な破壊力を誇るクトゥ。若く経験も少ないが優れた能力を持つ将校たちだ。シェルイと同年代の者ばかりで切磋琢磨して高みを目指している。

 この戦いに動員された連合軍兵士は十七万八千名。対する帝国軍は二十八万もの大軍である。まともに戦っては連合軍の敗北は免れない。であるからこそ劣勢の側に立つ者は形勢をひっくり返す奇策を用いなければならない。

 まずシェルイが行ったのは補給路の遮断である。帝国軍がいるのは草原の只中。兵を養うには本国からの補給頼りであった。それを遮断すれば帝国軍は瞬く間に飢える。短期決戦を挑むことになり、戦術は限られる。となれば行動も読みやすい。シェルイは口の両端を吊り上げた。

「あ、悪い顔をしてるね」

 ディアナがシェルイを指す。

「ほんとだ。意地汚え顔してやがる。碌なこと考えてねーな」

「この二年間ずっと準備してた。そりゃこんな顔にもなるよ」

 ウィアナを殺されてから三年半。ようやく帝国に復讐する機会が回ってきたのである。シェルイが率いているのは麾下の六千騎だけでなく、周辺の地理に明るい部族の兵士五千騎を伴っている。

 帝国軍輜重部隊を発見した連合軍は彼らに気づかれないように遠回りに包囲した。護衛部隊の数は五千。シェルイ隊の攻撃を皮切りに一斉に矢を浴びせた。矢の雨はあっという間に護衛の兵たちを壊滅させた。逃げ出した帝国兵を追い回し、一割の兵を捕虜にした。日が暮れた後、帝国軍の後方に奇襲を仕掛けた。夜目が利く草原の民は帝国軍の陣形を荒らし、火をつけ、混乱のどん底に突き落とした。

「あっははははは! 燃やせ燃やせ! 殺せ殺せ!」

 連合軍の兵たちは一箇所に留まることなく走り続けた。また輜重部隊を壊滅させ、食糧を奪ったことを声高らかに触れ回る。

 そして誰かの放った火矢が帝国軍の食糧倉庫に突き刺さり、燃え上がらせた。シェルイにとっては幸運であった。彼の目的は帝国軍に混乱をもたらすことである。可能ならば食糧庫を破壊するつもりだったができなくとも良いと考えていた。

 シェルイは兵たちに撤退命令を出した。連合軍は潮が引いていくように夜の闇に静かに消えていった。やがて朝を迎えた帝国軍兵士は恐慌を来すことになる。彼らの陣地には大量の人間の鼻や耳、眼球や指が散らばっていたからである。シェルイ軍は陣を荒らし回ると同時に捕虜や死んだ兵から剥ぎ取った部位をばら撒いていたのである。

「こ、こんなの人間の仕業じゃない!」

「あ、悪魔だ。敵には悪魔がいる!」

 同時に食料の配給が行われたがあまりにも少量だった。それがまた兵士たちの士気を低下させた。少人数ではあるが脱走兵が出た。彼らは帝国軍を包囲して監視しているシェルイ軍の捕虜となった。

 帝国軍遠征部隊総司令官エトナン・ハルキモはこの事態を深刻に受け止めた。連合軍の一隊は時折、陣地に攻撃を仕掛け、兵士たちの休息を妨げる。

「連合軍を率いているのは誰だ。ジェメ族とやらの長か?」

「おそらくはそうでしょう。しかし我が軍に混乱を齎したあの狼の旗の軍、聞くところによるとジェメ族の将シェルイなる者が率いているとのこと。内戦で武勲を挙げているようです」

「奴を潰せ。五万だ。騎士を一万、重装歩兵を一万、残りは農兵で編成し、奴等を討て」

 ハルキモは立ち上がって命じた。

「ご、五万ですか? 奴らはおそらく少数です。一万も出せば十分かと」

「いや五万だ。奴らの正確な兵力が不明である以上、用心を重ねて損はあるまい。それに覚えているか? クロトベキ族や他の部族との戦いを。奴ら、包囲され、体に矢を何本も射掛けられようと死ぬまで暴れ回った。敵が少数に分かれているうちに大兵力で叩くのだ」

「はっ!」

 ハルキモは副司令官ドッツォ・ベルゲネストに五万の軍を率いさせ、シェルイ軍を追わせた。

「帝国軍が動きました! 五万の兵でこちらへ向かってきております!」

「五万⁉︎」

 シェルイらは顔を青くした。シェルイは敵が自分たちに兵を差し向けてくると予想していたしそれを誘っていた。しかしいくら多くとも三万だろうと高を括っていたのだ。完全に想定を超えられた。

「作戦を変更する?」

「…いや。このまま行こう。細かい調整はする。今は奴らを引き摺り回すぞ」

 シェルイ軍は帝国軍別働隊と付かず離れずの距離を保って逃げた。そして丸二日かけて切り立った岩場に左右を囲まれた険しい山道に逃げ込んだ。道は細く、左右に切り立った崖を登ることはできない。帝国軍はそれを追って山道の中に侵入した。しかし狭い道であるため大軍を展開できず、長い縦列を組んでの進軍になった。

 突然、長蛇の列を成した帝国軍の後方と前方で岩雪崩が起きた。岩や土砂が崩れて壁となり、帝国軍の前進と後退を不可能にしてしまった。帝国軍は細長く狭い山道に閉じ込められてしまったのである。

「か、完全に塞がれてる…」

「自然な落石じゃない!」

 舞い上がる砂塵の中で咳をしながら兵士たちは脱出路を探そうとする。しかしもちろん退路はない。与えるわけがない。彼らは鳥籠の中に囚われた小鳥に過ぎない。

断崖の上にはシェルイ軍がいる。しかし彼らは皆、非正規兵と全部族から集めた兵であった。シェルイは自分を囮として隘路に敵を誘き寄せたのである。上から麻袋が落下してくる。それは地面や不運な兵士の頭に当たって弾け、中の液体を撒き散らした。

「な、なんだこれ…」

「あ、油…?」

 その時、誰もがシェルイ軍の意図を察した。同時に自分たちがその運命から逃げられないということも。

「さあて、異教徒と戦ったヤルダバオート教徒は死後、天国に行けるらしいな。それじゃ行ってらっしゃい」

 シェルイは残忍な笑みを零し、火矢を放った。兵士たちも火矢を放つ。刹那、帝国軍将兵は火に包まれた。五万を超す人間がこの世のものとは思えない絶叫を上げる。嗅いだこともない悍ましい臭いが鼻を突く。それは人馬が焼け死ぬ残酷な臭いだった。連合軍兵士たちは顔を顰めた。

 神聖騎士団の騎士たちが泣きながら助けを求め、神を詰る様子を見下しながら青年は叫んだ。

「燃えろ燃えろ帝国軍! 神の騎士ども。お前たちが死ぬのはお前たちの罪のためだ!」

 全身を焼かれ、地面に倒れた敬虔なある騎士は天を仰ぎ、乾いてひび割れた唇で神の名を呼んだ。

「神よ…ヤルダバオートの神よ…。なぜ…我らを…見捨てたもうたか…」

 神への疑問、故郷に残した家族を最後に想いながら彼も無数の死体の一つになった。望んでいた安らぎも、求めていた栄誉もない苦痛に満ちた終わりであった。

 全て帝国人が黒く焼け焦げた屍に変わるまで長い時間を要しなかった。逃げられたのは後方にいた数百名の農兵たち。彼らはシェルイの恐ろしさを本軍に伝えてくれるだろう。

 全身が燃えて狂ったように跳ね回る人体、束ねられた断末魔、人体が焼ける臭い。地獄があるとすればこの地を指すに違いない。この場にいた者はどちらの側に立つ者であっても一生涯忘れることはないだろう。これは戦術・戦略の埒外にある狂気の殺戮だ。彼らの指揮官は必要とあらば躊躇わずに虐殺を行う。歯向かえばどのような結末を迎えるか、ジェメ族に臣従していない部族の兵たちは恐怖を覚えた。全部族から兵士が百名ずつこの場に集められた理由を悟る。従わない者、反逆者、敵対者は須くこの帝国兵と同じ目に遭うのだと。

 燃え盛る火炎が左右で色が異なる彼の目を照らす。

「ウィアナ。きっと…君はこんなことを望んでない。ごめん。でも俺はこんな人間にしかなれなかった」

 地面を埋め尽くす焼死体を彼は永遠に忘れることはなかった。彼は人としての一線を越えたのだ。夢を叶えるために走り続ける修羅へと成り果てた。海へ至るという夢は義務感を帯びたものになった。

シェルイは兵に命じて遺体を荷馬車に乗せた。それを帝国軍の本軍の方へ走らせる。数万の焼死体を見せつけられた兵士たちは正気を保てはしないだろう。シェルイも味方の兵が大勢焼き殺されてその死体を送り届けられれば発狂する自信がある。

 こうしてシェルイは後世に伝え残る残虐な勇名を残した。この戦いは殺戮が起きた地名からファタルの虐殺と呼ばれ、帝国人民をはじめとする敵対者たちから彼の残虐性を象徴することとなった。

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