リベンジ
ジェメ族はこれまで以上の厳しい訓練と戦闘経験によって強化され、草原の南側全域を支配下に置く覇者となった。しかし西部にはジェメ族を凌ぐ大勢力があった。クロトベキ族である。クロトベキ族も急速に勢力を拡大させた部族であり、草原の支配者となる野望を抱いていた。しかし両部族が本格的な抗争に入る前に一つの事件が起こった。ヤルダバオート神聖帝国がムートゥージャ王国をはじめとする東側の諸国を滅ぼし、草原に攻め込んできたのだ。侵略の矢面に立ったのは西側の雄クロトベキ族。ジェメ族は援軍の派遣を提案したがクロトベキ族はそれを拒否し、単独で帝国との戦争に臨んだ。結果は大敗し、三万二千の兵力のうち半数が戦死した。そこでようやくクロトベキ族は周辺部族に救援を求めた。
帝国軍の侵略は苛烈を極め、西側の諸部族は連携を取らずに各個で戦いを挑み、当たり前のように敗れ、滅亡していった。男や老人は焼き殺され、女は奴隷として売り飛ばされた。侵略を逃れた難民や兵士はジェメ族が占領した連合王国のかつての首都ザーラに逃れた。そこでようやく残された者たちは帝国の脅威に気付き、連合して挑む必要があることを悟った。
そこでメージェベスは諸部族に軍事同盟を持ち掛けた。ほとんどの部族がそれに応じ、首長たちはザーラに集った。シェルイとシャルはメージェベスの名代としてザーラに派遣された。
「ど、どうして私たちが派遣されたのでしょう…。各首長たちが一堂に会するなら盟主のお父様が赴くものと思っていましたが…」
「俺もわからん。でも何かお考えがあるんだろ」
シェルイはこの二年間で草原全土に名を轟かせた。軍略に並ぶ者はなく、将兵の心を奮わせること激しく、武術馬術に比類なき勇者としてジェメ族の勢力を急成長させた。狡猾にして獰猛な戦い方やその生い立ち、容姿から「白狼将軍」と呼ばれ、恐れられた。彼の部隊が掲げる狼の軍旗を見ただけで逃げ出す者もいる。とはいえ各首長たちが彼の出席だけで許すはずがない。盟主であるメージェベスがいなければ話にならないだろう。
ザーラに入ったシェルイは帝国軍がザーラから西に三日進んだ距離で停止したという報告を聞いた。大族ジェメと交戦する前に相次ぐ戦いで疲労した兵を休ませると同時に補給ルートの確保をしているのだ。帝国軍は面積にして草原の半分を占領した。既に十八の部族が壊滅し、十二の部族が領地を捨てて逃げ延びてきた。ザーラには四十万からなる難民がいる。食糧や牧草の運搬は行われているがそう長く続くものでもない。
シェルイは各部族の首長たちとの面会を果たした。
「白狼か。盟主殿は何処へおられる?」
クロトベキ族族長ハルトリルが難民たちの前で尋ねる。ザーラは首都といっても城壁や王宮があるわけでもない。ただ連合王国の中央政庁がザーラにあるというだけであり、それ以外は大規模な集落でしかなかった。一応、王や貴族のための天幕はあるのだが難民のために開放している。
「メージェベス様はいらっしゃいません。名代として俺と族長の娘シャルが参りました」
それをきいてハルトリルは落胆と怒りの声をあげた。
「メージェベスは戦いを諦めているのか! 奴の元にも滅びの風は向かっているのだぞ! そもそも奴が連合を提案したのではないか!」
難民たちがシェルイを囲んだ。彼らは住処を奪われてここにいる。家族や友人を失った者もいる。それでも命からがら逃げだしてここにいる。
難民たちはシェルイを見つけると集まってきて叫んだ。
「白狼将軍! お願いです。帝国を追い払ってください!」
「故郷も家族も奪われました。助けてください!」
「帝国に娘が囚われています。どうか…」
「帝国をやっつけて!」
難民たちはシェルイに縋りつく。彼の常勝不敗の名声は絶望に満ちていた彼らに一筋の希望を与えた。しかしそれは他人頼りの希望であり、他力本願、願望でしかなかった。草原の覇者たる誇りは消え失せていた。
シェルイは愛剣ウィルヘルミナを地面に突き立てた。
「お前ら、何しにここに逃げてきた。土地を奪われ、家畜を奪われ、家族を奪われどうしてここにいる? 羊みたいに追われて来たんだろう。みっともなく泣いて死ぬのか?」
難民たちは凍り付く。彼らとて逃げたくて逃げたわけではない。騎馬の民として生まれ育ち、先祖の文化と土地を継承してきたことを誇りに思っていた。しかし帝国はその全てを踏み躙る破壊の化身であった。戦えば命も誇りも未来も例外なく奪われる。どうにか繋ぐために涙を飲んでここまで逃げてきたのだ。逃げてきたのはシェルイとて同じ。違いは帝国を倒すために剣を握る覚悟があるかどうかである。
「誰かが何とかしてくれる。駄目でもまた逃げればいい。んな都合のいい話はねえ。ここが対帝国の最前線で最終防衛線。抜かれりゃ草原は南北に分断される。そこからは各個撃破。丁寧に潰されてみんな仲良く地獄行き。それでいいなら情けなく惨めに逃げて死ね」
「お、お前に何がわかる! 帝国は…奴らは化け物だ。まるで嵐だ! 勝てるわけがない!」
一人の男が叫んだ。鎧を着ていることからどこかの部族の兵士なのだろう。顔には恐怖が染みついている。
「ならお前は喚いてろ。何もしなくていい。お前の勝手だ。俺はお前に何もしてやらない。でももし! ここに、武器を取り、命を懸けて奪われた領土を取り戻し、殺された家族の仇を討ちに行きたい奴がいるなら俺が先導してやる。剣をとって奴らに思い知らせてやれ」
声高らかにシェルイは言う。世界は残酷だ。何かを求めるのならば戦わなければならない。リスクを背負わなければならない。
「祖霊に胸を張れる生き方をしたいなら戦え。生きるも死ぬも全力で駆けていくしかないだろ。ここが地の淵の淵。一歩下がれば底のない奈落行き。だったら前へ。敵のいる方へ! 人として生きて死にたいなら旗を掲げて一緒に奴らを打ち倒しに行こう」
瞬間、空気が変わった。群衆のうちの一人の男が大剣を振り上げて叫んだ。
「俺はクロトベキ族首長ハルトリルが第三子ドゥダイ! 我が一族は戦って敗れ、情けなくもここまで逃れてきた! 兄二人、姉を失い、民を虐殺された。これでは祖霊に合わす顔がない。シェルイ殿! 白狼将軍! どうか共に征き、戦ってほしい!」
がっしりとした体躯の青年だった。それを皮切りに他の者たちも立ち上がり、戦うことを決めた。女子供も剣を取ると叫んだ。
ザーラを包む陰鬱とした空気が霧散した。代わって希望と闘志そして怒りが草原に吹き荒れた。
誰もが戦いのための準備を始めた。草原の民は女子供でも馬術を習得している。また男女を問わず子供のうちから鎧を着ての戦闘訓練を施されるため、女も動員される。多少の体力の差は鎧に付与された身体能力を向上させる魔術で解消できる。ゆえに遊牧民族は人口が少なくとも多くの兵を動員できるのだ。
慌ただしく走り回る人々を見てシャルはなぜ父がシェルイを派遣したか理解できた。彼女の父は理解していたのだ。集まってきた難民は絶望し、救いを求めていること、彼らを戦場に駆り出すには強大な権力者の言葉ではなく、同じく帝国に奪われ傷つけられて逃げてきた者の言葉が必要なのだと。
メージェベスの名代シェルイを中心として戦いの準備は完了した。




