第四頁 能力
Xが消えたあとも、空気の冷たさだけがその場に残っていた。
悠人の手は震えっぱなしで、私はそれを包むように握りしめた。
「もう行こう。ここ、長くいたくない」
悠人は弱い声で頷き、私たちは公園を離れた。
夜道を歩きながら、頭の中はぐるぐると混乱していた。
終わりを見る者。
記録する者。
世界の破綻。
さっきまで普通の生活をしていたはずなのに、
今はその“外側”の存在が目の前に現れる世界になっている。
けれど——
私の手の中にある紙片だけは、妙に重かった。
「瑠璃……」
歩いていた悠人が、不意に立ち止まった。
「どうしたの?」
「これ、さっきより……濃くなってる」
悠人が持っていた紙片を見せてくる。
確かに、滲んでいたインクが、ゆっくりと形になってきていた。
読めないはずの文字が、
“読めないまま意味だけ鮮明になる”という奇妙な感覚。
心臓が一度だけ強く跳ねた。
「……これ、私のもだ」
私の紙片も微かに反応していた。
まるで誰かがページをめくっているように、
紙面が内側から震える。
悠人が怯えた目で言う。
「これって……僕らだけ?」
「たぶん。
他の人は紙自体が見えてない気がする」
第一頁からずっと感じていた違和感が、ひとつの形として合わさる。
瑠璃と悠人だけが、世界の書き換えの痕跡を認識できる。
その理由はまだわからない。
けれど、それは確かだった。
「ねえ瑠璃……僕たち、なんで消えてないの?」
その問いは、私自身ずっと考えていたもの。
けれど答えは出ない。
だが、このタイミングで——
まるで計ったかのように、周囲の空気が変わった。
街灯の光が一瞬だけ揺れ、
影が微かに沈む。
「……まただ」
悠人を抱き寄せる。
影の中心から、低い振動のような気配が広がる。
何かが、私たちの“認識”を確かめているような。
そして——
私たちの手の中の紙片が、同時に弾けるように光った。
「うわっ……!」
光は一瞬だけで、すぐに消える。
けれど、その瞬間、脳の奥が痺れるような感覚を残した。
それは痛みではない。
むしろ——
何かが“入ってきた”感覚。
その直後、私は理解した。
「……見える」
「見えるって……?」
「世界の……ズレが」
視界の隅に、薄い線が走っていた。
道の端。
信号機の横。
電柱の根元。
どれも本来は存在しないはずの、
物語の継ぎ目のような線。
Xが話していた“破綻”という言葉が頭をよぎる。
——世界が破れている。
悠人が小さく息を呑んだ。
「瑠璃、あれ……なに?」
彼が指さす先にも、同じ線があった。
「わからない……でも、私たちにだけ見えてる」
そして、その瞬間だけ私は確信した。
これは恐怖ではない。
武器になり得る何かだ。
「悠人、もしかしたら……私たち、消されてないどころか……」
「どころか?」
「世界の外側に“触れられてる”んだと思う」
悠人は不安げに眉を寄せた。
「それって……良いことなの?」
「わからない。でも……」
でも、と続けようとした瞬間、
背後で音がした。
振り向く。
気配はない。
けれど、空気の層が歪んでいる。
まただ。
Xとは違う——
もっと荒い、雑な“書き換え”。
私は直感的に理解した。
「誰か……今、消された」
悠人が震えた声で呟く。
「このままだと……全部なくなるの?」
「だから、行くしかない」
あの公園の奥——
Xが指していた場所へ。
そこに真実がある。
悠人の手を握る。
その小ささと冷たさが、胸に刺さる。
「怖い?」
「……怖い。でも瑠璃もいるし」
「私も怖いよ。でも行く」
影が揺れ、線が震えた。
世界の破綻が、確実に進んでいる。
歩き出した。
終わりを見る者が待つ場所へ。




