第三頁 対面
遊具の影の奥で揺れていた“何か”は、
ゆっくりと形を結び始めた。
最初は夜の濃淡が動いているだけだった。
影が影でないように、輪郭が定まらず揺れているように。
息を止めたまま見つめていると、
それは人の形を取った。
黒いスーツ。
白いシャツ。
ネクタイは細く、風もないのに微かに揺れている。
そして、その顔は——
私たちより少し年上に見える、若い男のものだった。
十七歳くらい。
妙に整った顔立ち。
けれど、目の奥だけが深い深い闇を含んでいた。
悠人が小さく震え、私の袖を掴む。
その手は氷のように冷たかった。
男はゆっくりと歩み出て、
月の光の下に姿を現した。
私たちを見ている。
でも、表情がない。
喜怒哀楽というものを最初から知らない人間みたいに——
ただ、そこに立っているだけ。
「……誰?」
私が問うと、男は一瞬だけ首を傾けた。
人間の仕草に似ている。
けれど微妙にずれている。
まるで“正解の動かし方”を誰かから教わったかのように。
やがて男は、
まったく感情を乗せていない声で口を開いた。
「君たちだけが、消えていない」
その声は静かで、
けれど耳の奥に直接落ちてくるような響きだった。
悠人が私の背中に隠れる。
私は男から目を離せなかった。
「……どういう意味?」
問いかけると、男は視線を少しだけずらし、
私の手にある“破れた紙片”を見た。
その瞬間、紙がわずかに震えた。
風ではなく、男に反応しているように。
「それは、まだ破れていない部分だ」
意味が分からない。
けれど直感だけが、答えに近づいていた。
「あなた……人が消えたことと関係ある?」
男は一瞬、表情のようなものを作った。
笑顔とも違う、
ただ“口角を上げた状態”。
そこには感情がなかった。
「関係はある。
だが、消したのは僕ではない」
答えなのか否定なのかも分からない。
けれど、彼が“外側の存在”であることだけは確かだった。
私は一歩、前に出た。
「家族も、友達も……いなくなった。
理由を知ってるんでしょう?教えて」
男は静かに私を見つめた。
その瞳には反射もなかった。
まるで深すぎて光が沈む湖の底のように。
「理由は単純だ。
この世界は、もう終わりに近づいている」
世界が——終わり?
突然、遊具の鉄が軋む音が響いた。
ブランコの鎖が振動し、
ジャングルジムの影が大きく揺れる。
気配が変わった。
空気の厚みが、ほんの一瞬だけずれた。
男はゆっくりと私たちに視線を戻す。
「僕は——終わりを見る者だ。
まだ名を持たない頃から、ずっと」
終わりを見る者。
それは、
“終わらせる者”と同じ意味なのかもしれない。
悠人が震える声で呟いた。
「……君が、みんなを消したの?」
男は首を横に振った。
ただ、その動作は人間のそれより僅かに遅く奇妙だった。
「消したのは“過程”。
僕は“記録”しているだけだ」
記録?
どういう意味?
男は近づいてきた。
距離が詰まるほどに、肌が粟立つ。
重圧でも威圧でもない。
“世界の外側の寒さ”のようなもの。
「名前を知りたいか?」
私は息を飲む。
その声には、妙な響きがあった。
「——X」
男は自分で名乗った。
表情は動かないまま。
「君たちの世界では、その名で呼ばれることが多い」
X。
やっぱり、これがそうなんだ。
けれど——
矛盾している。
消失の理由を知っていながら、
自分はやっていないと言う。
「じゃあ、何が原因なの?」
Xは一拍置き、淡々と言った。
「世界が、物語として破綻し始めている。
その継ぎ目から、君たちの大切なものが落ちていった」
物語。
破綻。
継ぎ目。
頭が追いつかない。
でも、その言葉は妙にしっくりくる感触を持っていた。
「助けてほしいなら、ここに来るといい」
Xは遊具の奥——
空気が裂けるように揺れている一点を指さした。
「そこで僕は、君を待つ」
次の瞬間、
影がふっと薄れ、
Xの姿は溶けるように消滅した。
何もなかったかのように、夜だけが残った。
悠人は震えたまま、私の服を掴んだ。
「……あれ、本当に人?」
私は答えられなかった。
けれど、確かに感じた。
世界の終わりが近いということ。
そして——
Xがその中心にいるということ。




