第二頁 痕跡
夜の空気は泣き止んだ子のように湿っていた。
私とあの少年は、しばらく街灯の下で言葉を失っていた。
互いに家族が消え、友達が消え、世界が歪んでいる。
その事実だけが二人をつないでいた。
「名前、聞いてもいい?」
私が尋ねると、少年は少し躊躇してから言った。
「悠人」
その声はかすれていた。
「私は……瑠璃」
名前を交わすだけで、どこか安心できた。
消えていない存在を確かめるように、私たちは歩き出した。
人影の少ない夜道を、二人で並んで歩く。
街灯が照らすアスファルトには、ぽつぽつと黒い染みのような影が散っていた。
近づくと、影はわずかに揺れた。
「これ……何?」
悠人が指さす。
私もしゃがみ込み、影を触ろうとして手を引っ込めた。
影の中央だけ、質感が違って見えた。
黒ではなく、深い“穴”のように。
「気のせいだよね……?」
私の問いに、悠人は首を振った。
「僕の家にもあった。
家族が消えた場所の周りだけ、影が変だった」
背筋が冷える。
影は“痕跡”だった。
何かがそこを通った跡。
何かがこの世界に触った跡。
「……これを追えば、何かわかるかもしれない」
自分でも驚くほど冷静な声が出た。
消えた理由を知りたい。ただそれだけだった。
影は点々と続いていた。
私たちはそれを辿り、街の奥へ進む。
歩けば歩くほど、世界の“ほつれ”が増えていく。
閉店中の店の看板の文字が、一部だけ薄くなっている。
ゴミ袋の印刷が途中から消えている。
信号機の赤が、ほんの一瞬だけ青と重なるように揺らぐ。
「これ、全部……」
悠人が言葉を濁す。
「触られた跡だよ」
そう言うと、悠人は唇を噛んだ。
二人の歩幅が揃わなくなり、私は立ち止まった。
「悠人、大丈夫?」
「……怖いよ。
誰かがいなくなるって、こんなに簡単なんだって思ったら」
私も同じだ。
怖くないわけがない。
それでも立ち止まれない。
止まれば、大切なものまで世界から抜け落ちてしまう気がした。
「大丈夫。
痕跡があるなら……逆に言えば、“存在”はしてるってことだよね」
悠人がこちらを見る。
恐怖の底に、希望のかけらが見えたような気がした。
影の列は、公園脇の古びた遊具の方へ向かっていた。
錆びた鉄の匂いが漂い、ブランコが夜風もないのに微かに揺れている。
ふと、私は足元の砂に埋もれた紙切れを見つけた。
「これ……」
拾い上げる。
破れた紙片。
第一頁で見つけたものと同じ、古い本のページの断片だった。
悠人も自分のポケットを探り、同じ紙片を見せてくる。
「僕の家にも、あった」
並べてみると、紙片の端同士がわずかに噛み合うように見えた。
まるで、元は一つのページだったかのように。
読み取れない文字列。
なのに、見るだけで胸がざわつく。
どこかで見たことがあるような既視感が、脳の奥にこびりつく。
「これ……文章?」
「文章……だと思う。
でも読めないのに、意味だけ伝わる感じがする」
私たちの手の中の紙片が、夜の光を吸って微かに震えた。
風ではない。
まるで、誰かがこの世界の外から“ページをめくっている”ような動き。
私は息を呑む。
悠人も固まっている。
その瞬間、遊具の向こうで音がした。
錆びたジャングルジムの影の奥、
空気が揺れ、淡い光が瞬いた。
「……誰かいる?」
私の声に、悠人が青ざめた顔で囁く。
「いる……でも、人じゃない」
静寂。
張りつめた空気が、私たちの足を地面に縫い付ける。
見えない。
けれど、確かに“何か”がいる。
違和感の中心に、
世界が削られた穴のような存在が。
私たちは息を殺し、その場に立ち尽くした。
痕跡だけが示している。
“あれ”は確かに、この世界に来ている。




