第3話 重ねる記憶
3話目です よろしくお願いします。
朝の光が丘を包み込む。昨日とは違い、空気にはわずかに湿り気があり、土と草の匂いが混ざった。花畑の花は朝露をまとい、太陽の光を反射して小さな光の粒が揺れている。悠真は丘の上に立ち、深く息を吸った。胸にはわずかな緊張と期待が混ざる。
昨日、湖で出会った中年の男性の姿が思い出される。長年の孤独や後悔を抱え、ここで少し心が軽くなった彼の姿は、胸を温めるものだった。同時に、次の出会いへの責任感も覚えた。
リーゼが悠真の横に静かに座る。
「今日の相手は少し変わっているかもしれない」
「変わっている…ですか?」
「そう、年齢や立場ではなく、人生の歩み方が特殊な人よ。孤独や葛藤を抱えた青年たち」
悠真は小さくうなずいた。未知の出会いはいつも緊張を伴う。それでも胸の奥が少し高鳴るのを感じた。
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小道を歩くと、森の中にひっそりと佇む小屋が見えた。扉は傾き、古い木材が乾いた音を立てる。扉の前には、一人の青年が座っていた。黒髪で少し長く、服はシンプルだが清潔感がある。目を伏せ、呼吸は浅く、時折息をついている。
悠真とリーゼが近づくと、青年は顔を上げ、淡い表情で問いかけた。
「あなたたちは……?」
「僕は悠真、この世界に来たばかりで……」
「私はリーゼ、ここで人々の話を聞き、向こうへ送り出す手助けをしている」
青年は小さくうなずき、手を膝に置いた。
「俺は……自分の人生を振り返ることが怖かったんだ。誰にも話せなかった」
悠真は少し緊張しながら声をかけた。
「話しても大丈夫ですよ。ここなら心が軽くなるはずです」
青年は沈黙を破り、ゆっくりと語り始める。
「俺は都会で育った。家族はいたけど、ほとんど理解してくれなかった。夢を追ったけど、失敗ばかりで、自分を責めてばかりだった。友人もいたけど、裏切られて、誰も信じられなくなった」
森の静寂がその声を包む。悠真は胸が締めつけられる感覚を覚えた。
リーゼがそっと手を肩に置く。
「話すこと、それだけでも心は少し軽くなる」
青年は手元のノートを開いた。そこには彼の人生がぎっしり書かれていた。失敗、後悔、ほんの少しの希望——文字の間に彼の歩んだ日々が詰まっていた。悠真はその一つ一つに目を通し、胸に深い共感を覚えた。
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時間は静かに流れ、青年はやがて立ち上がる。目に涙を浮かべながらも、表情は少し明るくなった。
「ありがとう……話してよかった」
「その気持ちが大事ですよ」
悠真は微笑む。
湖の中央に光の柱が立ち、青年はゆっくり歩き出す。柱の光に包まれ、次の世界へ向かう背中は、まるで羽を得たかのように軽やかだった。
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丘に戻ると、風が柔らかく吹き、夜空には無数の星が瞬く。花畑の香りが夜風に混ざり、静かな波紋のように心を包む。
リーゼが悠真に言った。
「今日も一つ、誰かの重荷を軽くしたね」
「はい……でも、正直、自分でも信じられない気持ちです」
「それでいいのよ。君はそばにいるだけで十分価値がある」
悠真は視線を夜空に移す。明日もまた、新しい魂との出会いが待っている。
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翌朝、丘を降りた先には中年女性が立っていた。背筋がまっすぐで、服装はシンプルだがどこか気品を感じさせる。手には古い日記帳を抱えていた。
「あなたは……」
「僕は悠真です。リーゼと一緒に来ました」
「そう……よろしくお願いします」
女性は少し緊張した面持ちで、日記帳を開いた。ページには彼女の人生の断片がぎっしり書かれていた。夫を早くに亡くし、子供を一人で育てながら仕事に追われた日々。笑顔も涙も、その全てが詰まっていた。
悠真は手帳を覗き込みながら、静かに言った。
「大丈夫です。話しても安心してください」
彼女はゆっくりと語り始めた。
「孤独だった……でも、諦めなかった日々もあった。子供が笑ってくれた瞬間、仕事で達成できた瞬間、ほんの少しの喜びを握りしめて生きてきた」
湖畔にたどり着くと、光の柱が彼女を待っていた。悠真はそっと微笑む。
「ここまで来たんですね」
「ええ……ありがとう、悠真」
光に包まれ、彼女は向こうの世界へ歩み出す。その背中に、悠真は人生の重みと、それを乗り越える強さを感じた。
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夜、丘に戻ると空は深い紺色に染まり、星が煌めく。花畑の香り、風の音、遠くの小川のせせらぎが、悠真の心を穏やかに包む。
リーゼがそっと肩に手を置く。
「今日も多くの魂を送り出したね」
「はい……でも、やっと少しだけ、自分にできることが分かった気がします」
「君はすでに誰かの支えになっている。それだけで十分なのよ」
悠真は夜空を見上げる。明日もまた、出会いは続く。中年男性、青年、中年女性……それぞれの人生に触れることで、悠真自身も少しずつ成長していくのだと実感した。
丘の上、静かな夜風に包まれ、悠真はそっと目を閉じた。花の香り、星の光、風のざわめき——全てが優しく彼を包み、再び歩き出す力を与えてくれる。
明日もまた、新しい物語が待っている。悠真は静かに心を整え、重ねる記憶と共に、歩み続ける決意を胸に抱いた。
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