第七章「幕末スチーム列車と大隈財閥」
夜明けの空がうっすらと青く染まりはじめるころ、駿也は見知らぬ土の匂いで目を覚ました。周囲は山々に囲まれ、遠くから蒸気の噴き上がる音がリズミカルに聞こえてくる。
「……あれ、また時代が変わった?」
「おはよう。というか、聞いてよ駿也!」
「うわっ!? 美帆!? あれ、なんで運転帽かぶってんの!?」
「なんか知らないけど、“新米運転士”として配属されたらしいのよ! しかも“出発5分前です”って叩き起こされたし!」
「……いやちょっと待って、いつの間に!? てかどこで!?」
周囲を見回すと、そこは木と土でできた簡素な駅舎。駅名札には「薩摩・鹿児島 湯之町」と書かれ、その横には蒸気を吹き上げる鉄製の列車が、黒光りしながら鎮座していた。
「これ……本物の蒸気機関車……」
「そう。どうやらここは“鉄道黎明期”の日本らしいの」
駅舎の屋根にはでかでかと「大隈財閥鉄道事業本部」の木札。旗がはためき、赤レンガで組まれた仮設の建物が奥に見える。
そのとき、駅構内に鳴り響く鐘の音とともに、アナウンスが流れた。
「えー、本日試運転列車“希望ノ一号”は、長崎方面へ出発いたします。関係者各位、ご搭乗をお願いいたしますー」
「え、関係者? え、ちょっと、これ私運転するの? 本当に?」
「たぶん……そういう流れになってるっぽいね……」
「ああもう! だったらやるよ! とりあえず動かせばいいんでしょ!?」
「いや待て、列車を“とりあえず”で動かすなぁー!」
だがもう止める暇もなく、美帆は機関士服の裾を翻し、操縦室に飛び乗っていた。
一方、駿也はというと、係員に「乗客リストに名前があるのでこちらへ」と強引に客車に押し込まれた。その車内は思いのほか近代的で、蒸し風呂のような暑さはあるものの、木造の座席には赤い布地が張られ、窓からは薩摩の山並みが広がっていた。
「なんか……修学旅行感あるな……」
「失礼。ここ、私の席のようだが」
低く落ち着いた声がして、駿也の隣にひとりの男が腰を下ろした。軍帽を被り、礼儀正しく背筋の伸びたその男は――
「……え、乃木……乃木希典!?」
「うむ。長州から薩摩へと向かう命を受け、ただいま列車に乗車中。君は何者か?」
「いやその、えーと、旅の者です! 時間を旅する者です!!」
「……なに?」
乃木は微妙に眉をひそめたが、それ以上突っ込むことはせず、静かに席に座り直した。
その瞬間、汽笛が鳴った。
「出発進行――!!」
操縦席の美帆の声が、車内スピーカーからばっちり響く。
「おい、スピーカーまで通ってるの!? てか、始まっちゃったよ!?」
列車がぎゅう、と音を立てて動き出す。鉄の車輪がレールを噛み、少しずつ加速していく。煙突からはもくもくと白い煙が立ちのぼり、沿道の町人たちが「うわー! 動いたぞー!」「あれが“西洋の龍”か!」と騒いでいる。
だが、誰も知らなかった。
この“希望ノ一号”には、“謀略ノ主”の仕掛けた“蒸気ゴーレム”が、貨物車両の中に潜んでいることを――。
「って、何これ!? 勝手にボタンが点滅し始めた! 蒸気圧、上がりすぎじゃない!? このままじゃ速度オーバーするんだけど!?」
「いや、まさかの“暴走列車フラグ”!?」
車両がぐんぐん加速する。客席の乗客たちは悲鳴を上げ、乃木は冷静に椅子の手すりを掴んだ。
「状況が把握できんが、この振動は明らかに異常だ。君、手伝えることはあるか?」
「いやあの、俺、“運転士”じゃなくて“協力型サラリーマン”なんですけど!?」
「ならば、その協調性を使え」
「むちゃぶり!!」
車両内は混乱し、機関部では美帆がレバーと格闘しながら怒鳴っていた。
「おい駿也! なんか鉄人みたいなやつが貨物から出てきてるんだけど! 頭から蒸気出してるし、たぶんこれ、敵!!」
「敵なの!? やっぱゴーレム!?」
「なんか荷札に“大隈財閥制式試作機・使用未許可”って書いてある!!」
「絶対やばいやつ!!」
暴走する列車の中で、乗客・乗務員・武士・サラリーマン・ゴーレムという謎の混成バトルが勃発する。
ゴゴゴゴゴ……と鳴る機関の音は、もはや鼓膜ではなく、腹の底に響いてきていた。レールはきしみ、車体は揺れ、外の景色は風のように過ぎてゆく。
「おい駿也! もう制動レバー壊れた! このままじゃ列車が海にダイブするコースだよ!!」
「ちょっ、美帆さん!? 何ルート選んだの!?」
「私じゃないよ! この列車が勝手に道選んでるの!」
「AI列車!? 幕末にしてそれ!?」
そんな中、乃木希典がすっと立ち上がった。
「敵を見た。貨物車両より出た“蒸気巨兵”、明らかに構造を逸脱している。私が牽制に回る」
「まさか、乃木さん……戦うつもりですか!?」
「軍人とはそういうものだ。だがこの場合、私にも“非武装での笑撃戦術”が必要なようだ」
「いや、それどこで覚えたんですか!!?」
どうやら少し前に駿也たちの“戦国即興能”の話を耳にしたらしく、乃木は真面目な顔で腕を組み、「笑いは剣より強しと聞いた」と呟いていた。信じてる……本気で信じてる顔だった。
その間にも、機関部では美帆が、蒸気ゴーレムとの対峙に追い込まれていた。
「おいこら鉄の塊! あんたのせいでブレーキ効かなくなってるんだよ! 責任取って減速して!!」
しかしゴーレムは腕をぐわんと振り上げ、警告の笛を吹いた。
「ピーーー!」
「笛だけかい!! てか私が運転士であんたが車掌なの!? だったら止めてよ!!」
駿也はその声を聞きながら、ふと思いついた。
「乃木さん、あの蒸気ゴーレム、“大隈財閥製”なんです! 中にマニュアル残ってるかも!」
「なるほど。敵の製造元に従う……兵学における“兵器利用の法”……理解した。ならば、この“鉄道操縦法・心得六箇条”をもとに、奴を説得する!」
「説得するんかい!!」
なんだかよく分からないが、乃木は真顔で貨物車両に向かって走り、両手で“鉄道員の手旗信号”らしき動きを始めた。さすがに元ネタが分からないゴーレムは首を傾げ、動きを止めた。
その瞬間、美帆が操縦席の奥に見つけた“緊急停止用算木”を投げつける。
「算木ォォォォ!!」
カシン!と音を立てて緊急弁が開き、蒸気圧が一気に抜けた。列車はぐぐぐ……とブレーキを効かせながら、ちょうど眼前に広がる港の手前――長崎・大浦停車場に滑り込んでいった。
列車が止まり、白煙がふわりと空に溶けていった瞬間、車内に拍手が巻き起こった。
「運転士殿、見事でした!」
「……え、なにこれ、感謝されてる!? さっきまでブチギレてた乗客たちが、今や拍手喝采!? え、私“ヒーロー”枠なの!? マジで!?」
「いや、確かにやばかったけど、最後帳尻合ってたからね……」
そのとき、乃木がふたたび現れた。手には、黒いケース。
「車両の中に、これが残されていた」
中には、まばゆいばかりの光を放つ一枚の文書――
「鉄道敷設免許状……!」
大隈財閥が明治初頭に申請した、第一号鉄道路線の正式な写し。これこそが、今回の“神器”だった。
「この国の未来を開いた書類か……」
駿也はしみじみと眺める。そこには、“技術”だけではない、“連携”と“希望”の文字が添えられていた。
「大隈財閥って、豪快だけど、夢があったんだな……」
「でもその夢、ちょっと迷惑もかけてたからね……」
「そりゃあんたが暴走したからでしょ!」
「うっ……!」
列車は静かに停まり、機関からの音も落ち着いていった。乃木は軍帽を整え、ひとつ礼をして、列車から降りた。
「君たちの言う“時の歪み”、なるほどと思った。私はこれから、未来の兵に“心の協調”も教えていくことにしよう」
「……乃木さん、意外と柔らかいじゃん……」
「いや、たぶん“即興能”の話で全部吹っ切れたと思う」
「それ、うちらのせいでは!?」
そして、再び時間の渦が開き、ふたりは次の時代へと引き寄せられていく。
その背後で、煙突に“ありがとう”と書かれた機関車が、最後の汽笛を鳴らした。
「次は……明治の皇居前……?」
「また中央……また儀式……そして絶対また妖怪……」
「でも次は朱々佳の“天狗落語”があるらしいよ」
「出た! またお笑い寄席だ!」
ふたりの旅は、まだまだ終わらない。
(第七章・終)