間話:ガルドの静かな覚悟
夜、厨房の明かりが消えた後。
ガルド・ベイスンは重い足取りで倉庫の奥に向かっていた。
「ったく……あの馬鹿、やっぱり行くか」
氷晶山脈——霧の塔。
かつて、王国軍兵站部の特別任務で訪れたあの地名が、今になって再び浮上してきた。
倉庫の奥、鍵付きの棚を開ける。
中には、鈍く光る小さな金属球が並んでいた。
「〈魔力探知符〉か……昔の遺物が、また役に立つとはな」
霧の塔はただの古代遺跡ではない。
それは魔力を吸い取る“罠”そのものだ。
かつてガルドは、霧の塔の内部に侵入した仲間が次々と倒れる光景を見た。
霧が魔力を奪い、人を衰弱させる——いや、魔力を吸い尽くされた者は、その場で塵のように崩れたのだ。
「同じ過ちを繰り返させるわけにはいかねぇ」
金属球を腰のポーチに入れ、ガルドは厨房を出た。
向かう先は、ギルドの情報室。
霧の塔に関する未公開の記録が、そこにあるはずだった。
ギルド情報室
「おっと……ガルド親方じゃないですか」
ギルド本部の地下情報室に足を踏み入れると、カウンターの奥で書類整理をしていた老人が顔を上げた。
「レグスか。久しぶりだな」
「もう引退したかと思ってましたよ。何のご用です?」
「霧の塔に関する情報が欲しい」
レグスの顔がこわばる。
「……例の鐘の音のやつですか?」
「お前も知ってるんだな」
「ええ。北部支部から奇妙な報告が増えてるんです。“鐘を聞いた冒険者が魔力を吸い取られて意識を失った”って」
レグスは書架の奥から古びた記録簿を持ってきた。
表紙には〈霧鐘遺跡:調査記録〉と書かれている。
「これが20年前、王国軍が霧の塔を発見した時の記録です」
ガルドはページをめくった。
そこには、こう記されていた。
——霧の塔の鐘の音は、霊脈を乱し、周囲の魔力を吸収する。
——霧鐘が鳴るたび、地中の“魔導機構”が作動する兆候がある。
——塔の封印は、〈霊鍵〉によって制御されている。
「霊鍵……」
「この鍵、未だに発見されてないんです。でも噂では、4年前に“エリオット・グレイ”って冒険者が何かを持ち帰ったとか」
「やはりエリオットが……」
エリオット・グレイ——リアムのかつての仲間。
4年前に霜糖晶の異常を発見し、その後消息不明になった冒険者。
「ガルドさん、どうします?」
「決まってるだろ。アイツらをサポートする」
ガルドは立ち上がり、背中の大きなリュックを担いだ。
「リアムたちが霧鐘に囚われないよう、俺が陰で支える。それが総料理長の役目ってもんだ」
そして、ガルドはギルドの影に紛れて霧の塔を目指した。
翌朝・学園食堂
リアムとクラリス、そしてリーナが装備を整えて厨房を出発した頃——。
屋根の上で、それを見送る大きな影があった。
「やれやれ、若ぇもんは勢いがあって困る」
ガルドは微笑むと、懐から魔力探知符を取り出して握りしめた。
「鐘の音よ、今度は誰も奪わせねぇぞ」
金属球が淡く青白く光り、霧に向かってかすかに響いた。
カァァン……
それは、霧の塔の鐘と同じ音だった。