第2章:1節:午後の休憩と懐かしい記憶
この章は外伝への大きな伏線としようと考えています。
回収は未定です…
とある昼の賑わいが過ぎ、食堂が静けさを取り戻す午後二時過ぎ。
厨房内の熱気も冷め、ふとした瞬間に訪れるこの穏やかな時間が、俺はけっこう好きだ。
「ふぅ……今日も盛況だったな」
エプロンを外し、椅子にどかっと腰を下ろす。クラリスも隣で同じように座り込んだ。
「もう足が棒です……」
「頑張ったな。今日は普段の倍の客入りだったしな」
今日は魔導学科の実技試験があったせいか、終わった学生たちが祝杯ならぬ「食べ納め」に押し寄せたのだ。
「リアムさん、コーヒービーンミルク作りました。飲みます?」
「お、気が利くな」
クラリスが差し出したマグカップから、ほろ苦い香りが立ち上る。
コーヒービーン——氷晶山脈の麓で採れる豆で、香りが豊かで覚醒効果がある。冒険者時代、山の夜営中によく淹れていたのを思い出す。
「そういえば、昔冒険してた時、このコーヒービーンで眠気を飛ばしてたな」
「へえー。リアムさん、やっぱり冒険時代はいろいろ大変だったんですね」
「ああ、特に山の中は苦労した。氷晶山脈には何度か行ったけど、雪に埋もれて遭難しかけたこともあったな」
マグを傾け、苦味を味わう。
「山道を進んでいる時、魔力の霧が出てきてな。地図が役に立たなくなって、仲間と三日間、雪の中をさまよったんだ」
「え、三日も? それ、よく生き延びましたね!」
「あの時、偶然霜糖晶の自生地を見つけたんだ。霜糖晶は魔力を含んでるから、あの冷気の中でも体力を維持できた。それで助かったんだよ」
「すごい……!」
クラリスが目を丸くする。
「でも不思議なんだよな」
「何がですか?」
「霜糖晶って基本的に日光を避けるため、岩陰にひっそり生えてるんだ。でもその時は、なぜか霜糖晶が一面に広がってた。まるで——何かを隠すように」
ふと、コーヒービーンの香りが不自然に薄れた気がした。
「何かを隠すように、ですか?」
「ああ。まるで、その下に“何か”が眠っているみたいに」
その時、厨房の奥でガチャリと扉の開く音がした。
「おーい、リアム!休憩中に悪いが、食材の在庫確認だ!」
「了解です、ガルドさん!」
総料理長の声で場が和む。
「さあ、仕事再開だ。休憩は終わり!」
「はい!」
だが、マグカップを置く瞬間、心の奥に奇妙なひっかかりが残っていた。
——あの山で見た霜糖晶の異様な広がり。
——そして、近頃の霜糖晶不足。
偶然にしては、出来すぎている気がする。
けれど、今はまだ考える時ではない。
俺はマグを空にし、立ち上がった。
休憩を終え、食堂裏の倉庫でガルドさんと一緒に在庫確認をしていると、裏口からノックの音が響いた。
「誰だ?」
扉を開けると、そこに立っていたのは全身に革鎧をまとった若い男——ギルド時代の後輩、ユースだった。
「リアムさん!久しぶりッス!」
「ユース?お前、今は北部支部に所属してたはずだろ?」
「ええ。でも、ちょっとした調査依頼で王都まで来たんです。で、ついでに食堂の料理、久しぶりに味わいたくなって」
「はは、食堂目当てが本音だろ?」
「バレましたか!」
ユースは気のいい男で、ギルドにいた頃は物資運搬や索敵を任せていた。
「ちょうど在庫整理中なんだが、まあ座って話せ」
「お言葉に甘えて!」
倉庫奥に簡易ベンチを置き、クラリスが淹れたコーヒービーンミルクをユースにも出す。
「で?調査依頼って何の案件だ?」
「それが——氷晶山脈で“魔力の枯渇”が進んでるって話、聞いてます?」
クラリスが驚いて顔を上げた。
「やっぱりギルドも動いてるんだな」
「ええ。最近、霜糖晶や氷霊花みたいな魔力を帯びた植物が次々に消えてるんです。
それで、北部支部長が“霊脈異常”の可能性を疑って、調査隊を派遣したってわけで」
「霊脈異常、ね……」
霊脈——大地の魔力が流れる見えざる川。
それが乱れれば、魔法植物の成長や天候にまで影響が出る。
「原因の見当はついてるのか?」
「今のところ不明です。ただ……」
「ただ?」
「山脈の奥に、“霧の塔”が現れたって噂があるんですよ」
「霧の塔?」
「ええ。氷晶山脈には古代の魔導施設がいくつか埋まってるって聞きますけど、そこから灰色の霧が噴き出してるとか。
しかも、その霧が広がり始めた頃から霜糖晶が急減してるんです」
俺は思わずクラリスと視線を交わした。
「灰色の霧……」
「ああ、俺も昔、山で“魔力の霧”に巻かれたことがある」
「それっていつ頃ですか?」
「4年前だ」
その時、ユースの顔が強張った。
「……やっぱり、そうですか」
「どういう意味だ?」
「ギルドの調査記録によると、“霧の塔”が確認された最初の魔力反応は——4年前です」
4年前——あの霜糖晶が異様に広がっていたあの日だ。
「それ、本当か?」
「ええ。北部支部のエリオットさんが報告書に記録してますから」
「——エリオット?」
俺は思わず声を詰まらせた。
「エリオット・グレイ。あの人、リアムさんの元仲間だったんですよね?」
「……ああ」
エリオットが霧の塔の存在を記録していた?
それなら、彼は今どこにいるんだ?
「リアムさん、大丈夫ですか?」
「ああ、平気だ」
しかし、マグカップを握る手には、微かな震えが走っていた。
——4年前の霧の記憶、広がり続ける霜糖晶、そして旧友エリオットの名。
休憩の終わりにしては、重たい謎が胸に残った。