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黒ノ恋  作者: 八笠珠香
東の砦にて
8/18

砦 3

 ぽろぽろと終わりを知らないように、雫の大きく黒い瞳から溢れた雫が零れ落ちる。

 ガイウスはそのたびに、親指の腹で優しくその頬を拭っていたが、その内心は戸惑いに満ちていた。

 正直、女の涙ほど苦手なものはない。

 彼にとって煩わしいとしか思えないそれを、根気強く、それも彼女の肌が傷つかないように優しく拭うなど、彼を知る者、例えばアーデルが見たなら、指を差して笑うだろう。

 その様をありありと想像してしまったガイウスの眉間に、しわが寄った。


 ・・・胸くそ悪い。


 自分の行動に、自分で見切りを付ける。

 ガイウスは雫の頬から手を離すと、彼女の横たわるベッドへと腰掛けた。

 彼の重みにベッドがギシッと音をたてて揺れたのを感じ、顔を上げた雫に、彼はぽつりと告げる。


「拭くのは止めた」


 言って、ガイウスは雫の体をシーツごと自分の膝の上へと引き寄せ、抱え込んだ。

 いきなりの彼の行動に、雫の口から小さく悲鳴が漏れる。

 そんな彼女の小さな頭に、ガイウスは右手を添えると、自分の胸に押し付けた。


「好きなだけ泣けばいい」


 止まらない涙を、何度も拭う必要などなかったのだ。

 最初からこうして、落ち着くまで泣かせてやれば良かったのだと、ガイウスは腕の中の小さな少女の背に手を伸ばした。

 昨日、彼女を抱きしめて安心させようと決めたばかりではないかと、ガイウスは思った。

 小さな子供をあやす様に、彼の大きな左手がぽんぽんと彼女の背を叩く。


 彼女の気持ちが落ち着くように、涙が止まるように。


 だが、ガイウスの腕の中の少女は、彼の思惑とは別に、身をよじってその腕から逃れようとしていた。

 胸元で、じたばた慌てる雫の様子に、ガイウスは首を傾げた。

 子供扱いし過ぎたのかと、顔を覗きこもうとして、真っ赤になった彼女の耳に気付いた。


 こんな色だったか?


 そんな筋違いな事を思い、ガイウスは自分の思考の馬鹿らしさに呆れ、一旦その視線を逸らした。

 腕の中の少女は、自分が思っているよりは、子供ではないのかもしれない。

 自分を男として意識している。

 それを感じて、ガイウスは思わず、ぱっとその手を離した。


「っ・・・いたっ!」


 急に解かれた腕に、ガイウスの体から離れようと抗っていた力のまま、雫の体は彼の腕の中から一気に離れ、そして、その勢いのままにベッドから転げ落ちてしまった。

 どすんっと音をたてて、床に転がり落ち、したたかに腰を打ちつける。

 あいたぁ・・・と呟く雫を見下ろし、ガイウスは慌てて彼女に手を伸ばした。


「すまない」

「あ、いえ・・・ありがとうございます」


 ガイウスのせいで床に転がり落ちたと言える状況なのだが、雫は伸ばされた腕に素直に捕まって立ち上がった。

 彼女のまだ赤味の残る顔を、ガイウスはまじまじと見る。

 不躾ともいえるその視線に、雫は意味がわからず、気まずそうに彼を見返した。


「あの・・・?」

「そういえば、シズクの年を聞いてなかったな。いくつになるんだ?」


 急な問いかけに、雫はきょとんとした顔で、17ですと答えた。

 それを聞いて、ガイウスの顔もまた、同じ様に驚きに彩られる。

 そうか・・・と呟くと、ガイウスはがしがしっと右耳の後ろあたりを掻いた。


 12、3かと思ってたが、17か。


「ガイウスさんは、おいくつなんですか?」

「俺は22だ。お前がもう少し下かと思って、さっきは急に悪かったな」

「え、いえ、ちょっとびっくりしましたけど、大丈夫です」

「良かった。まあ、落ち着かせようと思っただけだ。軽く流してくれ」


 ガイウスの言葉に、はいと雫はまだ赤味が残る顔で頷いた。

 素直ないい子だと、ガイウスは彼女の印象を持ち、ふと口元を緩ませた。

 彼女の頬が、子供扱いされた事と自分を意識した事で赤く染まっている。

 先程までの涙のせいで赤味の残る黒く大きな瞳は、昨日の自分の行動も含めて、自分を強引な男とでも思っているのか、困惑と少しの非難めいた感情に揺らいでいた。

 そんな表情を見ると、彼の中の悪戯心が刺激されてしまう。


「・・・泣き止んだな」


 言って、ついっと雫へと手を伸ばすと、彼女の体がぴくっと揺れた。

 その反応の良さも、ガイウスにとっては自分を刺激するものでしかなく、彼は感情の赴くままに手を伸ばし、彼女の頭に手を乗せた。

 固まる彼女の体と表情に笑いそうになるのを堪えながら、シーツの中にいた時から乱れていた髪を、指ですいて元に戻す。

 指先からさらさらと流れ落ちていく髪が心地よいと、ガイウスがその髪を指先にからめようとした。

 その直後。


「おはよー・・・って、何でガイさんがもういるんですか!?」


 ガイウスの目が嫌そうに細められ、ノックもなく扉を開けた水色の髪の少年へと注がれた。

 その視線に射殺されそうになりながらも、少年、イズリアは負けじとムッと彼を睨み返す。


「部屋に入る時は扉を叩けと教えてもらわなかったのか?」

「ガイさんだって、僕の部屋に入る時、一回もそんなのした事ないじゃないですか」

「阿呆。男と女じゃ違うだろ」

「ずるいっ差別ですよっ!」

「黙れ、クソガキ」


 突然始まった、ぽんぽんと言い争う二人の男の姿を目の当たりにして、雫はどうしていいかわからずに、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「彼女の事は俺が将軍に頼まれたんです」

「は? 俺だってアーデルに言われてる。お前だけじゃない」

「でも年が近い俺の方がいいって、昨日言ってたじゃないですか!」

「知らん」

「ひどいっ!」


 なにやら自分の事で言い争っているようだと、ようやく気付いた雫は、どうしたものかと近くのベッドに座るガイウスを見た。

 その困惑した視線を感じて、ガイウスはちらっと雫を見た後、子供じみた事をしてしまったと自嘲気味にため息をついた。


「イズ、飯持って来たんだったら、さっさと渡してやれ」

「え? あ・・・ごめん、驚かせたよね」


 急に変わったガイウスの態度と、雫の困った表情を見て、イズリアもまた焦って言葉を紡ぐ。

 手に持っていた食事をテーブルに置くと、彼女に食事をするよう促した。

 朝はあまり食べられない雫であったが、ここに来てから何も食べていない事もあって、素直に空腹を感じた。

 しかし、心の奥で、そんな自分に嫌気がさす。


 こんな時でもお腹って空くんだ・・・


 その考えに、また鼻の奥がツンとする感覚を感じて、雫は慌てて言った。


「あの、先に顔洗ってきます」


 パタパタと隣室へと駆け込む彼女の背を見送ってから、ガイウスはイズリアへと視線を投げた。


「あれ、まだ全然落ち着いてないからな」

「・・・そんなの見た時にわかりました。一瞬、ガイさんが泣かせたのかと思いましたけど」

「お前な・・・」


 呆れたガイウスの様子に、冗談ですとイズリアは笑った。


「寂しいに決まってますよ。いきなり知らない世界なんて、考えた事もないだろうし」


 僕は僕の出来る限り、彼女のそばにいたいと思います。


 直球に告げたイズリアの言葉に、ガイウスが苦笑する。

 子供は何でも簡単に言葉にすると何処か羨ましくも感じる。


「それじゃ、俺はそれをとことん邪魔するとするか」

「はあ!? ガイさんってたまに本気で殴りたいんですけど」

「いいぞ。お前の手が俺に届くならな」


 余裕の笑みを見せるガイウスに、イズリアの表情が歪む。

 剣の腕では彼とアーデル将軍には勝った事が一度もないのだ。


「いつか絶対、ぎゃふんって言わせてやります・・・」

「楽しみにしてるよ」


 くっと笑うガイウスに、それでも彼らを目標とするイズリアが悔しそうに唇を引き結んだ。

 その耳に、隣室へ消えた雫の悲鳴が聞こえたのは、丁度その時だった。

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