砦 1
「何をしている」
急に開いた扉に、三人の男達は驚いて顔を上げた。
薄暗い廊下が、部屋から差し込む光で明るく照らされ、三人がそれぞれ食事を持ったトレーを手に、一つの部屋の前に集まるという姿を、更に滑稽に見せた。
「・・・アーデル、休むと言ってなかったか?」
「そのつもりだったが眠れなくてな。彼女の様子を見に来たんだが・・・お前らも、そうらしいな」
言って、くっと喉の奥で笑うアーデルに、三人はむっとばつが悪い顔をした。
ガイウスに至っては、元々、お前が様子を見ておくように言っただろと、アーデルを睨む。
それを眉を上げ、そしらぬ顔をしてかわすアーデルに、彼の睨みは更にきつくなった。
「・・・それで、彼女は?」
「ああ、混乱しているようだったから、今、眠らせた所だ」
説明するから、場所を変えよう。
言うなり、アーデルは少女の部屋の扉を閉めると、歩き出した。
一目でも彼女の姿が見たかったイズリアは不満顔で、閉められた扉を見つめていたが、早く来いとガイウスに促されて、三人の後を追った。
「眠ったのではなく、眠らせたのですか?」
アーデルの言葉に、レヴィンが歩きながら疑問を投げかける。
その問いに、アーデルは前を向いたまま頷いた。
彼の碧の目が、何かを思案しているように細く歪むのを見て、隣を歩くガイウスもまた目を細めた。
「面倒ごとか?」
「・・・いや、まだわからん。不可思議過ぎて、俺も混乱している」
少女の部屋から二つ離れた部屋の、向いの扉を開け、四人で中へ入り込んだ。
アーデルの部屋である。
部屋の中には、まだ今日の戦いの悲惨さを色濃く残した汚れた鎖帷子や服が脱ぎ捨てられたままだったが、彼の愛用の剣だけは既に綺麗に磨かれ、立てかけられていた。
木のベッドにどかっと腰を下ろしたアーデルに続き、ガイウスが傍の椅子に座る。
部屋の中央に置かれたテーブルには三人の持っていた食事が置かれ、その周りに置かれた椅子にレヴィンが座り、最年少ながら実力を買われ、たびたび戦いに出る事がありながらも、将軍や騎士、術士の身分を持つ彼らと違い、一般兵であるイズリアは立ったままアーデルの言葉を待った。
そうして、アーデルの口から告げられた言葉に、彼らは一様に驚き、目を見開いた。
部屋に動揺と沈黙が落ちる。
「異世界の人間・・・?」
最初にその沈黙を破ったのは、ガイウスだった。
組んでいた腕をほどき、右耳の後ろ辺りを掻きながら、彼の視線が何もない宙に注がれている。
考え事をする時の彼の癖のようなものだ。
「ああ、彼女の言葉を信じるなら、そうなる」
「確かにニホンという島国は聞いた事がありませんね。それに顔立ちも服装も。黒い髪に黒い瞳というのも初めて見ましたが・・・」
アーデルの先程の話を、再度自分に言い聞かせるように、レヴィンは顎に手を当てながら呟いた。
少女の姿を思い出しながら、言葉を紡ぐ。
「ですが、言葉は? そのニホンという国も、このカザリク大陸の言葉を話すのですか?」
それも流暢に?
会話こそ少なかったが、訛りは感じられなかった。
「いや、そうじゃない。彼女の口元を見ていて解ったが、口の開き方が違う。俺達の耳には、彼女がこの国の言葉を話しているように聞こえたが、彼女が実際口にしているのは、彼女の国の言語だろう」
口元だけ見ていたら、彼女が何を話しているのか、わからなかった。
そう続けるアーデルの言葉に、レヴィンはすぐにでも彼女と話して、実際の所を確かめたいと思った。
自分の目で見て物事を把握しようとするのが、彼の常だ。
話に目を輝かせるレヴィンから、少し離れた所で会話を聞いていたイズリアが、自分の素朴な疑問を尋ねるべく、手を上げた。
「異世界って・・・何か想像付かないんですけど、あの子の世界じゃ、そうやって国や世界を渡るような事が出来るんですか?」
「いや、彼女の国には魔術は存在しない。魔物もいない平和そのものだそうだ」
「それじゃあ、どうやって・・・」
「彼女が言うには、ここに来る前に覚えているのは、雨で滑って転んだそうだ」
「雨で滑って?」
「転んで?」
「・・・異世界に?」
アーデルの言葉に、三人がぽかんと口を開けた。
笑ってはいけない状況なのだが、ガイウスの視線がふいっと何かに耐えるようにそむけられた。
間抜けすぎる。
そう思ったが、その間抜けさゆえに、自分達の命は助かったのである。
感謝こそすれ、笑うわけにはいかない。
話題の発端となったイズリアもまた、気を取り直して口を開いた。
「えーっと、何だっけ・・・あっ、それじゃ彼女が術を使えるのは何でですか?」
「それはわからん。本人は自分には何の力もないと言っている。その辺りは、今後レヴィンに任せる。それでいいか?」
「元より、そのつもりです」
にっこりと微笑んで、レヴィンは頷いた。
そこまで話した時、ガイウスは組んでいた足を下ろし、真っ直ぐにアーデルを見つめた。
「それで、何故、彼女を眠らせる必要があったんだ?」
「さっきも言ったが、彼女の世界は平和そのものなんだ。あんな戦いは見た事がないと・・・」
アーデルの言葉に、三人の眉が寄る。
醜い魔物、倒れ重なる人間の死体。
この国で暮らす人々も慣れる事はない、目を覆いたくなるような、悲惨な光景。
それらをいきなり目の当たりにした、戦いに明け暮れる自分達には想像もつかない、平和な国から来たという少女の胸の内を思う。
「帰りたい、そう言って泣いて取り乱した」
アーデルが彼女の部屋を訪ねた時、既に彼女の目は赤く腫れていた。
見た事もない戦場での光景を思い出し、吐きもしたのだろう。
話しながら、何度か嘔吐きそうになるのを必死に絶える姿に、彼の心が痛んだ。
「彼女は、望んでこの世界に来たわけではない」
アーデルの言葉を受けて、重い沈黙が部屋に落ちる。
イズリアが俯き、顔を伏せたまま呟いた。
「そんなの・・・可哀想だ」
自分はこの平和とは言い切れない国で育ったけれど、それでもこの国が好きだ。
だから、剣を取り国を守る兵士になった。
そんな自分がいきなり知らない世界に、たった一人きりで飛ばされたら・・・そんな事は、想像も付かない恐怖だった。
しかも、彼女にとって、ここは危険しかない場所なのだ。
イズリアは、先程よりも強く、彼女の力になってあげたいと思った。
「何とか、帰してあげる事は出来ないんですか?」
「どうやって?」
異世界の存在自体、初めて耳にする事である。
それはつまり今までに例の無い事柄が、今、目の前で起きているのだと告げている。
イズリアの気持ちもわかるが、ガイウスは極めて冷静に、目で彼を制した。
ぐっとイズリアが口ごもる。
「俺も出来る限りの事はするつもりだ」
アーデルに言われ、イズリアは唇をかみ締めながら、頷いた。
そこへ、今まで会話を聞き、沈黙を守っていたレヴィンが口を開いた。
「・・・王都へ彼女を連れて行くのはどうですか?」
彼の言葉に、アーデルとガイウスの眉間が寄った。
そんな彼らの視線を受けて、レヴィンは畳み掛けるように言葉を紡いだ。
「お二人が王都を離れたくて、この辺境の砦の警備隊に志願したのは知っています。ですが、王都では常に新しい魔術が研究されている。彼女が望んでこの世界に来たというわけではないのなら、新しい術が生み出されたり、何かしらの作用で、誰かがこちらへ喚んだという事も考えに入れても良いのではないですか?」
レヴィンの最もな言葉に、アーデルは息を吐き、ガイウスは視線をそらした。
「・・・どちらにしろ、戦いの事も含め、報告しなければと思っていた。だが」
本当に、彼女が危険な存在ではないと解ってからだ。




