砦 4
・・・コン、コン
控えめなノックの音に気付き、ガイウスは自分の腕の中で眠る雫を起こさないように、そっとその身を横たえると、ベッドを抜け出した。
魔鳥の襲撃が突然の終焉を迎えたあの時から数刻。
夜明けが近付いている気配がする、僅かな薄闇が部屋を満たしている。
彼が扉に近付くのと同時に、音もなく扉が開きアーデルが姿を見せた。
ちらりとベッドに眠る雫の姿を確認してから、ガイウスに顔を上げる。
「・・・シズクの様子は?」
「ようやく寝たところだ」
アーデルの問いかけに低い声で答え、顎で部屋の外を指し示すガイウスに続き、二人廊下へ出ると後ろでに扉を閉める。
彼女が眠る部屋から数歩離れた場所で、ガイウスは窓枠に寄りかかって腕を組んだ。
そこから見える外の様子は、襲撃前と変わらない静かなものだった。
彼らが居を構える場所とは違う場所での襲撃だったためである。
場所を変えれば、まだ怪我を逃れ動ける者達が崩れた砦に埋もれた者達の確認、救助、医者の手伝いなど忙しく動いている事だろう。
ガイウスは窓の外へ視線を向けたまま、口を開いた。
「レヴィンは?」
「命に別状はないそうだ。・・・だが、魔力が感じられない。しばらく目を覚まさないかもな」
アーデルの言葉に、そうかと一言返した。
先程の戦いでレヴィンが術を操っているのは確認していたが、彼の魔力が無くなる程使っていた感じはしなかった。
あの入り乱れた戦いの中、レヴィンの全てを見ていたわけではないため、彼の身に何が起こったのかは本人に聞いてみない事にはわからない。
「あの力・・・シズクの事は何か言われたか?」
「いや、まだ何も」
まだ、というのにはいささか語弊がある。
アーデル自身に有無を言わせぬ迫力があったからだ。
指示を繰り出すアーデルに、皆一様に何かを言いかけたが口を噤み、目の前に与えられた仕事へと足を向けていた。救助に関しては、一刻を争うものがある。
問うても、期待した答えは今は得られないと解っているのだ。
あの力は何だったのか。
夕刻の時間、紹介された少女の力なのか。
紹介された時からどうしても拭えなかった、初めて見る黒髪黒眼の意味するものが何かあるんじゃないかという疑惑。
戦いの場の緊張した身体に染み付いた恐怖と驚愕が入り混じった感情は、あらゆる思考と不安を生み出してしまう。
シズクを腕に抱えた自分を横目に確認する連中の顔を思い出しながら、ガイウスは眉を顰めた。
「被害は・・・ある意味、最小で最大、と言ったところか」
ガイウスの嘆息と共に吐き出された言葉に頷くでもなく、アーデルは彼女の眠る部屋の扉を見つめた。
今回の事が彼女がこの砦の皆達と慣れ親しんだ頃に起こった事だったなら。
そう考えて、また起こってしまった出来事に、何の助けにもならない考えを持ってしまった自分に嫌気を覚える。
「仕事とは言え、ここに集まっているのは悪い奴らじゃない。また人数が減った今、内側から不安が広がるのを避けるためにも、何とかするさ」
「そうするしかない、な。だが、安易にシズクの力の事は口にしない方がいい・・・あれは未知数過ぎる」
ガイウスの脳裏に一瞬、先程の魔鳥の姿が浮かんで消えた。
「・・・わかっている」
アーデルが頷くのを確認してから、ガイウスは背を預けていた窓枠から身体を起こした。
そして、雫の眠る部屋へと歩を進めようとしたところで、アーデルに腕を引かれて立ち止まる。
「・・・何だ?」
「何処へ行く?」
「何処ってシズクのところに戻るんだよ」
「もう眠っているのなら、そっとしておけ」
アーデルの最も言葉に、ガイウスはあからさまに嫌そうな顔をした。
動けるのだから、お前もこっちの処理を手伝いに来いと目が語っている。
本来なら確かにそちらを優先すべき立場である。
この砦には皆を纏め上げる頭としてアーデル将軍が使わされていて、砦の規律や力の指導、将軍の補佐的立場として次いで騎士の位を持つ者が当初十数人、今は諸々の事情で数人。
医者や術士を除くとあとは寄せ集めの兵士といったのが、この砦の単純な組織構成だ。
「わかるだろ、人手が欲しい」
「・・・ああ」
先に歩き出したアーデルに続きながら、ガイウスは一度だけ雫の眠る部屋を振り返った。
彼女が目を覚まさないようにと、胸の内に思う。
この世界に落ちて四日目、まだ不安定な彼女が少しずつ本当の笑顔を見せ始めた矢先の出来事だ。
目が覚めた時に、雫の目にまた絶望の色が浮かぶだろう事は容易に想像できた。
そのためにも、彼女が起きるまで、一緒にいたかったのだが・・・
「・・・いな」
前を向いたまま呟かれたアーデルの言葉が聞き取れず、ガイウスは歩幅を大きくして彼の隣に並んだ。
「何だよ」
横目でアーデルの表情を確認すると、笑っていたので驚いた。
嫌な予感がする。
「昔から知ってる奴が、一人の女・・・いや、少女に執着するさまが、面白いと」
言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
ガイウスの足が、アーデルの太腿のあたりを容赦なく蹴り上げたからだ。
「気持ち悪い事を言うな」
「いや、だが事実だろ?」
「黙れ」
二度目の上げられた足を避けるように、小走りになりながら、アーデルが笑った。
雫にとっては危険な異世界でも、彼らにとっては日常である。
問題は山積みでも、些細な変化を楽しむ余裕を持つのが、彼らなのだ。
二人でいると、普段よりずっと子供じみた戯れになってしまうが。
「さっさと片付けて、皆を休ませてやらないとな。お前も含めて」
「きさま、覚えておけよ」
ガイウスのしてやられたと悔しがる顔に、アーデルは再度笑うと前を向き直った。




