異世界 3
魔術はそのような使い方はしないのだけれど・・・
自分の手を握る雫の小さな手を見つめながら、レヴィンはどこか冷静にそう思った。
しかし、彼女に初めて術を使わせてみようとした時に、似たような事を云ったのもまた自分だった事を思い出し、レヴィンは今の状況を忘れて、困ったように眉を寄せて小さく笑った。
自分の手を必死に握る雫の小さな手が震えている事に気付き、彼は優しくその手を握り返した。
その時。
これは・・・
ふいに自分の中の魔力が彼女の中に溢れる未知なる魔力に反応して動くのを感じ、レヴィンは目を瞬かせた。
自分を取り巻く炎が揺らぎ、それもまた大きな力の前に成すすべがなくなったかのように掻き消える。
驚きに目を見開くレヴィンの視界には、雫は未だしっかりと目を瞑ったままであり、自分がしている事には何も気付いていないように映る。
レヴィンは自分の魔力が彼女の中に流れ、吸い取られていく感覚に目を細めた。
「あいつら、何してる・・・っ!」
汗で張り付き乱れる前髪を乱暴に腕で振り払いながら、ガイウスは舌打ちした。
離れた場所で、魔鳥の一匹が火に包まれたのを目の端で確認した直後に現れた雫の姿に、歯軋りしたい怒りを覚えたのはつい先程だ。
アーデルが彼女を安全な場所に連れて行ったはずなのに、この場に現れたという事は彼女に何かしらの考えがあったのかもしれない。
彼女の持つ水の力の威力も解っているつもりだ。
けれど、それでもこんな戦場に雫の姿は不似合いだったし、関わって欲しくなかった。
騎士である彼にとって、やはり女性は守るべき対象であり、共に戦う仲間ではない。
傍に行きたいが、目の前の魔鳥がそれを許さず、傷ついた仲間を背に庇いながら剣を構える。
繰り出される嘴を弾き返しながら、ガイウスは苛立ちを隠せずにいた。
それにしても・・・
「邪魔だっ!」
両手で剣を握りなおし、渾身の力で魔鳥の頭に一撃を叩き込む。
脳を揺らす一撃に魔鳥が体勢を崩した所を、周りの仲間が切り込んだ。
最後の抵抗に羽を広げて暴れようとする魔鳥の喉元に深く剣を捻じ込み、力なく倒れこむその体の下敷きにならないようにガイウスらは背後に飛び退った。
ぴくぴくと痙攣する体を一瞥してから、顔を上げたガイウスの足元が揺れた。
いや、彼だけではない。
この戦場の地に立つ全ての者達がそれを感じて、気を取られた。
「・・・地震?」
誰かがそう呟いた直後。
一段と大きな揺れと共に、地面が膨れ上がり、そこから水が噴き出したのである。
「なっ水・・・熱っ!!」
「何だこれはっ!?」
目に映る水柱は高温の熱湯だった。
飛沫のかかった者達が悲鳴を上げる。
間欠泉のように、次々と地面から噴き出すそれに、男達も魔鳥も驚き動く事が出来ない。
動いた瞬間に、その足元から熱湯が噴き出すのではないかという恐怖が男達の間に走った程、魔鳥の高さを優に超す間欠泉がいたる所から噴き出し始めていた。
雫の力か。
直感でそう捉えたガイウスは、近くに立つ仲間の腕を引き寄せ、大きな声を上げながら、建物の方へと男の背中を押し出した。
「建物に走れっ! あれは大丈夫だっ」
ガイウスに押し出された男が走り出すのを見て、呆気に取られていた男達もまた、慌てて建物へと駆け出した。
それを確認するなり、ガイウスは揺れる大地と間欠泉の間をぬって、真っ直ぐに雫へと向かう。
実際の所、雫の使う術に関して、自分達に害がないなどと自信を持って言ったわけではない。
だからこそ、急いで彼女の元へ向かう必要があると思ったのだ。
何かあってからじゃ、まずい。
噴き出す間欠泉と、暴れる魔鳥や逃げ惑う仲間達の間を駆け抜け、ガイウスは小さな雫の背中を見つめて走る。
そんな彼の通り過ぎた真後ろで、また新たな間欠泉が噴き出した。
背中に降り注いだ熱の痛みに彼は顔を顰めた。
・・・やはり、全然大丈夫じゃなかったか。
とにかく今は・・・
「シズクッ!」
ガイウスの伸ばした手が、雫の小さな体を捕らえ、抱き上げた。
急な衝撃と浮遊感に、雫は閉じていた目を見開き顔を上げた。
すぐ真横にガイウスの焦り、何処か苛立ちを含んだ顔があり、驚きに口を開く。
「えっ、あ、ガイウスさん!?」
「大丈夫か?」
「え? あたしは・・・」
大丈夫です、と続けようとして、雫はその時漸く、戦場の様子をガイウスの肩越しに目にした。
つい先程まで、魔鳥と人との戦いの場だったその場所。
それが今は至る所から噴き出す水柱に、人々が逃げ惑っている。
何かしらの術を望んでレヴィンの手を取っていた雫は、それが自分の力である事になんとなく気付いた。
しかし、自分が望んだのはこんな事だっただろうか?
水柱だと思われたそれが、湯気を出している事に気付き、雫は何が起こっているのか本当にわからなくてしまい、目を瞬かせた。
熱い湿気を含んだ風が、彼女の頬を撫で上げて通り過ぎる。
-クルアアアッ
空へ飛び立とうとした魔鳥の広げた羽の先が、間欠泉の熱に当てられ怒りの声を上げた。
空に逃げることが叶わず、人々と同じ様に走り回る。
その魔鳥の大きな脚に跳ねられ、飛ばされる人の姿を目にして、雫は息を呑んだ。
飛ばされた先に間欠泉があり、夜空に劈く悲鳴が上がる。
それらは、彼女の心に焼きついた・・・
場は混乱の極みに達しようとしていた。
「そ、んな・・・」
握り締めていたレヴィンの手が、力の抜けた雫の手の間から擦り抜ける。
とさっと小さな音を立てて、レヴィンの体が地面に倒れこんだ事に雫は気付かない。
足元に倒れたレヴィンの姿に、ガイウスは眉を寄せた。
震え出した雫の体を抱え直すと、持っていた剣を地面に突き刺し、膝をついてレヴィンへと手を伸ばす。意識が無い。
衣服の至る所に焼け焦げた跡と、肌にも同じ様に火傷の跡を確認して、ガイウスは目を細めた。
死んでるのか?
正直に思った事は口に出さず、レヴィンの口元へ指を滑らせ、微かな呼吸を確認すると、ガイウスは小さく安堵の息を吐いた。
しかし、かろうじて生きているといった様子だ。
直ぐに手当てをしなければ。
そう判断して、レヴィンを脇に抱えるべく動こうとしたガイウスの耳に、小さく雫の声が聞こえた。
「あ・・・」
どうした?
ガイウスが問いかけようとするよりも早く、雫が悲鳴を上げた。
首を回して背後を確認すると、真っ赤に焼け爛れた一際大きな魔鳥の姿が目の前にあった。
しまった!
慌てて剣に手を伸ばす。
しかし、ガイウスが剣の柄を握り締める前に、事は起こった。
ただ噴き出していただけの間欠泉が、意思を持ったかのように次々と魔鳥達へと襲い掛かったのである。
目の前の魔鳥の姿も、その熱水流に飲み込まれた。
けれど、他の逃げ惑い奇声を上げる魔鳥達と違い、目の前の焼け爛れた魔鳥だけは、それに抗う事もなくただ真っ直ぐに雫を見つめていた。
次々と地面に崩れ落ちていく魔鳥達の中、その魔鳥だけは身動き一つする事なく、その濁った目を雫に留めたまま、その生を終えた事をガイウスは感じ取った。
いや、もう死んでいたのかもしれない。
背中を伝う汗に嫌な痛みを覚えながら、ガイウスは知らず止めてしまっていた呼吸を深く吐き出した。
本来、山頂近くで自分達の領域を侵されない限り、山から下りて来ない魔鳥。
それが平坦な場所に作られた、この砦に突如として姿を現した。
何か意味があるのかもしれない。
意味があるとしたら、それは・・・
ぎゅっと目を閉じ震える雫の顔を、ガイウスは横目に見る。
それでも・・・
それでも俺は、この子のために生きると決めた。
震える彼女の体を安心させるように抱き締め直し、ガイウスは今見た事を胸の奥に閉まったのだった。