不憫 3
イズリアは真っ赤な顔で包みを受け取ると、渡されたつり銭を数える事もなく上着のポケットに突っ込んだ。
「有難うございました~」
店に入ってきた時から、やけににこにこ笑う店員の顔を見る勇気もなく、イズリアは慌てて踵を返すと、本来なら女性だけが入るだろう、その店を飛び出す。
色つきのガラスが貼られた扉を開け放った直後、丁度その店の前を通りかかった二人連れの女性とぶつかりそうになり、彼は身をよじってそれをかわした。
彼女達の目が驚きと共に、自分が出てきた店を確認するのを感じ取り、イズリアは焦って頭を下げると、後ろを振り返ることなく駆け出した。
ガイさん、絶対殴る。
絶対マジで殴ってやる・・・!
今のイズリアの心にはそれしか浮かんでおらず、彼はそこから離れた場所にある厩に駆け込むと、先程のつり銭からそこの料金を支払い、自分の馬へと飛び乗った。
一刻も早くこの街から離れたかった。
そして、自分をこんな事に追い込んだ男の嫌味に笑う顔に、何度も心の中で罵倒を浴びせ、彼はいつもより強く馬の腹を蹴って街を後にしたのだった。
「ごめん、急いでるから」
砦の門に立つ仲間に、イズリアは走り通しで息の荒い馬を押し付けるように頼むと、街から飛び出した勢いのままに、目的の男がいるであろう部屋に足音荒く辿り着く。
ノックする事もなく部屋の扉を開け放ち、勢いのままに怒れる声を上げようとした所で、目に飛び込んできた少女の姿に、イズリアの体は固まった。
初めて見た時の見慣れない服装とも、ここ数日着ていた男物のシンプルなチュニックでもない、適度に開いた胸元を飾る細かい刺繍のついたレースに、服から続く首元を飾るリボンは細い首筋に愛らしい色を添える。
膝上でふんわりと広がるスカートはこの世界で最近はやりのものだ。
いきなり開いた扉に、驚いていた少女の顔が、イズリアの視線を受けて照れたように笑った。
「イズ、これ似合ってる?」
雫の問いかけに、一拍遅れてから、イズリアはぶんぶんと首を縦に振った。
「すげー似合ってる・・・」
自分の素直な感想に、ほんのりと赤くなった雫の頬を見つめ、イズリアは笑みをこぼしながら、彼女の元へ足早に歩を進めた。
何とも単純な思考回路である。
あと少しで彼女の傍に辿り着くという所で、彼が姿を現す前からその部屋にいた男、ガイウスが二人の間に割って入った。
イズリアはむっとして足を止めると、彼を睨み上げる。
この部屋には、この男に文句の一つ、いや思いつく限りの罵詈雑言を吐いてやろうと、勇んでやって来たのを瞬時に思い出す。
ガイウスはそんな彼の様子を、予想通りだと気にもかけずに鼻で笑った。
「ちゃんと買ってきたのか?」
「・・・買いましたよ。でも俺じゃなくても、どっかのおばちゃんとかに頼めば良かったじゃないですか」
「その方が面白いだろ」
「っ! 全然面白くないですよ!」
「大声出すな。ほら、シズクに渡してやれ。ちゃんと俺が選んだって言ってな」
「選んでませんっ!」
こんなもんだろうとガイウスから渡されたメモを受け取り、案内された店を思い出す。
外観からは何を販売しているのかわからない店に押し込められ、振り返ればガイウスはいなくなっていて。
気付けば自分を取り囲んでいたのは、店内の所々に飾られた、女性物の下着達。
・・・ありえねぇ・・・
いらっしゃいませ~と年頃の男の来店にも動じない接客笑顔で自分を迎えた女店員の姿に、回れ右して帰りたい気持ちをぐっと抑えて、手にあるメモをその店員に渡した、あの時の自分を心から褒めてやりたい。
選んでる余裕なんて、あるわけないだろっ!
あの時のショックと羞恥と怒りを思い出し、顔を赤くするイズリアを、ガイウスはさっさと渡せといわんばかりに、先程邪魔をした雫の前に追いやった。
二人のやりとりの意味が解らず首をかしげる雫の純粋な疑問を浮かべた瞳に、イズリアは泣きたい気持ちになりながら、持って帰ってきた包みを彼女の前に差し出した。
「イズも何かくれるの?」
「・・・今日はシズクに、必要な物を買おうって話、だったから・・・」
歯切れの悪いイズリアの様子に、首をかしげながら、雫は包みを受け取った。
包みの上から、中が柔らかい物である事を確認し、早速開けようとした所で、その手を焦ったイズリアに止められる。
「後でっ! ・・・後で確認して。それに俺が選んだわけじゃないから。それだけ覚えておいて」
イズリアの言葉を、不思議そうな顔で聞いていた雫だったが、頷いてありがとうと言った。
中身を気にしながらも、素直に自分の言葉に従ってくれる雫の姿に、イズリアはほっと息をつく。
ちらりと店員が選ぶ下着を盗み見て、雫がこれを身に着けるのかと、想像した事は絶対に内緒にしておこうと心に決めた。
しかし、そういうやましい心ほど、敏感に感じる者がいるわけで。
「それで、イズ。お前の好みはどんなやつだ?」
「あ、俺は白の・・・」
さりげなく何でもないような口調で問いかけられた質問に、思わず答えてしまってから、イズリアはしまったと思った。
隣には自分の失態に、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるガイウスの顔。
そして自分の前には、やはり会話の意味がわからずに、きょとんとしている雫の顔があった。
彼女の顔が、袋の中身を知ってしまった時に、今の自分の言葉を覚えていたら、どうなるのだとうと、イズリアはざっと顔から血の気が引くのを感じた。
そんな彼の様子に、ガイウスがとどめの言葉を投げつける。
「へー白ね。おい、シズク覚えて」
「覚えなくていいからっ!」
ガイウスの言葉を遮るように、イズリアが大声を上げた。
驚く雫の後ろで、事の成り行きを見守っていたアーデルが、眉間に手を当てて、わざとらしく溜息を吐く。
「お前達、いい加減にしろ。今日はこの後、ここの者達にシズクを紹介する。三の刻に一の広間だ。お前ら二人で声掛けに行ってこい。今すぐに」
アーデルの有無を言わせない語尾を強めた言葉に、二人の男は一旦顔を見合わせてから、渋々とその部屋を出て行った。
後に残された雫は、ベッドに座ったままのアーデルを振り返ると、自分を紹介するという言葉の意味を聞こうとして、彼の傍にある椅子に腰掛ける。
「あの、あたしの事、何て紹介するんですか?」
雫が気になったのはまずそこだった。
自分がこの世界の人間ではないと言うのだろうか?
元より、この世界で見た事のない黒い髪と目を持っている事は、この数日で受けた説明で解っている。
この数日、殆どガイウス達と一緒にいたため、他の者達と接触する機会は全くなかったが、遠くからこちらを見つめる奇異の視線を何度も感じていた。
「いろいろ考えたが、異世界の事は伏せておく。信じる人間も少ないだろうしな。お前の事は、魔物に攫われていた少女を助けて連れ帰ったと何人かには既に話してあるから、それをそのまま言うつもりだ。だがそれだけでは、シズクの力の事もあるし、いっそ姫や聖女とでも奉り上げようかと」
アーデルがそこまで言った所で、彼の言葉を大人しく聞いていた雫は思い切り首を振った。
一介の高校生である自分が、姫や聖女・・・
あまりにも現実とかけ離れた設定に、雫は全身で拒否の姿勢を見せた。
そんな彼女の慌てる様に、アーデルは苦笑すると、言葉を続けた。
「思っただけだ。イズリアは乗り気だったがな。それに、お前はこの世界の事に疎い。だから魔物に攫われ、記憶を失った事にしようと思う。水の術士であるが、記憶と共に使い方も忘れ、制御出来ないという事で、基本はレヴィンがシズクの面倒を見るという事で纏めるつもりだ」
変な設定を付けられるくらいなら、記憶喪失で通すのが一番だと、雫も頷いた。
珍しい黒髪黒目である事は、彼女の記憶が戻ってから話を聞こうと思うので雫を不安にさせるような事はするなと注意も促すと、アーデルは説明した。
そんなに上手く事が運ぶかわからないが、何とかなるだろうと楽観的に笑うアーデルに、今度は雫が苦笑して、お願いしますと頭を下げた。
アーデルの自分の前では無理をする必要はないと先程約束されてから、雫は素直に彼の言葉を受け止める事が出来ていた。
その下げた視線に、膝元に置いていたイズリアから受け取った包みを映す。
「アーデルさん、これ中身知ってます?」
「いや、俺は聞いてないが・・・」
けれど、あの二人の態度から、何となく察しがついたアーデルは止めようとしたが、時既に遅く。
雫はばりっと包みを開け、袋を斜めにして、その中身をまさかの彼のベッドの上に広げた。
ああ、やっぱり。
アーデルは片手で顔を覆い、疲れたように息を吐いて視線を反らした。
雫は目を丸くしてそれを見つめていたが、斜めに持っていた袋の中から、奥にでも引っかかっていたのか、一つだけ遅れて白いショーツが流れ落ちて来たのを確認して、真っ赤になって悲鳴を上げたのだった。