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黒ノ恋  作者: 八笠珠香
東の砦にて
11/18

弱イ心 1

 黒髪の少女、雫がこの世界に落ちてきてから、今日で三日目が終わろうとしていた。

 先の魔物討伐での事後処理も諸々終わり、アーデルは増員要請と、一人の少女を保護した旨の報告書を王都への使者に持たせると、ベッドに疲れた体を横たえた。

 彼女が異世界の人物である事や、珍しい黒髪黒瞳である事は伏せておいた。

 いずれは彼女と共に王都に出向かなければならないのは確かだが、今が時期尚早である事。

 雫がこの世界の理に当てはまらない水の術の使い手で、その魔力はまだまだ未知数である事。

 そして何より、彼女の心が不安定だからと判断したためである。

 彼自身は、怪我や仕事の指示等もあり、雫とはこの三日会っていない。


 話しでは、笑うようになっていると聞いたが・・・

 本当に?


 アーデルの目には、まだ彼女がこの世界に落ちてきた初日の、取り乱した姿が焼き付いている。

 明日にでも、彼女と会う時間を取ろうと思いながら、アーデルは目を閉じた。




 

「・・・っ」


 寝返りを打とうとした体が、掛け布の重みに引っ張られ、傷の癒えぬ体に走った痛みで、アーデルは目を覚ました。

 ぼんやりとした視界に、まず天井を写し、掛け布の引っ張られた感覚があった場所へ視線をずらす。

 するとそこには、彼の悩みの種である雫が掛け布に突っ伏して眠りについていたので、寝起きがあまり良くない彼にしては珍しく、はっきりと意識を覚醒させた。


 何故、ここに・・・?


 意識ははっきりしても、疑問は浮かぶ。

 いや、はっきりするからこそ、疑問が浮かぶ。

 ここ数日、怪我により思うように動かない体で、慌しく仕事をこなし、疲れていたとはいえ、少女がこの部屋に入って、こうやって自分のすぐ傍で眠りに着いた事に気付かないとは、自分の事ながら情けなく思えた。

 アーデルはゆっくりと身を起こしながら、深く溜息を吐いた。


「・・・シズク」


 眠る少女、雫の名前を小さく呟いた。

 改めて幼い少女だと、不躾ながら、彼女の眠る顔を見つめながら思う。

 目に珍しい黒髪に、今は閉じているが髪と同じ漆黒の瞳を持つ、異世界の娘。

 ふっくらと丸みを帯びた頬には、3日前に取り乱した涙の跡は勿論無い。


 本当にもう落ち着いたのか?


 あどけなく眠る雫の頬に手を伸ばし、アーデルはその頬にそっと触れた。

 すると彼女は、一瞬、その身を震わせたかと思うと、アーデルが手を引く前に、彼の手の内に自分の頬を摺り寄せたのである。


「!」


 雫の幼さが残る顔が、ふにゃっと笑みを作り、アーデルの手に柔らかな温もりを擦り付ける。

 その、雛が親鳥に甘えるかのような、全ての信頼を預けたような仕草に、アーデルの中の庇護欲が掻き立てられた。

 知らず、指先に力を込めて、その柔らかな感触に答えるように、彼の手がその頬を撫で上げた時。

 彼女の瞳が、ぱちりと開いた。


「・・・起きましたか」


 内心の動揺を欠片も出さずに、アーデルは雫に声をかけた。

 雫はぱちぱちと瞬きを繰り返した後、慌ててその身を起こす。


「ごめんなさいっ」

「? いや、自分も今起きましたから。あなたは何故、ここに?」


 手から消えた温もりに、少しの寂しさを感じながらアーデルが問うと、雫は、あっと口元に手をやってベッドの傍らにあるテーブルを振り返った。

 そこには食事が置いてある。


「ガイウスさん達が出かけるから、アーデルさんの事お願いって言われて」


 砦内を勝手に動き回る度胸もなく、言われた通りに渡された食事を手に、アーデルの部屋に来たまでは良かったが、眠るアーデルに何をしていいのかわからず、いつの間にか眠ってしまったと雫は顔を赤くしながら、そう説明した。


「では、折角なので頂いても?」

「はい」


 頷いて、雫は立ち上がると、テーブルに置かれた食事をアーデルのベッドへと運んだ。

 彼の手にトレーを渡すと、自分は水差しから水を汲み、彼が水分を求めれば、いつでも差し出せるようにグラスを手に持ち、傍の椅子に腰掛けなおす。


 えっと・・・なんか、どうしよう・・・


 雫がこの部屋を訪れた時に見たアーデルの姿は、肩までしっかりと掛け布の中にあり、その容姿を見る事がなかったが、今は目の前で半身を枕に預け座っている。

 アーデルの逞しい体を見て、雫は視線を泳がせた。

 幾重にも包帯が巻かれた半裸の姿。

 場所が彼女の見慣れた海やプールであるなら、何とも思わないそれを、密室でベッドの上という事に不謹慎ながら意識してしまう自分がいて、雫は内心焦っていた。

 しかも、格好いいという表現がそのまま当てはまる男なのだ。

 どきどきする心臓を意識した時、恋人イツキのむっとした表情が、雫の脳裏に浮かび上がり、彼女は赤くなる頬を意識しながら、心の中でイツキに謝罪した。


 いっちゃん、ごめん・・・!

 格好いい大人の男の人がいても、あたしにはいっちゃんだけだからっ!


「もう、落ち着いたようだと話を聞きましたが」

「えっ!? あっはい!?」


 急に話しかけられ、意識が違う事に向いていた雫は慌てて顔を上げた。

 頭の中で今話しかけられた言葉を繰り返し、アーデルが自分を心配しているのだと理解すると、雫は笑顔を作りあげて口を開いた。


「大丈夫です。その、この間は泣いてすいませんでした」

「謝る事ではありません。それが普通ですから」


 どちらかというと、このようにすぐ立ち直っている姿の方がおかしいのだとアーデルは、暗に含めたが、雫はそれに気付かず、会話を続けた。


「あの、アーデルさん、敬語やめてもらってもいいですか?」


 先日、サウルにも同じ様にお願いしたら、自分は癖のようなものだからと、やんわりと断られた。

 けれど、目の前の男性は普通に話している姿を見ている。

 年下の自分に敬語を使われるのは、何だか慣れないという彼女に、アーデルは頷いた。

 彼にとっても、彼女がどういった素性かわからなかったため、とりあえず敬語を使っていたに過ぎず、その申し出を受け入れる。


「あなたがそれでいいのならば」

「はい、お願いします」


 ほっと息をつく雫の様子を伺いながら、アーデルは彼女からグラスを受け取ると、水を一口流し込む。


「・・・ガイウス達とは上手くやれてるみたいだな」

「はい、3人とも面白い人達です」

「そうか、あいつらは集まると煩いだろ。この間の話も聞いたが・・・」


 一昨日の水事件を話題にして、アーデルは苦笑した。

 雫もつられて笑う。

 それは先ほどの作り笑顔ではなかったが、次の瞬間には、雫は自重的な笑みに変えて、言葉を続けた。


「だから、泣いてばかりじゃダメだって思えて」


 彼らの自分を心配する気持ちに答えようと、雫は帰れるまでここでの生活を我慢して、受け入れようと決めた。

 彼女の心配かけないようにしようというのは、帰りたいと急く気持ちを表に出さないようにしようという事だったのだ。

 そんな雫の寂しげに笑う様子を、アーデルはじっと見つめた。


「無理は、してないか?」


 雫は一度瞬きをしてアーデルを見た。


「帰りたいと願うのは普通のことだ。あいつらはお前がここで暮らせるように何でもするだろうし、お前がそれに答えようとするのは悪い事じゃない」


 だが、とアーデルが言葉を続ける。


「無理はするな、必ず何処かで綻びが出る。あいつらに言えないなら、俺に言えばいい。辛いなら辛いと。帰りたい気持ちが強く抑えられなくなったら、いつでも俺が聞こう」


 今の時点では話を聞いてやるくらいしか出来なくてすまない。


 そう言って、頭を下げたアーデルに、雫は慌てた。

 彼の肩口から流れ落ちた金の髪を見つめ、雫は泣きたい気持ちになった。

 これは昨日から何度も胸を締め付けている、帰りたいと願い零れる涙じゃない。

 彼の真摯な態度と言葉に、雫はきゅっと唇をかみ締めた。


 無理なら、している。


 ガイウス達が自分の事を気遣ってくれてる優しさが、有難いのに、心の何処かでそれを重いと感じる自分がいる。

 けれど、それを知られちゃいけない。

 無理にでも、笑っていようと決めたのに。


「・・・本当に、言ってもいいんですか?」


 雫は震える唇に、力を込めてそう問うた。

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