日常
少女が可愛いのには理由がある。
それは大好きな彼のため、並々ならぬ努力をしたから。
少年が強く賢いのには理由がある。
それは大事な彼女のために、そうあろうと学んだからだ。
「雫っ」
人もまばらになった放課後、名を呼ばれた少女は声の聞こえた方向に顔をあげた。
制服のポケットに突っ込んでいた手を上げて、こちらを伺う少年の姿を目に留めて、彼女の顔は自然に綻ぶ。
「いっちゃん」
机の上に広げていた教科書を慌てて鞄に詰め込んで立ち上がる。
教室のドアに手をかけて自分を待つ少年に駆け寄り、彼を見上げて彼女はまた笑った。
「お待たせ。帰ろ~」
「ん。鞄」
「いいよいいよ」
「珍しい」
「学校出るまで自分で持つ」
「やっぱりね」
にっと笑う彼女に、彼もまたは破顔して、二人で学校を出る。
それが三ヶ月程前から続く、想いが通じあった二人の放課後。
「今日さ、うち、遊びに来る?」
「え?」
「ほら、この間やってみたいって言ってたゲーム。あれ買ったよ」
二人でやれたらいいねと話した、シミュレーションゲーム。
どちらかが見てるだけではなく、お互いをサポートしながら出来るそれに興味をひかれ、話していた事を少女は思い出した。
「本当っ!? 行くっ勿論行くよ!」
嬉しそうにはしゃぐ少女が可愛くて、少年は自分の口元にも笑みが浮かぶのを止められない。
しかし彼にとって今回の目的はそれだけではない。
彼は一頻り喜ぶ彼女を見つめてから、んんっと喉を鳴らし、自分の口元に軽く拳をとんとんっと当てて彼なりに緊張を誤魔化してから、口を開いた。
「うちさ、今日親遅いんだけど、それでも、い?」
付き合い始めて三ヶ月にもなると、それが何を意味してるのかが、なんとなく解るわけで。
それってそういう意味、だよね?
彼女はその大きな瞳を、更に大きく丸くした後、ぱちぱちと二度瞬きした後に俯いた。
やばい、まだ早かったか。
そう解釈して、彼が慌てて前言撤回しようとした、その時。
彼女の頭が了承の意味で、こくんと小さく揺れた。
その仕草で、彼女の長くて綺麗な艶のある黒髪がさらさらと肩から流れ落ちるのを、彼はぽかんとした目で見つめた。
「え、いいの?」
「いいよ・・・何で聞き返すの」
少しだけ赤くなった顔で自分を睨み付けるように顔を上げた彼女が愛しくて、彼はきょろきょろっと辺りを見回すと、さっと屈んで彼女の唇に自分のそれを押し当てた。
急な彼の行動に、ばっと飛び上がる彼女の行動が面白くて、彼は思わず吹き出した。
「雫、可愛い」
「~~っ可愛くないっ」
「可愛い可愛い」
「~馬鹿っ」
恥ずかしさで、ぶんっと上げた彼女の右腕を、彼が笑いながら受け止める。
そのまま指を絡めて、歩き出した時、ぽつんとその手に水滴が落ちた。
「あ、雨」
「本当だ。・・・雫は本当雨女だね」
「それを言うならいっちゃんだよ」
「「二人でいるといつも・・・」」
同じ主張に、二人で笑った。
彼が彼女に告白した日も、初めて手をつないで帰った日も、初めて二人で出かけた日も。
ふとした時に、雨が降り始める。
ぽつぽつとゆるやかに落ちてくる雨を一度見上げてから、彼は彼女を見下ろした。
その柔らかに丸く弧を描いた頬に、雨粒がぽっと落ちたのを見て、彼は優しくその水滴を自分の指先でぬぐった。
「・・・でも、今日雨降って少し、安心した」
「? 何で?」
不思議そうに自分を見上げる彼女に、彼はかすかに微笑むと、とんっと彼女の肩を、その頬をぬぐった指先で押す。
「これ、脱がせるいい口実」
そう言って、にっと笑う彼の悪戯に輝く甘やかな瞳にからめとられ、彼女の頬に急速に熱が集まった。
「~いっちゃんのすけべっ! 変態っ!」
「健康な男の子ですから」
焦り真っ赤になる彼女に、しれっと言い返して。
彼は彼女の手を握りなおした。
「雨、本降りになる前に、行こ」
むくれたようにこちらを見上げた彼女が、それでも、同じように手を握り返してくれたのを合図に、二人で駆け出した。
二人は幸せの中にいた。
少女は彼のために、可愛くあり。
少年は彼女のために、強く賢かった。
それは、幼い二人の日常であった。