29.疲れた背中を(♥)
湯船に浸かると、じんわりと体の節々に熱が沁みてきた。
傷自体はアイの【治癒魔法】で治してもらっているが、体の芯にこびりついた疲労は、やはり熱い風呂でなければ溶かせないらしい。
「ああ˝……すげえ気持ちいい……」
立ち昇る湯気を見上げて、マモルは呆けた声を出した。
アイの家の風呂はヒノキに似た木で作られたものだった。それも火で沸かす五右衛門風呂タイプときては、アラフォー社畜の自分にとっては垂涎ものである。
どうやら発展した都市の方では、生活を補助するものとして魔力を込めた球体『デイリーオーブ』というものがあるらしく、富裕層たちは炎のデイリーオーブを用いて自動追い炊きシステムを有する風呂に入るという。そうではないことをアイが詫びていたが、とんでもない。むしろこちらの方が最高である。
「マモル様、お湯加減はいかがですか?」
すりガラスの向こうから、アイの影が覗き込んでくる。
「ありがとう、調度いいよ。ワガママを言えば、少し温度を上げてくれると嬉しいかな」
手で湯を救いながらマモルは答えた。袋に詰めたアイ特性の薬草を抽出した薬湯のおかげで十分に心地がいいが、正直、温度が物足りなくはあったのだ。日本人の性である。
「えっ、これより上げんの? けっこう熱くない?」
ピーラの驚く声がする。お前もいるのか。
「俺がいた世界の――というより、俺がいた国の人は、かな。少し熱めの風呂に入るのが幸せと考えている人が多いんだよ」
そして、風呂上りのキンキンに冷えたビールがあれば文句はない。
「はえー。てっきり、ウチらが入ったお湯を煮詰めて飲むのかと」
「飲むか!!」
マモルはすっ転びそうになった。
「というか、えっ、お湯張り替えてないの?」
薬湯の濁りもあって、まったく気が付かなかった。
「ないない。水代もったいないし」
マジか。この世界にも水道代の概念があるんだな。水路が行き届いている町だから、その辺りも汲み取り放題なのかと思ったが。
そんなことを考えていると、その沈黙を別の意味で捉えた、含み笑い気味の声がした。
「おーおー、想像してる想像してる」
「してない! というか、その……いいのか?」
「何が?」
「女の子の入ったお湯に男が入るって、俺のいた世界じゃ犯罪に近い行為だぞ」
「えっ?」
「えっ?」
とぼけたような声に、マモルも思わず反復してしまう。
「入りたいからウチらを先に入れたんでねえの?」
「違う違う。レディーファーストってだけ。一番風呂に入りたがっていたのもピーラだろう?」
答えると、扉の向こうで「だってよ」「だから言ったでしょ。マモル様の親切だって」「いや絶対スケベ心だとおもーじゃん」という声を憚らない会話が繰り広げられる。
「お前は俺を何だと思っているんだ」
「スケベ」
「違っ……わない、か」
「にししっ、正直でよろしい」
笑い転げているのか、扉の向こうでぴょこぴょこと動く影が見える。
ふと、違和感を覚えた。笑っているにしては動きが大きい。手を挙げてまで笑えるほど面白みのある会話をした覚えはないが……。
マモルがそんなことを考えていると、突然、扉が開け放たれた。
「きゃーえっちー!!」
「お前が言うのかよ!?」
バスタオルを巻いてはいるが、その下は間違いなく脱いでいるだろうピーラが突撃してきたのだ。
「何で入って来てるんだよ、お前はもう入っただろ!?」
「何でって、正直にスケベと認めたご褒美に、お背中流しに参上した次第ですよ旦那ァ」
「…………」
口元に指を添え、しなを作って上目遣いになったピーラのわざとらしくワントーン高くした声に、マモルは仏頂面で固まった。
「あれっ、何かウケ悪い? 男ってこういうの好きなんじゃねえの?」
「どこ情報だそれ」
「ギルド。一仕事終えた後、マッサージしてくれる店に行く奴多いよ?」
「そんな店あんの!? どこまでですか! オプションは――」
「へーぇ? ほーぅ、ふーん?」
「…………っ」
ピーラのにたにたとした半笑いから、マモルは顔を背けた。
「そっちの世界だとどんな感じなん?」
「知らん!」
「いーじゃん減るもんでもなし。聞きたい聞きたい!」
「本当に知らないんだよ、行ったことないんだから。仕事で忙しかったし、その……勇気もなかったし」
ごにょごにょと口ごもるが、ピーラの地獄耳はそれを聞き逃してはくれなかった。
「は、勇気? 何でそんなもんが出てくるんよ」
「俺は元々四十過ぎたオッサンだったって言ったろ。さすがに仕事でも、俺みたいなのの相手をするのは嫌だろうなって」
「…………ぷっ。ぎゃははははははははははは!!!」
一瞬きょとんとした後、ピーラは過去一の笑い声を上げて、バスタオルの上から自分の太ももを乱打した。
「そんなに笑うことないだろ!?」
「いやだって、だって……ひぃーくくくっ、ああ、だからあん時もあんなに『俺は駄目だ~』って弱音吐いてたんだ、あははははっ!」
ゲラゲラと笑う声は、そこでぴたりと止まった。おもむろに顔を上げたピーラの、真っ直ぐな目がこちらを向く。
「でも、もう持ってるでしょ。勇気」
「ピーラ……」
「そちらの娘さんにも言ってるんですよー?」
ピーラが首を反らして声を投げると、開けたままの扉の向こうで小さな悲鳴が上がった。
暫くして、おずおずと、バスタオルを纏ったアイが入り口の際に顔を出した。
「アイまで来たのか!?」
「……はい。その、変じゃないでしょうか?」
首を竦めながらこちらを窺う様子に、ピーラが大きくため息を吐く。
「ああ、勇気がないってこういう……」
「全然違うからね。俺のは身の程を弁えているだけで、アイはただ恥ずかしがってるだけだから!」
「まるでウチに恥じらいがなかったみたいな言い方やめてくれる?」
「ないだろ」
「ありますぅー。ほら、アイっちだってお漏らしまで見られてるんでしょ。今さらだって、おいでって! なんならマモルのも見せてあげるから!」
「どういう交換条件だよ!?」
マモルが異議ありと叫ぶと、ピーラは何言ってんだこいつといわんばかりに目を瞬かせた。
「だってマモル、洗い場に下りた時どうするのさ。今マッパっしょ?」
「いや、それはタオルとか準備してくれるんじゃないの?」
「えー、却下」
「何で!?」
するとピーラは「仕方ないなあ」と肩を竦め、バスタオルの折り込んだ部分を外して解き、こちらに突き出してきた。
「ほれ」
「いや何で!? お前が脱ぐ必要ないじゃん!!」
「全部見せておかないと、ウチに何かあった時、マモルの『眼』では治しきれないんでしょ? ほらほら目に焼き付けろー」
仁王立ちをして体を揺らす度に、露わになったピーラの柔らかいものがたわんたわんと揺れた。視線を逸らしても、器用な彼女の足技で顔を引き戻される。そのせいでもっと際どいところまで見えてしまうので、マモルは観念して洗い場に下り、椅子に腰かけた。
「さあアイっち、一発ヌイてやろうぜ☆」
「言い方!」
「恥ずかしいですが、一生懸命頑張りますね!」
「背中を流すだけだよね!?」
「えっ何、前も洗ってほしいって?」
「言ってねえよ!?」
そんな騒がしい声が、湯煙に響く。
このままツッコミ続けるとそのうち湯冷めするんじゃなかろうかという頃、ようやくピーラが石鹸の用意を始めた。
「本当に、お疲れ様」
泡を立てたタオルを当てながら、耳元でピーラの囁くような声があった。
その声が少し湿っていたのは、聞かなかったことにする。自分の目尻にもじわりとしみ出てきたものがあったが、それも湯煙のせいにした。
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