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11.覗き込む深淵

 睫毛にかかった汗を躱そうとする瞬きの、文字通りの一瞬で、筋肉砲弾が数メートルの間合いを詰めて来ていた。



「こっ、【拘束眼】!」



 マモルは咄嗟に視点を合わせる。


 にっくきスキルが唱えられるが早いか、マスキュラは振り上げた腕を、躊躇なく地面に叩きつけた。


 まるで風呂に拳を叩きつけた時のように、高く巻き上げられる土飛沫。


 目標を見失った『拘束眼』は、その一部分を止めるだけに終わってしまう。



「そいつはもう見切ってんだよ。要は『視』られなきゃいいんだろう!?」



 土砂の向こうから、狂喜に咽ぶ声が聞こえる。



「けれど、そっちだって見えないはず――」



 にわかに土が黒ずんだかと思うと、マモルの体に鉄柱のような腕が食い込んだ。



「が、はっ……!?」



 メキメキと身体がしなり、弾かれる。バウンドした地面は草が抉り取れるほどだった。


 マモルは痛い程に思い知った。超巨大のマスキュラにとって、見えなくともいいのだ。腕さえ届く範囲なら、それを振り回すだけでいい。


 土砂の噴水が途切れてきたタイミングを見逃さず、ピーラが飛びかかる。



「ちぇえええいっ!」



 それをマスキュラは蠅を払うように手を振るだけで、容易く跳ねのけてしまった。


 奴の剛腕の前には、ピーラの自慢の脚は爪楊枝――いや、糸くず同然だった。



「ピィラァ……お前の蹴りは、こんなに弱かったっけな? まあ、スキルを使えないなんて、ただの女だもんなァ!!」


「……くっ、きゃああっ!?」



 着地しようとしたところを蹴り飛ばされ、ピーラの姿が森の奥へと消えていく。



「ピーラ!」



 マモルが追い縋ろうとした時だった。



「捕まえたぜ?」



 全身の熱が引くようなおぞましい低音に、背後を取られた。


 振り返る間もなく、振り下ろされた手によってマモルは地面にめり込んだ。


 つまみあげられては、またゴミのように投げ捨てられる。


 滅多打ちだった。



「ヒャッハァ! 解ってしまえば容易いもんだな! 視界にさえ入らなきゃいいんだからよォ!」


「ぐ、がああ……」



 後頭部から鷲掴みにされ、万力のようにギリギリと締め付けられる。目に火花が散り、今にも脳がひり出されてしまいそうだった。


 もがく。動かすことのできる手足で、ジタバタと必死に足掻く。


 真後ろから発される呵々大笑が耳を劈いてくる中、マモルはウェストポーチの辺りがぐっしょりと濡れていることに気が付いた。



「……ああ、そうだな。視界に入れていないから、見失うんだ」


「あン?」



 これが、血ではないことを祈る!



「【水流眼】!」



 下を視て、スキルを唱える。


 足下に迫りくる水溜まりに、何事かとマスキュラがわずかでも足を動かしたのが運の尽き。



「おおっ、おおおおおっ?」



 マスキュラの巨体がスリップし、マモルは放り投げらるように万力から逃れることができた。



「(スライム狩りをしていて良かった……)」



 ウェストポーチの中の小瓶は、軒並み砕け散っていた。そこから零れた粘液を水で伸ばし拡げることで、天然のローションを作り上げたのだ。


 だが、安堵したのも束の間。



「うおおおおおお!!」



 横になった姿勢のまま、マスキュラが苛立ちを叩きつけた。


 それにより地面が爆ぜ、掘り返され、マモルの奇策はあっさりと無に帰されてしまう。



「俺様ではなく地面を視るとは考えたな。だが、無駄な足掻きだったようだ!」



 再び背後に回り込まれ、【眼】を封じられる。


 しかしそれは、あくまでスキルをマスキュラに向けて発動することができない、という《《だけ》》の話である。


 マモルは内心でほくそ笑んだ。



「まだあんたは見失ってるよ、()()



 手を後ろに回し、めいっぱいの力を込めて中指を立ててやる。



「テメェ……!」



 そうだ、それでいい。


 お前はそうやって俺だけを視ていろ!



「俺の眼には、希望が映ってるぜ!」


「何ィッ?」



 マスキュラが虚を突かれた、針の穴のような隙に――



「【龍爪天翔蹴(ドラゴニック・ネイル)】!!」



 糸くずが、通った。



「な……がああっ!?」



 あばらの隙間から心臓目がけて突き立てられた爪先に、ピーラの聖痕から淡く光が流れ込んでいく。



「マモルが視てくれたんだ。ウチにもあったらしいよ。スキル」



 聖なる光は脚を染めきると、にわかに眩く閃いて、



「せい、やあああああ――――――ッッッ!!」



 轟、と竜の息吹のような光線となって、マスキュラの体を撃ち抜いた。


 ついに、マスキュラが手をついて倒れる。


 ほうほうの体で顔を上げた彼と、マモルの視線が交錯した。



「あ……!?」


「【火炎眼】!!」


「ぐおおおおおおおおお!?」



 真正面からの劫火に炙られ、マスキュラの断末魔が響いた。


 声が空に溶けていくのと同じように巨体が縮んでいき、最後に、彼の左目から黒い闇が、消し炭となって風に消えた。



「(今のは……?)」



 マモルはそれを目で追いながら眉を潜めるが、マスキュラの呻き声に意識を引き戻された。



「俺様は、何を……」


「何をって、こっちが訊きたいんですけど!」



 虚ろな目で両の掌を見つめるマスキュラに、ピーラが苛立たしげに吐き捨てる。



「憶えていないのか?」



 マモルが問いかけると、マスキュラは弱々しく頷いた。



「俺様はついさっきまで、ギルドの裏にいたはずなんだ」


「裏ぁ?」


「ああ――」


 マスキュラが言うには、こうだった。


 マモルに敗れた後、マスキュラが独りで自棄酒に耽っていると、男が話しかけてきた。


――高みを、『視』たくはないか?


 そう言って、手を差し伸べてくる男に、マスキュラは思わず縋りついた。


――どうすればいい。


 すると、男は不敵に笑い、こう言ったという。


――視たいものを視ればいい。そうすれば、お前の望む深淵が、覗き返してくれるだろうよ。


 話を聞いて、マモルは唸った。


 そのままに解釈をすれば、マスキュラは深淵を覗いたことで、あのような凄まじい力を得たということになる。


 ピーラに視線を向けてみるが、彼女も心当たりがないようで、首を振るだけだった。



「どんな男だった?」


「わからねえ。フードを被り、仮面をつけてたからな。声は若く、白い髪をしていた」



 一つ一つ、思い出すように挙げていったマスキュラが、ふと、何かに思い至る。



「あ、仮面から覗く目ン玉が血のように真っ赤で、左目に変な模様が浮かんでいたよ」



 その情報に、マモルたちは顔を見合わせた。



「(目に、聖痕?)」



 先ほど見た、マスキュラの目から灰となって消えたモノと、何か関係があるのだろうか。


 答えが視えずに振り仰ぐ。


 空は、絶え間なく蒼く、澄んでいた。

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