四回目:殺意の波動に目覚める
――やっぱりチャイムはあそこで殺しておくべきだった。
前回の死に方を頭に浮かべるたび、体の奥にドス黒い物が渦巻いて行くのを感じる。
今魔王に『世界の半分をやるから仲間になれ』とでも言われたら二つ返事で寝返りそうだ。
(あの野郎……完全に俺を犠牲にして生き延びるつもりだったじゃねーか……)
アイツは秘策を、と言いながら人を羽交い締めにしやがった。例え秘策があったとしてもあの体勢じゃ出せる筈が無いのだ。クズめ。
思い出したらなんか腹立ってきた、が、いかんいかん。皆には前回の記憶が無い。俺がこんなにもドス黒い感情を渦巻かせている理由など知る由もないのだ。
……平常心、平常心。
「魔王城前で油断するとまようじょー! なんちてー!」
へ、平常心……。
「いーかげんに、しなさーいっ!」
――いい加減にするのは……。
「テメェらだああああああああ!!」
二人の間を剣でぶった切り、クソみたいな流れを引き裂く。
「なんなんだお前らは毎回毎回! 殺されて憂鬱な気分で目覚めて最初にそれ聞く俺の身にもなれよ! 地獄か!!」
言えた。ようやく言えた。
つっかえていた物が全て吐き出せて、僅かながら胸が空いた気分だ。
が、燃え上がった怒りが急速に冷めていくと同時に、空いた隙間に冷気が流れ込んだ。
(やっちまったあああああ!!)
仲間達が、唖然と口を開けてこちらを見ている。
端から見れば今の俺の行動には何の正当性も無い。なんなら流れをぶった切って突然キレ始めたサイコパスである
「ど、どうしたのよタクト? そもそも、アンタ死んだことなんて一度も無いじゃない」
杖を両腕で抱き、竦んだ様子でベルが言う。
チャイムも、(覚えていないから仕方ないが腹立つ)自分の行動を棚に上げ俺を批判してきた。
「私達と違って一度も死と蘇生を体験していないくせに何言ってるんですか!」
そりゃ俺が死んだ戦いは例外無く全滅して巻き戻ってたからな!
「何? 寝ぼけてんの? 前々からボケたヤツだとは思ってたけどまさかここまでだなんてね……」
少し落ち着いてきたと見るや、ベルが強気な表情に戻り、やれやれとあからさまに肩を竦めてため息を吐いた。
一度はぐっと言葉を飲み込んだが、ここで言い負けては今までと同じだ。どうせまたループするのなら、今回だけは、俺の好きにさせて貰う!
「ボケてる? ボケてるのはお前だろ!」
「なんですって!?」
剣を鞘には戻さず、切っ先をベルに向ける。
「何度注意してもパーティの金で勝手に衝動買いするし、挙げ句の果てに怪しい露天商人に騙されるし、魔法石の杖だと? ガラス玉じゃねーか!!」
今度はベルが言葉に詰まり、歯を食いしばって睨みつけてきた。
「言わせておけば……これは本当に魔法の杖なの! わかる人にだけわかるんだから!!」
ベルは杖を振り、先端に魔力を集中させた。それによってはめ込まれた石が光るが、本物の魔法石と比べれば明らかに小さい。所詮見た目が綺麗なだけのガラス玉だ。
魔力を集めて先端を光らせることに関しては、その辺のホウキでも出来る。要は棒の先端を使うことで魔力を集中させるイメージをサポート出来れば何でもいいのだ。
「ガキのくせにこのあたしに刃向かうなんて良い度胸ね、思い知らせてやるわ!」
カチン。
一番言われたくない言葉を聞いて、冷めてきた感情が再度沸騰した。
行く先々、巻き戻ってやり直したイベントも含めて何度も何度も何度も数え切れないほど言われ続けた『ガキ』という言葉。俺はこれが大嫌いだ。
どこの村や町に行っても『こんな子供に冒険が出来るのか』『魔王討伐なんて不可能だろう』といった好奇の目に晒され、酷いヤツは口に出してぶつけてきた。
俺だって好きで勇者やってるわけじゃねえ。本当は学校行って授業適当にサボりつつ受けて友達とゲームの攻略法で盛り上がりながら下校したかった。
十三の誕生日に突然勇者の子孫だと城に連れていかれた日、初めて普通であれることの有り難みを理解したものだ。
「言ったな……?」
ブチブチと、堪忍袋の緒が切れる音が自分の奥から聞こえた気がした。
「上等だベル、お前とはいつかよーく話し合わなきゃいけないと思っていた……」
「ガキと話し合う気なんてないわ、一方的に言うこと聞かせるまでよ!」
得意の炎呪文を唱えようとするベルを威嚇しようと、思いっ切り剣を真横に振り抜く。
そう、威嚇。あくまでも空を切るだけの威嚇に過ぎなかったんだ。
“ザシュッ”
――……ザシュ?
空を切ったはずの剣から、確かに感じた重みのある手ごたえ。
杖を構えていたベルが目を見開き、場の空気が凍り付く。
「……ちょ、ちょっと、タクト……」
青ざめて、ベルが震える手で俺の後ろを指さした。
体の芯から冷えを覚えながら、恐る恐る、振り返る。
――チャイムが、胴から大量の血を流して倒れていた。
「う、ウソだろ!? アイツさっきまであっちに居たじゃないか!」
「さっき、ふらふらっとタクトの背後から近寄って行って、そのまま……」
……なるほど、どうやらチャイムは、俺を後ろから取り押さえようとしたらしい。
結果、威嚇のつもりで振った剣に運悪く命中し、この有様というわけだ。
やっちまった……今度こそ完璧にやっちまった……仮にも勇者である俺が、仲間殺しという最大のタブーを。
どうせループするとしても、これから非難と犯罪者でも見るかのような目を向けられると思うと胸が痛い。
「ッ、ゴフ……タク、ト……」
倒れていたチャイムの指先が動き、地面を引っ掻いて、震えながら顔を上げた。
どんな怨念を浴びせられるのかと身構える中、チャイムの口が動く。
「き、さま……どこで、気が付いた……!」
「……は?」
咳き込んで口から血の塊を吐き出したチャイムの目が、赤く光り始める。
「馬鹿な……人の体で伝説の勇者一行に付け入り、魔王と戦って互いに消耗したところで魔王の体を奪って貴様等を殺し、この世の支配者となる私の完璧な計画が……!!」
話についていけず固まる俺を余所に、チャイムは「無念……!」と言い残してガクッと力尽きた。
口元から上がった黒い煙が一瞬異形を形取り、澱んだ空に溶けていく。
「は?」
――ごめんなさい、流石についていけないです。
「な、なに……? どういうこと? ちょっと理解出来ないんだけど……」
後ろから、すっかり困惑した様子のベルの声が聞こえて来た。
それなりに長い冒険だったが、コイツと気が合ったのは初めてかもしれない。
……しかし、この急展開、どうするべきか。最早魔王を倒しに行く空気ではない。
「なんだか良くわからないが……」
とにかく一度話し合って冷静さを取り戻そうとベル達の方を振り向いた。
瞬間、視界に入った人影を見て思考がフリーズする。
「ちょっとどうしたのよタク、ト……」
ベルも俺の隣に立っている人物に気が付いたのか、視界の端で目を点にしている。
そこには、外見を使って女性をたぶらかしていたチャイム顔負けのイケメンが、白い歯を輝かせて立っていた。全裸で。
「いやあああああああああ!」
ベルが我に返って悲鳴を上げる前で、イケメンは堂々と一歩踏み出した。全裸で。
「勇者様。ここは一度帰還し、国王に現状を伝えるべきかと思われます」
――誰だお前は。正論を吐く前に名乗れ。服を着ろ。
「ずっと共に旅をしてきた仲ではありませんか。最も、当時の私は一欠片の理性しか残っておりませんでしたが。ははは」
ははは、じゃねえ。パンツを履け。前を隠せ。一欠片の恥じらいを持て。
……いや、そんなことよりも、コイツは今なんて言った?『ずっと共に旅をしてきた』? そういえば、場に一人足りない気がする。最も体が大きくて、目立つアイツが。
「アンタ……ゴング!?」
仁王立ちする全裸のイケメンを指差して、ベルが叫んだ。
「ええ。その通りでございます」
唖然とする俺達の前でお辞儀して、ゴングは事の次第を語り始めた。
「私は世界を見て回り、学んだことを詠う吟遊詩人。しかし、魔王すら食わんと狙う怪物の存在を知ってしまい、醜いトロルに変えられてしまったのです……」
やっぱりトロルだったのか……逆にどうして俺は人間だと思って連れ歩いたんだ。
「僅かな理性で助けを求めても拒絶され続け、町を襲って食料を奪うしかないという危険な思想を浮かべた時、空から饅頭が降って来ました。そう、勇者様の慈悲深きお恵みが、心まで魔物になりかけていた私を救って下さったのです」
良い話をしているようだが、目の前に堂々とぶら下がっているモノが気になって全く頭に入ってこない。だんだん腹が立ってきた。全裸で背景をキラキラさせるんじゃねえ。
「まあお前の事情はわかった。しかし、今の状況が絶望的であることは変わらない」
意図せずしてゲーム的に考えれば第二形態に相当するのであろう存在を倒してしまったが、そもそも俺達は軽く三桁は第一形態にボコボコにされている。
役立たずの正体が知れてゴングがイケメンになったところで事態が好転するとは思えない。
それこそ、せめて体力と魔力が一気に全回復出来るような奇跡でも起こらないと――
「そうそう、呪いで封じられてましたが、僕は転移魔法が使えまして町まで一瞬で帰れます」
――マジかお前。
それってつまり、回復も出来るしセーブし直すことも出来るってことじゃないか!
「もう何がなんだか意味わかんない……アタシも疲れたし、一度帰りましょ、タクト」
ベルが片手で額を押さえ、うんざりとした様子でそう言った。
本当、ここまでコイツと気が合ったのは初めてだ。お互い普通の人間であるというだけで、ここまで親近感を覚えるものなのか。
この状況ともおさらば出来そうだし、回復したらベルとはもうちょっと歩み寄ってもいいかもしれない。
体感で数年は晴れていなかった心のもやが、消えていくのを感じる。
良かった、本当に良かった。これ以上ループが続いていたらいつ気が狂ってもおかしくなかった。
「では行きますよ、ラールー!」
その呪文大丈夫か。
***
全身が光に包まれ、空に撃ち出された俺達は、旅を初めて最初に辿り付いた王都にまで戻ってきた。
荒れていない光景を見るのは久々だ。空が青いだけでなんだか幸せを感じる。
ああそうか、幸せという物はいつも近くにあって、見えなくなって初めて気が付くんだ。
この旅は俺に大切な物を気付かせてくれた……いや、まだ魔王倒してないけど。
「ばんざーい!」「勇者様ばんざーい!!」
うわびっくりした。
「やったー!」「ばんざーい!」「勇者さまー!!」
どこから沸いて来たのか、歩いている大通りの両端に町人達や兵士達が集まり、一斉に万歳をし始めた。怖い。
「な、なんなんだこいつらは……」
「ははは、どうやら僕達が偉業を成し遂げたと、もう町には伝わっていたようですね」
いつのまに伝わってたんだよ閉じ込められてたのに。
「どうやら国の作った最新の飛行小型カメラが捉えていたようです」
ご都合主義か。そんな物作る技術あるなら魔王城吹き飛ばせ。
やれやれこんなにも囲まれていると落ち着かない。城までの道のりがやたら長く感じる。
しかもどこからともなく豪勢なBGMまで流れて来たし完全にお祭りムードだ。魔王倒してないのに。
「よく戻って来てくれた、必ず魔王を討ち取ってくれると信じておったぞ勇者達よ!」
巨大な扉の奥で、国王がヒゲを揺らしてそう言った。魔王倒してないのに。
「あのー……、俺達別に魔王倒したわけじゃないんですけど」
「おお……なんと素晴らしいことか! 流石あの世界を救った勇者の子孫よ!」
シカトかよ。
「それにしても、その年であの凶悪な魔王を倒すなんてのう……」
だから魔王倒してねーって言ってんだろ。
「ついに世界に平和が……おおお……よくぞ魔王を倒してくれた……!」
倒してねーって言ってんだろ。無限ループみたいな会話やめてくれよ。こちとらループにはトラウマ持ってんだから。
「よくぞ魔王を……」
人の話を全く聞かない国王は、目の前でポーズを変えないまま同じセリフを繰り返している。
段々怖くなってきた。一体何なんだ、何が起きているというんだ。
「よくぞ……」
ふと振り向くと、仲間が誰も動いていないことに気が付いた。
ベルも、ゴングも、表情一つ変えず時が止まったかのように制止している。
「よ△○魔仝§°」
王様の言葉もよく聞こえなくなり、初めて俺は異常に気が付いた。
ハッとして周囲を見回す。音楽は鳴り続けているのに、兵達も演奏家達もピクりともしない。動いているのは、不規則に揺らめく灯火だけだ。
「°±¶§´■■■■■■■■」
気が付けば城内の風景は崩壊し、柱が無数に分裂したかのように壁を埋め尽くし、端の方は黒く塗りつぶされたかのように壊れていた。
体が動かない。
もう王様は人の言語を話していない。誰も動かない。
音楽は止まり、ピーーーという耳鳴りのような音だけが頭に鳴り響き続ける。
――ここで、俺の意識は途切れた。