「妹よ、どうなっているんだ……」
「皇妃殿下よりのお手紙です」
彼の名前は、ユラル・ティドラン。
ティドラン王国の王太子という立ち位置にある。ただし、目の前でこちらに向かって書状――妹からの手紙を差し出している竜騎士たちよりは断然立場が低いと思っている。
なんせ、向こうはファドス帝国で最強の地位にある竜騎士部隊である。竜を従える竜騎士部隊を所有しているのなんて、帝国のように強大な国だけだ。
彼の妹、マドロール・ティドランが帝国に嫁いでいったのはつい一か月ほど前のことだ。
小国であるティドラン王国に、魔鉱石の資源が見つかったことが始まりだ。ただその資源を公表しただけでは、我が国はすぐに他国に滅ぼされてしまう恐れがあった。それもあり、ティドラン王国はファドス帝国への庇護を求めた。魔鉱石の多くを帝国へと流すこと、そして王女を嫁がせること――それで帝国に守ってもらうという同盟。
ただし、ファドス帝国の方が立場は上である。第一、ファドス帝国の皇帝は暴君として有名で、皇妃がいないため、ちょうどいいからと誰でもいい皇妃がたまたま妹になった。
彼の妹は少し変わり者で、ぽやぽやしているというか、楽観的というか……、そういう子だった。
マドロールは、何人かある妹の中から同盟で嫁がなきゃいけないと言われた際に「じゃあ、私が行きます」と自分から申し出ていた。本人も帝国に嫁ぐことは大変だろうと思っていたのだと思う。マドロールより下の妹たちにその苦労をさせたくなかったのではないか……とユラルは思っている。
ただ幾らマドロールが楽観的で、変わり者だったとしても……帝国に単身で貢物のように嫁ぎ、帝国で蔑ろにされ続ければ心が病んでしまうのではないか……と家族たちは心配していた。
帝国の庇護のために、マドロールを差し出しておいて思っていたのだ。帝国と王国は、一つ国をはさんだ位置にある。その国も帝国の属国のようなものである。
あのマドロールでも辛い目に遭っているのではないか、この選択は間違いだったのではないか……とユラルたちはずっと後悔していた。しかし大量の純度の高い魔鉱石が見つかった今、他に手立てはなかった。何もしなければこの国はもう姿を消しているだろう。
さて、現在に戻る。
マドロールからの手紙をわざわざ竜騎士部隊が届けにきた。それだけでもティドラン王国にとっては一大事である。竜騎士部隊というのは数多くない。蔑ろにしているお飾りの皇妃のためにそれを遣わす意味はないだろう。
(妹よ、どうなっているんだ……)
ユラルはそう思いながら、妹の手紙を読む。どうやら竜騎士部隊は、マドロールへの返事を受け取ってから帰還する予定らしい。ただ滞在費は帝国持ちであり、ティドラン王国宛のプレゼントも大量にあった。
ユラルたちは意味が分からなかったが、マドロールからの手紙を読んだ。
ただ、読んでもいまいち訳が分からなかった。
「……マドロールは、あの暴君皇帝と仲よくしているように見えるのだけど。本当に?」
ティドラン王国の王妃、マドロールの母親は驚いたようにつぶやく。
ユラルたちが読んだ手紙には要約すると「ヴィー様(暴君皇帝)がとってもかっこよくて、素敵で幸せなの!」ということが長々と書かれていた。家族からしてみればそもそも皇帝のことをヴィー様と呼んでいるの? え? という感じである。
「いや、あの皇帝陛下だぞ……? 確かに親の贔屓目からしてみればマドロールは可愛い娘だ。しかし、皇帝陛下に愛されるなんてことが有るのか? まさか、マドロールの妄想ということは……」
「父上、マドロールの妄想なら帝国の竜騎士部隊がやってくるなんてことはないです」
ユラルは父親にそう言いながらも、幾ら自分たちにとっては可愛くてもマドロールが皇帝陛下に愛されることがあるのかといまいち信じ切れていなかった。
暴君皇帝の噂は散々、ティドラン王国にも舞い込んできている。
どんな女性にも靡かず、気に食わない相手の首をはねるようなそういう皇帝……。
信じ切れないユラルは、竜騎士たちから話を聞いてみることにした。
「申し訳ない。少し聞きたいことがあるのだが、いいだろうか?」
「はい。何でしょうか」
「妹の手紙には、皇帝陛下が妹を大変気に入っているということが書いてあったのだが、本当のことだろうか。皇帝陛下の噂は私たちも知っていて、どうも信じられなくて」
「ああ、そうですよね。あの陛下がああなるとは私たちも予想外でしたから。陛下は大変皇妃殿下のことを気に入っておられますよ」
「……本当に? どうも信じられなくてな」
「実際に見ないと信じられないでしょう。もしよろしかったら、帝国に来られますか? 陛下も皇妃殿下の親族なら喜んで迎え入れますし、皇妃殿下も喜ぶでしょうし」
「……少し、日程を調整してもいいだろうか」
わざわざ帝国の竜騎士がそんな嘘を吐くはずがないと思いつつ、ユラルは中々信じられなかった。そもそもマドロールの結婚式にさえ、ユラルたちは参加出来なかった。それだけマドロールはどうでもいい皇妃と思われていたはずである。それがたった一か月でと思うのも当然であった。
(もしかしたら罠か? でも帝国がわざわざ罠にかけることはないだろうし……)
などと思っているユラル。
結局一か月後には、帝国に向かうことになった。竜騎士がわざわざ迎えに来て、わけがわからないままに、ユラルはわずかな護衛たちと共に帝国入りした。
帝国入りしてからも丁重にもてなされている。そして帝国に入国してからは、より一層皇帝が皇妃を愛しているらしいという言葉が聞こえて来てユラルは混乱していた。
そして城にたどり着くと、「お前が、マドロールの兄か」と皇帝本人に出迎えられた。
王太子とはいえ、小国の王太子……大国の皇帝とはまず立場が違う。すかさず跪いて挨拶をユラルたちはした。
鋭い黄色い瞳に見つめられ、ユラルは生きた気がしなかった。
(やはり皇帝陛下は恐ろしい。本当にマドロールが愛されているのだろうか? そもそもマドロールは何処だろうか)
そう思っているユラルに皇帝は「マドロールの所へ行くぞ」と声をかけた。
マドロールの元へと無言で向かう。生きた心地がしないままのユラルたち一行である。そして案内された一室。そこに入れば、
「お兄様! お久しぶりですね!!」
とても元気そうににこにこ笑っている。
その姿を見て、ユラルはほっとする。
護衛たちを部屋の外にやって、その場にはマドロール、ヴィツィオ、ユラルと傍に控える侍女だけになった。
「元気そうで良かったです。皇妃殿下」
「もー、お兄様? 公式の場じゃないし、そんなかたっくるしい態度やめましょう!」
「え。でも……」
ユラルは恐る恐るというようにヴィツィオを見る。
当たり前のようにマドロールの隣に腰かけたヴィツィオを見て、ユラルは自分の妹にどういう態度をしていいか悩んでいるらしい。
「普通にしろ」
そんな風にヴィツィオに言われても、大国の皇帝と席を共にするというのはユラルにとっては緊張してならないことだ。それにヴィツィオの命令口調を聞くと、恐ろしくて仕方がないようである。そんなユラルの前でマドロールはユラルにとって驚きの行動に出る。
「もー、ヴィー様? そんな風に威圧しちゃ駄目ですよ! お兄様もそんなに緊張しなくていいです! ヴィー様は普通に私に接していいよーって思ってますから」
そんなことを言いながらヴィツィオに親し気に話しかける。
(マ、マドロール!? あの暴君皇帝にそういう意見を言って大丈夫なのか?)
ユラルは正直、そんな恐れ多い態度をマドロールがしたことに驚愕した。なのだが、その後にもっと驚いた。
「威圧してない」
「してますよ! ヴィー様の冷たい声ってすごくかっこいいですけれど、私のお兄様がヴィー様に悪印象持つの嫌ですよ。大好きなヴィー様とお兄様には仲良くしてほしいもの」
「ああ。……ユラル、楽にしていい」
「ふふ、さっきよりちょっと優しい感じでしたね! はぁああ、そういう口調のヴィー様も素敵!」
マドロールの言うことをヴィツィオがきいていた。というより、意見を言われても優しい笑みを浮かべてマドロールを見ているのだ。
それを見て、ユラルは驚愕しながらも本当に妹が暴君皇帝に愛されている!? と驚愕していた。
「マ、マドロール。皇帝陛下と仲がよさそうだね。安心したよ」
何とか絞り出すように告げれば、マドロールは勢いよく話し始める。
「手紙にも書いたでしょ? ヴィー様ってとってもかっこいいの! ヴィー様が素敵すぎて、私は毎日幸せで仕方ないの! ヴィー様は声も素敵でね、ヴィー様が私の名前を呼んでくれるだけで、変な声出そうになるの! 私がね、ヴィー様に……」
マシンガントークし始めたマドロールをヴィツィオが止める。
「マドロール、ユラルが固まってる」
「ヴィー様の良さをもっと語りたいのに!」
「大体、俺が居ない所でにしろ」
「えー? 私がヴィー様の良い所をヴィー様の前で語っちゃ駄目ですか? 私、照れてるヴィー様見るのも可愛いから好きなんですよねー。ヴィー様、結構照れ屋さんだし」
「そんなこと言うのマドロールだけだろうな」
「えへへ、私だけがヴィー様の可愛い所知っているとか役得!」
ユラルはそういう会話に相変わらず驚愕していた。
何故なら暴君皇帝のことをマドロールが可愛いとか照れ屋さんとか信じられないことを言っているのだ。
(……か、可愛い?? この皇帝陛下が……? というか、マドロールはこんなにも皇帝陛下のことが好きなのか。こんなマドロールは初めて見たかもしれない)
前世の記憶を思い出したマドロールは、祖国に居た頃よりもパワフルになっていた。
「あ、そうだ。お兄様、あのね、聞いて! 私、今、妊娠してるの!」
「そ、それは私に言っていいことなのかい?」
「問題ないよ! お兄様だし。それにもうすぐ公式発表されることだしね。お兄様、ごめんね。だからちょっとお迎えの場に立てなくて。ヴィー様ってば過保護で、妊娠しているんだから大人しくしてろって言うんだもん。まぁ、ヴィー様の美声でそんなこと言われたら頷くしかないけれど!」
どうやらマドロールがお出迎えに居なかったのは妊娠が原因らしかった。
帝国の皇室に新たな皇族が生まれるというのは世間を騒がせることである。
だというのに軽く言われたユラルは驚く。この帝国にやってきてから驚くことばかりである。
ただ妹であるマドロールが本当に幸せそうに笑っているので良かったと思って仕方がない。
その後、ユラルは二週間ほど帝国に滞在し、帰路につくことになった。
マドロールが皇帝に愛されている皇妃になったということで、ティドラン王国は繁栄していくことになるのであった。