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6話 幼馴染とは最強の武器のハズ

 ちょっと華火に文句を言いに行っただけなのに、ゲテモノを食わされるわ、頭から血を流すわで散々な目に遭った春夜は、赤い夕焼けを眺めながら家の近くまでたどり着くと、夏出家の前で不審者のように張り付いている一人の人物を見つけた。


 肩甲骨あたりまで伸びた青白い髪に、透き通った茶色の瞳。花柄の白いワンピースを着た少女は、落ち着かない様子で家の前を彷徨(うろ)ついていた。


 これが知人でなければ、少女だろうがお構いなしに通報していたところだが──。


「何やってんだ、凍呼(とうこ)


「──ぎょええッ!? は、春夜くんッ! こ、こんな所で会うなんて奇遇だねー!」


 春夜に声をかけられた途端、上擦った声で頬を赤く染めた彼女は、白来(はくら)凍呼(とうこ)。春夜と同じ19歳である。

 家が近所ということもあり、幼少の頃からの付き合いがある。いわゆる幼馴染というやつだ。


 ちなみに夏出家の母・美春からは、「幼馴染」の肩書きを利用して春夜を籠絡(ろうらく)しようと企む史上最低の性悪女として見做(みな)されているため、凍呼は春夜の家のチャイムを気軽に押すことができない。美春が出てきた瞬間、問答無用で虐められてしまうからだ。


「別に奇遇ではないだろ、俺の家の前でウロウロしてんだから」


「えっ、あ、はい……奇遇じゃないです……」


 女心というものをまるで理解していない春夜の、あまりにも正論すぎる返しに、凍呼の気分はしぼんだ。


「と、ところで春夜くん、その頭どうしたの? 怪我? それともファッション?」


「ああ、これか? もちろんファッションだ。似合ってるか?」


「へえそうなんだ。そういうの、中二病って言うんだよね」


 包帯が血で滲んでいる時点でこれがファッションなわけないだろと、普段なら怒鳴り散らかしていた春夜だが、それを素直に言ったところでただ心配されるのが目に見えている為、ここは捻りを利かせて敢えてファッションで突き通す春夜。中二病と言われたのは心外極まりないが。


「それで、凍呼は何の用があって来たんだ? 来るなら連絡してくれればよかったのに」


「連絡したよ。でも返事が一切返ってこないから、こうやって直接家に来たんだけど……チャイム鳴らすのはどうも怖くて」


「……本当だ、携帯がない。家に置いてきたか」


 凍呼からの連絡に気づかなかったのも当然だった。

 ズボンのポケットをまさぐってみれば案の定、手ぶら。春夜は、自分が携帯を家に置いてきたことに気づいた。


「外で立ち話も何だし、取り敢えず家に入るか? 母さん、昨日まで幼児化してたから、露骨な嫌がらせはしてこないぞ。多分」


「へっ、お邪魔していいの、春夜くん!? へ、部屋! 春夜くんのお部屋に上がるんだよ!? 一つの空間に男と女が一緒……じゅるり」


「俺の部屋とは言ってねえだろ」


 思春期の男女が密閉された空間に入ったらどうなるのか……凍呼は今まさに淫らな妄想をしていた。ニヤけた顔、だらりと垂らした(よだれ)。春夜は思わず反射的に引いてしまう。


「それと、凍呼には紹介しておきたいデカ『女』も居るからな」


「────へッ?」


 春夜の衝撃的な一言に、凍呼は体を氷のように硬直させる。彼女の恋は、ここで散った。


 春夜と共に歩んで十数年。


 これまで春夜は恋愛に無頓着で、その恵まれた容姿を武器に数多くの女子を落としては、最低かつ卑劣な言動で例外なく泣かせてきた。


 そんな、女にも厳しい春夜が自分の知らないところで恋に落ちていたなど、凍呼は想像したくもないし、絶対に認めない。

 というか想像したら、嘔吐の連続で窒息死してしまうだろうと、唐突に両手を合わせた凍呼は目を瞑り、静かに涙を流した。


「ちょっ、何で泣いた!?」


「いいのです。春夜くんは既に、私の知らない大人になってしまったのですから。私はこの後、出家(しゅっけ)します」


「出家!? ま、まあ、お前がそう決めたんだったら、俺は応援するけどよ」


「……止めてもくれないのですね。それ程までに、そのデカい女とやらにご執心なんですね」


「えぇ、めんどくせー」


 別に彼女の地雷を踏んだつもりはないのにな、と自覚すらない春夜は、石のように固まってしまった凍呼を肩に抱えると、荷物を運ぶかの如くそのまま家の中へ入っていった。


 凍呼にとっては嬉しい春夜の自室に入るわけだが、そこにはなぜか先客がいて、その先客は春夜のベッドを占領し、鼻息を荒くしながら春夜エネルギーを吸収していた。


「ハルくん、なにこれどういう事。何で『ただのお友達』の凍呼ちゃんがハルくんのお部屋に入ってるの?」


「いや、どういう事はこっちのセリフだ。何で『ただの母さん』が俺のベッドに潜り込んでんだ。部屋の鍵ちゃんとかけた筈だろ」


「ふん! あの程度の鍵、ピッキングでどうにでもなるんだよーだ!」


「ディンプルキー、ちきしょうッ!!」


 春夜の部屋は母親の侵入があまりに多く『わさビッチがーる』グッズを勝手に捨てられるわ、下着が大量に紛失するわで、その侵入を防ぐ手段として家の玄関と全く同じ扉を自室にも取り入れているのだが、それが全くもって意味ない事が今証明されると彼は扉を蹴って力業(ちからわざ)で取り外した。


「ところでハルくん……その頭の包帯どうしたの?」


「あ、いや、あのこれは……」


「ハッ、もしかして怪我? ねえそれ怪我だよね!? どこで……ねぇどこでそんな怪我を! 誰がそんな酷い事をハルくんにしたの!?」


 息子の頭に巻かれた包帯が血で滲んでいる事に気付いた美春は慌ただしくベッドから飛び降ると春夜の両頬を手で挟んで顔を近づけた。


 そりゃあ大事な息子が怪我をして帰って来たのだ。


 心配のあまり顔が歪んでしまうのも仕方がないと思ったが、美春の表情(かお)は狂気を帯びた歪み方をしていて、息子の目線から見てもただただ怖いの一言。

 この怪我は幸い自分でやったものだから良かったが、これが誰かの手によって負ったものだと彼女が知れば間違いなくその者は処される。


「……こ、これはファッションです」


 春夜は嘘を吐くしかなかった。

 いくら怪我の原因が、テーブルを破壊するためにやったことだとしても、自傷行為には変わりない。正直に話せば、母親に余計な心配をかける上、これからの日常生活で今以上に監視が厳しくなってしまう。

 心配されるならまだしも、監視が厳しくなるのは(すなわ)ち自由がなくなるのと同義。だから春夜は咄嗟に嘘を吐いた。


 しかし、今はハロウィンでもなければ、春夜は普段からコスプレをする男でもない。

 怪しんだ美春は春夜の頭に巻かれた包帯に鼻を近づけ、吸い込むようにして匂いを嗅ぎ始めた。


「血の匂い……これ、ハルくんの血の匂いがするけど、本当にファッション?」


「り、リアルさを追求したファッションなんだよ! 因みにこの血は俺のじゃなくて……け、献血センターから少し分けてもらいました」


「ふぅん、献血ねぇ……でも私がハルくんの匂いを間違える筈ないけど」


 流石に献血センターから血を貰ったは無理があったか。

 美春は疑いの目を向けながら再び包帯の匂いを嗅ぐと、今度は包帯そのものを外す行動に出た。

 これは何としてでも阻止しなければ、傷を見られた瞬間、俺の自由はここで終わると、春夜は美春の腕を掴んだ。


「あッ!! そうするって事はやっぱりハルくん怪我してるんでしょ!?」


 春夜の行動によって美春の疑念が確信に変わったその時、彼は何を思ったのか、母親のふっくらとした唇に人差し指を当てると、爽やかすぎる声色で──


「美春、俺の言うことが信用出来ないのか?」


 自分で言ってて吐きそうになるこのセリフ。

 遂に母親の名前を呼んでしまった息子は測り知れない精神ダメージを負うと、既に白目を剥いていた。


 対して、下の名前で呼ばれる事を全く想定していなかった美春は、熟れたトマトのように顔を真っ赤にさせると、静かに(うつむ)いた。


「……は、ハルくん。ありがと」


「ハイ、ドウイタシマシテ」


 『何だこれは……本当に何なんだこれは!』と気恥ずかしさでいっぱいになる春夜は心の中で絶叫すると、滅多に見ない母親の反応のせいで、ついつい彼女から目線を逸らしてしまう。

 初々しい乙女の反応もそうだが、何より問題なのがこの気まずい空気。

 凍呼は先程から目を閉じていて、意識があるのかすらはっきりしないし、一体どうしたもんかと困惑していたところ、先に声を発してくれたのは美春であった。


「な、なんだか暑いね……冷房ちゃんとついてるのかなー?」


「ソウデスネ」


「あ、そうだ! 今夜はキーマカレーにしよっか。ハルくんの好きなワサビを沢山載せてさ! もちろんデザートはフルーツシャーベットだよ!」


「ソウデスネ」


「うふふ、そうと決まったら美春ちゃん、お料理頑張っちゃうから! やるぞー、オーッ!」


「ソウデスネ」


「……そ、それとね、ハルくん? さっきは私の名前呼んでくれて本当に嬉しかったよ! えへへ、大好き!」


「ソウデス────ぐはァッ!!」


 まるで付き合いたてのカップルのようなやり取りを前に吐血してしまう春夜はこれまで女子と付き合った事がない。

 その弊害がここで出てしまったとは実に情けない話で、その相手が母親というのもまた滑稽(こっけい)だ。


「そ、そういえば、小春とスズはまだ帰ってきてないのですか」


「うふふ、ハルくん語尾がおかしくなってるよ。でもそうだよね、二人ともそろそろ帰ってきてもいい頃だと思うけど……あ、そうだ! 凍呼ちゃんもせっかく来たんだし、うちでご飯食べていく? ご飯はみんなで一緒に食べると幸せな気持ちになれるからね!」


「──何ッ!? あの母さんが凍呼を食事に誘っただと!?」


 春夜は雷に打たれたように衝撃を受けた。


 あれだけ春夜に関わる女を敵視していた母親がまさか名前を呼んだだけでこうも温厚な性格に変わってしまうとは……

 正常な母親というのはこういうものなのかと、今までにない心情を抱いた春夜は嬉しさのあまり涙を流した。

 しかし驚いていたのは春夜だけではないらしく、隣に座る凍呼も体を小刻みに震わせると、ぱっちり開いた目を春夜に向けて小さく呟いた。


「ま、まさか春夜くんって、おばさん……実の母親と付き合う事にしたの?」


「何言ってんだお前」


 いくら母親の態度が激変したからといって、普通そういう結論には至らんだろと、見当違いすぎる推理をする凍呼。


 だがそれにしても、顔を合わせる度に凍呼の鼻の穴に野球ボール突っ込んだり、両胸をゴムのように引っ張ったり、バウムクーヘンと称してトイレットペーパーを食わせたりと、これまで散々なイタズラをしてきた美春がなぜ夏出家の晩餐会に彼女を招待するのか。

 この笑顔の裏に何かよからぬ事を隠しているのではと不審に思った凍呼は単刀直入に聞いた。


「あの、おばさんって私の事嫌いじゃなかったでしたっけ?」


「うふふ、いきなりどうしちゃったの凍呼ちゃん」


「どうしたのはおばさんの方です! なんで今の今まで私の事を敵視してたおばさんが、今になって優しくするんですか? 正直、気味悪すぎて若干引いてますよ」


 美春に対して気味が悪いとは今日の凍呼は随分と攻めているなあと、春夜は二人のやり取りを黙って見ながら、内心ヒヤヒヤしていた。


 すると、美春は屈託のない笑顔で少女の問いかけに答えた。


「そうね、私が凍呼ちゃんを敵として見なくなったのは、私がハルくんに選ばれたからかな」


「……え、春夜くんが選んだ?」


「うんそうだよ。だってさっきハルくん、私の事名前で呼んでくれたでしょう? それって要するにハルくんが私にプロポーズをしたのと同じ意味なの。つまり私とハルくんは両想い。他の女の介入を心配する必要なんてもうないよね……あ、でも浮気は殺すよ。相手の女はもちろん、ハルくんの事もね」


「……ね、ねえ、春夜くん。この人は何を言ってるの? 何で名前を呼んだだけでプロポーズ? しかも浮気したら殺すとか言ってるけど……大丈夫、春夜くん?」


 美春の耳を疑う発言に、凍呼と春夜は唖然とする。

 春夜は凍呼に助けを求めるわけではないが、『大丈夫?』という言葉に首を激しく横に振って答えた。


 結局、美春は何も変わっていなかったのだ。


 名前を呼ぶことで凍呼を敵視しなくなったのはいいが、己が犠牲になっては意味がないだろと春夜は先程の感動を返してくれと言わんばかりに机にあった辞書でプロポーズの意味を必死に調べる。しかし『名前で呼ぶ事=プロポーズ』はいくら探しても出てこない。


 するとこのタイミングで一階の玄関から物音と同時に小春の『ただいまー!』という元気な声が聞こえてくると、春夜は間髪入れずに下に向かって全力で叫んだ。


「ヘルプだ小春ッ!!」


 帰ってきて早々何事かと階段を駆け上がる作務衣姿の小春は言われるがまま兄の部屋の前まで来た。


「兄やん、そんな慌ててどうしたの。って部屋にお母さんとトッコも居るじゃん……えっ!? ちょ、なんでトッコ居るのにお母さんの顔こんなにも穏やかなの!?」


 小春の言うトッコというのは白来凍呼のあだ名。そして彼女もまた母親と凍呼の関係性については中々に詳しく、この状況の違和感にたった一目で気付くと分かりやすく狼狽していた。

 春夜は妹に近づくと、こうなってしまった経緯を簡潔にまとめて耳元で呟いた。


「なるほど、なるほど。状況はなんとなく分かったけど……それにしても凄いね。兄やんを狙う女は全て敵って狂気振り撒いてたあのお母さんが、トッコを食事に誘うなんて……いっそお母さんと本当に結婚しちゃったら夏出家も普通の家庭になるんじゃない? あはは!」


「母親と息子が結婚してる時点でそれはもう普通の家庭でもなんでもねえよ。それに自分の母親が兄と結婚するなんて小春は抵抗ないのかよ」


「うーん、お母さん兄やんのことずっと好き好き言ってたからなー。むしろ結ばれてもいいんじゃないかなって思うよ。だって私お母さんのこと大好きだし、どうせなら幸せになってもらいたいじゃん」


「駄目だ。この家、まともな奴がいねえ」


 ひとまず、自分を含め夏出家の人間は全員まともな判断ができていない──その事実を改めて痛感する春夜。


 この件は後で片付けるとして、小春が帰ってきたということは、一緒に出かけていたスズももう戻っているはずだ。

 そう思い直した春夜は、凍呼を連れて階下へ向かった。


 案の定、リビングのソファにはスズの姿があった。

 ただ、その様子を目にした瞬間、初対面の凍呼はもちろん、数日間一緒に過ごしていたはずの春夜までもが、思わず目を見開いていた。


 今日は元々休日ということもあり、小春はスズの服を買うために一緒に出掛けていた。

 だが、今朝見たときの格好とは違い、今のスズは自分の体に合った作務衣を身につけている。

 おそらく、小春が「作務衣以外の服を着るなんてナンセンス」と、持ち前の価値観を押しつけた結果なのだろう。


 だが気になるのはそこではない。

 あの竹箒のようにボサボサだった髪が、なんとたった半日で絹のようにサラサラになっているではないか。


「小春と同じ服装になるのはまあ予想できたが、まさか風呂に入ってもボサボサだったあの髪が、こうもサラサラになるとはな……どこの美容室に行ったらこうなんだ」


「……あ、お兄ちゃんただいま」


「ああ、おかえりスズ」


 昨日より一段と女性らしくなったスズに、春夜は思わず息を呑んだ。

 すると、彼らの後を追って階段を下りてきた小春が、誇らしげに声を上げる。


「スズも女の子だからね。兄やんは気にしないと思うけど、女の髪は命なんだよ。髪がボサボサなら意地でもサラサラにすべし! これ基本中の基本だよ」


「年中ちょんまげのお前が髪を語るか」


「うっさいなぁ兄やんは。髪型よりまず髪質が大事でしょ! それに前髪上げた方が視界の邪魔にならなくて済むんですー」


 たしかに小春の髪質は母親譲りで艶やかではあるのだが、髪型がちょんまげでは説得力に欠けるというか、何というか……。


 そんな中、先ほどから置いてけぼりにされていた凍呼が春夜の肩を指で軽く叩き、首を傾げながら尋ねた。


「もしかして春夜くんの紹介したかった女性って、この妖怪? 口しかなければ、かなり体が大きいけど」


「え? ああ、そうそう。こいつはスズっていうんだ。一応数日前からこの家で一緒に暮らしている」


「へえ、スズちゃんって名前なんだ──待って、同棲?」


 先程から春夜に恋人ができたなどと思い違いを起こす凍呼は覚悟を決めて夏出家にお邪魔した。

 けれど、いざ“その女”と対面すると、胸をぎゅっと締め付けられるような感覚に襲われ、心が折れそうになる。

 彼女は悲しげな眼差しで、ただ春夜を見つめた。


「……凍呼、お前、何か勘違いしてねえか? 別に俺は、こいつが帰る場所がないって言うから、仕方なくウチに置いてるだけであって、恋人とかじゃねえぞ」


「別に私に気を遣わなくていいですよ。春夜くんは、何年も隣にいた私よりも、ぽっと出の妖怪の女体のほうが好みですもんね。出家する私には、もう関係のないことです」


「誤解を招くような言い方やめろ。それに、こいつはぽっと出なんかじゃなくて、前に俺に会ってたらしいし……凍呼のことも知ってたぞ」


「え、私を?」


 自分を差し置いて夏出家で暮らし始めたスズが、自分の知り合いだなどと──春夜はいきなり何を言い出したのか。

 凍呼は今一度スズの顔に意識を向ける。すると、それに気づいたのか、スズもゆっくりと凍呼の方へ口を向けた。


「うーん。こんな目立つ妖怪なら、一度会ったら忘れないと思うんだけど……本当に私の知り合い?」


「やっぱり凍呼も覚えがねえか。なあスズー、俺たち本当にお前と会ってんのか?」


 スズを目にした時点で初見の反応をしていた凍呼も、やはりスズを知らなかった。

 覚えていないのが自分だけじゃなかったことに、春夜は少しだけ安心したような表情を浮かべる。


 しかしそれを聞いたスズは、どうやら機嫌を損ねたらしい。髪を自在に動かし、春夜の首元へ絡ませるとじわじわと締め付けていく。


「……ねえお兄ちゃん、この数日で何回同じこと聞くの。あまりにしつこいと私も怒るよ」


「あはは、そうだよなー。で、でももう少し詳しく教えてくれてもいいんじゃねえか? お前ずっと、俺に会った凍呼に会ったとかしか言ってねえから、情報マジで少なすぎんだよー」


「こういうのは普通、自分で思い出すのが常識。だから頑張ってお兄ちゃん」


 この様子からして、スズは春夜たちとの関係性についてこれ以上話す気はないらしい。

 毛髪からようやく解放された春夜は、ひとつ疑問を抱いた。


 たしかスズと公園で再会した時、彼の手足を髪で縛って、まるで歓喜を示すような行動を取っていたはずだ。

 それなのに凍呼と対面した今は、髪を絡ませるどころか、凍呼そのものに興味を示していないように見える。

 どうして自分だけが苦しい目に遭って、凍呼は何もされないのか——。


 これではあまりに不公平だと考えた春夜は、凍呼のことを髪で縛らないのか、またお姉ちゃんと呼ばないのかと、まるでそうしてほしいかのようにスズに尋ねた。

 幼馴染を巻き込むつもりはなかったが、つい願望が顔に出てしまう。


 しかし春夜の期待をあっさり断ち切るように、スズは答える。


「……トウコには何の魅力も感じない」


「──ちょっと、スズちゃん表出よっか」


 唐突に告げられた、凍呼には『魅力』がないという一言。

 凍呼に直接的な攻撃はなかったものの、この言葉を聞いただけで、春夜は十分に満足してしまう──性根が腐っているのは自覚済みだ。


 もちろん、そのような言葉を聞かされて、凍呼が素直に黙っていられるわけもなく、崩れた笑顔をひたすらスズに向けていた。


「スズちゃん、本当に私のこと知ってる? 仮にもし私を知っていたとしても、魅力がないなんてちょっと失礼じゃないかなー? こう見えて私、色っぽい下着とか普段から身に着けてるし、自然な化粧も徹底してる。それに、髪の毛だって甘い大人の香りがするんだから!」


「でも、お兄ちゃんには振り向いてもらえてないよね」


「ゔぅっ、それは言わないでぇ……」


 まさかスズが、肉体を痛めつける力だけでなく、精神をも傷付ける言葉を持ち合わせているとは……。

 即座に言い負かされた凍呼を見て、春夜は抱腹絶倒。相変わらずの態度だ。


「春夜くん……そんな本気で笑わないでよ」


「ああ、ごめんごめん、凍呼……ブフッ! お、お前にはちゃんと女としての魅力があるから、気にすんな」


「いや、笑いながらそれ言われても信用できないんだけど」


 幼馴染に懸想する身としては、魅力を笑われること──つまり、自分には魅力が本当に皆無なのではと錯覚してしまいそうになるのだが……。

 それに、なんでこんな性格最悪の男に想いを寄せているのか、自分でもたまに分からなくなる。凍呼は、どうやら生粋のダメ男好きらしい。

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