5話 獅子座の貴方は運命の人に出会えるかも
「従業員から連絡を受けて来てみれば……春夜、貴方は何故、毎度毎度私の店を荒らそうとするのですか。それに子町も彼と一緒になってふざけるのはやめて下さい」
ぴょんぴょんラビットの経営から現場管理と何から何までを取り仕切るオーナー店長こと白ウサギ妖怪の華火は、自身が不在の間に店内で吐物を撒き散らすとは一体何事かと二人を呆れた口調で注意する。
「す、すみませんでした店長! もう春夜なんかに流されたりしないので、クク、クビだけは本当に勘弁して下さい!」
オーナー店長という事はバイトをクビにする権限だって持っている為、それに恐れた子町は咄嗟に土下座して謝る。
「たしかに二人の所為で店の雰囲気は物凄く悪いですが、その程度でクビになんかはしたりしませんよ。寧ろ謝るよりも先に、まずはその着ている服をどうにかして来て下さい。非常に汚いです」
「うっす! 今すぐシャワー浴びて着替えてきます!」
春夜から店を守るつもりがかえって裏目に出てしまい、自分も一緒になって店の印象を下げてしまった子町を許すウサギ店長は意外なことに寛大であった。
そしてクビにしないという言葉を聞いた途端に目を爛々とさせる子町は実に下っ端らしい身のこなしで店長の指示に従うと再び厨房の方へ走って行った。
そして春夜と華火、両者の赤い瞳が互いに重なる。
「何故この様な状況になったのかは、概ね予想がつきますが……それにしてもうちの従業員を揶揄うのはやめてもらえますか。と言ったところで素直に聞く貴方じゃないですか」
「おい何だ、その俺が聞かん坊みたいな言い方は。大体こうなったのはアンタの要らぬ発言が原因なんだろうが」
「……ほう、私ですか」
皆をまとめるリーダーという事もあって先程から落ち着いた雰囲気を醸し出す華火は、自身の機嫌に左右され他者を貶めようとする春夜を子ども扱いしていた。
一体何が要因で彼はこんなにも荒れてしまっているのか、全く身に覚えのない華火は取り敢えず黙って話を聞くことにした。
すると春夜は先日の路地の件。
つまりは春夜とスズとの出会いで次々に起こった異常な問題について語り出した。
スズを夏出家に住まわせた事もそうだが、自身が警察の世話になった事、そして何より最悪だったのが母親の世話を0から10丸々……美春が起きてから寝るまでの時間を全て捧げなければならなかったのが現在春夜が荒れている理由であった。
一体何が悲しくて育ての親のお風呂やトイレの面倒まで見てやらないといけないのか、これも不器用すぎる妹が居る所為でもあるのだが……
とにかく華火があんな発言をしなければこうはならなかったぞと強く主張する春夜はテーブルに置いてあった皿を何の前触れもなく華火に向かって投げるも、ウサギはピョンと跳ねては軽々と躱した。
「……私は春夜に何か言いましたっけ」
「何か言いましたっけ、じゃねえよこのボケ老人! アンタがあの日、時間と場所を指定して俺をそこに向かわせたんじゃねえか! 運命の人に出会えるとか抜かしやがって」
「ああ、そういえばそんな事言いましたね。ですがあくまで私はそれを言っただけであって、行動したのは貴方じゃないですか。どうせ運命の人を『わさビッチがーる』と勘違いしての行動でしょうけど」
社会人の仕事帰りでも夜の11時は遅い時間なのに何故、無職の春夜があんな夜中に人通りのない路地で立っていたのか。
そして春夜とスズはいかにして出会ってしまったのか、発端は華火の一言から始まったものであった事がここで判明する。
「──俺の運命の人といったら普通わさビッチがーるだろ!! 勘違いとか言うな、その耳引きちぎるぞ」
と運命の人があんな全身タイツの変態スズであってたまるかなどと、頑なにそれを認めようとしない春夜の言う『わさビッチがーる』。
それは春夜が昔から崇拝してやまないソロアイドルの名称で、微妙な歌唱力と過激な衣装で観客の空気を湿気った煎餅のようなものにし、ステージに向かって擦り下ろした山葵を大量に投げつける演出を見せる知る人ぞ知るマイナーアイドルだ。
しかしいくらマイナーでもアイドルを運命の人と言い張る春夜はただの痛いオタク。
「……そうですか、運命の人になれるといいですね」
「おい、俺をバカにしてるだろ」
「いいえ、してませんよ」
春夜のオタク趣味をとやかく言っても逆上してまた店を荒らされかねない為、ここはアイドルと結ばれる日がいつか来るといいですねと素直に応援している『つもり』の華火。
「それにしても春夜が災難続きとは、占いの過信は良くない結果を招くようですね」
「あ? 占いの過信? いきなり何言ってんだアンタ」
アイドルの話題を切り捨てたかと思えば突然占いの話に移行した華火に眉を顰める春夜は何やら嫌な予感がしてならない。
すると華火は涼しい顔してとんでもない事を口走った。
「実はその『運命の人に出会える』というのはテレビの受け売りでして、朝の番組の星座占いで珍しく獅子座が一位を取ったものですから内容丸ごと引っ張って貴方に伝えたのですが、どうやら一位のような効果は得られなかったみたいですね。ラッキーアイテムも伝えた方が良かったでしょうか」
「お、おい待ってくれ。まさかアンタは朝の星座占い如きで俺を動かしたっていうのか?」
「まあ動く動かないは貴方の自由でしたけどね。私は占いの内容をそのまま伝えただけですし。あ、でも指定した時間と場所については私が適当に言いました」
このウサギ、今すぐ皮を剥いで焼いて塩振って食らってやろうかと怒り心頭に発した春夜は歯をギシギシ鳴らしながら両拳に力を込める。
年頃の小中学生ならともかく、いい歳こいたオッサン妖怪が星座占いなんかを鵜呑みにするとは……
八月生まれで獅子座の春夜は、占い如きで踊らされた自分自身も、占いに縋るウサギも、今は憎くて憎くて仕方がなかった。
そして少しでも怒りを発散させる為に彼の取った行動は、自身の額を使って力一杯、目の前のテーブルにぶつける事。
『ゴンッ!』と酷く鈍い衝撃音が店内に響き渡ると春夜の頭から赤黒い血がダラダラと流れ出る。
が、その甲斐あって店のテーブルを真っ二つに砕く事にも成功させた春夜は眼前の華火に歪みきった笑顔を向けると──
「おいクソウサギぃ、獅子座を一位にしやがったテレビ局教えろ」
「未来テレビですが」
「未来テレビか。後で地獄のようなクレーム入れてやるから覚悟しとけ」
まさか獅子座を一位にした事でクレーマーを極めし男に目をつけられてしまうとは『未来テレビ』も気の毒である。
だが春夜という人物はこう見えて、一度やると決めたら否が応でも貫き通す男なので、彼のクレームに堪え兼ねた未来テレビは恐らく次週くらいには星座占いの企画を畳んでいる可能性も大いにある。
それ程までに夏出春夜は粘着系且つ数々の企業を蝕む『害』そのものであるのだ。
「クレームもいいですが、貴方はまず頭の傷の処置をしてください」
流石の華火も血みどろの笑顔は向けられたくないと感じたのか、店の従業員に彼の頭の処置するよう頼むと、頭に包帯を巻きつけられた春夜は文字通り怪我人と化してしまう。
「まあ未来テレビへの嫌がらせは後にするとして、まずはアンタを罰する番だ。アンタのされて嫌な事を俺に教えろ」
勿論忘れてはならぬ全ての元凶。
春夜も一時は華火自身を痛めつけようと考えたが、春夜の力ではこのウサギに太刀打ちできない事は今までの経験上で分かりきっている為、それ以外の方法で苦しめようとウサギの弱点を本人に率直に聞いた。
「私がされて嫌な事ですか。まあこの店を荒らされるのも勿論そうですが、他の何よりも娘が傷つく姿は絶対に見たくないですね」
普通なら己の弱点など、それを利用しようとする下衆に教えてやるなんて絶対にしないとは思うが、これでも春夜に迷惑をかけた点については自省している為、華火は特別に弱点の情報とやらを彼に開示した。
しかし弱点として娘を挙げるとは、その娘に危害が及ぶ事を華火は考えていないのか。
華火もまた春夜と同様に人でなしの可能性が浮上する。まあ人ではなく妖怪なのだが……
「店よりも娘の方が大切……まあ親としてはそれが普通の反応か。だが残念だったな、俺を占いで陥れた事実は変えられねえから、アンタの娘とやらを見つけた瞬間、俺はグーで殴って即刻泣かして──っておい、アンタ娘居んのか?」
「ええ居ますよ。愛らしい娘が二人」
「ふ、二人もォ!? アンタいつそんなの出来たんだ! アンタとは昔からの付き合いだが、俺は何も知らされてねえし、ウサギの分際で結婚してたのか」
家族絡みで付き合いのある華火にまさか二人の子供がいたなんて。
つい先程まで華火を不幸にする事しか考えていなかった春夜は驚きのあまり上擦った声を発すると、差別とも取れる発言をウサギに向かって吐いた。
「何言っているんですか。私の娘と小春は同い年ですよ。それに貴方が5歳の頃には娘と一度会っていますからねえ」
やはり娘も親と似て鼻につく兎なのだろうか。
一度会っていると言われてもどこの飼育小屋で遊んだのか春夜はさっぱり覚えていない。
それに妹と同い年という事は人間の年齢に換算すると、100歳を優に超えたかなりのババアウサギじゃねえかと親の前では口にできないが心の中では思った春夜である。
「それと娘の話で思い出しました。来週から娘たちを波山羊高校に通わせるので機会があれば仲良くしてあげてください」
「んあ? 波山羊高校って小春と同じ学校じゃねえか……ってあの学校人間しか受け入れてねえけど、大丈夫なのか?」
「はい、学校側とは話を付けてあるので問題ないですよ」
「マジでか!?」
ついに学校もウサギを一生徒として迎え入れる時代が訪れたんだなあと、かつての母校の斬新な改革に感心を示す春夜。
そして小躍りした様子で春夜はもう一つ大事な事を華火に問いかける。
「てか来週からアンタの娘が波高通うって事はさ、早速アンタへの復讐ができるって事だよな? なら娘と会ったら泣かしてもいいか?」
子を持つ親に対してなんて失礼な言葉を吐いているのか。
娘を泣かすと言われて、どうぞ構いませんと返す親など何処にも居るわけないだろと、彼の大胆さもそうだが問題アリなその人間性に華火もつい言葉を失う。
言葉を発したのが春夜でなければ華火は娘を守る親として相手を処理していたところだ。
「まあ許可されなくても俺は実行するがな」
「はあ、本当にやめて下さい。どうせ返り討ちに遭って泣きを見るのは貴方なんですから」
「おいおい、それじゃあまるで俺が負けるみたいじゃねえか」
「骨折られても知りませんよ」
娘を泣かせる事は許可しないが、娘が泣く事も想像できない華火の反応は娘よりもまるで春夜の方を心配している様にも見える。
彼は今のところ随分と余裕をかましているみたいだが、こういう奴ほど、この後すぐに痛い目に合って母親に泣き縋るのだと、華火はこの問題については一切の文句を受け付けない姿勢に入る事を春夜に伝えた。
「──ちょっとちょっと! アタイが着替えてる間に何が起きたんだよ!?」
厨房の先に設置されたシャワー室で体を洗い綺麗な制服に着替えた子町は戻ってくるなり目を丸くしていた。
自分が居ぬ間に、春夜は頭に包帯を巻きつけているし、店のテーブルが真っ二つに砕け散っているしで聞きたいことだらけの子町だが、彼女を尻目に春夜は急に立ち上がった。
「どこかの阿呆のせいでだいぶ時間食っちまったし、俺はもう帰る」
「ええ!? この状況で帰るってマジかよ春夜! なんかアタイだけ取り残された感じがするんだけど……」
「お前はそのまま時代の流れに飲み込まれてしまえ。そして一生溺れてろ」
戻ってきて早々、辛辣な言葉を向けられた子町は何故こうも彼の言葉は癪に障るのか……
子町は引きつった笑みを浮かべると春夜の怪我した部位をゴシゴシ力を込めて撫で始めた。
「──あだだだだだだッ!! ちょ、お前! いきなり何しやがんだッ、痛えだろ!?」
「別に。アタイはただお前の怪我が心配でちょっと頭を撫でただけだ。何も気にするな」
これはちょっと撫でるってレベルの力じゃないだろと、彼女の手を力づくで引き剥がした春夜。
せっかく巻いてもらった白い包帯は直ぐに赤い血で滲むと春夜は激痛で顔を歪ませながら、重い足取りで店の出入り口まで歩いた。
「春夜、気を付けて帰るのですよ」
クソウサギやら娘を泣かすやら散々罵声を浴びせられながらも、まるで我が子を心配するような眼差しで春夜を見つめる華火。
「アンタに言われなくても普通に帰るわ」
「ですが近頃、この町で失踪する妖怪が増えていると聞きますからね。念の為、この防犯ブザーを持っていて下さい」
一体どこから取り出したのか、華火は女児向けアニメのキャラクターが描かれた防犯ブザーを春夜の手のひらにポンと置くと決して手放さないよう指示をした。
この使い古された感じを見てみると、この防犯ブザーは恐らくウサギの娘が使っていた物なのだろうが、何故19にもなって俺は防犯ブザーを持たされなければならないのかと春夜は不服な様子。
「おい、俺は妖怪でもなければ小学生でもないんだぞ。何で今更、こんなオモチャ持たねえといけねえんだ」
「ぷぷっ、春夜はまだまだクソったれなガキって事だからだろ? 危なくなったらちゃんとソレ鳴らせよー。何だったらお姉さんが使い方を教えてやろうか?」
「お前はマジで黙ってろ」
春夜と防犯ブザーは『花とミツバチ』のような組み合わせで相性抜群だなと揶揄する子町。
しかし人間より遥かに強い存在である妖怪が失踪しているというのに、その対抗手段としてこんなチンケな防犯ブザーを渡してくるとはこのウサギは本当に何を考えているのやら。
色々と思う点を残しながらも春夜はファミレスを立ち去った。
そしてぴょんぴょんラビットから嵐が過ぎ去ったことで訪れる平穏。即ち春夜の帰宅にスタッフ一同大歓喜した。