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46話 病弱な不審者

 無残にも傷つけられた白い壁。その表面にはひび割れが広がり、部屋中の家具はひっくり返され、本や衣類は床に散乱していた。

 チカチカと点滅する淡い照明は荒廃をさらに際立たせ、掠めたような荒々しい空気が部屋に充満し、不穏な静けさが漂っていた。


 そのような歪な空間で食卓に並べられた墨を囲むのは血色の悪い夏出一家。

 春夜と妹の小春はテーブルに向き合って座っているにも関わらず、互いに目を合わせようとはせず、気まずい沈黙が支配する。


「まったく……二人ともいい加減そっぽを向くのはやめなさい。この際、家を廃墟のように荒らしたのは不問としてあげるから」


 子供達とは対照的に、まるで高級レストランで食事をしているような佇まいで右手にナイフ、左手にフォーク、そして墨で衣服を汚さない為に、わざわざ膝の上にナプキンを置いている夏出美春。

 皿の上に載せられた固形墨の端にフォークを刺し、ナイフで切り分けた墨のかけらを一口食べる彼女は口の中でガリッガリッと、歯の状態が不安になる音を奏でる。


「家をこんな風にしたのは俺じゃなくて小春ですけど」


「……ちょっと今の聞き捨てならない。兄やんは私の機嫌を大いに損ねたことに対しては何の責任も持たないんだ。このクソボケバカ! 捻くれ者!」


 兄の自分に非はないというスタンスに当然のことながら頭に血が上る小春。

 普段なら暴力に訴えるような真似はしないのだが、余程春夜の態度が癇に障ったのだろう。小春は先の尖った銀製のフォークを兄に向かって投げつけると、彼は優れた動体視力で軽々と躱す。

 しかし小春の投げたフォークが兄の顔を素通りし、部屋の壁に見事に突き刺さると、突如として鳴り響く不快な金属音。

 春夜は咄嗟に耳を両手で塞ぐと次の瞬間、彼の両目から赤黒い血がゆっくりと流れ出した。

 視界がぼやけ、頭に響く鋭い痛み。

 息子の異変を目の当たりにし、表情が凍りついた母親には一切身体的影響が出ていないというのに、何故春夜は目に血を溜め、悶え苦しむのか。


「こはるゔっ、前にも言っただろ……対応不能な攻撃を仕掛けてくんじゃねえって! 血が涙のように溢れ出て全然止まらねえ……呪いか? これは呪いなのかッ!?」


「呪い? ふんっ、確かにそうかもね。今の私は兄やんが真っ赤な血で染まるのを望んでいるから。全身トマトになっちゃえ」


「そ、そんな風にお前を育てた覚えはないぞッ!」


「私も兄やんに育てられた覚えはないけど。はあ、ごちそうさま」


 やはり固形墨という異物を人間が口にするにはまだ早かったのか、深いため息を()く小春は皿に墨を残して席を立った。


「ハルちゃん……」


 食事を共にすれば兄妹間でのわだかまりも多少は解けるのではと考えていた美春。

 だが春夜も小春も自我が強く、自らを正当化する一方で、終いには小春の機嫌が悪くなり少女は自室へと戻っていった。


「アイツ、好き勝手して逃げやがった。これで俺の目が使い物にならなくなったらどう責任取ってくれんだ」


 タンスの引き出しから適当なタオルを取り出し、血の涙を拭う春夜は身勝手な行動をする小春に軽く腹を立てた。


「少しやり方が強引すぎたかしらね。ハルちゃんがあんなにも素っ気ない態度をとるだなんて……せめて墨は濃い味付けにした方が良かったかしら」


「いや墨に味付けても小春の態度は変わらんだろ……というか、何で母さんまで一緒になって墨食ってんだ?」


 兄妹喧嘩をした罰として墨生活を強要された春夜と小春。

 故に二人が墨を摂取するのは至極当然のことなのだが、どういう訳かその鬼畜かつ毒親的命令を下した美春までもが墨を優雅に摂取していた事に戸惑いを隠せない夏出家長男。


「おかしな質問するのね。ハル君は自分たちが墨で苦しんでいる中、目の前でお寿司やステーキを美味しそうに頬張るお母さんの姿が見たいのかしら? うふっ、そんなの嫌でしょう? だから苦しい事も楽しい事も、家族で共有しなくっちゃ」


「母さんが珍しくまともな事を……あっ! それじゃあ俺、常に楽しい時間を過ごしていきたいから、墨生活は今日で終了に──」


「──それはダメです。まともな食事をしたいなら先ずはハルちゃんと仲直りしてください。そして私をお嫁さんにしなさい。味の濃い物を食べたいからって、決して凍呼ちゃんの弁当を口にしちゃ駄目だからね! 分かった!? あの泥棒猫の作る弁当は劇物なんだから」


「ひ、酷い言われようだな、凍呼……」


 食事の改善を求めた結果、全く関係のない凍呼に矛先が向き、美春の瞳に嫉妬の色が映り込んでしまう。

 一体いつからだろうか。幼馴染の凍呼が母親から敵視されるようになったのは。小学生の頃はまだ平和的な関係だった気もするが……


 そんな事をふと考えていた春夜の耳に突如として聞き慣れない男のこもった声が入ってくる。


「結束の固い家族……とても眩しいぜ」


 口調の割には風に揺れる細い糸のような声を出す男。

 いくら夏出の家が廃墟同然となってしまったからといって、土足──いや全身が白で覆われた宇宙服で自宅に乗り込んでくるとは、一体どこの政府組織が送り込んできた刺客なんだと勘繰ってしまう春夜。


「ゴホッゴホッ、そんなに警戒しなくてもいいぜ。僕は怪しい者じゃないから」


 軽く咳き込みながら自分が無害であることを告げる男。

 厚いヘルメットのバイザーは外部の光を反射し、男の素顔を隠しているというのに、よくもまあ堂々と虚言が吐けたなと、(かえ)って感心する春夜は血で汚れたタオルを床に捨て、台所から包丁を取り出し構えた。


「母さん、この後の死体処理悪いが手伝ってくれ。コイツ学校で言ってた不審者だ。道端で寝転がる宇宙飛行士って聞いたが、まさか不法侵入をしてくるとは……許さん!!」


 夏出家には父親がいない為、男は春夜一人。

 母親は彼が知る限り誰よりも強い存在ではあるが、それでも家族を第一に考える春夜には、二人を外部による脅威から守る意志があった。

 それは小春と喧嘩中であっても変わらない強い意志が。


「は、早まらないでくれ! 僕は美春ちゃんに招待されてこの家に上がらせてもらったんだぜ」


「ああッ゛!? 美春ちゃんだと!? どこの馬の骨とも知れねえ野郎が気安く母さんを『ちゃん付け』してんじゃねえ! 何が『だぜ』だ、はっ倒すぞ!」


 先の尖った凶器の前では流石の不審者も動揺し、春夜を宥めようと手を前に出すが、男の馴れ馴れしい態度が逆に春夜を刺激する。

 しかし美春は『ちゃん付け』で呼ばれた事に不快な顔は示しておらず、寧ろ息子の口から『美春ちゃん』と聞けた事に心から喜悦を感じていた。


「うふふ、ハル君が私のことを名前で呼んでくれたわ……これもう付き合ってるわよね。これもう同意のもと私たち結婚してるわよね!?」


「この状況で何言ってんだ母さん! 今は結婚がどうこうよりも目の前の不審者を対処しねえとだろ!」


「あらあら照れ隠しかしら。もうそんな人前で恥じる必要なんてないのに。だってこの人は私の──」


「──ち、父親か? ま、まさか俺と小春の父親だったりするのか!?」


 美春の言葉を最後まで聞かずに、顔も覚えていない父親が遂に姿を現したかと、勝手に決めつけ勝手に驚愕する春夜。

 普通、こんな異常とも言える格好をした者に自ら進んで関わろうなどとは到底思わないが、美春から招待を受けてこの家に居ると告げ、そして妙に打ち解けた雰囲気が二人の間から伝わってくる事から一つの結論に至った春夜。

 だが彼の予想は美春の笑いによって即座に打ち消されると、再度この不審者の紹介を受ける事となった。


「ぷっ、くふふっ! もう、寝言は私と籍を入れてから言ってよねハル君! この人は貴方たちのお父さんじゃなくて私の同級生でお友達の各理(かくり)多央(たお)くん。さっき家の前で倒れているのを見かけてね、つい拾ってきちゃった」


「拾ってきたって……正気か母さん」


 まるで捨て猫を拾ったみたいな軽いノリで、いかにも怪しいこの男を家にあげる警戒心ゼロの夏出美春。

 母親と同級生という事はそれなりに歳もいって、自他共に認めるれっきとした大人の筈だが、家の前で倒れてそれを母親に拾われたという言葉を聞いた途端、冷たい視線を向ける春夜は職なしを心の底から見下していた。


「君は何か勘違いをしていないか? 僕は元々ここの生まれで、4日前にそれはもう気が遠くなるほど長い長い出張を終え、この町に戻ってきたんだぜ。けれどここ最近不運の連続でね……家族と都合が合わないどころか、家の鍵含めた所持品全てをどこかに無くしてしまって、このように酷い有様。道行く人に声をかけても怪訝そうな顔して僕を避けるし、波山羊町の人間はまったく冷たいぜぇ……ゴホッゴホッ」


「それを言う前に先ずは自分の格好を見直せ」


 美春に拾われるまでの経緯、そして何故この男が不審者として学校にマークされるようになったのか。

 大まかな状況を理解した春夜は、町の住人を非難する前に常軌を超えた奇抜な服装をどうにかしろと珍しく筋の通ったことを言う。

 しかし各理多央は別に好きでこの格好をしている訳ではなかった。


「僕は生まれつきの虚弱体質でね、常にチューブや機械に繋がれた状態で生活していたんだ。けれど、それじゃあ外の世界を自由に散策できないだろう? ゲホッゲホッ! だ、だから少し改良を加え、結果この格好に行き着いた……言わばこれは宇宙服兼、生命維持装置なんだぜ」


「コイツ嘘吐いてないよな……母さん?」


 日頃から嘘を吐いている事もあって人の嘘を見破るのが得意な春夜。

 しかし顔の表情や皮膚を伝わる汗が視認できない今、声色のみでしか嘘つきかどうかを判別できない。

 だが春夜はそこまでの技量を持ち合わせていない為、男の友人だという母親にその真偽を確かめた。


「大丈夫よ、多央くんの言っている事は正しいから。悪いけど多央くん、少しだけこの子に顔を見せてあげてくれないかしら。どうもハル君は疑り深い性格でね」


「も、勿論だぜ。というか先に顔を見せて挨拶した方が良かったよね。多分」


 春夜の疑念を晴らす為に素顔を見せることにした男は、左腕に配置されたコントロールパネルを慣れた手つきで操作する。

 その動作に反応して、ヘルメットの黒いバイザー部分に機械的なノイズが走ると、男の面貌を隠すバイザーが程なくして透過し、男の(やつ)れた顔が露わになった。


 黄金の絹糸のように繊細で柔らかい髪の毛、微笑みながらも微かに感じられる悲しみを宿した黄金の瞳。

 透き通るような白い肌が男の儚さを一層際立たせる。風に吹かれる枯れ葉のような男の姿は初対面の春夜ですら不安に感じるものがあった。


「体調面の都合上、マスクを外しての会話は今はできないけど、これで少しはお兄さんの事を信じてくれたかな?」


「お、おう……なんか今にも死にそうな顔してんな。ちゃんと飯食ってるか?」


「3日に1回は食べてるぜ。僕は素甘が好物だから恵んでくれると嬉しいな、ゴホッゴホッ……美春ちゃんから聞いたぜぇ。君は料理が得意なんだろう?」


「初対面のくせに図々しいなアンタ。そんなのばかり食ってるからそんな痩せこけてんじゃねえのか。もっと栄養バランス考えろ」


 少し力を加えただけで建物が崩れ落ちるかのような危うさが感じられる各理多央の顔の表情。

 ここ最近毎日欠かさず墨を摂取している春夜が言えたことじゃないが、多央の食事回数は褒められたものではなく、ここで餅菓子を要求してくるという事は彼の主食は相当に偏っているのだろう。


 それなのにどうしてこうも重量がありそうな服装を身につける事ができるのか。

 その内部構造が気になる春夜は右の瞳を変色させ、万象を見通す事のできる力で宇宙服の中身を覗いてやろうと考えたが、母親の前で能力の使用は即ち、彼女の怒りを買ってしまう為、思いとどまった。


「それで、いつまでこの家に居るんだ?」


「さっき僕の家族と連絡を取ったんだけど、どうもこの町に戻って来るのが一週間後とかになるらしいから、その間は君達には迷惑をかけるぜ」


「一週間か。まあ母さんが良しと認めたなら俺はこれ以上とやかく言わないが……(ただ)し! 母さんや小春に少しでも手を出したら、アンタやその家族が一生笑えなくなるトラウマ植え付けてやるから覚悟しとけ!」


「は、はは。その威圧的な言動、君は本当に美春ちゃんに似ているね。僕は誰よりも清廉であると自負しているけど、一応肝に銘じておくぜ」


 顔が似ているのは言うまでもないが、春夜の口から発せられる暴力的な言葉にはどうも懐かしい感情が蘇る多央は苦笑を浮かべながら美春に視線を送った。


「多央くん、子供たちに余計なことは言わないでよ。特に学生時代の私がどうだったとか……もしも話したら、分かってるわよねー?」


「ゲホッゲホッ、と、当然じゃないか! こんな姿だけど僕はまだまだ元気でいたいからね。美春ちゃんに逆らうなんて……それこそ命がいくつあっても足りないぜ」


 周囲の空気を圧し潰すような重さを持つ美春の微笑み。

 この表情に覚えのある多央は背筋が凍るような恐怖に胸が締め付けながらも、彼女の言葉に忠実であることを誓う。


「おい、なんだその反応……もしかして母さんは学校も手を焼くクソヤンキーだったのか!?」


「ハル君、言葉には気をつけなさい。ふやけるまで唇吸うわよ」


「……慎みます」


 ◆◆◆◆


「おい春夜、8番テーブルにこれ持っていってくれー」


 波山羊町の妖怪達が集うレストラン『ぴょんぴょんラビット』の厨房にて、本日の調理担当であるコック姿の口裂け女、尾野々(おののの)子町が作った料理を運ぶよう指示を受ける、彼女と同じくバイトでジャージ姿の春夜。


「俺は今忙しいから手の空いてる奴に頼んでくれ」


「アホかお前、この時間帯にシフト入ってんのアタイと春夜だけなんだぞ!? 何が忙しいから他の奴に頼めだ。お前さっきから携帯いじってばっかじゃんか。せめてホール行って注文取ってこいよ」


「うっせえなあ、今はそんなに客いねえんだし別にいいだろ……おっ、ロン! 大三元だッ!」


「仕事サボってネット麻雀やってること店長にチクるぞ。そしたらお前の給料は当然なしになるが」


 店長兼オーナーの華火が不在なのをいいことに、オーダーから料理提供、何から何まで仕事を子町に押し付ける全くもってやる気のない春夜。

 子町は彼の携帯を中華鍋にぶち込んで油と絡め使い物にならなくしてやろうと考えるほど苛立っていた。


「アタイも若い頃は死んでも働かねえと思っていたが……今ならわかる。こんな堕落した奴にならなくて本当に良かったって」


「子町のくせにムカつくな。俺だって本当はこの仕事と向き合いてえよ。でもここはレストランだろ? 料理見てると特に今なんかは空腹で頭がおかしくなりそうなんだ。だからこうして携帯いじって気を紛らわせてる──っしゃあっ! 四暗刻単騎!」


「その割には随分と楽しそうだな!」


 実際、数日まともな食事にありつけず正気を失いかけている春夜だが、彼の日頃の態度や言動からどうも素直に受け取れない子町は彼の腕を掴み、彼の持つ携帯と皿に盛り付けられた料理を入れ替えた。


「なあっ、パワハラか!? 俺の携帯返せよ!」


「駄目だ! 仕事が終わるまでコレはアタイが預かっておく! アタイばかり損な役回りは納得できないからな」


「お前は堅物の学級委員長か!? せっかく麻雀で気持ちよくなれたっていうのに」


 携帯を子町に奪われてしまったことで強制的に仕事に戻された春夜は不満げな顔をし、緩慢な足取りで厨房を出た。


「あい、お待たせいたしっましたー。こちら、コーヒーと日本酒でびちゃびちゃに浸した具なしパスタでございまっす」


「おお、これまた随分と前衛的な料理が出てきたね。凄い臭いだぜ」


「おいアンタ」


 店員らしからぬ口調でエキゾチックな料理を提供する春夜。そしてその料理を頼んだ物好きはつい先日夏出家に居候することになった各理多央。相も変わらず宇宙服兼生命維持装置を身につけていたが、マスク越しでも嗅覚が働くのかまず疑問に思う春夜。


「やあ、さっきぶりだね春夜くん。君が働いている姿が見たくて店にお邪魔しに来たぜ」


「本当に邪魔だな、冷やかしなら他所でやれ。こちとら物すげえ忙しいんだ」


「忙しい? 店内を見渡す限りお客はそんなに居ないと思うけど……まあ冗談はさておいて、春夜くん店長は居るかい? 僕は彼を訪ねにここに来たんだけど」


「華火? アンタあのウサギと知り合いなのか?」


「ふっふっふ、実はそうなんだぜ。彼は僕の体の秘密を知る数少ない妖怪だからね」


「言い回しが気持ち悪いな。そっちのけがあるのか」


 多様性が認められる時代とはよく言うが、こうして年老いたウサギから体の秘密を知られていると聞くと、どうも嫌な顔をせざるを得ない春夜。そして業務中だというのに多央と向き合う形で流れるようにソファに腰をかける春夜はまたもや職務を放棄しようとしていた。


「ゲホッゲホッ! つ、伝え方が悪かったぜ。僕は少し特殊な病を患っていてね……君は妖力の存在は知っているかい?」


「もちろん。多分俺の血にも流れてる」


「そっか、君は美春ちゃんの子供だ。今のは愚問だったね……それでだ、僕の病気には妖力が深く関係していてね。その類に詳しい彼に僕の体を定期的に診てもらっているんだぜ」


「それはつまり、華火が医者の真似事をして、アンタが患者として付き合ってるってことか?」


「あ、いや、別におままごとをしている訳じゃないんだが……ごめん春夜くん、ストローもらえる?」


 妖怪レストラン『ぴょんぴょんラビット』には妖怪と人間で提供できる料理が異なる。

 各理多央が注文したコーヒーと日本酒で浸したパスタは一応人間が食す料理にはなるのだが、これは人間食の中でも一際異彩を放っていて、何人もの人間をパスタ嫌いにした実績を持つ。

 多央はこの異物を摂取するためにストローを要求すると、春夜は卓上にあるテーブルフォークを無言で渡した。


「あのー春夜くん? 僕が欲しいのはフォークじゃなくてストローだぜ?」


「なんでパスタ食うのにストローなんだよ。普通フォークだろ。スプーン渡さないだけマシに思え」


「そっか、君は僕がどのようにして食事をするのか見ていなかったね」


「確かに見てねえけどストローでパスタを吸うなんて気持ち悪い食い方、まさかだけどしねえよな?」


「するぜ」


「……アンタ、素甘が好物だって言っていたよな? まさかそれもストローで吸うのか? てかあれ餅だよな、吸えんのか!?」


「吸えるぜ」


 ここで語られる各理多央の気色の悪い食事方法。

 せめて一定数の子供がやるような、ゼリーをストローでちゅうちゅう吸うなら可愛げはなくとも、まだ理解は出来たが、パスタをストローで吸うとは変態すぎて逆に興味が湧いてくる春夜は彼のためにすぐに体を動かし、ドリンクバーから一本のストローを持ってきた。


「いっちばん細いストロー持ってきたが、コレでもいけるか!?」


「やけに食い気味だね。それにこれ子供用のストローじゃないか」


 この場所は妖怪レストランということもあって一般的なファミレスにないようなサイズの食器やストローなどの道具が存在している。

 それなのに小枝のような、米一粒通るかどうかも怪しいストローで試せという春夜は目を爛々とさせていた。

 春夜の言動から滲み出る捻くれた性格はどうやら無自覚から来るものであった。


 しかし、苦笑を浮かべながらも青年の期待に応えようとする多央は、左腕のコントロールパネルを弄ると、先日のようにバイザー部分を透かし素顔を晒すのかと思いきや、ヘルメットそのものがノイズと共に消失し、彼の肌に空気が直接触れた。

 食事をするのにヘルメットはやはり邪魔であったか……


「相変わらず生気のない顔してんな。アンタ、ヘルメット外して大丈夫なのか? 体調がどうとかって言ってなかったっけ。ここで倒れられたら非常に困るんだが」


「ゴホッ、ゴホッゴホッ! だ、大丈夫だぜ、少しくらいなら……心配してくれてありがとう」


「別に心配した訳じゃねえが」


 仕事をしない上に面倒事を何よりも嫌う良い点が一つもない春夜。

 多央の食事風景がどのようなものか気になるが、無茶をして倒れられてしまっては救急車を呼ぶまでの応急処置諸々、本来の予定にない仕事が増えてしまう為、多央を心配するというよりかは自分の心配をする春夜は救いようがない。


 そして多央は細い口でストローを咥えると、グラスに差し込むのではなく、コーヒーと日本酒とパスタが入り混じった混沌とした皿の上に立てた。


「それじゃあ、いただきます」


 コーヒーも酒も主に大人が好む飲み物だが、この二つを組み合わせたからといって更に味わい深くなると思ったら大間違い。

 故にこのメニューを発案した華火は人間の舌をまったく理解できていないポンコツ店長ということになるが、怖いもの見たさでそれをゆっくりと吸い込む多央の顔色は今以上に曇っていった。


「どうだ? 美味いか?」


「コレは……ゲホッゲホッ! は、春夜くん飲んでみるかい?」


「未成年に酒勧めんな。こんな気色の悪い汁飲めるか」


「いやぁ……ハハッ。一言で言えば激マズなんだけど、何というかこう、とても表現しづらい味をしているぜ。パスタにもコレが染み込んでいるってことだろう?」


「残さず食えよ」


「うん……僕がこの料理を頼んだんだ。僕には完食する義務がある」


 春夜はどうか怪しいが、多央は食べ物を粗末にしてはならないという親からの教えがあり、たとえ口に入れるのに抵抗がある料理であっても一度出されたら最後まで食べなければならないという強き覚悟を持っていた。


「それじゃあ、一気に行くぜぇ」


「おう! 行っちまえ!」


 声は細いが勢いだけはある多央はこけた頬を更にすぼめ、日本酒珈琲を吸収したパスタをズルズルと豪快にストローで吸い込んだ。


 宴会で披露したら大盛り上がり必至の多央の一芸。

 本当にこんなストローで食事ができるのか、疑心暗鬼だった春夜もこれを見せられたら驚嘆せざるを得ない。


「おお、凄え凄えよアンタ! マジか! 基本なんでもこなせる器用な俺でもそんな芸当真似出来ねえぞ」


「ははは、大袈裟だぜ。僕からしたら何ら変哲のないただの日常の一部分なんだから。あ、そうだ! 今ので少しでも僕の事を見直したなら『アンタ』じゃなくて、多央兄さんって呼んでくれると僕としても嬉しいかな」


「居候の分際で俺に意見か?」


「あぁ、今のはちょっと厚かましかったかな」


 同じ屋根の下で共に過ごせばもはや家族。

 こんなド田舎じゃそれが当たり前──な筈もなく、心をどこかに置いてきた社会人のように、温かみのない態度で接する春夜に少し寂しさを感じる多央。

 仮にも夏出の母と同い年なんだから、大人として敬わずともせめて名前で呼んでくれと願うが、まだ出会って日も浅い所為か、春夜はまだ分厚い壁を作っている。


 そして彼らの騒ぎ声はどうやら厨房まで届いたらしく、冷ややかな目で春夜を見下すコック子町は、仕事をサボって客に絡む不届者の頭を軽く(はた)いた。


「料理一つ提供するのにどれだけ時間かかってんだ。呑気にソファにも腰かけやがって、お客様に迷惑だろ。お前もう厨房行って料理作ってこい」


「数日間まともな飯を食ってない人間に料理を作らせるってお前は鬼か!」


「アタイは鬼じゃなく口裂け女だ」


 どうしても働きたくない春夜とどうしても働かせたい子町。

 しかし金銭を貰っている以上、春夜は労働から逃れることは出来ず、コック子町に襟元を掴まれると厨房の方まで引き摺られそうになる。


「お前、暴力に頼るの嫌いじゃなかったか!? や、やめろ! おいアンタ、このバカ女を説得してくれ!」


「ゴホッゴホッ……りょ、料理長、僕は全然困っていないから彼を離してくれると嬉しいぜぇ。ほら、彼はここ数日墨しか食べていないらしいし……」


「お客様……駄目です。コイツを甘やかさないでください。こちらが黙っていればすぐにつけあがる、そんなどうしようもないクソったれなんですよコイツは」


「……ごめん春夜くん、僕に説得は無理だぜ」


「諦めんの早えな!」


 春夜の助けを求める言葉に咄嗟に反応してしまった多央。

 しかし彼が仕事に不真面目な所為で、実際に迷惑を被っている者もここに居る訳で、フォローしようにもできない多央は申し訳なさそうな顔をして子町の説得を諦めた。


「ご理解いただき感謝します。それではお客様は引き続きお食事をお楽しみ下さい。オラッ、自分で歩け春夜!」


「いづっ! そんな力強く引っ張ったら服が破れるだろうが!」


「……頑張れ、春夜くん」


 駄々をこねる年齢でもないだろうに、そこまでして労働と向き合いたくないものかと、多央だけでなく、この店内に居る全ての者が同じことを思った。

 この従業員同士のいざこざは、ある意味この店の名物なのだろう。


 そして春夜の強制労働が決まってしまったように、多央もまた別の覚悟を決めると、日本酒珈琲パスタをストローで再び吸い始めた。

 健康体ですら危ういというのに、病弱な体にアルコールカフェインの同時摂取はいかがなものか……


「──なあ今の見たかよ丹香(にか)。口裂け女に掴まれていたあのガキ、働きたくないからって普通あんな風に喚くか? ハハッ、マジおもしれーな! 田舎のファミレスではあれが普通なのか?」


 春夜たちの様子を窓際の離れた席から窺う二人の人間。


 乱暴にセットされた茶髪に、指輪やピアス、色付きサングラス等のアクセサリーを満遍なく身につけ、軽薄な笑みを浮かべる男は春夜の従業員らしからぬ態度に腹を抱えていた。


 対して、もう片方の丹香(にか)と呼ばれた人間は腰まである紫と緑が絶妙に混じり合った長髪が特徴的で、よく祭りの屋台とかで売られているお面、数多くの女性が通ってきた大人気アニメ『魔法少女グランマ』のお面を威風堂々たる態度でつけていた。


 そして両者ともに紺色の医療用スクラブを着用している。


「あれが夏出春夜か。リストにはあったが特に問題はなさそうだな」


 中性的な声を発するのと同時に、懐から数枚の紙面を取り出した丹香はそれをそのままテーブルの上に放り投げた。


 紙面は空中でヒラヒラと舞い、テーブルの上で無造作に広がると、紙に記されていたのは華火を筆頭に、春夜含めた夏出家全員の行動パターンや、自身の肉体に妖怪の魂を宿した白来凍呼の情報。


 それだけでなく、現在激マズパスタに奮闘中の各理多央の家族構成や身体的特徴なども写真とともに明記されていた。


「こんな(ひら)けた場所で重要な書類出してんじゃねえ。セキュリティ観念終わってんだろ丹香。『室長』に怒られても俺は知らねーからな」


「この空間の中では誰一人として私たちの存在を認識する者は居ない。勿論この書類もだ。これほど優れたセキュリティは他にないと思うが……それでも室長が私を責め立てるようならば、こちらも望むところだ」


「おいおい室長に喧嘩売るなよー。まったく、丹香の頭の固さには困ったもんだ。ああ、やりにくい。臨時で組まされたとはいえ、もっとマシな相棒はいなかったのか」


 会話の様子からそこまで長い付き合いでない二人。

 特に輩のような見た目をした男はこのふざけたお面をつけた、どちらの性別ともとれる相方の性格が合わないらしく頭を悩ませていた。


「相性の良し悪しなどどうでもいい。貴公は対象の監視を引き続き行ってくれ。私はあの者が着るスーツを詳しく解析する必要がある」


 多央の方に顔を向け、そう告げる丹香の目標はあくまで任務を完遂すること。

 そこに私情を挟み、不必要に関係を構築してしまってはいずれ任務に支障が出ると、共同者を突き放すような冷たい態度を取る。


「めんどくせえ奴だな……で? 各理多央の着ている服はやっぱり特殊なのか? 日常生活で何かと不便してるのは確かみてえだが」


「ああ、あの者は宝玉を収める『箱』だからな。そう簡単には干渉させてもらえないようだ」


「なるほどな。じゃあ今は目立つ行動は控え、各々の役割を全うしろって感じか。奴の妹はどうする? 対象と同じ、箱としての役割を持ってんだろ?」


「一先ずこの町に居ないのならば、一旦放置しても構わない。要は対象の妹、各理多子に宝玉が渡ってしまうことが問題だからな。それまでに奪取すれば良いだけの話だ」


「了解。んじゃ俺はまだ昼飯食ってねえから、これからラーメンでも食いに行くけど、丹香、お前も来るか?」


「……同行しよう」


「そこはついて来んだな」


 関係の構築はどうたらこうたらと言っていたくせに、共同者との食事は許されるという、丹香の線引きに戸惑う男。

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