43話 この家は危険物がいっぱい
見慣れない天井に取り付けられた照明器具。
そこから発せられる淡い灯りはデコの精神を安定させている。
「豆電、あって良かったね」
「そうねー。この部屋は窮屈だけどお姉様の料理は想像以上に美味しかったし、お風呂も気持ち良かった。春夜は相変わらずだけど、この家は最高ね」
一つの布団を共有しながら今日あった出来事を振り返るデコとボコ。
「しかしこの部屋の段ボールの数は物凄いわね。一体何が入ってるのよ」
「人の家の物を勝手に漁っちゃ駄目」
「邪魔だったら焼却してもいいって小春も言ってたし、見られて困るような物は入ってないでしょ」
物置部屋と化しているとはいえ、本来この部屋は客間として扱われていた為、スペースは割とある筈。
それなのに限りなく体の小さな子供二人が横になるので精一杯とは、一体この無数にある箱の中には何が詰まっているのやら。
デコは積み重なった箱を一つ布団の上に落とすと、ボコの忠告を無視して勢いよくガムテープを剥がした。
「さーてさて、ここにはどんなガラクタが詰められているのかしら……ん? 何これ、おもちゃ?」
他人の家の一室にある重い段ボール箱は言うなればダンジョンに隠されたお宝。
デコはトレジャーハンターになった気分で箱の中に手を差し入れると、彼女の手に硬く冷たい感触が伝わってきた。
口では駄目だと言っても内心箱の中身が気になっていたボコも姉につられて箱の中を覗くと、そこには黒染めのピストルが無造作に積み重ねられていた。
しかしここは銃刀法が定められた国。
どうせエアガンを収集したはいいが、どれも似た形状で飽きを感じた春夜が粗雑に段ボールの中に仕舞い込んだのだろう──と、男の趣味と性格を勝手に決めつけるデコは箱の中のブツを手に取ると、流れるような動きで構え、目を鋭く前を見据えていた。
その姿は西部劇に登場する賞金稼ぎを彷彿とさせる。
「どう? 様になってるでしょ私」
「うーん……なんか、ちゃちー子供が無理してる感じ」
「はあッ!? 何がちゃちーよ! アンタだってチビィのくせに姉に対するリスペクトはどこにいったの! そこは素直に『お姉ちゃんカッコいい!』でいいでしょうが!」
「……自分に嘘は吐きたくないので」
「くっ、いい子ちゃんぶっちゃって。これを言ったのがボコじゃなかったら今すぐにでもこのエアガン顔面に向けてぶっ放すところだったわ。こういう風にね──」
姉妹、そしてチビの同志としてボコの失言には目を瞑るとしても、チビと揶揄された事に対する怒りは溜め込むのは良くないと判断したデコ。
彼女は銃口を天井に向けると歯を食いしばりながら引き金を引いた。
刹那──耳を突き刺すような轟音が響き渡ると、周囲の静寂を一瞬にして引き裂き、デコは発砲した後理解した。
今自分が手に持っているのはエアガンなどという可愛らしい玩具ではなく、人を殺すには十分な威力を備えた実銃である事に……
しかも弾の当たりどころが悪く、この部屋唯一の灯りであった照明器具を吹き飛ばし、デコは暗闇と向き合わなければならなくなった。
「う、嘘でしょ!! チャカ……これ、モノホンのチャカや!」
予期せぬ出来事に冷静さを完全に失ってしまったデコ。苦手な暗闇も相まって、彼女の心臓は早く打ち、不安が胸いっぱいに広がると、デコは震えた手でボコの腕を掴んだ。
「ビックリした……デコ、時間帯考えて。こんな夜遅くに、しかも人様のお家で発砲とか、非常識にも程がある。あと腕折れてるから、握るとしても優しくして」
「非常識なんて言ってる場合じゃないでしょ! 何でこんな辺境の地にある一般家庭に拳銃なんて物が置いてあるのよ! しかも段ボールの中に保管って……いくらなんでも物の管理が甘すぎるでしょ!」
「──物凄い音が鳴ったけど二人とも大丈夫!?」
轟音というだけあって銃声はこの家中に響き渡り、同じ階に居た小春は何事かと廊下をドタドタ走りながら双子の居る部屋の扉をノックもせずに開けた。
「……あ、小春」
目がうつろうつろしたデコが手足の折れた妹の腕を鷲掴み、もう片方の手には爆音を発したとされる拳銃。布団の上には四散した照明器具と小さな薬莢が一つ。
小春はその光景を見て表情が固まった。まるで時間が止まったかのように、小春の顔には一切の表情が浮かぶことなく、ただただ凍りついたように静かに立ち尽くしていた。
逆にこの現場を見て冷静でいられる人はまず少ないのではないだろうか。
「……い、いくらなんでも姉妹喧嘩で拳銃使うのは、卑怯だよ」
「ちが、違うから! なんか銃のおもちゃあるなーってふざけてたら、本物の弾が入ってたみたいな。なんちゃって」
「あー、もしかして段ボールの中から取り出したのその銃。駄目だよ勝手に人の家の物を漁ったりしちゃ。それにこの部屋にある物は地雷のようなものばかりだから、下手に触れたら怪我しちゃうよ」
「拳銃は怪我じゃ済まされないでしょ。そもそもこの国は銃刀法があるんじゃないの? なんでこんな箱いっぱいにチャカがあるのよ。お宅は武器商人?」
数ある段ボールの中から一つ選び出てきたのが大量の銃器。
小春も地雷と比喩していた事から、この部屋にある箱は全て災いを招くサプライズボックスであることは確か。
しかしよくもまあそんな箱で溢れ返った部屋を客間として案内することができたなと小春の度胸に脱帽する双子。
「武器商人ではないけど、ここに仕舞ってあるのはお母さんが仕事で使ってた道具だよ。処分するのに困ったから部屋はこんな有様になっちゃってるけど。だからお巡りさんとかには絶対に内緒だよ。バレたら口封じしないといけないらしいから」
「……小春のママ、殺し屋? それにこの銃、春夜が趣味で集めてたやつじゃないんだ」
「あははっ、何言ってるのボコちゃん。兄やんにそれを握る度胸なんてあるわけないでしょ! 言うて私も拳銃は触ったことないだけどさ。あとお母さんは殺し屋じゃないからご安心を」
武器商人でも殺し屋でもないなら何故仕事に銃器を必要としていたのか、ますます夏出美春という女の謎が深まるところではあるが、デコはここで小春の言葉を今一度思い出した。
「アンタこの部屋の物邪魔だったら焼却してもいいって言ってたけど、これ絶対燃やしちゃ駄目なやつじゃん! この感じだと中には爆発物が入ってる箱もあるわけでしょ。家失くすわよ小春」
「あー、それ全く考えてなかった。家が燃えたらまた兄やんにどやされるから、やっぱこの部屋の段ボール燃やすのはなしで。ごめん!」
「またって、過去にも燃やしたことあったんか」
さも当たり前かのような口ぶりで過去に家を燃やした負の実績があることを告げる小春。
これから寝ようとしていた双子だが、小春と同じ屋根の下で過ごすことが何を意味するのか。縁起でもないことを考えるデコはせめて今日だけは安全に朝を迎えたいと思い、小春にある提案をした。
「ねえ小春、私たちと一緒に寝ない?」
「やっぱり、この部屋狭かった!?」
「まあそれもあるんだけど、アンタから目を離すと恐ろしい事が起こりそうな気がして……ほら! どうせこの部屋の豆電、吹き飛んだんだからいいでしょ!」
「うーん、グイグイ来るねデコちゃん。あはは、参ったなー。ボコちゃんもここより私の部屋で寝たいの?」
「小春キケン……だから監視する」
『私が出先にいる間は安全な場所に居なさい』──父親にそう言われ夏出家を訪れた双子。
夏出の母は色々とヤバいがこの人のもとであれば『外部』から迫り来る危険は気にせずに安心して過ごす事ができる。
だがまさか他にも警戒すべき人物が身近に居たとは、この際睡眠は捨てて小春が夜中に余計な事をしでかさないよう見張る計画に出たデコボコはほぼほぼ強引に小春の部屋へと移動した。
「一緒に寝たいのは分かったけど、どうして一つのベッドで三人?」
デコの要望通り、普段はつけない部屋の豆電球をつけ、一人で寝そべるには十分だが三人で寝るには狭苦しさを感じるシングルベッドの上、左から順にデコ、小春、ボコが川の字というよりかはローマ数字のⅢのような詰めた状態で並んでいた。
まさか一緒に寝るというのが言葉通りの意味だったとは。
てっきり、布団を別にして修学旅行気分を味わえると思い込んでいた小春はこの状況を疑問に思いながら、両サイドから伝わってくる視線に居心地の悪さを感じていた。ここは本当に自分が暮らしている家なのだろうか……
「珍しく私、恐怖というものを感じているよ」
小春が新感覚な恐怖を体験している一方で、夏出家一階にある母の部屋ではまた違った恐怖体験をしている男が一人。
「ビチビチビチビチわさビッチー! 気になるあの子はクソビ◯チ! 地味目なあの子もクソビ◯チ! 皆んなのビチグソアイドル『わさビッチがーる』──を独り占めしている気分はどうかしらハール君」
「……複雑な気分であります」
小春や春夜が使っているいわゆる子供部屋とは訳が違い、美春の部屋は面積が広い上に何故かシャワートイレが完備してある。寝床もホテルで使われるようなキングサイズベッド。
美春は山葵色のウィッグを被り一糸纏わぬ姿で春夜に馬乗りになっている。
春夜の愛するアイドル『わさビッチがーる』のコスプレをここまで雑にされてしまうとは……
いくら顔が整っていてもその相手が母親ではお世辞にも嬉しいとは言えず、春夜は目を閉じてエセわさビッチがーるを視界に映さないようにしていた。
「ハル君駄目よ、目を閉じたら。せっかく君の大好きなアイドルが誠心誠意を込めてファンサービスしているっていうのに、この絶景を目に焼き付けないなんて勿体無いでしょ」
「だって似てない……」
「似てないですって? フッ、そんなわけないでしょ。あのビ◯チは常日頃からはだけた衣装着てるじゃないの。どうせ裏では春売りまくりよ」
「なんてこと言うんだ母さん。まあその可能性を完全に否定できないのが悔しいが……にしても酷いな」
春夜にとって『わさビッチがーる』の存在というのは人生に彩りを与えてくれた言わば神そのもの。
故にここで美春の誘いに乗れば崇高なアイドルを裏切ってしまうことになる。
美春もそれが分かっていて敢えてこの姿で息子を誘惑しているのだろうが、悪意ある発言に春夜は心が苦しくなる。
これを言ったのが母親でなければ春夜は今ある全ての能力を以て排除していたところだが、母親相手にそんな真似は絶対に出来ないのがこの息子の良いところ。
「とはいえ、私もこんな格好し続けるのは精神的に堪えるわね。何故『この私が』私以外のメスのフリなんてしなければならないのかしら。それもこれも全てハル君が他の女に目移りしちゃう所為なんだけど。あ、そうだボコちゃんに聞きたいことがあったんだ」
愛する息子の趣味に合わせて夜のお遊びに付き合ってあげようとしているのに肝心の春夜は乗り気じゃない。
美春はここに来て急に我に返ると、身につけていたウィッグをかなぐり捨て、手枷で繋がっている春夜を引っ張り自室を出た。
数分後。
姉と共に小春の布団に潜っていたボコ、そして同じく部屋で休んでいたスズを叩き起こし自室に招き入れると、生暖かいベッドの上に座らせた。
「今から、お仕置き? こんな夜遅くに銃声響かせた……でもあれはデコが発砲しただけで」
「発砲? 何を言っているのボコちゃん。私は貴女を検査する為にここに呼んだのよ」
美春にとって家で発砲する事など春夜との時間を過ごすことに比べたら瑣末なこと。
では家の中で銃をぶっ放したことを咎めるのでないのなら、美春は一体何の用があってこんな時間に呼びつけたのか。警戒心を強めるボコはスズと顔を合わせた。と言ってもスズに口以外のパーツは付いていないが。
「他者の意識を強制的に書き換える糸……えーと、発光糸だったかしら。ボコちゃんはそれを繋げられハル君を恋愛対象から外すようになったのよね」
「え、うん……よくは分からないけど、糸は付けられた。らしい」
糸南水月に攫われた際、彼の能力の餌食になったボコは一時的に春夜たちに牙を剥いた。
水月が言うには凍呼というものがありながら他の女の子にうつつを抜かす春夜が許せず、彼のお気に入りであるボコを誘拐した後、発光糸を用いて少女の意識を書き換えた。
今後、ボコという少女が夏出春夜という男の虜になる可能性は万に一つもないと……
性格の悪さ故、春夜はこれまで数多くの人間や妖怪達から疎まれてきたが、ボコはそんな彼を嫌悪することなく優しく接してくれる稀有な存在。
良く言えば『天使』。悪く言えば『物好き』。
春夜はスイーツでボコを餌付けし、いずれは自分の理想とする楽園で共に暮らそうと考えていたが、水月の邪魔が入った所為でその計画は破綻しつつある。
美春にとっても春夜を狙うメスが一匹減り万々歳な筈だが、水月の能力を実際にその目で見ていない彼女は本当に春夜に誘われても動じないのか、他者の心を読むことのできるスズの力を借りてこの場で試すことにした。
「ハル君手製の指輪、肌身離さず持っていたわよね。あれは何故? ハル君が誰に対しても優しいから勘違いしちゃった? この人が私の運命の王子様だって」
「春夜とはただの友達。他意はない……加えて、春夜は別に優しくないよ」
愛が深過ぎるあまり春夜の欠点すらも歪んで見える美春。
ボコが知っている春夜というのは自分が気に入らない相手にはとことん罵声を浴びせるとんでもない男。
この親にしてこの子あり。
春夜がニートになって自堕落な日々を送っている原因の一つに母親の溺愛っぷりが関係していることをボコは理解した。
それと同時にボコに正論を突きつけられ春夜の心は深く傷ついた。
「ア、アハハ照れ隠しとは面白いなーボコ」
「照れてないし、面白くもない。私、デコから聞いたよ……春夜が私の爪を集めてる変態だって」
「……この状況でそれ言っちゃう?」
火に油を注ぐとはまさにこのこと。
余計な口を挟んだ所為でとんでもない暴露をボコにされてしまう春夜。
当然、他の女の爪を掻き集めるなどという息子の倒錯趣味が母親に許される筈もなく、次の瞬間春夜の口内に美春の右手という異物が丸々詰め込まれた。
「そんなに爪が欲しいならお母さんの爪をア・ゲ・ル」
女性特有の細くて長い華奢な手。しかし春夜の口で受け止めるにはあまりに大きい。赤ちゃんの拳ですら呑み込めるか怪しいというのに、美春の爪は手入れに日々時間をかけているだけあって、人を傷つけるには十分な強度をもっていた。
故に春夜の口角は口裂け女とまではいかないが赤い亀裂が入り、口の中から血が溢れ出てくる。
涙目の春夜に対しボコとスズは同情の心をもって『アメーン』と呟いた。
「ただの友達、ボコちゃんはそう仰ってるみたいだけど……どうスズちゃん、この子の言葉に嘘偽りはない? もし少しでもハル君に想いを寄せているなら今すぐにこの子の腸を引き摺り出してソーセージ作っちゃうけど」
華火の娘だろうがこの際知った事じゃない。
人の男を取る行為が何を指し示すのか、その意味を理解させるためにも美春は猟奇的な発言をする。
普段から食べ慣れているソーセージ。腸を引き摺り出して使うとなれば中に詰める肉は当然自分の肉。
ボコは自らが挽肉となって自らの腸に詰められるという最悪な場面を想像すると、小刻みに震えながら泡を吹き始めた。
別に美春相手に嘘などついていないが、ソーセージになるかならないかの鍵を握っているのは今日初めて知り合った悟り妖怪のスズ。
彼女がボコを庇う義理もなければ、どちらかというとスズは美春に忠実な使用人にも見えなくはない。
ボコは少しでもいいから自分が有利になる答えを出してくれと、表情がまるで読めないスズに青褪めた顔で訴えかけるが……
「そんな怯える必要ない。アナタのような淀みない心を持つ子には久々に出会った。母、ボコちゃんは嘘なんて一つもついてないよ」
「チッ、残念ね」
いっそ春夜を好きでいてくれたら躊躇なくボコを断罪することが出来たのにと、期待していた答えがスズから聞けずに気持ちが萎える美春は大きな舌打ちを部屋に響かせた。
「スズ、ありがとう」
言葉数が少ないという共通点を持つ二人。
ボコは自身のソーセージ化を防いでくれたスズの体に頭を寄せると感謝の言葉を述べた。
「となると、頭がおかしいのはハル君ってことになるわね。一週間、今からちょうど一週間。貴方は私の部屋から出るのを一切禁ずるわ。今回ばかりはきつーい矯正が必要みたいだからね。ハルちゃんやスズちゃんに助けを乞おうなどは考えないことね」
「がっ!? まっ……びぃゃ、ゔぉぇ!」
美春の手が徐々に喉奥へと侵入してくる所為でまともに喋れないどころか嗚咽する春夜。活動範囲が制限されることを知り、狼狽する春夜は美春の両乳を鷲掴みながらそれだけは勘弁してくれと醜態を晒していた。
「ああんッ! 急におっぱい揉みしだくだなんて最高じゃないッ!! けど今更ご機嫌取りしてももう遅いわ。私が一度決めたことを覆さないのはハル君もよく知っているでしょう」
春夜は快楽を与えるつもりで母の胸を掴んだ訳ではないが、銃声に引けを取らず、耳を塞ぎたくなるような嬌声を発する美春は恍惚な表情を浮かべ周囲の者をドン引きさせた。