41話 借金5億
「お、お待たせしましたー。こちらフライドポテトになりまーす」
ギスギスした雰囲気の中、気まずそうな顔して料理を運んできたのは口裂け女の子町。
他の従業員はあのテーブルだけは行きたくないと言って春夜達と関わりのある彼女に料理提供を押し付けた。
当然、子町もこんな厄介な連中、主に春夜とその母親とは接したくはなかったが、従業員としてのプライドもある為、嫌々ながらも引き受けた。
「あら子町ちゃんじゃない。今日も必死こいて働いてお金を稼いでいるのね」
「あ、はい。アタイ、春夜みたくお金持ってないので」
このテーブルに来た時点で誰かしらに絡まれるとは思っていたが、早速美春に嫌味な言い方をされる子町はへりくだった態度で対応する。
「うふふ、面白いこと言うのねアナタ。ハル君がお金を持ってるですって? この子は一夜にして全財産を失った戯け者よ。それどころか今や借金5億。笑っちゃうわよね」
「借金5億ッ!?」
無職でありながら何不自由なく暮らしていた男の母親から告げられた衝撃の事実。
かつては大金を餌に自身を操ろうとしてきた男が少し会わないだけでここまで落ちぶれてしまうとは……笑いたくても笑えない子町は憐れむような目で春夜を見つめた。
勿論、子町だけでなく19歳無職が負うにはあまりに莫大な金額にこの場に居る女子全員が驚いた。
「春夜、お前一体何をしでかしたんだ……人殺した?」
「殺してねえよ! 病院にあるMRI装置をぶっ壊したらあり得ない額の請求が来たんだよ! しかも即日請求な。終わってんだろ」
「自業自得じゃん。アタイは金貸さねえからな」
「お前の財力には、はなから期待してねえから安心しろ。それよりも水月、こうなる事を見越して仕組んだだろ絶対。監視カメラに俺の姿がばっちし映ってるから逃げようにも逃げれねえし……あー、うぜ」
そもそもあの装置の上にドロドロの臓物が置かれていなければ春夜も発狂せず、装置を弁償する必要もなかったと、不幸の連続でうんざりする彼は愚痴をこぼしながらフライドポテトを口に運んだ。
「春夜くん、お金に困ったなら私を頼ってね。大学辞めて今すぐにでも働きに出るから。私何でもやるよ!」
「本当か!? そりゃあ助かった──と言いたいところだが、俺が借金してるのは実は母さんからなんだ。装置を弁償するのに俺の金だけじゃ足りなかったからな。そういった意味も込めて俺の自由が失われた訳だが」
春夜の為なら自分の人生すらも投げ出そうとする凍呼の心意気に、やはり持つべきものは幼馴染と感嘆する春夜。
だが二人のこのやり取りでさえ嫉妬する美春は隙さえあれば自分の好感度を上げようとする泥棒猫の眼球に向かって唾液を弾丸の如く飛ばした。
「が、眼球いったあぁぁッ!!」
「あら駄目よ凍呼ちゃん。お店の中でそんな大きな声を上げちゃ」
自分から攻撃しておいてこの人は何を言っているのか。
凍呼は右目から垂れ流れる血を止めようと両手で力強く押さえるも、同時に春夜が母親に拘束された事によって今まで以上に彼と会える時間が減ることに気付き涙を滲ませた。
「おいおい大丈夫か凍呼。お前、あの目隠し変態男とも一戦交えたんだろ? これ以上傷を増やしたら失血死すんぞ」
「は、春夜くんが私を心配してくれてる……嬉しい。でも大丈夫、私には廉禍が居るから。春夜くんほどではないけど私の治癒力も中々のものだよ」
こんな傷だらけの女子大生、生まれて此の方見たことがない春夜はテーブルに滴る血溜まりに若干顔を引き攣らせると、卓上にあった紙ナプキンを数枚凍呼に手渡し、これで止血するようにと気休めにもならない気遣いを見せた。
「この泥棒猫……私のハル君にまた色目使って、次は目ん玉引っこ抜いてやろうかしら」
「母さんそれはやめてくれ、グロいから」
「あら幼馴染のお目目なんて見慣れてるでしょ」
「目は見慣れてるけど、引きちぎられた眼球は見慣れてないからね!?」
凍呼の眼球を引っこ抜きたい美春に何とかして母の愚行を止めようと必死になる春夜。
美春に目玉を狙われるのはとても恐ろしい事だが、自分の為に行動する春夜にときめく彼女はいつもブレない心を持っている。
すると春夜の特性についてふと思った子町は空気を読まずに口を挟んだ。
「そういえば春夜って金運だけは恵まれていたよな。ギャンブルとかで金回収すれば直ぐにでも借金全額返済できると思うんだが、それはしないのか?」
「できたらとっくにやってるわ。けど母さんが禁止したんだよ、俺が金を持つ事をな。あと俺は金だけじゃなく顔も恵まれてるぞ」
「お前の顔は今どうでもいいだろ」
「……どうやら俺が金を持つと無駄な物を無断で買い、剰え他の女に餌付けして碌な事が起こらないとかなんとか……今回も俺がチビヤクザからぼったくり手帳を買わなければ病院にも侵入する事はなかったしな」
「まあ、お前が金遣い荒いのは確かだけどな」
と、母親が居る前で平然と愚痴を溢す春夜だが、美春がいかに本気で息子を管理しようとしているか、彼女の偏愛っぷりを知る子町は春夜の手首に掛けられた枷を見ながらいたたまれない気持ちになる。
だが枷に繋がれているとはいえ美春も息子には十分甘い為、彼が欲しい物があると言えばその内容に問題さえなければ買ってはくれるのだろうが、懸念している点は他にある。
まず、コンビニに行って物を買うのも、バスに乗って優先席を占領するのにも当然お金が必要になり、その都度春夜は母親に頼み込んでお金を貰わなくてはならない。
勿論、春夜が母親からお金を貰うには彼女の言う事を聞くのが絶対条件。
風呂掃除やお使いならまだ良いが彼女の場合は過度な愛情表現を春夜に求める可能性が大いに有る為、決して油断ならない。
「あ、言い忘れていたけどハル君。お金は私以外の人から受け取っちゃ駄目だからね。もちろんアルバイトも禁止。ハル君は一生お母さんに縋って生きなさい」
「働くつもりは毛頭ないが……え、それってどうやって母さんに金返せばいいんだ? 俺、5億も借りてるんですけど」
「方法ならあるでしょ。ハル君が5億分に相当する私のお願いを聞けばいいのよ。結婚とか心中とか」
「あ、あははは……ま、まあ考えておくよ母さん」
取り敢えず今出すべき答えではないことが分かった春夜は乾いた笑いを浮かべると、話をはぐらかすようにフライドポテトを美春の口に詰めてあげた。
「それじゃあアタイは仕事に戻りますから、ごゆっくりー」
これ以上春夜の痛々しい姿を見てられない子町は業務を口実にそそくさとこの場から離れていった。
今のところ水月たちが何を目的に動いているのか殆ど分かっていない状況だが、華火はとある点に目を付けた。
それは凍呼を相手取った蘭丸が所持していたとされる刀──妖刀『宵丸』が数十年前ある場所から盗み出され、その行方が今日まで分からなかったという事。
「宵丸? 廉禍の攻撃を反射して私に大怪我を負わせたあの忌々しい刀ですか! 華火さんアレを知ってるんですか?」
「ええ。あの妖刀が妖帝府の博物館から盗み出された時は国中が大騒ぎになりましたからね」
「妖帝府……ってあの妖怪がうじゃうじゃ居るとされる妖怪大国ですか!? そこで大騒ぎってそんなにヤバい刀なんですか!?」
「うじゃうじゃ……まあ、そうですね」
凍呼の言い方に若干引っ掛かりはしたものの華火はその妖刀が齎した災いについて述べる。
宵丸の性能については、凍呼が身をもって知ったとおり。いかなる攻撃も反射する力を持つ。
この力は、血飛沫が舞う争乱の只中においてこそ真価を発揮する。
今からおよそ八十年前、場所は妖帝府——
妖刀・宵丸に魅入られた者が、数名の仲間を率いて国家転覆を企てた。
主犯格はかねてより要注意人物として監視されており、国は数十万の兵を繰り出して応戦した。
だが、妖刀の一太刀が奪う命は、その数を遥かに超えた。
争いは三日三晩続き、妖帝府の建物はことごとく倒壊。
火の海と化した都に響く断末魔は、まさしく地獄の有様だった。
最終的に主犯が討たれたことで戦は終息を迎えたが、一般市民を含む百万人もの命が失われたこの事件は、
後に『暗晦の灯』と呼ばれ、八十年経った今もなお、決して忘れてはならない凄惨な出来事として語り継がれている。
多くの者に災厄をもたらした妖刀・宵丸は、国家指定の禁忌武具として博物館に厳重保管されることとなった。
しかし、『暗晦の灯』から五十年が過ぎた頃——あろうことか博物館が襲撃を受け、その混乱の中で、妖刀・宵丸も姿を消したという。
「あの刀、そんな悪どい事をしでかしたんですか!? 100万もの命を…………にしても厳重に保管されていたという割には博物館もザル警備ですね。襲撃を許した上に妖刀も盗られちゃうとか。私もその場に居たら騒いでたかもしれません」
「一度に多くのモノを奪った刀ですからね。貴女がそう思うのは仕方ありませんが、博物館襲撃はタイミングが最悪だったんですよ。丁度あの頃は暗晦の灯に並ぶ大事件が発生してしまいましたから」
「……妖帝府、問題起こりまくりじゃないですか。よくそんな場所で妖怪達はのうのうと暮らそうと思いますね」
凄惨な事件の話を聞かされた直後にそれに並ぶ大事件。
治安があまりにも最悪な妖帝府に眉間に皺を寄せる凍呼はそれでもその国に住もうとする者達の正気を疑った。
都会での生活は自分の命を守る事よりも優先すべきことなのだろうか……
「利便性に富んだ場所はそう簡単に手放せるものではありませんよ。まあ妖怪や人が密集する分、国を狙う輩が多いのもまた事実ですが」
「一度嵌ったら抜け出せない都会怖いなぁ。皆んな田舎で暮らせばいいのに。星空見れるよ」
「あの、田舎が不便だから皆、都会に集まるんですよ。それに妖帝府でも星は見えます」
生粋の田舎ガール白来凍呼は何も都会が嫌いな訳ではない。
寧ろカラフルなスイーツにオシャレな服、ライトアップされた街並みは彼女の少女時代に夢や希望を多く持たせた。
しかし都会で女性の一人暮らしはよく危険と言うし、リスクを負ってまでそこで暮らしたいかと言われたら答えはノー。
何せこんな田舎でも綺麗な景色は見れるし、波山羊町の人間や妖怪は心が温かい。それに薄情者ではあるが春夜という運命の相手もここには居る。
離れる理由が見当たらない凍呼はチラリと春夜に目配せをするが、彼女の色目に即座に気付く美春は牙を剥き出しにし威嚇する。
「で、アンタはその妖刀を盗んだのが目隠し変態男と睨んでいるのか? 俺は直接見てねえからどんな刀か想像もつかねえが……俺のムチムチも反射すんのかな──へだっ!!」
「ハル君、冗談でもそんな事言わないでもらえる?」
初見殺しとはいえ凍呼と入れ替わった廉禍に手傷を負わせた刀に多少なりとも興味が湧いた春夜。
異能を掻き消す自身の能力も刀は反射する事ができるのかと純粋な疑問を抱く春夜だが、ムチムチというワードにやたら敏感な美春は息子の言葉に顔をムスッとさせると春夜の頬を指でつまんだ。
「妖刀を盗み出した犯人なら当時から顔が割れていますよ。引力と斥力を操る大男で名前は虎龍。80年前の国家転覆に加担した罪人の一人です。後はそうですね、無類の酒好きである事も有名です」
「顔が割れてるって、テロ起こした奴は捕まっていなかったのかよ。しかも酒好きの大男って……悪いがどんな奴か容易に想像がつくぞ。どうせ、むさいパワー系ジジイだろそいつ」
主犯格死亡で共犯者は諸共捕縛されたかと思いきや、その50年後には国を標的に盗みを働く図太い神経をした男の人物像を勝手に頭の中で描く春夜。
しかし彼の考える人物像はどうやら的中していたのか、春夜と凍呼以外の者が渋い表情を浮かべると、こくりこくりと頷いた。
「いや、母さんもそのフーロンとかいう野郎の事知っていたのか!?」
「ええ、まあ。過去に数回会ったことがあるのだけれど、酒臭いわ煩いわで品位に欠ける最低な男だったわ。あの手この手で私のことを口説き落とそうともして来たし。筋肉ダルマなんか微塵も興味ないっていうのにねえ」
「母さんを手籠にしようとはとんだスケベジジイだな。だが、母さんは筋肉ダルマに興味がないか……俺、筋トレでも始めようかな」
「言っておくけどハル君が筋肉ダルマになっても私の愛は薄れないからね」
「ですよねー」
自分が筋肉ダルマになれば母親から見放され、この重い束縛も解けるかもと思った春夜はまだまだ甘い。
そもそも筋トレで春夜を嫌いになるくらいなら、この歳にもなって失禁する時点で彼は既にゴミステーション送りにされている。
「というか虎龍ってついこの間連行されていたわよね。確か密造酒を売っているのが政府にバレたとかで。なら妖刀がどういう経緯でその蘭丸に渡ったのか直接聞き出せないかしら」
「ええ、私もそうすべきだと考えていますが、虎龍が現在囚われている場所は砂塵の監獄。しかも余罪が幾つかある為、重罪人として最深部の独房に収監されています。そこでは外部からの情報を遮断する為、五感全てを封じられ、面会をするのにも国の最高責任者の許可が必要ですので、最低でも3週、いえ4週間はかかります」
「長いわね。華火の顔パスで何とかならないのかしら」
「顔パスでどうにかなるならその監獄は脱走者が相次いでいますよ。それに丁度明日は虎龍の移送が決定していた筈。ですので事情を聞くにはどのみち移送後になりますね」
密造酒バレという非常に情けない捕まり方をする虎龍は本当に過去に大罪を犯した人物なのかと、実際に見てないが故、怪訝な顔色をする春夜。
しかし監獄の移送、それも明日という直近の移送に何か心当たりがあったのか、春夜は顎に手を当てながらデコの方を向いた。
「ん? そういえばあの目隠し男、去り際にこんな言葉を残していかなかったか。確か、救出が間に合わなければ移送何たらかんたらって。これってもしかするとフーロンのこと指してるんじゃねえか。なあ、デコも聞いたよな?」
「えっ……そんな事言ってたっけ? クマがヤバくてそれどころじゃなかったから、全然覚えてないんだけど」
「おい、ついさっきあった出来事だぞ。俺もグロい臓器に大分精神をやられちまったが、会話の内容は多少なりとも聞き取れただろ」
「いやあの状況では無理でしょ」
ホラーに怯えるデコとグロに怯える春夜のビビり具合は同程度のものであったが、デコよりも器用な春夜はグロでステータスダウンしていながらも、何とか蘭丸の言葉を聞き取っていた。
妖刀宵丸を盗んだ虎龍に宵丸を携えていた蘭丸。
これだけでも二人の間に少なからず繋がりがある事が分かったが、救出と移送という言葉だけでは水月達が次に取る行動が虎龍の脱獄の手助けをすることだとは断定できない。
肝心の時と場所が把握できていないからだ。
華火は蘭丸が他に何かそれっぽい事を言っていなかったか春夜に聞き出そうとするが、あの時の春夜はとてもじゃないが万全とは程遠い状態にあった。その為彼はこれ以上俺から聞ける情報は何もねえと口を尖らせる。
「……あの、私もしかしたら場所分かるかも」
華火が春夜に対してあからさまに落胆する中、小さく手を挙げて自らを主張するのは二口女。
「おや、貴女も何か思い出しましたか」
「彼がくれた手掛かりに思い当たる節があって。ほら、私がさっき言った病院で検査を受けている時に水月くんとクマの着ぐるみが話し込んでたっていう」
「あぁ、言っていましたね。もしや、その時に彼らは監獄に関する情報を喋っていたのですか?」
「会話じゃなくてあくまで視覚で得た情報なんだけど……あの二人、大きな図面を机に広げてペンで印をつけていたの」
「図面に印を? そこには何が書かれていたのですか?」
「見えたのは一瞬だったけど、あの特徴的な形の建物は『天獄の塔』に違いない……筈」
二口女が先程も告げた様に発光糸と繋がっている間は記憶が実に曖昧で、彼女が病院で検査を受けている時、他者の言葉が耳に入ってくることはあっても頭でその意味を理解する事は困難を極めた。
視界で捉えた情報もまた、映像ではなく写真のように複数枚の画として脳内に保存される。
勿論そのような情報はかえって場に混乱を齎すだけだと思ったが、美春の使えない発言が二口女を刺激したのだろう。確信は持てずとも、語尾に『筈』をつけ、保険をかける事で自分は少なくとも情報を提供した妖怪、つまりは『使えなくはない女』として見られようとしていた。
「天獄の塔……見間違いではないですか? あの場所は移送先として指定される事はあっても、あそこから移送される囚人は誰一人として居ない──というよりあの塔は囚人にとっての終着駅。脱獄不可能とされる世界随一の監獄ですよ」
「おーおー、次から次に俺の知らねえもんが沢山出てくるなあ。なんだ、てんごくのとうって」
虎龍といい砂漠の監獄といい今日初めて聞いた言葉が次々と出てくる所為で、春夜と凍呼は二人まとめて蚊帳の外。
凍呼は別に気にしていないが、当事者であるのにそんな扱いを受けたくない春夜はまたもや華火に説明を求めた。
『天獄の塔』
これもまた春夜と凍呼以外の者達が既にそれを認知している建造物であり、以前妹が起こした異常現象に巻き込まれ際に飛ばされた春夜も知る妖帝府にその塔は存在する。
現時点で天獄の塔に収監されている囚人は36名と意外にも少ないが、皆が皆、世界を震撼させた残忍非道な極悪人である事には変わりない。
そして何より一日に4回、建物内の構造がランダムに変化し、出入り口も常に封鎖されている為、たとえ今図面を覚えたところで脱獄の手助けは無論、その囚人の元に辿り着く事さえ不可能とされている。
故に二口女の見たものが真実なら、水月とクマは無意味な行動を取っていた事になるが……
「天国の塔って高いのか?」
「何です、その中身のない質問は。そもそも天国ではなく天獄、イントネーションが違います」
「んなの知るか。名前に天が付いてんだから、どのくらい高いのか気になるじゃねえか。これでもし高さ30センチしかなかったら『ものさしタワー』に改名させんぞ」
「そんな名前の監獄があって堪るものですか。天上の監獄から由来した名ですよ。貴方が案じずとも天を衝く高さをしています。その証拠に天獄の塔は観光名所としても割と有名ですしね」
「へえ、すげえな。ものさしタワー」
そこに収監されたら終わりとさえ言われている監獄に、威厳をまるで感じさせない名前を付ける春夜。
彼が言うから懇切丁寧に説明してやったというのに、真面目に話を聞かないわ、戯言を抜かしてくるわで、諦めた顔をする華火は今の時間を確実に無駄にした。
だが意欲的に授業に取り組む優等生のように、華火の話に耳を傾けていた凍呼は、春夜の態度に苦笑を浮かべると監獄が観光名所になっているという件について触れた。
「現在も使われている監獄なのに一般公開なんかして大丈夫なんですか? 世界一と謳うくらいだから中を見せる余裕もあるとか?」
「脱獄に繋がる可能性は排除している為、流石に入場は許していませんよ。聳え立つ巨塔の外観、観光客はそれを楽しむのです。そして偶然にも先程挙がった虎龍の移送先もこの天獄の塔……」
「それって尚更、その人が怪しいじゃありませんか!」
「ええ、ですが先程も言ったように天獄の塔で脱獄を図るのは無謀かつ危険極まりないです。なのでもし彼らが虎龍の救出を企てているならば砂塵の監獄の方がまだ可能性がありますが……春夜、もう一度よく思い出してみてください。その目隠しをした男は明朝に救出すると言っていませんでしたか?」
「──知らねえけど言ってたかもな。というかそんなに気になるんだったら警備を今以上に配置するよう国に連絡入れればいいじゃねえか」
記憶を辿れという華火のしつこい問いかけに段々返答が適当になる春夜。
彼は簡単に看守の増員配置をしろと言ってくれるが、刑務官を好きに動かせる権限をいちレストランのオーナーの華火が持っているわけがない。
「場所が場所だけにそう簡単な話じゃないのですよ。外部の情報を信じた結果、脱獄が発生した事例も過去にはありますから」
「それだと水月の悪事をみすみす見逃す事になるぞ」
「それは防ぎたいので、そうですねぇ……砂塵の監獄がある砂の国に天獄の塔の妖帝府……ダメ元で一度連絡を入れてみますが、期待する答えは恐らく得られないと思うので──分かりました。私自ら出向きますよ」
「え、アンタが看守を志願するのか?」
これまで面倒なことは春夜が対処し、華火はただその様子を静観するだけであったが、遂にこの兎は重い腰を上げるのかと感心する春夜。
しかしペットショップとかでよく見かける兎が看守なんかしたら囚人から舐められないかと、要らぬ心配をする春夜だが……
「看守になるつもりはありません。ただ、彼らが監獄に入り込む前に食い止めるだけです。二国とも広大ですから、骨は折れるでしょうが」
「おい正気か? その二つの国は大国と呼ばれてんだろ? この前妖帝府で会った猫が言ってたぞ。そんな中から水月達を見つけ出すって……いやアイツら、かなり目立つ風貌してるから意外といけるか。赤白ストライプのメガネ男を探すよりも簡単かもしれねえな」
人間だけでなく妖怪を虜にする美形の水月に季節外れの格好をした目隠し変態男、ボロ雑巾のようにズタズタの着ぐるみを着たグロい生物が集まれば、いくら周囲の者の意識を書き換える糸があっても流石に見つかるだろと春夜は高を括る。
すると華火が異国に出向くと聞いて急に立ち上がったデコは父の顔にそのダサい前髪を近づけた。
「パパが行くなら私も一緒に!」
「何を言っているのですか、貴女は学校があるでしょう。駄目です」
「ええ何でよー! 今日だって学校あるのに行ってないんだから別に変わんないじゃん! それに金の玉とか白髪頭の能力とかその他諸々、何も聞かせてくれなかったパパが悪いんだからね。あと私のグランマブザー、春夜に持たせたこと根に持ってるから」
「……何と言われようと駄目なものは駄目です。遊びに行く訳じゃないんですから。私が戻るまで貴女は美春の家で世話になりなさい。今はボコの体もしっかり休ませてあげたいですから」
「あっ……え、お姉様の家に泊まるの?」
高校生の中でも特段力があるとはいえ、子供二人を家に残しておくのはやはり危険だと今回のことでハッキリした。
デコボコは不服に思うだろうが、恐らくこの町で最も安全な場所が夏出美春が根城とする夏出ハウス。
そこに数日泊まるよう念を入れる華火だが、当の美春はというと意外な事に嫌な顔せずに承諾した。寧ろ朗らかな表情をしてくるのが却って怪しい。
「うふふ、よろしくねデコちゃん」
「よ、よろしくお願いします……というかお姉様は嫌じゃないんですか? 春夜の近くに私たちが居るの」
「別にハル君を傷つけたり色目を使わなければこれ以上罰を与える事はないわよ。それに貴女達は私好みにカスタムする必要があるから是非とも我が家へ歓迎するわ」
「カ、カスタム?」
美春の口から唐突に放たれた不穏な言葉に空笑いを見せるデコ。
そのカスタム内容とは大方春夜に関する事なのだろうが、お姉様の命令は絶対遵守という意識を植え付けられたデコは妹の許可も取らずに夏出ハウスに泊まること──いや、泊まらせていただく事に感謝を示した。
これから先に訪れるのがたとえ地獄だろうと少女は受け入れる準備を既にしていたのだ。見上げた奴隷魂。