39話 魔法少女
子供が親より先に死ぬのは一番の親不孝だとよく言うが、親でもないのにデコが死んだ後でなら死を受け入れる春夜は惚けた顔してデコを刺激する。
「そもそもアンタ、このブザーの使い方知らないでしょ」
「いや知らないも何も防犯ブザーはピンを引き抜いて音を鳴らす道具だろ。俺だって使った事くらいあるわ」
その身を守るために主に子供たちが使う防犯ブザーは警察への通報を恐れる不審者に有効であり、幾万ものガキンチョが無意味に音を鳴らしてはその音の大きさに耳を塞いだ事のある身近な防犯グッズ。
だがこんなガラクタを渡されたところで洗脳のエキスパートに対抗なんて出来る筈もなく、無駄な荷物を持たされた上、皮膚まで失って、春夜はヒリヒリ痛む股間を手で押さえつけていた。
「違う、違うわよ。私、変身ブザーって言ってるでしょ。ピンを抜いてみんなの憧れである魔法少女グランマに変身するのよ」
「変身……おもちゃなのか」
魔法少女グランマは長年愛され続けた女児だけでなくお婆ちゃん世代まで人気のある超長寿アニメであり、春夜の妹の小春は勿論、母親の美春さえもがその魔法少女にこれまで世話になってきた。
現在もおもちゃ屋へ行けば数多くのグランマグッズが売られているのだが、なりきり変身ステッキはあっても変身ブザーがあるのは初耳の春夜はこんな物でも喜ぶ少女が居るのかとデコの感性を疑い、これを発案した者の頭を春夜は疑った。
「今から見せてあげるわ。私が華麗なるグランマになる姿を」
「魔法少女なのにグランマってマジ意味わかんねえよな。ババアなのか? 少女なのか?」
「どっちもよ」
アニメ上の設定では88人の子供を持つグランマは御年150歳にして旦那ことグランパと熟年離婚。
というのもグランパの度重なる不貞行為が離婚の原因で、その事に憤慨したグランマは元旦那に慰謝料を請求するも、守銭奴が過ぎるグランパは一銭たりとも払いたくはないと、請求に応じないどころか刺客を送り込んでグランマを排除しようと企てる。
だがグランマの88人の子供たちは彼女に味方すると、一家が誇るとんでも技術力でグランマをうら若き魔法少女に変身させ、グランパに対抗するといった何ともドロドロした展開が続く家族物のアニメなのだが、春夜は何故こんな番組が今も生きているのか理解できずにいる。
すると得意げな顔をして変身ブザーのピンを抜いたデコ。ブザーに描かれた魔法少女グランマから桃色と黄色のリボンが勢いよく飛び出してくるとデコの小さな身体を包み込み、防犯アラームが鳴ると思いきや、突然魔法少女グランマの軽快なテーマソングが流れてきた。
『目を閉じていないのに何も見えない それは何故か そう老眼だからさ グランマ』
「老人丸出しの歌詞ウケるな」
ストーリーは面白いとは思わないがテーマソングには共感する春夜はつい先日もバスの優先席を独占し、老人を終点まで立たせるといった非道な行いをしていた。
故に春夜は魔法少女グランマのテーマソングを作る才能がもしかしたらあるのかもしれない。
が、春夜を無視して流れる音楽にセリフを重ねるデコは意外にもノリノリであった。
「──子供達から貰った愛は魔法の力! 干し柿干し芋むしゃむしゃむしゃ! 変身、魔法少女グランマ!!」
アニメで実際に使われているセリフをそのまま拝借するデコの周りの空間は、魔法少女の変身シーンでよく見るカラフルでキラキラとした宇宙空間で染め上げられ、少女を包み込んでいたリボンが足から頭にかけて弾けるとデコの衣装が桃色と黄色の入り混じったフリフリのパステルカラードレスへと変化し、右手には魔法のステッキ、髪の色もドレスと同様の色に変色した。
少女の変わり果てた姿に同性の二口女も魔法少女グランマを通ってきた為、目を見開いて感心している。
「おー、デコちゃんが可愛くなった」
「おい白髪頭、その言い方だと変身する前の私が可愛くないみたいじゃない」
よく分からない物を生み出す発明家のチビヤクザを除き、人間界の技術でこうもクオリティの高い変身シーンを魅せてくれる企業は存在しない為ブザーは恐らく妖怪の世界で生み出された物なのだろう。
水月は手をパチパチ叩いてデコのコスプレ姿を褒めるが、彼の語弊のある言い方にカチンと来るデコはステッキの先を水月に向けた。
「亀の甲より年の功、長寿の秘訣はパチンコスロット! 食らえ、バックペインストリーム!!」
能力に名前を付けるのはダサいと春夜に言っていたデコは自分の好きなキャラクターの必殺技なら素直に受け入れられるのか……
殺意のこもった少女の叫びに合わせて魔法ステッキの先からキラキラ星が混ざった桃色の光線が放たれると、水月は所詮は子供が扱うおもちゃと高を括り、盾にするには十分な厚さ且つ大きさの石を瓦礫の中から糸で引っ張り、自身の前に置いた。
「舐めないでくれる白髪頭。確かにこの変身ブザーは子供向けに作られた物だけどね、子供は好奇心で物を改造する習性があるのよ。そして改造済みの魔法少女は私の妖力に比例して力もアップする! さあ腰痛に悶え苦しめ!」
小学生の頃のデコはそれはそれは不真面目で、授業中は勿論のこと休み時間になっても、利発そうな少年少女をとっ捕まえては私物を自分好みに改造させていた。
さも自分が作り替えたみたいな事を言っているがろくに勉強もしない彼女にそんな知識が当然ある筈もない。
そしてデコもとい魔法少女グランマの必殺技が水月の用意した壁に直撃すると、分厚い石をいとも容易く貫通する──事はなく、貫通する手前で水月は石に糸を巻きつけると少女の攻撃を防いだ。
「おお、子供の改造にしては人を殺める事のできる出力だ」
「だから技の威力は私の妖力に比例するって言ってるでしょ」
「けど、どうやら僕には届かないみたいだね」
水月にとってデコの攻撃など赤子の手をひねるも同然なのか。
いつもなら、自分の方が上だといちいちアピールをしてくる水月に腹を立てる彼女だが、デコはニヤリと口角を上げると水月に人差し指を向け、低身長でありながら見下した態度を取り始めた。
「はっ、油断したな白髪頭! 私の本命はアンタの背中なんだよ!」
目立つ色の攻撃で水月の視線を奪い、本当の狙いは彼の背中だと告げるデコ。
水月は咄嗟に体から糸を噴出し背後を守ろうと糸を張るが、デコが余裕な態度を見せるという事は次の攻撃が既に繰り出されているという事。
そして水月の足元から突如、眩い光が姿を現すとそれは先程デコのステッキから放たれた光線と酷似し、向こうが桃色なのに対し、今地面から飛び出してきた光はレモンのように明るい黄色であった。
しかし背中を狙うと宣言したデコの発言はどうやら相手を惑わす虚言のようで、黄色い光線は水月の背中ではなくお尻を狙って直撃すると水月は青褪めた顔で蹲り、呻き声を発した。
流石の彼もまさか尻を狙われるとは予想もしていなかったのか、糸を張るどころか無防備な状態で石を削る威力の光線を受け止めてしまった為、思考が一時的に停止してしまう。
「これは魔法少女グランマの得意な騙し討ち『ヒップホップジェット』! バックペインストリームで油断した相手に食らわせるとは完全に原作再現だわ。この子、グランマガチ勢ね」
原作に忠実なデコを称賛する二口女は負傷した水月よりも少女の持つ魔法のステッキに夢中になっていた。
「おいマジか! あんな顔をする水月は滅多に見れねえぞ。やるなデコ」
数撃ちゃ当たるの精神で出したムチムチは水月に掠りもしなかったが、デコの不意打ちが水月に大ダメージを与えた事で、ようやくこの男に罰が下ったかと晴れ晴れしい気持ちになる春夜は姑息なデコを珍しく褒めた。
「い、今のは強烈だったよ。まさか君みたいな女の子が僕のお尻を狙ってくるとはね……こんなアプローチは生まれて初めてだよ」
これまで多くの女性に言い寄られ、ストーカー被害にも山ほど遭ってきた水月だが、今回ばかりは苦言を呈する外ない。
まだ年端もいかぬ少女が男の尻を狙ってビームを放つとは実にはしたないと、震えた体でデコの行為を否定した。
「ふん、年上の負け惜しみとか聞くに堪えないわね。今の技は魔法少女グランマのアニメをちゃんと見てたら読めた筈よ」
「僕がその女児向けアニメを見てるとでも?」
「見てるでしょ。だって世界的に有名なアニメよ」
万国共通の人気を誇るアニメとはいえ国民一人一人がそのアニメを見ているとは限らない。
現にタイトルは知っていてもストーリーを全くもって知らないが故、お尻を手で押さえる男がここに一人。
「水月に余計な時間を与えるなよデコ。隙を見てコイツ逃げ出すかもしれねえぞ」
「うっさいわね、そんなの言われなくても分かるっつーの。コイツを跪かせたのは私よ」
水月の発光糸を何よりも警戒する春夜は彼が体勢を立て直す前に仕留めろとデコに指示するが、彼女はマウントを取りたい衝動に駆られ、水月の元に近づくとデコは彼の背中を踏みつけ、魔法のステッキを向けた。
春夜といい水月といい、デコは男の背中に何か恨みでもあるのだろうか。
とはいえお尻に深いダメージを負った水月も発光糸の操作くらいは可能な筈。
下手に接近して糸を付けられデコが洗脳、結果自分だけが孤立してしまう事を想像した春夜は今すぐにでもデコに飛びついて水月から引き離すことを考えたが、いかんせんその体はピクリとも動かせない。
そしてデコの持つステッキから桃色と黄色の光が太陽のように光り輝いて見えると、次の瞬間デコの体に発光糸を付けられる事よりも恐ろしい事が起きてしまった。
なんとこの場から姿を消していたあのグロい外見のクマさんがデコの目の前でジッと黙視していたのだ。
それはもう家の前で何時間も居座る不審者のようにただ静かにデコの瞳を見つめていたのだ。
これには少女も堪らず叫び声を上げると手に持っていたステッキをクマさんに向かって投げつけた。
かなり力んで投げた為、ステッキはクマさんの着ぐるみの胸元を軽く突き破ると空いた穴から動物の生々しい臓器がボトボトと音を立ててこぼれ落ち、春夜もまた絶叫した。
「──水月、遊びはその辺にしておけ」
クマさんの唐突な登場により思わず水月の背中から足を離し、転倒してしまったデコは次に目元に包帯を巻きつけた青髪の男に視線が向いた。
「想定よりも早い帰還だね蘭丸。凍呼ちゃんはどうしたの?」
土埃が付いた着物と口元の切り傷を見て蘭丸が凍呼と一悶着あった事を察した水月は彼女の所在を確かめる。
「安心しろ。白来凍呼はお前に言われた通り殺してはいない。多少の怪我は負っているが」
「……駄目でしょ。貴方の言う『多少』は他の人の感覚と大分かけ離れてるんだから。日常生活に支障をきたす傷とか負わせてないよね」
「案ずるな。数日経てば癒える傷だ」
凍呼は全身に深い刺し傷を負った筈だが、それを水月に告げる事なく、さも凍呼が走って転んで軽い怪我を負ったみたいな言い方をする蘭丸にとっては『死』以外の怪我はどれも同等なのか。
彼の言葉にますます不安が増す水月は蘭丸が差し伸べた腕を掴みその場で立ち上がる。
「それより宝玉の状態はどうなっている。十分な妖力は確保できたか」
「十分かどうかは僕には判断できないから自分で直接触れて確かめてみてよ」
目的がなければわさわざ廉禍を足止めしたりはしない。
男は翡翠の糸が絡んだ宝玉を水月から受け取ると、宝石の価値を見極める鑑定士のような面持ちで玉を手のひらの上で転がした。
「ほう、戯れにしてはよく集まったな」
「春夜くんもデコちゃんも能力を使いまくっていたからね。空気中に満ちた妖力を宝玉が際限なく吸収したんだよ」
「妖力の質が良かったのか? ではこの場で二人を捕らえ宝玉の養分になってもらうのもアリだな」
「冗談はよしてよ。これ以上僕は敵を増やしたくない」
ボコを数時間借りただけで院内の一部と駐車場を滅茶苦茶にされる始末。
この状況にもし二人の親が加わっていれば一体どのような被害が出てしまっていたか想像もつかない水月は愚かな考えをする蘭丸に向かって首を横に振った。
「それで、これから町を離れるの?」
「ああ、奴を助ける為にはお前の力が必要だからな。明朝までに救出が間に合わなければ移送される」
「まったくあの人は……時間割と迫ってるけど間に合う?」
「そこは問題ない。下見は既に済んである。後は実行に移すのみだ」
「じゃあ春夜くんともここでお別れか」
以前上空から落とされた春夜は憎き目隠し男と再会を果たすが、クマさんのグロい臓器が完全に脳裏に焼き付けられ、蘭丸に文句を言うどころじゃなくなっていた。
常人以上に酷い怯え方をする春夜に小さく口角を上げる水月は蘭丸から例の札を受け取ると、今の春夜の耳には絶対届かないであろう別れの挨拶を告げてパッと姿を消した。
唐突だがこれが彼にとって波山羊町で過ごす最後の日となったのだ。




