38話 少女の骨は爪楊枝
「ねえ、アンタの体に張ってある根っこもムチムチみたく異能の力を無効化させるんでしょ? その、大丈夫なの? 途中で私の能力を掻き消してムチムチの集中砲火とか洒落にならないわよ」
どうやらデコはムチムチをまともにコントロールできない春夜の能力に疑念を持っているらしく、彼の体に纏わりついている赤い根がいつ自身の能力に牙を剥くか、気が抜けない状況にあるデコを春夜は鼻で笑う。
「フッ、案ずるなデコちんよ。俺の体に張ってあるこの赤い根っこだけはちゃんと制御できる。それはもうゲーム禁止からお菓子禁止と、何から何まで子供に制限をかけ支配する毒親のようにな」
「誰がデコちんよ。それに妙に生々しい例えを出すのやめなさい。アンタの親のこと言ってんの?」
「お前はバカか? 俺の母さんがそんなひでえ事する訳ねえだろ。まあ確かに『母さん以外の女を愛するな』って制限はかけられているが、それ以外は比較的自由だ」
と言っている春夜だが、彼は現在母親に嘘を吐きまくった挙句、母親以外の女にうつつを抜かしている為、門限という制限も加えられている。
19歳かつ無職にこの縛りは中々に珍しいものかと思われるが、春夜はこうして無断外出をしている事から門限については深く考えていないのだろう。この状況を夏出美春が目撃すれば、彼は弁解する余地もなく一瞬で自由を失ってしまう。
そんな誰もが認める典型的な親不孝者のカスなのだが、彼の耳を突如弾丸のようなものが掠めると、春夜は鼓膜を震わす風切り音に体をびくつかせ、デコはその物体が飛んで来た方向に首を曲げるとそこには小石を握ったボコの姿があった。
「惜しい……外した」
「ぼぼぼ、ボコさんッ!? 外したって何! 今俺に向かって何を飛ばした? 速すぎて音しか聞こえなかったんだけど!?」
「何って石だけど」
「へ、へえ石ね……にしては人の頭をぶち抜けそうな笑えねえ威力だったけど、ボコの能力に怪力なんてなかったよな? なあデコ」
春夜という的から外れた小石がコンクリートという分厚い壁に深い穴を開けているのを見て失禁しそうになる男は、怪力という個性を持っているのは姉妹の中でデコだけだよなと瞳孔ガン開きにして姉本人に確認を取る。
「まあ力がないとは言っても、ボコは物の動きを遅くできる能力を持ってるからね」
「だったら尚更」
「ボコはその特性を利用したのよ」
ムチムチが雑草のようにうじゃうじゃと湧いた所為で、ボコも能力の範囲を無闇に広げる訳にはいかなくなった。
仮に範囲を広げたとしてその中にムチムチがあっては先みたく能力をいとも容易く掻き消されてしまうからだ。
そして春夜が恥ずかしげもなくデコにお姫様抱っこされている間、ボコはその辺に転がった小石を拾うと、鈍速化の範囲をかなり狭めて対象を手に持つ石のみにした。
そうすればムチムチの不意な干渉があっても、これから行われる攻撃を無効化される可能性が格段に減るからだ。
ボコは鈍速化させた小石を春夜を目掛けて構えると、少女は自身の指から小石が離れた瞬間に能力の解除を行った。
スロー状態にある物体に通常時のボコの力が加われば、そこに蓄積される力はおよそ何倍にも膨れ上がり、ボコの加減次第ではこの建物だって容易に破壊できる。
しかしその辺の配慮はちゃんとしているのだろう。
病院に居る者を傷つけるつもりは毛頭ないボコは、春夜の体を確実に貫通させる威力にまで抑えると、ボコの能力がいかに万能か春夜は思い知る事となった。
「デコ、お前完全に負けてんぞ。女子としての部分もそうだが、能力すらも妹より劣ってるって……完全に失敗作じゃねえか。俺が親だったらカエルの餌にしてたぞ」
「アンタ、他人に対してよくそんな事平気で言えるわね。性格終わってる奴でも中々『失敗作』なんてワード出さないわよ。それにまずあり得ないけど、私がアンタの言う『失敗作』なら、アンタは『生まれてくるべき存在ではなかった』ってとこかしら」
「なっ、それは言い過ぎだろ! 俺が生まれるべき存在じゃないって、それだと俺を産んだ母さんを否定してる事になるじゃねえか! 謝れ、今すぐ母さんに謝れ!」
「じゃあアンタも私を産んだママに謝りなさいよ」
命とは一つ一つが尊い存在であり、互いに支え合っていく事で生活の営みを実現できる。
遺伝や環境で生物の形質も大きく異なり、中には秀でた才能を持つ者も当然現れる。
だが逆にこの世の多くは持たざる者で溢れ返っており、かと言って才能ある者がなき者達を咎め侮辱したりする事は決して許されない。
そんな当たり前なこと、まだ下の毛も生え揃っていないちびっ子ですら分かりきっている事なのに春夜は人の心がないにも程がある。大抵の事は一人で卒なくこなせる彼の多才さが人格をここまで歪ませたか。
デコも生まれて初めて失敗作と言われた所為か、怒りより先にこんな言葉を吐く奴が実際にこの世界に存在したのかと、悪い意味で期待を裏切らない無職に棘のある言葉を返した。
「はあ、アンタのママの刷り込みも大概よね。息子にここまで言わせるって」
「刷り込み? 何言ってんだお前。俺は俺の意思で母さんを大事に思ってるんだ。適当な事言ってると身長削り取るぞ」
「駄目ねコイツ。重症だわ」
二十歳手前で学校にも行かず組織にも属さない男のあるべき姿は、まず母親に向かって『うっせえババア!』と反抗的な態度で接し、部屋の前に置かれた冷めたご飯を家族が寝静まった頃に回収して薄暗い部屋の中で一人愚痴をこぼしながら食す。
これがデコの想像するクズニートなのだが、夏出春夜は母親の悪口を言わないどころか、ことあるごとに『母さん、母さん』と発しては甘えたがりの幼児以上に母親を意識していた。
いかに春夜の外見が非常に優れていてもマザコン無職から溢れ出るキモさは拭いきれず、ムチムチとボコの投石、二つの攻撃を器用に躱しながらデコは不快感を露わにしていた。
「デコ動かないで……春夜に当たらない」
「バカ言わないでよボコ。春夜が今ここでダウンしたらムチムチが消えてアンタを治す手段がなくなるじゃない。不本意だけど今はこのクズ男の介護が優先なのよ」
ボコが鈍速化の威力を抑えてくれたおかげで、デコもその分小石という名の弾丸を避けやすくなっているのだが、流石に妹を差し置いて春夜を選択する心苦しさはあるらしい。
そしてボコにムチムチが一向に当たらないこのむず痒さ。
春夜がボコに抱く邪な想い即ち、ムチムチに叩かれ全身アザまみれになったボコの姿を見たくない春夜の気持ちが、知らず知らずのうちに、自身の能力に枷を掛けているのではないか、そう勘繰ってしまうデコは下唇を噛んで怪訝そうな表情を浮かべる。
「ねえアンタさあ、ちゃんとボコの事狙ってる? なんかあの子だけ避け方、超適当なのに一番安全そうっていうか、お辞儀ばっかして殆ど足動かしてないわよ。まさか贔屓とかしてないでしょうね」
「身の安全を確保できない奴が贔屓なんてする余裕あると思ってんのか? 俺7、水月2、ボコ1の割合でムチムチが向かって行ってんだろ」
「にしてもここまでの差が出るとは思えないんだけど……アンタが意識してないだけでムチムチの標的リストからボコが除外されてんじゃないの?」
「しつけえなお前は。そんなにボコが嬲られる姿を見てえのかよこの変態姉が」
「違うわよ! 私はただいつもの心優しいボコに戻って欲しいだけなの! だからとっとと何とかしろこの生き恥が!」
「おい言葉遣い」
身を削ってまで出した能力にグチグチグチグチ、まるで小姑のような小言を呟くデコに嫌気がさす春夜は、先刻おねしょをした恥ずかしい人間。
そういった意味でも『生き恥』と罵倒されているのだろうが、今更お漏らしで羞恥を感じる春夜でもない。
だがこのままデコに好き放題言わせるのも癪な為、春夜は大人な対応でボコにムチムチを当てる確実な方法、それを耳打ちで告げると少女は正気かと言わんばかりに目を見張らせた。
「いいか、ボコが石を投げたタイミングを狙えよ、分かったな!?」
「はいはい。けど、失敗して骨折っても急に泣きつくのとかはやめてよ。キモいから」
「いや骨折ったら流石に泣きつくぞ」
いかにキモかろうと痛い時にはちゃんと痛がって泣き喚く、そんな醜態を晒す用意が整っている春夜の指示を受けたデコは、ボコの手から離れた三つの小石を肉眼で捉えると、一つは普通に首を横に曲げて躱し、二つ目は目の前を通過したムチムチを利用して盾にして相殺。
そして最後、三つ目の小石は下手な小細工などなしに、向かってくる石に額をぶつけて真っ向勝負。
常人なら即座に首の骨が直角90度に曲がって病院のベッドに直行なのだが、この怪力娘は石にかけられた力を撥ね除け粉砕すると、春夜の髪を鷲掴みにしてボコに向かって投げ飛ばした。
「か、髪を引っ張るんじゃねえ!」
デコの髪の掴み方は毛根にダメージを与える嫌な掴み方で、若いのに禿げることを恐れた春夜は髪を両手で押さえながらボコの小さな体に覆い被さった。
「これは俺も痛い思いをするからやりたくなかったが……ボコ、俺と一緒に逝く準備はできてるか」
「無理……離して」
今一度言うが春夜はムチムチに滅茶苦茶狙われている。それはもう異常なほど愛に飢えた女に気安く声を掛けた結果、タチの悪いストーカーとなって粘着されるくらいにはしつこいアプローチを受けている。
そんな厄介な男がナメクジのように張り付いてくるという事は無論ボコの身も安全ではなくなる訳で、更には彼の体を覆う赤い根が自身の鈍速化能力を掻き消してくる為、春夜の腕を振り解く力も出せない。
制御の利く赤い根でボコにかけられた洗脳を解ければ春夜的には一番楽で良かったのだが、触れただけではどうやら彼女の態度は元に戻らないらしい。
同じ能力でもムチムチと体に纏わりついた赤い根っことでは効力に差があることも使用者として判っていたが、それでも僅かな変化も見せない水月の糸は本当に得体が知れない。
春夜はデコの髪に混じった発光糸の感触を手で直接確かめると、蛇のようにうねるムチムチがいつの間にやら彼らの頭上を覆っていた。
水月はすかさずボコに発光糸を繋げて引っ張って助けようとするが、それを許すまいとデコは妹を真似て石を拾うと糸に向かって投げ軌道をずらした。
「空気を読みなさいよ、この白髪頭が」
「ありゃ、邪魔されちゃった」
自身に放たれた救いの糸、それを姉によって完全に断たれたボコは春夜の腕に噛みついてムチムチの攻撃の巻き添えから逃れようとするが、少女の顎の力はとても弱く、歯のない赤ちゃんに噛まれているのかと錯覚してしまう程だ。
これは日常的に痛めつけられている春夜だからこそ、そう感じてしまう部分もあるのだろうが、どちらにせよムチムチは彼らの都合など考えずに激しい衝撃音を立て、白い煙が舞い上がった。
「ボコッ!!」
春夜が自ら犠牲を払っただけはある。
春夜の付属としてムチムチの攻撃をまともに受けてしまったボコは、腕や足の関節全てが曲がってはいけない方向に曲がってしまい、痛みによるショックからかボコは泡を吹いて気絶してしまっている。
デコは声を荒げて妹の元に駆け寄ると、彼女の髪から翡翠の色素が抜けているのが確認できた。水月の能力をムチムチで無効化させる事に成功したのだろうか……
にしてもやり過ぎなムチムチに怒りを露わにするデコは地面で伸びている春夜に唾を吐きかける。
「アンタ少しは加減しなさいよ! ボコの骨をバキバキに折って、アンタにはそういう趣味があんの!?」
「だからムチムチは俺の意思で動かねえって言ってんだろ……それより俺の心配は一切なしか?」
一応春夜もボコと同じダメージを食らっているのだが、デコは同情すらせずに春夜を一方的に咎める。
「再生能力があるのに心配なんてする必要ある!? その上、泣き言まで言いやがって……治せッ! 今すぐボコの骨折を治せ!」
「おい無茶言うな。俺もまさかボコのカルシウム不足がここまで深刻とは思わなかったんだ。それに水月の糸は消えたんだろ? なら良いじゃねえか」
ボコの身体から発光糸を除去し、仮に洗脳が解けていなかったとしても手足が折れた状態では彼女の能力も役に立たない。
ならばムチムチを出す必要はもうない──というより早くムチムチを消して自身の安全を確保したいという思いが強かった春夜は、半身に張った赤い根を動かし、元あった左の眼球の内側に仕舞い込んだ。
彼の起こした行動に連鎖して、地下駐車場の半分以上を侵食する赤い根っこは栄養を失った植物のように物凄い速さで萎れて枯れると、やがては塵となって消失する。
「今のうちにボコを別の場所に移動させろ」
ボコから発光糸を取り除くのにここまで体力を消耗するとは正直思わなかった春夜は、再び水月に糸を付けられては敵わないからといった理由でデコに命令をする。
「まだ文句を言い足りないけど、そうね。取り敢えずボコはあの白髪頭から離すわ」
ムチムチが解除された事で駐車場の出入り口は開放され、デコは空のダンボール箱を持ち上げるようにボコを軽々と抱えて姿を消した。
「──ひとまずボコはアンタの部屋に置いてきたわ」
「戻ってくるの早えな。って待て、お前今なんつった」
1秒を数える間もなく瞬時にこの場に戻ってきた少女の言葉に動揺する春夜は何故自分達の家でなく夏出家を選んだのか、これでまた母親に隠し事をしているのがバレるリスクが高まっただろと春夜は額から汗を滝のように流した。
「私ん家よりアンタの家の方が近かったんだから仕方ないでしょ。それに物音は最小限に抑えて忍び込んだから多分気付かれてないわよ。私はくノ一よ」
「今すぐその両目にクナイぶっ刺してやろうか!? お前からしたら俺の家とデコボコハウスの距離なんて誤差だろ! それにボコは今、骨折してんだぞ? 呻き声とか発されたらボコと俺の命が更に危うくなるって分かんねえのか! 母さんの聴覚舐めるなよマジで」
「うっさいわね。ボコは普段から口数が少ないし気絶してるから大丈夫よ。白髪頭ぶっ飛ばしたら直ぐに回収しに戻るから」
「口数が少なくても痛かったら呻き声を上げるだろ普通。何だったらお前もボコと同じ目に遭ってみるか?」
手足の骨を折られても無口の者であれば呻き声すら発さないと見当違いな発言をするデコの自信は一体どこからやって来るのか。
余計なことを仕出かしてくれた小娘に両目を奪ってやりたいと思う反面、ボコという天使が我が家に、しかも自室で横たわっていると聞いて呼吸を乱す春夜は、眉間に皺を寄せてニヤけるといった二つの感情を同時に表す高度な面を晒していた。
「やるねー春夜くん。僕の糸を消す為とはいえここまで強引な手段を取ってくるだなんて。小さい女の子を骨折させる君はまさに鬼畜そのものだよ」
駐車場に彩られた色が翡翠一色となり、逃げ回る必要がなくなった水月は肩から二口女を下ろしながら春夜が絶対に反論するであろう言葉を告げた。
「その要因を作ったのはお前だけどな!」
「あはは、でも身を捧げる甲斐はあったみたいだね。ボコちゃんを正気に戻す事ができたんだから」
「正気? 気絶してる所為で元に戻ってるかまったく分からなかったぞ」
「戻ってるよ。僕が言うんだから間違いない」
水月の口ぶりからすると、発光糸が誰に付着して、またいつ除去されたのか、高性能なセンサーのように感じ取る事が出来るのだろう。
だが彼のヘラついた態度に疑心暗鬼になる同族の春夜は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「という訳でおめでとう春夜くん。これで僕が何故病院に町の妖怪を集めていたか知る事ができるね」
「いやだからお前の妖怪収集事情は興味ねえって言ってんだろ」
「本当かい? 君ならこれを見れば血相を変えると思ったんだけど」
力を使い果たして起き上がる気力すら見せない春夜を煽るように、水月は翡翠色に発光する壁に対し左腕から噴出した複数の糸を繋げると、発光糸は壁の中で何かを弄るように蠢き、ある物体を取り出した。
発光糸に包み込まれたその物体は水月の手に収まる程のサイズであり手毬のような球体。
水月はこの物体に絡まった糸を上から解くと、突如として漏れ出した金色の輝きに春夜とデコ、そして二口女までもが直視しまいと目を瞑った。
これまで目にしてきた金がメッキと思える程、この球体は燦然と輝いており、瞼を閉じていても眩い光が瞳孔を刺激する。
「お前の持っているそれ……金玉か?」
真面目な顔して下品な言葉を吐く春夜は別にふざけている訳ではなく、まるでそれを過去に見た事があるかのような口ぶりで水月に訊ねた。
「そうだよ。これは君がよく知っている『金色の宝玉』さ」
「……水月、それを何処で手にした」
「あれ、僕が妖怪を集めている理由なんて興味なかったんじゃないの?」
「事情が変わったんだよ! まさかお前がそれを持っているだなんて誰が予想できた!?」
春夜と水月の中でしか成立しない会話にまったくついて行けてないデコはあんぐりと口を開けていた。
「ま、待ってアンタ達。ボコがあんな目に遭ったっていうのにもう別の話題に切り替わるの? 何よ、金玉って──なッ! 私に恥ずかしいセリフ言わせんじゃないわよ!」
「ふげえッ!!」
春夜の発言に釣られて言うつもりのないワードをうっかり吐いてしまったデコの頭は相変わらずのお花畑で、顔を紅潮させながら横たわる春夜の背中を足裏プレスする。
「あはは、滅茶苦茶だね……呼び方で困ってるなら普通に宝玉でいいと思うけど、あんまり春夜くんを痛めつけないであげてねデコちゃん。今ここで彼にダウンされちゃったら何もかもが中途半端で終わっちゃうからさ」
「私に指図するな白髪頭! 一体何なのよ、その宝玉とやらは……ボコの怪我よりも大事なものなの!? というか目が痛いから早くしまってくれないそれ!?」
ボコを狂わせた男が何を言おうと、それはデコの機嫌を更に損ねるだけであって、彼女の八つ当たりの対象となっている春夜の背中は更に深く凹んでいくと、獣のような呻き声を出しながら理不尽な痛みに耐えていた。
「君は宝玉についてお父さんから何も聞かされていないのかい?」
デコの宝玉を仕舞えという要望を平然と無視する水月は少女がこの球体について何も知らない事に意外そうな顔をした。
「は? パパはこの玉知ってんの? 私、見た事も聞いた事もないんですけど」
「なるほど。これは予想外だけど、華火さんは自分の子供を巻き込みたくなかったのかな……けどコレに関わると碌なことにならないのは確かだから選択としては正しいのかな」
「え、何アンタ。そんなヤバい物と私たちを引き合わせたの?」
「まあ僕も実際宝玉がどんな物かよく分かっていないんだけどね。ただ町の妖怪をこの場所に集めて妖怪と宝玉を糸で繋げていただけだから」
「糸で繋げる?」
「そう。簡単に言うと餌やりみたいなものだよ。宝玉に妖力を吸わせるといったね」
水月の発光糸は対象に接着する事でその者の認識を書き換える事ができるのだが、その他にも妖怪にとって命の源とも呼べる妖力に干渉する事が可能であること今ここで告白する。
町で攫った妖怪と金色の宝玉を糸で接続し、携帯を充電するように、妖怪から吸い上げた妖力を宝玉にエネルギーとして蓄積していく。
勿論、妖怪から妖力が失われてしまってはその妖怪の命を奪う事になってしまう為、一日に一体の妖怪から吸い取れる妖力の量は決まっており、消耗した体を休ませる為にもこの安らぎ病院は実に最適であった。
水月の職場という事もあって出入りするのにも不審がられる事はなく、院内に居る攫った妖怪の管理もし易くなる為、この建物は彼にとって好都合であった。
しかしいくら波山羊町で一番大きな病院とはいえ、攫った妖怪もそれなりに存在し、この病院で入院している患者は他の病院に移され、また一部の者は自宅での療養をとる形になってしまった為、多少なりとも罪悪感を感じると言う水月は果たして本音で喋っているのだろうか。
デコに無様に踏まれる春夜は地面に顎を乗せ、口から血を垂らしながら薄く目を開いた。
「……お、俺が最後にその玉を見たのは高校二年の時だ。まさかあの頃からお前はずっと妖怪を攫って、妖力を奪い続けてたのか?」
「あはは、まさか。僕が妖怪を攫い始めたのは本当最近になってからだよ。それまでは道行く妖怪に軽く糸をくっつけて、妖力を少しだけ分けてもらっただけだから」
「お前は蚊か。何で今になって妖怪なんか攫ってんだよ。妖力を少しくすねるだけじゃ満足いかなかったのか? ガッツリ奪いたくなっちまったのか? この欲求不満野郎」
動物の血を吸う蚊と妖怪の妖力をこっそり盗み取る水月を重ねる春夜。
彼のやっている事は女子高生のスカートの中を盗撮する度し難い変態と同じだと窘める春夜はボコが絡んだ事でかなり面倒臭いオスと化してしまっている。
「君は失礼だなあ。僕が好きで妖怪を誘拐しているとでも思っているのかい? 僕は純粋な指示待ち人間だよ。今回大胆な行動に出たのも、こちら側でちょっとしたトラブルが発生したからやむを得ずって感じだったし……僕は君が思ってるほど悪い人間じゃないよ」
「どの口が言ってんだ。お前さっき妖怪攫ったのとボコの意識を書き換えたのは別件とか言ってただろ。普通なあ指示待ち人間はそんな下手な行動は取らねえんだよ」
真の指示待ち人間は下された命令に従順であり、傀儡のように動いて働き自我を持ってはならないと、いかにも指示待ちとは無縁そうな春夜が講釈を垂れる。
そしてデコの足にしがみつく春夜は、産まれたての子鹿のように足を震わせて立ち上がると、彼のズボンの裾から転がり落ちてきたカラフルな固形物に少女の視線は向いた。
「アンタ、ズボンの中に何入れてんの」
ズボンのポケットでなく、文字通りズボンの内側に何かを隠し持っていた春夜に引き攣った顔をするデコ。
桃色と黄色で組み合わさったその物体の状態を見るに長らく使い古された物なのだろうが、物体の中心には女児向けのアニメキャラクターが描かれている。そして縁に刺さったピンに付いた紐を見てデコはこれが防犯ブザーだと気付いた。
「あー、そういえばそんなのあったな。いつの日かお前の父親に言われてたんだよ。失踪する妖怪が増えて物騒だからこれを持っておけってな。だから熱湯をかけても外れない超強力接着剤を防犯ブザーに塗りたくって股間に貼り付けて肌身離さず持っていたんだが、今お前に蹴られた衝撃で完全に剥がれ落ちたな」
さも防犯ブザーは股間に貼り付けて当たり前かのように言う春夜は余程、股間にブザー、通称股間ブザーが体にフィットしたのだろう。
でなければこの股間に付いた異物の存在を忘れていたなんてセリフは普通は吐けない。
なんなら超強力接着剤を直に肌につけていた所為で、春夜の剥がれた皮膚が防犯ブザーに張り付いてしまっているし、一体どこからツッコめばいいのやら……
「嘘でしょアンタ。その『魔法少女グランマ』の変身ブザー、私が小学校の頃によく使ってたお気に入りのやつなんだけど……」
華火から受け取った防犯ブザーはどうやらデコの所有していた物らしく、許可なく彼が持っていた事、そして穢らわしい部位にブザーを貼り付けていた事に顔を青くするデコは震えた手でブザーを拾う。
「生温かい……マジ死ねよ春夜」
「俺はお前が死ぬまで絶対死なねえよ?」




