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36話 銃刀法違反

 時は少し遡り、春夜とデコが地下駐車場で騒ぎ始めた頃。


 幼馴染からの電話を受けて急いで家を出る凍呼は部屋着にサンダルと体を動かすにはあまりに不便な格好をしていた。


「もうこんな時間に何やってんの春夜くんは! 私、今日学校あるだよッ!?」


 春夜から詳しい内容を聞かされておらず、ただボコの身が危ないから安らぎ病院に来いと指示を受けた凍呼は眠い目を擦りながら無人の河川敷を走っていた。


「それにボコちゃんもズルいよ! まあ、夕方から家に帰ってなくて心配になる気持ちは十分わかるけど? あの春夜くんをここまでやる気にさせるなんて羨ましいを通り越して恨めしいよ!」


 ボコに指輪を渡したりボコとケーキを食べに行ったりボコの家に遊びに行ったりと何かとボコに関わろうとする春夜に真剣に頭を悩ます凍呼はすぐそこにある川に飛び込んで頭を冷やそうか考えている。


 波山羊町の子供だってこの暑い季節に川遊びをしているんだ。ならば19歳が5歳児のように川で(はしゃ)いでも通報はされない、というかそもそもこんな時間帯に外を出歩く人間なんて居ない為、めいいっぱい騒げると急に開き直る凍呼は『きゃっほーい!』と叫んで川に向かって飛び込もうとする。


 だが、彼女の体が宙に浮いたその瞬間、電光石火の如く一本の刀が凍呼目掛けて飛んでくると、まるで豆腐に包丁を入れるかのような鮮やかさで、スッと彼女の右肩を刀が貫いた。


「いづっ──な、なんなのッ!?」


 出血し、痛みを得る事で我に返った凍呼の身体は飛沫(しぶき)を上げながら水面を転がると、幸い浅瀬ということもあって溺れることはなく、たまたまあった岩場に腰を強打させることで、身体は水に流される事なくその場で動きを止めた。


「ぶっ、ぶばァッ! じ、死ぬかと思った! えっ、一体なにごと!? 私、川で(はしゃ)ぐ事すら許されない女なの!?」


 水面に浮かぶ赤色を見て叫び声を上げる彼女は、刀で肩を貫かれた割には図太い神経をしていた。このタフさは日頃から春夜の隣に居るからこそ得られるものなのだろうか。


 すると凍呼の肩に突き刺さった刀はまるで意思を宿したかのように彼女の身体から抜けて離れると、浮遊生物のように宙を漂って持ち主の元へと戻った。


 暗い霧に紛れ、ひっそりと佇む一人の男。

 花柄の着物姿のその男は以前山の中で出会った青い髪をした目隠しの変態男。

 このタイミングで現れたということはボコが消えた事に何かと関係しているのだろうが、男を視認する事で高度1万メートルの所から落とされた記憶を呼び覚ます凍呼は激しい憤りを感じつつも男に言いたい事が山ほどあった。


「あ、あなたは私と春夜くんを空から落っことした鬼畜変態目隠し男!? どの面を下げて私の目の前に現れたんですか! しかも挨拶もせずにいきなり私の肩に穴まで開けて……け、警察呼びますよッ!!」


「警察を呼んだところで状況は変わらない。寧ろ警察を巻き添えにして事態は悪化するぞ。まあ、その辺の判断はお前に委ねるが」


 空から人を落としたり、挨拶代わりに人の肩を刃物で刺したりと、明らかに人の命を軽く見ている男の力は未だ未知数で、警察なんて呼んだしまったらそれこそ被害者が増えてしまう可能性だってある。

 それは十分頭で理解できているのだが、どうしても一人で相手をするには心細く、怖い気持ちでいっぱいになる凍呼は男が一体何が目的で自分の前に現れたのか萎縮しながらも問いかける。


「何故お前が怯えている」


「何故って、あなたがまた私を殺そうとしてるからでしょ! この今も尚、滝のように流れる真っ赤な血が見えないんですか!?」


「……廉禍(れんか)の器ともあろう者が惰弱なことを」


 今の時代、19歳の女の子が刀で刺されるなんて事、普通に生きていたら絶対に起こり得ない事なのだが、悪意ある者の所為でその起こり得ないを事を経験してしまった凍呼は何故惰弱と言われなければならないのか。

 普通の女の子だったら刀で刺されるよりもまず先に、己に向けられた刀が宙を漂い、命を奪う機会を窺っている目の前の現実に耐え難い恐怖で失神してしまう。


 それなのに男は『惰弱』の一言で済まそうだなんて……クズ筆頭の春夜ですらもっとマシな言葉を贈ってくれるよと不貞腐れる凍呼は、冷気を放った左手を右肩に当て、傷口を凍らせる事で止血した。


「私が言い返さないのをいいことに好き勝手言って……もう絶対許しません! どういうわけか廉禍の事も知ってるみたいですし、隠してること全て洗いざらい吐いてもらいますから! そして銃刀法違反の罪も償ってもらいますからね!」


 最近やけに怒りっぽくなっている凍呼はあまりに早い更年期でも訪れたのか。彼女を(まと)った空気がビリッと肌を突き刺すような感覚に変化すると、凍呼は右の人差し指と中指を使って唇を左から右にかけてなぞると『廉禍』の名を叫んだ。


 そして彼女の声に呼応したかのように、凍呼を中心に激しい突風が発生すると、悉くを凍てつかせる冷気が放たれ、彼女の立っている川の水や飛沫(しぶき)は勿論、草木やその場所を住処とする動物までもが、まるで時でも止まったかのように凍りついた。


 凍呼の青白い髪はいつもより一段と透き通っていて、茶色い瞳は空色に塗りつぶされると、彼女の首筋から頬にかけて純白な(しも)が張っていた。


「──凍呼、其方(そなた)何のつもりじゃ。妾の眠りを妨げてまで表に出そうとは」


 白い息を吐きながら愚痴を呟く凍呼──いや、凍呼の外見をした声色も口調も全く異なる女は自分に向かって語りかけていた。


「なんじゃ、御免じゃと? ふん。謝るくらいならスキンケアの一つでもせぬか。昨夜も保湿を忘れてそのまま布団に潜り込んだじゃろ其方。勉学に勤しむのは()いがこの肌は妾のものでもあるのじゃぞ」


 このやたらと肌を気にする凍呼の肉体を得た『何か』は自身の半身を覆う氷を液状化させると、凍てついた川から颯爽と抜け出し、周辺を見渡せる位置まで体を宙に浮かせた。


 闇夜に煌めく氷の結晶。

 それは茹だるような暑さを一瞬で消し飛ばし、見た者の心を奪う妖艶な輝き。


 この空間に存在する一粒の水滴から、あまつ空気さえも支配する彼女は例えるならば氷の女王。


 異様な存在感を放つ凍呼の肉体を借りし者は男を一瞥(いちべつ)すると、刹那──男の首から下、全ての部位が文字通り凍りついた。顔まで凍らせなかったのは呼吸を大事に思った彼女の気遣いではなく、こんな夜更けに奇襲をかけてきた男の目的を吐かせるため。


 だが男はというと氷漬けにされたにも関わらず狼狽する事もなく、物静かに彼女の次の出方を窺っていた。


「して妾の凍呼に傷をつけた其方は何者じゃ」


「……私の名は蘭丸(らんまる)。会えて光栄だ廉禍」


 凍呼のようで凍呼でない彼女の名は廉禍(れんか)

 この地では珍しく己の肉体を持たぬ妖怪であり、過去に凍呼が巻き込まれた事件がきっかけで二人は同じ身体を共有する事になった。

 彼女の他にもこの世界には自身の体に妖怪を憑依させる人間が存在するのだが、妖怪を呼び出すトリガーは決まって先程凍呼がした指で唇をなぞる行為。故に凍呼は廉禍と入れ替わることができたという訳だ。


「蘭丸……聞いたことない名じゃ。其方は妖怪なのか?」


 廉禍は氷を生成する能力の他に妖力の反応を感知する能力を持っている。

 男が使う特殊な刀が縦横無尽に振り回されれば、その時点で廉禍はその蘭丸とやらの妖力を捉える事ができるのだが……

 現時点でも彼女にその信号が届くことはなく、それどころか鍵のかかった箱の中に隠されている──そんなあからさまな違和感を感じ取った廉禍は男の元に寄ると、付近を漂う刀を手に取った。


 一見なんの変哲もないただの鞘なし日本刀。

 しかし(つか)を握った廉禍はこれが相当な年季物だと即座に理解する。そして刃こぼれが一切ない事から職人による手入れが定期的にされている事を推測した。


 だが廉禍は他にも感じた。この刀を握った瞬間に(おの)が生気を吸い取られるような、そんな忌々しい感覚を……


「ほほう、これは尚更おかしいな。これほどの呪いが込められた妖刀だというのに其方からは微塵も妖力を感じられん。一体全体どういったマジックを使ったのじゃ?」


 妖刀とは文字通り妖力を内に秘めた刀の事を指し、人を斬り妖怪を斬り、命を悉く奪い尽くした結果、死者の恨みつらみが『呪い』という形となって刀に纏わり付き、災いを呼ぶ道具として扱われるようになった。


 生命を喰らう刀の為、人間が使うことは愚か、妖怪ですら妖力を吸われるのを恐れて使わない者が多数居る、そんな忌み嫌われた道具である。


「私が妖である事に違いはないが、種を明かしてしまっては本末転倒。妖力の反応をわざわざ掻き消した意味がなくなってしまう」


「そうか……ならもう其方に用はない」


 蘭丸の顔に手を(かざ)した廉禍は早くも別れの挨拶を告げると、男を纏った氷の形状を変化させ、かの有名な処刑器具『鉄の処女』の如く、氷の棘は容赦なく蘭丸を串刺しにした。


「──ぬゔッ!?」


 棘の先から(したた)る赤い血。これが男の身体から出たものであればよかったが……

 しかし廉禍が想定していた結果とは異なり、口から血を吐いたのはなんと廉禍自身。

 どういうわけか氷の棘で攻撃した彼女がダメージを負ったのだ。


「な、何故じゃ……何故この妾が吐血しておるのじゃ」


 体中に空いた穴から見えるその奥の景色、そしてそこから垂れ流れる血を見て驚愕する廉禍は直ぐに傷口を凍らせ再度止血する。

 思いもよらぬ怪我だというのに応急処置はスムーズに行える廉禍は戦闘慣れしている妖怪なのだろうか。


 すると彼女の隙をついた蘭丸は念力のようなもので廉禍から強引に刀を奪い返すと、その刃を使って自身を纏う氷を木っ端微塵に斬り刻み、身体の自由を得た。


「妖刀『宵丸(よいまる)』。かつて国によって子を殺され、世を憎んだ人斬りの愛刀……全てを拒絶するかの如く、この刀はあらゆる攻撃を反射させる。宵丸に斬られた時点でお前は私に傷一つ与えることはできんぞ」


「今の傷はその所為か……やはり気に入らんな妖刀。そして妾を下に見るその態度も実に気に入らん!! なんじゃ、卑怯な武器を使っておるくせに、その勝ち誇った態度は。妾を前にそんな小細工が通用するなどと本気で思っておるのか」


 目には目を歯には歯を。

 そういった報復心を持つ者は波山羊町に一定数存在しており、凍呼もとい廉禍もその一人である。


 だが、蘭丸が使用する妖刀は廉禍の攻撃を全て反射するという……

 廉禍はそれをどのように対処するのかと思った矢先、彼女は再び宙を蹴って蘭丸と距離を取ると、空気中で生成した無数の氷槍(ひょうそう)を蘭丸に向けて放った。


 男を標的にした攻撃は自身にそのまま返ってくる。

 廉禍はその言葉の意味を理解して槍を放ったのだろうか。


「ほーら(かわ)せ躱せ。捕食者に狙われる草食獣のように必死に逃げ惑うのじゃ! 妾からの返礼はちと激しいぞ」


 本来ならば蘭丸は槍を避けずとも廉禍を自滅に追い込む事ができるのだが、彼女の圧倒的な自信と視界の全てを覆い尽くす程の氷槍を前に、蘭丸の本能が瞬時に危険を察知すると男は妖刀宵丸を使い、雨のように降り注ぐ氷槍を弾いた。


 槍の一本一本に言うほどの威力は込められてないが、()むことを知らぬ氷槍は四方八方あらゆる角度から的確に急所を狙ってくる為、己の俊敏さが試される。


「私の話を聞いた上で攻撃を仕掛けてくるとは……並外れた妖力もそうだが、常軌を逸しているな」


 腐っても妖怪なだけはある。

 目元を隠していながら、ずば抜けた身体能力を活かす蘭丸は、刀で(さば)ききれなかった槍をありとあらゆる関節を曲げ、走りながら回避する。


「見かけによらず案外素早いのじゃな。顔以外にも目が付いておるのか?」


「キリがない」


 右手に持った氷製の扇子で涼を取る廉禍はすっかり高みの見物で、蘭丸が如何(いか)にして槍を躱す事ができているのか、男の動きに着目した廉禍は氷槍に続き、足場の氷を利用する。


「槍に気を取られて()いのか? 其方が立っているその場所は『川』じゃぞ」


「なッ!?」


 この空間に存在する氷は全て廉禍が意のままに扱える武器そのもの。

 故に攻撃を回避するのに必死で立ち位置など考慮していなかった蘭丸は解氷した川に足を取られると顔を水中に沈め、数多の槍が男の背中を襲った。

 激しい水飛沫と共に()まぬ廉禍の猛攻。


 肌を傷付けられたのが余程気に食わなかったのだろう。過剰とも言える攻撃で地を鳴らす廉禍は勝負はこれで決したと微笑を浮かべる。


「──驕ったな廉禍」


 妖怪でありながら使用するものは己の能力ではなく、妖刀といったあくまで道具に頼った力──即ち、蘭丸自身の力もまた未知数であると、知らぬ間に背後を取った男は左手に構えた刀で一閃、躊躇いも迷いもなく、廉禍の首を()ねる勢いで刀を振るった。


「……其方、凍呼の人生を詰ます気かえ?」


 だが不意打ちにも関わらず冷静に刀の示す軌道を読んでいた廉禍は刃が皮膚に触れる手前で自身の首に分厚い氷を纏うと、涼しげな顔で蘭丸の妖刀を弾いた。


「やはり規格外か」


 蘭丸の刀の柄には以前凍呼と春夜の額につけられたものと同様の札が貼られており、蘭丸は恐らくそれを使用して廉禍の背後を一瞬で取ったのだろう。


「何が規格外じゃ。妾がその札を警戒してない訳がなかろう。妾相手に手を抜くからこうなるんじゃ」


「手を抜いているのはお互い様だろ」


 一度受けた攻撃を二度も受けるほど愚かではないと、廉禍が警戒心を高めてくれたおかげでこれ以上深手を負う事はなくなった凍呼の身体。

 そして血も涙もなく、女子大生の首を刎ねようとした男の行いをただただ黙って見過ごすつもりもない廉禍は、空いた拳を力一杯握りしめると、怪力自慢のデコが霞む勢いで蘭丸の顔面をぶん殴った。


 蘭丸の体は凄まじいスピードで地面に叩きつけられると、その衝撃で舞った土煙が男の姿を隠した。


「凍呼……其方の仇は妾が取ってやったぞ。じゃから其方は安心して妾の中で『永遠』に眠りにつくと良い」


 胸に手を当て、天を仰ぐ廉禍は凍呼に対する哀悼の意を捧げるが、当然凍呼は息を引き取っておらず、彼女の身体を借りて馬鹿なことを抜かす廉禍に対し、凍呼は心の中でグチグチ文句を垂れていた。


「……ど、どういう事だ。何故宵丸で貫かれたお前が私を攻撃できる」


 無様にも土を被り、切った口から零れる血を目視する蘭丸は妖刀の効果を受けない廉禍に釈然としない様子。


「妾が妖刀の仕組みを理解してないとでも? フッ。其方、妾のことを見くびり過ぎじゃ」


 妖刀は使用者に影響を与える一方で、それを向けた対象者に災いをもたらす。

 己の生命を蝕むものもあれば、周囲を不幸にするものまで、その効果は多岐にわたる。


 だが幸いにも妖刀の対処法を知っていた廉禍は右腕の傷口からドス黒い結晶の粒を噴出させると、何故彼女が妖刀の影響を回避できたのか男はすぐに理解した。


「体内に入り込んだ呪いを結晶化させ、傷口から排出したのか?」


「全くじゃ。こんな穢らわしいモノを妾の中に注ぎおって……多少口が悪くなってしまうが、ここはビシッと言わせてもらうぞ──てんめぇ、その目元の包帯を首に巻きつけてぶっ殺してやろうか!」


 美しくも儚い氷をその身に纏いながら、中指を立てて醜いセリフを吐き捨てる廉禍の姿は悪辣非道の夏出春夜を連想させる。

 凍呼の幼馴染という事もあって昔から春夜を知っている廉禍は彼の悪い影響を受けてこの言葉を選んだのだろうか。はたまた趣味の映画を参照したものか……

 どちらにせよ思いもよらぬ暴言に唖然とする蘭丸は──


「……残念だが私を殺すのは次の機会にしろ」


「なんじゃ? これから其方を痛めつける時間が始まるというのにノリの悪い奴じゃのう」


「私の目的はあくまで足止めだ。お前を病院に向かわせない為の時間稼ぎ。お前がその体を自由に使えるのはせいぜい5分といったところだろ?」


 人間に憑依した妖怪が表に出る際、その妖怪の妖力が大きければ大きいほど宿主にかかる負担も増し、最悪過剰な力に耐えきれなかった肉体が内側から崩壊する恐れがある。

 そして中でも廉禍の妖力は上位に位置する為、通常の妖怪が何日何時間と表に出れるのに対して、廉禍の場合はたったの数分。

 つまりはその数分を蘭丸との戦闘で費やした廉禍は凍呼の身体を休ませる為にも、今すぐにでも彼女と入れ替わる必要がある。


「病院の方で春夜(あの子)達が能力(ちから)を使った反応を感知したが……そういう事か」


「お前に邪魔をされては叶わないからな。致し方なく私がお前の相手をしているという訳だ」


「虚勢を張るな変態男。その程度の力で妾と対等に向き合える訳がなかろう。そして其方が妾を邪魔だと言うなら……そうじゃなぁ。嫌がらせで一発病院まるごと破壊するか」


 蘭丸の奇襲は廉禍を病院に向かわせない為の時間稼ぎ。

 ならば病院に向かう時間がなくとも、ここから病院を対象とした攻撃をすれば蘭丸が頭を抱えるのは必至だと考えた廉禍は手に持った扇子で(くう)をあおぐと、そこにこの町の病院を覆うにはあまりに十分な大きさの氷塊を生成した。


 恐らくせずとも今からこの氷塊を病院に向けて放つのだろうが、廉禍は春夜とデコ、そして病院に居る患者のことを考慮していないのか……

 流石は妖怪を巻き込んでこの町の海を凍結させただけの実績はある。


「チッ、正気か!」


 これまで感情の起伏を見せなかった男が廉禍の突飛な行動により声を荒げると、妖刀を氷塊の方に飛ばし破壊しようと試みる。

 だが氷の表面に刀が触れるよりも先に廉禍の氷塊が放たれると、春夜は知る由もなくその身に危険が差し迫っていた。


「ん? 病院に春夜が居る? なに、心配するな凍呼。あの子がこんな氷の塊で死ぬ訳がないじゃろ! それに一度放った氷は止められんからのお。アメーンナツデハルーヤじゃ」


 凍呼は昔から一途な女の子でその想い人が春夜である事は同じ体を共有する廉禍も知っている筈だが、よもや彼女の体を使って春夜に危害を加えようとは……

 廉禍の身勝手な行動にワーワー騒ぎ立てる凍呼だが、氷塊の加速は止まらず、凍呼はただただ廉禍の目を通して傍観せざるを得なかった。


 そして誰もが春夜の生命を諦めかけたその瞬間、町に影を落とす氷塊にブヨブヨとした臓物のような肉塊が接触し弾けると、廉禍の氷塊は瞬く間に漆黒に染め上げられ、本来溶けてなくなる氷が灰のように散って跡形もなく消失した。


「手を貸しに来ました。蘭丸さん」


 町の一部の危機に馳せ参じたのは病院で春夜とデコを精神的に苦しめたクマの着ぐるみを着たグロい生命体。

 クマさんはボロボロでゴワゴワの手を蘭丸に差し伸べると、男はその手を取って立ち上がり着物に付着した土を軽く払った。


「すまない、助かった」


「これも私達の役目です。それより、顔大丈夫ですか? やはり能力を使わず、廉禍(あの方)に挑むなど無茶だったのでは」


 辺りに散りばめられた氷の結晶は波山羊の地に星雲の輝きを描き、天に浮かぶは手傷を負いながらも余裕綽々な振る舞いを見せる氷の女王。

 戦闘の場面に居合わせずとも何が起きたか大体察しがついたクマさんは蘭丸の赤く腫れた顔を心配する。


「無茶は無茶だが、今ここで私の能力(ちから)を見せるわけにはいかないからな、仕方がない。で、水月の様子はどうなんだ?」


「水月さんですか、彼はいつも通りですよ。でもまあ多少感情が高ぶっている風にも見えましたね。ご友人の影響でしょうか」


「……夏出春夜か」


 廉禍の憑依先である凍呼と同様に前に春夜とも顔を合わせたことのある蘭丸は、彼の礼儀をわきまえない態度に加え、常に偏見の思考を持つ異常性。

 これらの要因で水月がおかしな行動に走らなければ良いがと不安になる蘭丸だが、生憎水月はそこまで落ちぶれていない。妖怪は平気で誘拐する男ではあるが……


 すると氷塊をクマさんに阻止され、凍呼の肉体を借りるのにも限界がきた廉禍は自身の傷口に手を当てると青褪めた表情で口を開いた。


「今から体を返すが覚悟しておくのじゃぞ凍呼。妾だからこの痛み普通に耐える事が出来たが、並の人間からしたらこの傷は発狂もんじゃ。もし其方の憐れな姿を親が目にしたら娘が傷物にされたと泣きじゃくるだろうが……まあそんな事は妾に関係ないからな、交代じゃ凍呼」


 凍呼と廉禍の仲は果たして良いのだろうか……

 誤解を招く言い方をしては凍呼を脅すだけ脅し、顔に張った霜を溶かし空色の瞳を茶色に戻す廉禍は、蘭丸との決着がまだついていないにも関わらず、この最悪なタイミングで凍呼の意識を表に出した。

 せめて地面に足をつけてから入れ替わればよかったのだが、そんな配慮も効かずに凍呼の身体は垂直落下した。


 しかし幸か不幸か入れ替わりした直後の凍呼は意識をなくした状態で、彼女は落下する恐怖は感じずとも、地面に脳天を打ちつけて割れたスイカになる運命が待ち受けていた──が、どういう気まぐれか彼女の頭が地面に触れる直前で凍呼の体を抱えたのは蘭丸。


「先程までその子と争っていたというのに優しいですね、蘭丸さん」


「水月に殺すなと釘を刺されているからな。廉禍の器である事はともかく、この娘自体はか弱き人間だ」


 蘭丸の腕の中で苦悶の表情を浮かべながら目を瞑る凍呼は意識を取り戻した途端に激しくのたうち回るのでは……

 そんな事をふと思った男は凍呼を近くの木の陰まで運ぶと、回収した妖刀を手品のようにこの空間から消し、クマさんを連れてその場から立ち去った。


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