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34話 苦手なもの

 春夜とデコ、二人は無人のエレベーターに乗り込むと、春夜は鼻をスンスンと鳴らしエレベーターの香りを愉しんでいた。


「アンタ何やってんの」


「いやぁな、俺昔からエレベーターの匂いが好きなんだよ。なんか嗅いでいて気分が落ち着くっていうか。今なら俺、他人にも優しくなれる気がする」


「じゃあ私に優しくしなさいよ」


「デコ……お前はいつも頑張ってるよ。学校行きながら妹の面倒もしっかり見て、そんで父親の仕事を邪魔しないよう気遣いだってできる。顔も可愛ければ、前髪もチャーミングで、お前は本当に最高の女だよ」


「いやキモッ」


 セーフルームさえあれば嫌いな相手にさえ優しくなれる春夜の気まぐれに『キモい』の一言で返すデコ。

 二人の会話はその時点で終了するとエレベーターは次の目的の場所である二階に止まった。


「この糸が示す場所は──っと。ん? この階にはMRI装置があるのか」


「エムアール? そこに行けばボコに会えるの?」


「いいやボコの姿はまだ見えねえ。ただ、MRI装置ってかなり高価らしいからあの部屋にお前を連れて行くわけにはいけないなって。些細な物音にビビってぶっ壊すだろ?」


「おいクソったれ春夜。アンタ、私のことなんだと思ってるのよ。言っとくけどねえ、私もうこの暗闇にも慣れてきたから! オバケとかもう全然怖くないから!」


「──あっ、天井に自分の胸毛食ってる幽霊が張り付いてる」


 噂話にさえ恐れ(おのの)いていたデコがこんな短時間でオバケを克服できる訳がないと、適当に天井を指さす春夜は視認してもいないのに、あたかも幽霊がそこに居ると言う。

 デコは反射的に身体をビクつかせると、それはもうあっけなく再度意識を失った。


「やっぱダメじゃねえか。何なんだこのチビガキは」


 日常生活に支障をきたすレベルで気絶しまくるデコに、春夜は車椅子に彼女を乗せておいて本当に良かったと思うと、幽霊を除いて誰一人としていない廊下を歩き始めた。


 発光する繊維は未だに春夜の視力にダメージを与えているが、ボコの為ならそんな事気にも留めない。


 春夜は腕に巻かれた繊維に導かれるまま歩き続けると廊下奥にある部屋、MRI室に辿り着いた。


「おお! 映画やドラマなんかで見るやつ、波山羊町にもあったのか! 実物を見るのは初めてだからなんか興奮するな」


 こんな田舎町でも数億円もの価値があるMRI装置を導入する余裕がある事に感嘆する春夜。

 彼はこの高価な装置を含め、自慢の右目を使い部屋の隅々まで見回すと、手首に巻かれた繊維のゴールを意外にも早く見つける事ができた。


 MRI装置の寝台の上に置かれた一つの物体。しかし不思議な事に、その物体と繋がっている発光する繊維は春夜の手首に巻かれた繊維のみ。この病院には無数の繊維が張り巡らされているというのにだ……


 春夜はデコの乗る車椅子から手を離すと装置に近づき、その物体を手に取った。


 ドクンドクンと脈打つ物体はまるで生命を宿しているかのようで、春夜は生臭い匂いを放つ物体に苦い表情をすると、咄嗟に顔を離し、素手で掴んだことを後悔していた。


「何だこのコンニャクみたいな柔らかさといい生暖かい感じは……キモチワリ」


 弾力ある感触とジャガイモのような形状をする固形物に嫌悪感を抱く春夜は取り敢えず部屋の電気のスイッチを入れると、右目だけでなく両方の眼を使って物体を目視する事にした。


「電気をつけるのは目立つからやめといた方がいい気もするが、この際仕方ねえ。この気色の悪い物体の正体をちゃんと確認する為だ──ん? ちょっ、待て!! これ臓器じゃねえかァッ!!?」


 夏出春夜には苦手なモノがいくつかある。

 一つは病んで一家心中しようと自棄(やけ)になる母親。

 一つは匂いから味まで全てが受け付けない果物、バナナ。

 そしてもう一つは高圧的な態度を取る生意気な人間や妖怪なのだが、彼がこの世で最も苦手とするのがグロいモノ。


 彼は日常的に血を流している為、流血には耐性がついているのだが、皮膚の内側にある肉や骨なんかが見えた時には大絶叫。更には普通の人ならまず目にする機会がない臓物に対しては大きな拒絶反応を見せる。


 春夜は何かの心臓と思われる真っ赤な臓物を床に叩きつけると手から全身にかけて震えが止まらなくなってしまった。

 それだけなら良かったのだが、彼は両目から血の涙を流すと気でも触れてしまったのだろう、MRI装置に自らの頭を打ちつけると部屋中に血飛沫を撒き散らしながら意識を絶った。


 ◆◆◆


「ャァ……ハルォ──うぉい、春夜! アンタいつまで寝てんのよ!!」


「…………ぅう」


 激しい頭痛に襲われながら少しずつ紅い瞳を開ける春夜は真隣で(わめ)くデコと目が合った。

 彼女やけにご立腹な様子だが、それと同時に何かに怯え、焦っている風にも見える。


「ゔっ……こ、ここはどこだ?」


 苦悶の表情を浮かべる春夜は額に手を当てると、いつの間にやら頭に巻かれていた包帯に意識が向いた。気絶している間に誰かが傷の処置をしてくれたのだろうか。少なくともデコでない事は分かる。


「『ここはどこぉ?』じゃないわよ! アンタがヘマしてくれたおかげで私まで捕まったじゃない!」


「捕まった? 何言ってんだ……」


 未だ車椅子に座る少女は別に縄で縛られている訳でも、手錠や足枷をかけられている訳でもないのに春夜の所為で捕まったと彼を厳しく咎める。

 彼女の能力ならこのよく分からない場所を無理矢理抜け出して、家に帰ることも可能なのだろうが、デコは何故か顔のパーツ以外を動かそうとしない。


 そして、まだハッキリとしない意識の中でデコと目線が並んでいる事にふと気付いた春夜は自身が車椅子、ではなくただのパイプ椅子に座っている事を認識すると、太ももの間には先程手にした『生きた臓器』が置かれていた。


「ぶぅぎゃあああああああッ!!?」


 悪夢から覚めたと思いきや、またもや悪夢のような出来事が始まり、春夜は椅子から盛大に転げ落ちると、地面を這いデコの足にしがみついて半泣き状態。


「お、おい誰だァッ!! こんな趣味の悪い事してるクソ野郎はよォッ!! 俺の弱点を知っての行動だろうが……ぜってえにぶっ殺してやるから今すぐ俺の前に出てこいッ! そしてさっさと機関銃を貸しやがれデコ! これやったクソったれの腹に、ありったけの弾をぶち込んでやるからよお!!」


「き、機関銃なんて私が持ってる訳ないでしょ! あんまり大きな声出さないでよ。それに人に散々ビビりとか言っておいてアンタだって臓器ごときで腰抜かしてんじゃない! 本当情けないわよ」


「いや! グロテスクなモン見せられても平気って奴の方が少ねえだろ! 映像とは違んだぞ! というか俺にこんなモノ持たせた奴は誰なんだよおッ!!」


「だから本当にうるさいから静かにして! ねえ!」


 臓器一つでここまで取り乱す春夜。

 こんな暗い空間でなれけば腹を抱えて笑ってやるところだが、春夜の叫び声はより一層の不安感を与えてくる為、心の底から黙ってくれと懇願する少女。


「──凄く声が大きいんですね。この人」


「──そうね。これぞ元気な男の子って感じがするわね」


 肌に冷たい空気が伝わるこの空間でコツコツと靴音を立てて接近してくる二人の男女。

 この聞き覚えのある声色は先刻、安らぎ病院の四階の廊下でスピリチュアルな噂話をしていた者達で、デコは彼らが来るや否や両目を固く閉じて、両耳に指を突っ込みセルフノイズキャンセルを試みた。


「てめえらが俺に臓器提供したクソったれか!?」


「てめえらって初対面に随分と失礼な言い方をするのねキミ」


 少女の足にしがみつく威勢だけは一丁前の男に余裕のある表情を浮かべる病衣を着た女。

 彼女、顔は普通の人間と何ら変わらないのだが、先程四階で目にした者と同じならば後頭部にもう一つ口がある筈。


 デコは震えた顎で女の方を指すと、春夜に向かって声を発した。


「そ、そこに居る女、私が前に会った二口女よ。アンタ、前に持ってたでしょ? 黄色い花の髪飾り。あれはそいつの物よ」


「ああ、あのハイビスカスカスカス女か。意識高い系の女は全員俺の攻撃対象だが」


「ででで、もも、問題はもう一人の奴よ! わ、私はあの姿、生理的に受け付けないから一応目を閉じておくけど、奴はヤバいわよ! 何がヤバいってもう全てがヤバいの! 存在自体がもうヤバいのよ!!」


 自ら耳を塞いでいる為、春夜の声も聞こえず一方的に喋り続けるデコ。

 あんなにも横柄だった少女にここまでヤバいヤバい言わせるとは、一体どんな曲者かと身構えるが、二口女じゃない方の奴は声質は男のものであっても、外見が全くもって男ではなかった。正確には性別という概念がそもそも無い生命体か……


 ボロ雑巾のように使い古されたクマの着ぐるみ。

 片方の目は強引に引きちぎられた形跡があり、その箇所含め所々破れた布地からは、およそ本物と思われる無数の指や眼球、そしてはらわたなんか飛び出していた。


 デコはこれがホラー映画なんかによく出てくる憑き物とでも思っているのだろう。でなければここまで怯えている道理がつかない。


「チクショウてめえ! 平然とグロい姿見せてんじゃねえよ! しかもお前、絶対俺に臓器提供した奴だろ! ゔっ、ぎもぢ悪すぎて吐きそう」


「あれ、子供はクマさんの着ぐるみが好きだと聞いたんですが……」


「俺はもうそんな着ぐるみなんかで喜ぶ年じゃねえし、お前はまずそのはみ出た臓器をしまえ! 子供泣くぞ!? そして俺も泣くぞ!?」


 ホラーとグロ要素を兼ね備えた森のクマさんならぬ病院のクマさんは春夜やデコにとって最大の天敵。

 二人は揃いも揃ってクマさんを視界から外すと、デコと春夜は互いに手を握り始め、精神の安定化を図っていた。


「ねえ春夜! 春夜いる!?」


「ああいるぞ! 今手を繋いでるだろ! それよりアイツは何なんだ!? 妖怪の認識であってるのか!? どちらかといえば妖怪というよりエイリアンみたいな中身してそうだけど!」


「そんなの私に聞かれてもわかんないわよ! 気になるなら着ぐるみ剥いで中身確認してくればいいじゃない!」


「誰がそんな事するかバカヤロウ! 俺の脳を破壊する気か!?」


 たった一つの臓器で頭を血塗れにした春夜に対し、何ともまあ心無い発言をするデコ。

 その二人の情けないやり取りに眼前の妖怪とエイリアンは終始無言を貫くと、春夜は明後日の方向を見るや否や怒り狂った様子で叫び始めた。


「おい水月ッ! お前どこかで見てんだろ! こんな茶番はもういいからいい加減出てこい! そしてこのクマを俺の目の届かない範囲まで飛ばせ!」


「ちょっアンタいきなりどうしたのよ! グロいの無理すぎて頭更におかしくなった!? 水月ってあのヘラヘラしたイケメンでしょ? 何で今その名前が出てくんのよ」


「何でも何もボコを(さら)ったのが水月だからだろ!」


「ぎょえッ! マジで!?」


 ヘラヘラした奴には大体裏がある。そう言って水月のことを毛嫌いしていたデコだが、まさかこんな直近で色々とやらかしてくれるとは……

 まだ春夜に聞かされただけだが、水月に対する怒りが段々と込み上がってくるデコは自ら座っていた車椅子をチンパンジーのように叩いて破壊すると、少女は激しく尻餅をついた。


「──病院の物を壊しちゃいけないよ。デコちゃん」


「ぎぃやあああああああああッ!!」


 目の前で佇むグロいエイリアンに、ボコを攫ったのがスカしたイケメン野郎と、頭の中をいっぱいにするには十分なデコの耳元に突然聞こえた囁き声。

 デコは驚きのあまり飛んで跳ねてはいつもの奇声を発するのだが、彼女の耳元に口を近づけたのは、あろう事かたった今話に上がってきた糸南水月。


「おお、そんなに驚くんだ。デコちゃんも春夜くんも夜中なのに随分と元気だね。僕は飛んで起きてここまで来たからまだまだ眠いよ。あはは」


「お前が眠いのとか知らねえし、これのどこが元気に見えるんですかねえ、水月さんよお!? 俺はデコに叩き起こされてからというもの、こんなにも酷い目に遭ってんだぞ! というか俺のボコを返せ!」


『跳梁跋扈』という文字が書かれたシャツを着る水月は睡眠不足を主張しながら大きな欠伸をする。


「ボコちゃんが君の物かは置いておくとして、よく僕が彼女を攫ったってわかったね春夜くん。僕は君みたいに上手く嘘をつけないから、常に気を張って言動にも注意していた筈なんだけど」


「涼しい顔して嘘を吐く点に関しては俺と同じじゃねえか。それに攫ったのはボコだけじゃねえだろ。あのBL好きのババアの犬神(ペット)やそこに居る二口女……この町で妖怪が立て続けに失踪してるのはお前が原因なんだろ?」


「うーん、その様子から察するに君は以前から僕が妖怪を攫っている事知ってた?」


「俺の勘の鋭さは母さん譲りだからな」


 波山羊町妖怪失踪事件に水月が関わっていると踏んだのはババアから犬探しの依頼を受けた日。

 あの日はチビヤクザの店で迷い犬探しに役立つアイテムがないか物色していたところに水月が途中で加わってきた。


 彼は数週間前から右乳首の痒みが(おさま)らず、病院の薬では症状が改善されなかった為、やむなく様々な発明品が置いてあるチビヤクザの店を頼ったわけだが……


 春夜が怪しいと感じたのはまさしくその点。

 糸南水月が『数週間右乳首の痒みに悩まされていた』という事。


 実は春夜は高校生の頃、彼と全く同じ経験をしていて、何故両方の乳首ではなく右乳首だけ痒くなるのか……


 これは波山羊町に棲むとある妖怪の仕業で、若かりし頃の春夜はその妖怪にちょっかいを出しまくった結果、数週間どころか数ヶ月間乳首の痒みに悩まされていた。


 つまりは水月も彼と同様にその妖怪にちょっかいを出したと考える説が濃厚だが、水月は春夜と違って無闇矢鱈(むやみやたら)に悪戯をするような男ではない。

 では何故彼の右乳首は痒いままなのか……それを不審に思った春夜は、この土地の妖怪の匂いを嗅ぎ分けるのが得意な妖怪、犬神に水月の乳首を噛ませる事によって、その肉片に流れる妖力を瞬時に解析し、過去に春夜の乳首を苦しめた妖怪と同じ妖力である事が判明した。


 そして(のち)にその妖怪が直近で行方不明になっている事を知った春夜は妖怪失踪事件に水月が加担していると考えた訳だが──


「なるほど。僕の乳首の痒みは妖怪によるものだったんだね」


「同じ苦しみを味わった者だからこそ言える。乳首切断は効果覿面(こうかてきめん)なんだって」


「あはは。そう言うって事は君も右乳首を……」


 やけに遠い目をする春夜もまた右乳首の切断を経験した者である事が今ここで判ると、水月は乾いた笑みを浮かべながらそっと自分の右胸に手を当てた。


「じゃあこの病院まで辿り着けたのも犬神の鼻を使ったって事?」


「いや犬神の嗅覚は役に立たなかったからコレを使った」


「ん? それって……アフロ先輩のお店で買った手帳?」


 チビヤクザのストーカーアイテム『強制手配帳』を誇らしげに見せつける春夜。

 流石は100万しただけはある。水月の記憶にもしっかりと残っていたらしく、それと同時に前に手帳を使った時は迷い犬の居場所を特定する事は出来なかった筈だと少し戸惑った表情を見せる。


「その手帳でボコちゃんの居場所わかったの?」


「ああ、不良品じゃなくてマジで助かったわ」


「へ、へえ、存外君も侮れないね。けど手帳の上にただ対象者の細胞を載せただけじゃ分からなかったでしょ? ボコちゃんの居場所」


「だから事前に持たせて正解だったな。俺自信作の指輪を」


「指輪……ああ! 海の家でボコちゃんに渡してたあの紅いエンゲージリング! あれが僕の『糸』の邪魔をしたのか」


 何も考えていないようで、気まぐれで先を見据える事ができる夏出春夜は、ボコが急に居なくなっても素早い対処ができるように、細工した指輪を彼女に持たせていた。

 ボコが指輪を外し、外へ出ていたのならそれまでだったが、どうやら春夜の想いの詰まった指輪はまだ身に付けてくれてるらしい。


「そっか……ねえ、春夜くん? 僕がもしボコちゃんじゃなくてデコちゃんを攫っていた場合、君はどうしたんだい? 彼女には指輪をあげていなかったよね」


「はあ? あんなチビガキなんて知らねえよ。たとえボコに頼まれてもアイツを探す事はなかっただろうな。うるせえし、うぜえし、前髪だせえし」


「あはは、やっぱりそうだよね。それ程までにボコちゃんが大事なんだよね春夜くんは……そっかそっか」


 妖怪失踪事件の犯人を前々から知っていながら今の今まで干渉しなかった事もそうだが、何より自身が助けたいと思う奴以外はどうなろうと構わないという春夜の腐った精神に頭を抱える水月は唐突にとある方向を指さした。


 春夜は咄嗟に首を曲げるとそこには二口女にお姫様抱っこされたデコをジッと黙視するグロいクマさんの姿が……


「なッ!? アイツいつの間に捕まっていたのか!」


 クマさんに抱えられたら即座に気絶して現実から目を背ける事が出来たのだが、二口女が抱っこし、クマさんがそれを物静かに見つめる事で、気絶することも逃げることも出来なくなったデコは小動物のような目をして春夜に助けを求めていた。


「安心して、彼女に危害は加えないから。ただちょこまかと動かれたら困るからね。恐ろしいクマさんで無力化させてもらったよ」


「いやデコになら危害加えてもいいぞ」


「君はまたそんな事を言って……」


 もはやどっちが悪者か区別がつかない程、春夜の畜生っぷりが際立つと、よくまあこの状況で笑えない冗談を言えるよなと、下唇に歯を立てて血を流すデコは彼に対する殺意を芽生えさせる。


「ところで春夜くんはさ、僕が何でボコちゃんを攫ったか理由を知っているかい?」


「ボコを攫った理由? そりゃあアイツがあまりに可愛いから誘拐したくなったって──いや待て。今この町で行方不明になってるのって確か妖怪だけだったよな。妖力を持つ人間は勿論、人が居なくなったって話自体聞いてねえし……え、もしかしてボコは人ではなく妖怪なのかッ!?」


「まったく君って人は……急に話を脱線させるね。彼女が人間か妖怪かなんて話、今はどうだっていいよ。町の妖怪を攫った事と、今回ボコちゃんを拝借した事については全くの別件だからね」


「別件ってお前……やっぱりボコの可愛さにやられてロリコン化しちまったのか」


「うん……もういいや。ボコちゃんは返すよ」


 ボコが優しく人に好かれやすい子である事は否定しないが、春夜ほど夢中になる理由も見当たらない水月の諦めた声に呼応して、突如辺りに翡翠色の光が宿った。


「な、なんだ!?」


 春夜の右目の能力はクマさんの中身を決して覗かない為にも使わないでおいたが、この展開は絶対に何か大変な事が起きるかもしれないと予想した春夜は右目を赤から青へと変色させる──つもりであったが、やはりクマさんの中の情報が脳に直接送られる方が大事(だいじ)だと思ったのだろう。彼は能力を発動する一歩手前で臆病になると、首を左右に曲げて周囲の変化を見届けるしかなかった。


 暗闇に明かりが灯る事でこの場所が車一つない、恐らく地下の駐車場と思われる場所である事に気付いた意気地なし男は、光の中から姿を現したボコと目が合った。


「おおボコ! 無事だったか!!」


 学生服を着る彼女は攫われた割には外傷一つ見当たらず、いつもと変わらない無表情でジッと佇んでいた。

 ボコを実際に視認する事でデコは怯えながらも安堵し、春夜は彼女の元に駆け寄ると有無を言わさず抱きついた。


 しかし、少女の身体をその身で包み込んだ彼は突如、腹部に抉られような感覚が走ると、急激な眩暈(めまい)に襲われ、そのまま後ろに倒れ込んだ。


「ゔっ……い、いっでえええええええ!!」


 他人の鼓膜を破る勢いで叫び声を上げる春夜の腹に空いた拳一つ分の穴。

 ボコの右手は真っ赤に染まり、赤い雫がポタポタと音を鳴らして地面に血溜まりを作っていた。


「あらら春夜くん駄目だよ。ボコちゃんには注意して近づかないと」


「がはッ!! み、みずぎ……でめぇッ! ボコになにしやがっだあ!?」


 感動的な再会の場を設けてくれたと思いきや、全くもってそんな事はなかった卑劣な水月。

 春夜はあり得ない量の血を吐きながら死を間近に感じていた。

 ボコにこんな馬鹿力があった事にも驚きだが、温和で優しいあのボコがこのような事をしてくるとは……


 現にこれまで共に過ごしてきた姉のデコは顎が外れるくらい大きく口を開けて驚愕していた。

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