30話 妹のお友達
波山羊高校グラウンド。
サッカー部や野球部、陸上部など様々な部活が活動を行なっている中、グラウンドの中心を陣取ってゲートボールを行っていたのは、腰の曲がったおじいちゃんと鋭い目つきの女ヤンキー、そして春夜の妹の夏出小春であった。
「で、何で夏彦までついて来てんだ」
喫茶店で食事を終えた春夜は何故か後ろをついて来ている夏彦に不服そうな顔を向けて聞いた。
「なんでもなにも、私も妹の顔を見に来たんだよ。君の妹と仲良くやっているかどうかをね」
「それなら喫茶店なんか寄らずに真っ先に学校行っとけ」
採血という気色の悪い趣味よりも家族との時間を大切にしろと言う春夜だが、彼も食欲を優先して喫茶店に立ち寄った為、人のことを言えない。
そしてそんな彼らの存在にいち早く気付いた小春はパァッと明るい笑みを浮かべながら春夜の方に歩み寄ってきた。
「あれれっ、兄やんとスズが一緒に学校に来るなんて珍しいね! どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ。小春が弁当忘れたから俺がわざわざ届けてきてやったんだろ」
「弁当……あっ、そういえば! ごめんね二人とも!」
気怠そうな表情を浮かべながらも妹の為ならどんな事だってする春夜は小春に弁当を手渡すと、一先ず母親から受けた任務を完了した。
「お姉ちゃんはドジっ子だからね。仕方がない」
これでこそ私の姉だと頷くスズに頬を膨らませる小春。
「もうスズ! 私はドジっ子じゃなくて、ただガサツなだけだよ!」
「ドジとガサツ、あまり大差ない」
「いやいや何を言っているのさ! ドジっ子なんてアザトイ感じがして嫌じゃん! 私、可愛いさよりクールを求めてるから」
「ガサツはクールなの?」
小春の独特な感性に口をへの字にして困惑するスズ。
私服の作務衣に理解があっても、その他のセンスは全く理解する事ができなかったか。
すると小春の部活仲間である女ヤンキーがギザギザに並んだ真っ白な歯を見せつけながらスズの方へと近づいてきた。
「──この子が噂の小春っちの妹ちゃんすか? へえー、かなり巨大っすねー!」
パステルピンクの髪色をした軽い口調のヤンキー少女。
柄物のキャップを深々と被る彼女はキャップの後頭部についた穴から一つに束ねた髪を下ろしている。
服装は校則をガッツリ無視した青いスカジャンで、背には『阿修羅』の刺繍が入っている。そして下は黒のショートパンツとハイカットスニーカー。
ショートパンツはともかく、こんな猛暑が続く日にスカジャンはどうかと思うが、彼女も小春と同様に私服に対しての拘りが強いのだろう。
スズはヤンキーにペコリとお辞儀をすると自己紹介を始めた。
「初めましてスズです、10歳です。体が大きいのは成長期だからです」
「ほほう、10歳でその長身……スズちゃんは今尚成長中ってことっすね。オーケーオーケー! んじゃ次はウチの番っす! ウチは簾覇道。小春っちの唯一無二の親友でこの波山羊町が誇るクソヤンキーっす。気軽に覇道って呼んでくれて構わないっすよ」
「覇道……クソヤンキー?」
女の子の名前にしてはやけに強そうな名前と、自らをクソヤンキーと呼称する彼女に何と返せばいいのか早速戸惑うスズは春夜の方に顔を向けて助けを求めた。
「おいおい覇道、いきなりクソヤンキーとか言ってもスズには伝わらねえぞ。先ずはお前が俺に憧れてる女子高生だってのを伝えねえと」
「んー、そうっすね。では改め直して! ウチは簾覇道! アニキ……っていうのは春夜さんのことで、ウチはアニキのクズい性格に憧れてこんな見た目のイカついヤンキーになっちまったっす! アニキとはよく、近所のガキ共をいじめて楽しんでたんすけど、最近はアニキの付き合いが悪くて少しだけ寂しいっす」
「──えっ、兄やんそんな事してんの?」
「そうっすよ。特に小学生とか泣かしまくってるっす」
「うわー、兄やんゴミやん」
覇道の自己紹介で非道な行いをしていたのがバレる春夜は小春から冷たい目で見られる。
そして当然、同じ『簾』という苗字を持つ夏彦からも「私の妹に悪い影響を与えないでくれ」と真面目に注意を受けるが、覇道は生まれ持っての三白眼で何故か夏彦を睨みつけると──
「アンタ誰っすか」
何と夏彦に向かって覇道は予想だにしないセリフを吐き捨てたのだ。
わざわざ妹の様子を見に高校まで出向いてやったというのに、当の妹から赤の他人扱いをされる夏彦。
しかし夏彦はこの様な言葉が返ってくるのを予想していたのか、彼の表情は一切変わっていない。
「二週間会わないだけで、もう兄の顔を忘れたのか覇道」
「ウチの名前を気安く呼ばないでもらいたいっす」
「では何と呼べば?」
一見冷めた関係性に見えるこの二人。
まさか妹の名前を呼ぶ事すら許可してもらえないとは、兄は妹にどれだけ嫌われているのか。
修羅場に居合わせた感が否めないスズは口元をアワアワさせると、静かに春夜を盾にし背中に隠れるのだが、何故か春夜は二人のやり取りを生暖かい目で見ていた。
「ウチの事は『さっきトイレに行ったら、私のお尻が八つに割れてました』って呼ぶっす」
「……意味が分からないんだが。何だ、お尻が八つに割れるって。地球上にそのような生物が居るとは私は聞いた事がないぞ」
「いやそう呼べって話っす。ウチかてトイレでケツが八つに割れる奴なんか聞いたことないっすよ」
「はあ……さっきトイレに行ったら、私のお尻が八つに割れてました。これでいいのか? まったく長いな」
覇道の意図が全くもって読めない夏彦は言われるがまま、真面目な顔して間抜けなセリフを吐くのだが、その光景を眺める春夜は『何言ってんだコイツ』と夏彦を嘲笑っていた。
そして覇道もまた口元を手で押さえると吹き出すようにして笑い始めた。
「……ぷぷっ。冗談なのに真顔でお尻割れたとか言ってやんの! しかも八つにって! あっははは、夏彦マジで滑稽っす!」
「私は覇道がそう呼べと言ったからそれに従ったまでで、滑稽と言われる筋合いはないぞ」
「にしてもお尻が八つって! マジウケるっす!」
「いや何も面白くないんだが」
要は覇道の悪ふざけに付き合わされただけの夏彦は妹の笑いのセンスを心底理解できないでいると、これを見るまで夏彦と覇道が偽りの兄妹であると思い込んでいたスズは一体何事かと首を傾げていた。
「深く考えるなスズ。夏彦と覇道はいっつも会う度にこんなくだらねえ事を繰り返してるんだ。兄妹でやるコントとでも思っとけ」
「二人は芸人?」
「そうだ。面白くない部類のな」
夏彦と覇道のやり取りは娯楽とまではいかないが、流し見くらいが丁度いいとスズに伝える春夜。
「そういえば兄やん、もうお母さんから聖書受け取ったんだね。どうだった? 私、エロ写真撮るの上手かったでしょ!」
春夜の首にかけられた聖書に目線がいく小春は、カメラマンとして制作に携わった所為か、嬉々とした様子で春夜に感想を聞いた。
「まあ、確かにカメラマンとしての素質はあるとは思うが、小春は母さんのドエロい姿を撮るのに抵抗はなかったのか? 仮にも俺たちの母親なんだぞ」
「んー、そこは別に気にならなかったかな、私も一応女だし。あ、でも流石に何千枚も写真撮るのは大変だったかも。後半腕がパンパンマンだったし」
小春は左の二の腕をもう片方の手で擦ると撮影時に腕を痛めた事をアピールした。
「……俺もそうだが、小春も大概頭おかしいよな。普通の家庭なら気まずいどころの話じゃ済まねえぞ」
「えー、そうかな? どこの家庭も可愛くて優しいお母さんの為なら何だってすると思うけど。兄やんも実際そうでしょ?」
「……まあ、そう言われればそう」
母親の裸体をエロく撮ることが世間一般でいう異常行為であっても、そんなこと知ったこっちゃないと、世間体を一切気にしない小春は母親想いの良い子であった。
「──フォッフォッフォッ。急に賑やかになったかと思えばハルタ君達が来ておったのか。ワシは目が悪いからのう、こうやって近づかんと人の顔を認識できんのじゃ」
小春や覇道の後に遅れて接近してきた黒いローブを羽織ったヨボヨボのおじいちゃん。
ゲートボールのスティックを杖代わりにし、筆のように太くて長い白い髭を貯える老人はシワの感じから推測するにおおよそ八十歳くらいか。
春夜は老いで身長が縮んだおじいちゃんを見下ろしながら口を開いた。
「よお、おじいちゃん先生。まだ波高の教師やってたんだな。定年退職って言葉知ってるか?」
「フォッフォッフォッ、今日は雲一つない良い天気じゃのう。どうじゃ? ハルタ君も一緒にゲートボールをやらんか?」
「目だけじゃなく耳まで悪いじゃねえか……そもそも俺の名前はハルタじゃなくてハルヤだし、ゲートボール部なんてマイナーな部がサッカー部や野球部よりグラウンドを広く使うんじゃねえ」
ゲートボール部は小春が入学と同時に作った割と新しめな部活で、現在の部員は小春と覇道の二人しか居ない。
顧問は言うまでもなく、ゲートボール大好きなこのおじいちゃん先生なのだが、この部活が何故、他の部活よりも良い位置を陣取って活動できているのかというと、この部活には贔屓がある。小春と覇道のたった二人だけで部活設立できたのもそれが理由だ。
「兄やん……私の部活嫌い?」
ゲートボール部がマイナーと言われた事でシュンとしてしまった小春はつぶらな瞳で兄を見つめる。
「あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃないぞ。寧ろ俺は小春の部を応援してるからな! 小春たんマジ大好き!」
「え、兄やん……それはそれで気持ち悪いよ」
「まあ、キモい性格してるのが俺だからな」
いくら血の繋がった兄妹でも『たん呼び』は生理的に受け付けなかったのか、小春は引き攣った顔を兄に見せた。
すると春夜は突然グラウンドを四方八方、キョロキョロ見渡すと、とある人物を探していた。
「そういえば遠藤茉未の姿が見当たらないんだが、アイツは珍しく風邪でも引いたのか?」
「あー、茉未ちゃん? 確かに私も今日一回も会ってないけど、どうなんだろう。あと茉未ちゃんは先生なんだからアイツなんて言っちゃ駄目だよ兄やん」
「いや俺もう卒業してるから関係なくね。アイツどころか、今この場に居ないのならエンマと呼ぶ事だってでき──」
「────誰ぇがエンマじゃあああああいッ!!」
「ぶばがあッ!!」
春夜が『エンマ』のワードを発した次の瞬間、一人の人間が物凄い勢いで空から降って来ると、地面の着地と同時に腹部を回し蹴りされた春夜は地に体を打ちつけられながら50mほど吹き飛んだ。
「レディーに向かってエンマとは良い度胸だな。なあッ! 夏出の春夜くん!」
赤いジャージを着た筋肉質体型の赤髪長身女、遠藤茉未。
彼女は波山羊高校に勤める女教師で、高校時代の春夜の担任をなんと三年連続務めていた、口よりも先に手が出るオープン体罰教師。そして何故か校長よりも立場が高い国語教師でもある。現在は小春やデコとボコの担任を務めている。
エンドウマミという名前の所為で幼少期から『エンマ』と揶揄われる事が多かった為、彼女はその呼び方を嫌っている。
そして夏出小春を地球上、いや銀河一愛する同性愛者でもある。ゲートボール部が学校側から贔屓されているのもこの人が原因。
「空から茉未ちゃんが降ってきた。え、なんで?」
兄の怪我の心配よりも茉未が上空から落下してきた事に唖然とする小春。
「やあ小春ちゃん! 今日も変わらずエグい可愛さをしてるねえ! 因みに私は真上にある気球から小春ちゃんを撮影してんだけど……いやあ、小春ちゃんのつむじ写真だけでお腹が膨れてしまったね!」
茉未は右の人差し指を空に向けると、そこには夏出小春の顔を模した気球がフワフワと宙を漂っていた。
「また私のこと盗撮してたの茉未ちゃん。しかもあんな恥ずかしい気球まで用意して……」
「にゃははー、私は小春ちゃんを常に隣で感じていたいからね。二ヶ月かけて作っちゃった! 小春ちゃんのチャームポイントであるちょんまげとかよく出来てるでしょ!」
「なんか本当……お母さんの親友なだけあるよ」
愛する者への接し方がどこか普通でない事に母親の影を見る小春は呆れた顔して空を流れる気球を眺めていた。
すると茉未はニヤけ顔から一変、眉にシワを寄せて、顰めっ面スズの前に立つと、どういうわけか彼女の胸を力強く引っ張り始めた。
「ぎぃっ!? いっ、いきなり、なにっ……」
「君が私を差し置いて小春ちゃんと同居を始めたという妖怪か。小春ちゃんとお揃いの作務衣まで見せつけて……全くもってけしからん!!」
「ゔっ……なんか、デジャブ」
以前にも偏愛者に胸を揉みしだかれた経験のあるスズは、痛みで口元を歪めながら理不尽なこの現状に耐えていた。
「ちょっと茉未ちゃん! 初対面なのにスズをいじめるのやめて! 私の大事な妹なんだよ!」
「いっ、いもうどッ!? 小春ちゃんと一緒に暮らす事だけでも至上の喜びだというのに、小春ちゃん公認の妹になっただなんて……ヤダヤダヤダヤダ!! 私も小春ちゃんの妹になりたいィ!!」
付き合いの長さでは勝っても家族に加わる事はできない遠藤茉未は駄々をこねて小春の妹になりたがろうとする。そしてこのみっともない大人に子供達は一斉に苦い顔を見せた。
「茉未さん……キツイっす」
「何を言うか簾覇道! 小春ちゃんの妹になれば毎日一緒に風呂に入る事ができ、同じ布団でイチャイチャラブラブすることだってできるんだぞ!? 良いこと尽くめじゃないか!」
「ちょっと何言ってるか分かんないっす。それに茉未さん、小春っちの家たしか入れないっすよね、物理的に。アニキがそういう風に家を改造したとかで」
「あーそうそう、私だけが敷地に入れないよう不可視の壁を張ったアレな。まあ改造というよりかは非モテのチビアフロの道具を頼ってるだけなんだが……マジで殺意湧くよな」
覇道の言葉で嫌な記憶を思い出した茉未は地面に転がったゲートボールで使用される玉を一つ拾うと、地を這う春夜のケツを目掛けて全力投球した。
「──遠藤茉未。君の血も採らせてもらえないだろうか。女性でありながらその高い身体能力は目を引く部分がある」
夏彦は先の喫茶店で春夜に行ったのと同様に、鞄から採血キットを取り出すと茉未の血を盗ろうとするのだが、彼女は咄嗟に腕を後ろに隠すと採血を拒否した。
「お前頭おかしいんじゃないか!? 私の血を奪おうなどと……私の純潔を奪っていいのは小春ちゃんだけだ!」
「純血? 君は一体なんの話をしてるんだ?」
「なんの話って、ナニの話だろ」
一瞬で話が噛み合わなくなる二人にこれ以上時間を費やすのは無駄だと判断した小春と覇道。少女達はグラウンドの中心に放置されたゲートボールスティックを拾いに行くと部活を再開する事にした。
顧問のおじいちゃん先生はというと、曲がりきった腰で伸びた春夜の回収を行うと、わざわざ波高の保健室まで引きずったという……