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3話 何も知らせない兄、何も知らされない妹。

「ちょ、ちょっと、何やってるんですかお母さん!? いくら息子さんが警察のお世話になったからって、なにもそこまでしなくても! というか壁に穴開けないでください! 器物損壊ですよ」


 警官も、まさか突然現れた母親がいきなり息子に手をかけるとは思っていなかったのだろう。壁に叩きつけられた春夜を慌てて引き起こし、まだ息があることを確かめて安堵する。


 だが美春は警官の声など意に介さず、椅子に座るスズの前へ歩み寄ると、彼女の左胸をいきなり鷲掴みにし、美人らしからぬ形相で威圧した。


「ねえ、アナタぁ? 人の男に手ェ出すなんていい度胸してるじゃない。言っておくけどね、ハルくんはアンタみたいなクソデカい女眼中にないんだから! ハルくんは、昔からお母さんのもとを離れようとしない生粋のマザコン野郎なんだから、他の女が介入する余地一切なしッ!」


「い、いだい、おっぱいもげる……」


「──もげるじゃなくて、もいでんのよ! 女はすぐおっぱい使ってハルくんを落とそうとするから、こうしてわからせてやってんのよ! どう痛い? アッハハハ! 痛いわよねえ!」


 まるでゴムのように上下左右、胸を引っ張られ続けるスズは、顔を真っ赤にして歯を食いしばり、必死に耐えていた。だが美春の暴走は止まらない。次はもう片方の胸へと手を伸ばす彼女は、両胸に対して無慈悲な制裁を加え始めた。


 そのあまりに理不尽な光景に、警官に支えられていた春夜は、残りわずかな気力を振り絞り、弱々しく声を発した。


「ス、スズは母さんが思ってるような奴じゃねえよ……だからその辺に」


「へえ、お母さんの事は名前で呼ばないくせに、このデカいだけが取り柄の女は名前で呼んじゃうんだぁ……あーもう完全に怒っちゃった。この小娘の胸、両方とも引きちぎって無理矢理にでも性別変えてやるわ。そうすればハルくんに手出しできなくなるのもね!」


「──あぃだだだだだッ!! お、お兄ちゃん、逆に怒らせてどうするのッ……このままだと本当にちぎれる!」


「お、おお……お兄ちゃんですって!? ハルくんをそんな風に呼んでどこまで図々しいのよこのデカ女!」


 息子への愛情もここまで過剰となれば、もはや狂気以外の何ものでもない。警官の憐憫の眼差しが、春夜に向けられる。


 もちろん春夜は母を嫌ってはいない。むしろ、ここまで自分を優先してくれる存在は、家族としても一人の女性としてもとても大切だと思っている。だが今の母は、あまりに自己中心的すぎて、人として直視できなかった。胸を強く締め付けられながら、美春を冷ややかに見据え、言葉を吐き捨てる。


「母さん、いい加減にしないとマジで……し、死ぬまで無視し続けるぞ!」


 本当はもっと強く「(たもと)を分かつぞ!」的なニュアンスの言葉をぶつけるつもりだった春夜。しかし、それを言えば母が大げさにショックを受けるのは目に見えていたため、とりあえず「一生無視するぞ」に変換して告げる。


 それに反応した美春は、肩をピクリと動かす。どうやら効果覿面らしい。


 スズの胸から手をスッと離した美春は、その場でストンと膝を落とす。そして眦から涙をぽろぽろこぼした。


「ハルくんが……お母さんを無視し続ける人生……そんな人生、いやああああ!」


 愛する息子に拒絶される未来を想像した美春は、あまりの衝撃に悶絶する。歯と歯の間に舌を挟み、口の端から血がにじむ。それでも必死に息をつきながら、春夜を見つめる。


「おい、マジか!」


 いくらなんでも早まり過ぎじゃないかと、慌てた春夜はズタボロの体を強引に動かして、彼女にしがみつく形で止めに入る。


「な、何やってんだ母さん! 子供置いて先に逝く気か!?」


「…………ハルくん……お母さんを無視しないでぇ」


「あ、あったりまえだ! 母さんと俺は家族なんだぞ!? これまでずっと支え合って生きてきたんだ。だから母さんを無視なんて、お、俺は絶対にできないね!!」


「そ、そうなの? ……え、えへへ、やっぱりハルくんは優しいね」


 美春の口を無理矢理こじ開け、ひとまず口内に舌をしまう事に成功した春夜だが、彼の寿命は確実に数ヶ月分は縮まっていた。

 それにしても母親に少し冷たく接しただけでこうなるとは、今後はできるだけ優しい言葉を選んだ方がいいなと春夜は猛省し、叱られた子供のようにシュンとしてしまった美春は息子のシャツでズルズル鼻をかんでいた。


 先程の威圧的な態度は一体どこへ消えたのやら……


「……ハルくん、抱っこ」


 美春は上目遣いで春夜にお願いをする。


「えっ……だ、抱っこ?」


「お母しゃん疲れたから、抱っこして」


「あー、俺今、体ボロボロなんだけど……」


「お母しゃんも心がボロボロだよ? ねー抱っこしてよぉ」


「……しょうがねえなあ。ただし抱っこじゃなくておんぶな。こっちの方がまだ動きやすいから」


「やったー! ハルくんしゅきしゅきー!」


 夏出春夜は知っていた。

 自分の母・美春は、嫌なことがあると人一倍、いや人の十倍は落ち込み、立ち直る頃には精神年齢が6歳前後の甘えん坊の女の子になってしまうことを。


 さらに春夜は、幼女モードの母の要求を少しでも断ると、そのたびに精神年齢が下がり、最終的には日本語すら忘れてしまう──『完全なる幼児退行』に至ることも知っていた。


 彼女をこれ以上幼児化させないため、春夜は素直に要求を受け入れ、母親を背中に乗せる。唖然とする警官に向かって、彼は一言かけた。


「悪いオッサン。補導の件はまた後日連絡してくれ。家の番号は書いとくから」


「えっ、あ、そうだね。その方が良さそうだ。春夜くん、色々大変かと思うけど頑張って……子育て」


「子供が親を子育てって、意味わからなすぎだろ」


 警官に家庭事情を心から心配される春夜。背中から美春が落ちないよう右手で支えながら、左手でメモ用紙に家の電話番号を書き込む。

 書き終えると、今度は痛めた胸を優しく押さえるスズに視線を向けた。


「お前は帰る家あんのか?」


「ないよ」


「何、普通のトーンで言ってんだ」


「だってないものは、ないから」


「はぁ……だったらウチ来るか? 部屋いくつか空いてんぞ」


「え、でも私、お兄ちゃんの(ハハ)に嫌われてるよ?」


「別にこれはお前に限った話じゃねえよ。俺の幼馴染だって、女ってだけで超敵視するからなこの人」


 春夜はスズに説明するように付け加えた。背中の女性は、春夜に色目を使う女に露骨に殺意を向け、息子を中心に世界を回しているかのような独占的な性格だ、と。


「お兄ちゃんの幼馴染……それ、トウコ?」


「お前、凍呼のことも知ってんのか?」


「うん。トウコも知ってるし、ミズキも知ってる」


「あ、ミズキ? って、ああ。あの顔だけのもやし野郎か。というか何でお前そんなに詳しいんだ? もしかしてストーカー?」


「果たして、お兄ちゃんをストーカーする価値はあるのでしょうか」


「価値はあるだろ」


 春夜は、自分を「お兄ちゃん」と呼ぶだけでなく、周りの人間まで把握しているスズに面を食らった。

 本来ならもう少し詳しく問いただしたいところだが、今はそんな余裕もなく、まずは家に帰って休むのが先決だった。そこで春夜は、もう一つスズに問いかけた。


「ところでスズ、運転免許って持ってるか?」


「持ってない、スズ10歳だから。それに私の体は普通の車じゃ収まらないよ」


「まだ10歳とか抜かしやがって……ったくどうしたもんか。母さんはここまで運転して来たんだろうが、この知能が低下した状態でハンドルなんて握らせたら、確実に事故が起きるからな」


「お兄ちゃんは免許持ってないの?」


「俺が持ってるわけないだろ。こちとら自転車すらまともに乗れねえんだ」


「……格好悪い」


「うっせえ! 徒歩が一番安全なんだよ!」


 とは言っても交番から自宅までの距離は約10km。

 歩いて帰れば普通に2時間はかかるのでここは是が非でも車を使って帰宅したいところ……

 すると春夜とスズは流れるように警官の方へ顔を向けると──


「オッサンって車運転できる?」


「えっ、もちろんできるけど、運転するのって春夜くんとこの車でしょ? そしたらおじさん交番に戻る時、長い距離を歩くことになっちゃうんだけど」


「大丈夫! そこの同僚がオッサンの事、迎えに来てくれるから」


 一体何を確信しての大丈夫なのか、適当な事を抜かす春夜は、これまで一言も喋らず、自分たちに干渉すらしない、自分のタスクを黙々とこなしていたもう一人の警官を指さした。


「えぇ……じゃあ、悪いけど頼んでいいかい、田中くん?」


「分かりました。彼らを家に送り届けたら連絡を入れてください。迎えに行きます」


 周りに無関心すぎる警官・田中の許可も取れたことだし、早速家に帰ることにした。

 白いミニバンをおじさん警官に運転させ、夏出一行は無事自宅に到着する。

 スズの体があまりにも大きかったため、後部座席を二つ使って横に寝かせて運ぶという珍妙な光景が展開され、車内はまるで小さな移動要塞のようだった。春夜も思わず目を見張り、肩をすくめて笑いそうになるのを堪えた。


 ──翌日。

 閑静な住宅地にある白塗りの一軒家。

 表札には『夏出』の文字が書かれており、朝っぱらから家の中で騒がしい声が鳴り響いた。


「ちょっと(あに)やん! 私が寝てる間に何があったの!?」


 我が物顔……もとい、我が物口でソファを占領してテレビ鑑賞を行うスズ、そして赤ん坊をあやすように美春の世話をする春夜に対し、作務衣(さむえ)姿の少女は慌てふためいた様子で聞いた。


 黒のショートヘアに前髪の中心部分にちょんまげをつくる彼女は、春夜や美春と同様に赤い目と端正な顔立ちが特徴的。


 すると春夜は眼前の少女に対して苦笑いを浮かべる。


「あ、あはは……家族が増えちまったよ、小春(こはる)


「…………えっ!?」


「名前はスズで年は10歳だとずっと言い張ってるから、小春の妹になるな……まあこれから仲良くしてやってくれ」


 夏出小春16歳は兄の突拍子もない発言に思わず絶句してしまう。

 だが驚くのも無理はない。なぜなら昨日までいつもと変わらぬ日常を過ごしていた小春が、次の日には新しい家族が増え、自分がお姉ちゃんになってしまっているのだ。

 事前に知らされていたら恐らくは多少の驚きで済んだのだろうが、夏出家に常識人は不在の為、こういったサプライズが度々起こる。だが今回は理解の域を優に超えているらしく……


「わわ、私が、お姉ちゃん……」


「はい、今日から貴女(あなた)が私のお姉ちゃんです。よろしくお願いします」


「あ、はい。お願いしま────って、デカあァッ!!」


 いつの間にソファから離れ、小春の前で直立するスズは新たな家族の一員として礼儀正しく挨拶をすると、兄が連れてきたにしては珍しく良識のある人だと思った矢先、自身とあまりにかけ離れた身長差に小春は大声を出して驚いた。


「あ、兄やんッ!! スズさんってまさかだけど、妖怪なの!? 目と鼻ついてないし!」


「まあ、そりゃあ驚くよな。でも、妖怪だって人間と同じ思考持ってんだから、差別すんな」


「いや、差別したつもりじゃないけど……兄やんスズさんのことちゃんと考えてないでしょ」


「まあ真剣には考えてないな」


 ここは兄として常にスズのことを考えていると言って欲しいのが本音だったが、現実はそう思い通りにいかず、無責任な発言をする春夜に小春は呆れるようにため息を()いた。


「はあ、(うち)の周り人しか住んでないんだよ? つまり人じゃないスズさんが気軽に外に出たりなんかしたら妖怪慣れしてない人たちはそれを見て一斉に大騒ぎ。最悪スズさんは住む場所どころか町を追われると、やがては国から……いや世界中を駆け巡りながら逃亡するという超絶バッドな展開に! こんなの絶対にあっちゃいけないでしょ!!」


 仮にこの町の住人が妖怪を見つけて騒ぎを起こしたとしてもスズが国を追われるなんて事、この平和な時代でまずあり得ないだろと妹の心配性を鼻で笑う、人でなし春夜。


 しかし小春の不安感は思いの(ほか)強く、小春はスズの大きな右手を小さな両手でギュッと握りしめると、青褪(あおざ)めた表情(かお)して鼻を垂らしていた。


「いくらなんでも大袈裟すぎだろ。それにこの町の住人は小春が思ってる以上に超鈍感だからなあ……スズがこの辺歩き回ったところで、ちょっと背の高い外国人がこの田舎に越してきたとしか思わねえだろ」


「あっ、たしかにそっか。外国の人は長身がかなり多いって聞くし、その設定だったらスズさんが怪しまれることはなくなるかも! ……あ、でも顔はどうするの? いくら外国人でも目と鼻はついてるでしょ?」


「そこは特殊メイクって言えば難なく誤魔化せるから安心しろ。それにこの町はジジババで埋め尽くされているからな、人の顔なんてロクに見えやしねえだろ」


「……兄やん、その言い方は良くないよ。お婆ちゃんがその言葉聞いたら絶対に悲しむ」


「別にジジババが嫌いとは言ってねえからセーフだ」


 たとえ嫌いと言っていなくてもジジババと(けな)している時点で既にアウトだろと、道徳のかけらもない春夜の考えに一応は納得した小春。


 日常で行動を制限される事なく自由に暮らしていく為にも、まずは『波山羊町(なみやぎちょう)に最近引っ越して来た、特殊メイクが趣味の外国人』という設定を受け入れなければならないスズはなんだかやる気満々のご様子。


 そしてスズの大きな体をまじまじと見始めた小春は、もの言いたげな目で春夜に聞いた。


「兄やん……スズさんのこの格好はどういうつもりかな?」


 遂にスズの格好について触れ始めた小春。


 まさか小春もあのイカれたクリスマスツリー衣装に意見する時が来たかと期待したいところだったが、現在スズが身につけているものは昨晩彼女が嬉々として着用していた全身タイツと付属のパトランプではなく、花柄の大きい布をただ体に巻きつけているだけであった。


 これに対し小春はムスッとした顔で不服を表す。


「何で家のカーテンなんかをスズさんに着せてるのかな、兄やん?」


 なんとスズが服代わりに巻きつけていた布はリビングに取り付けてあった一枚の遮光カーテンだったのだ。


 しかし春夜の言い分ではどうやらスズはあの全身タイツを一着しか所持していなかったらしく、自分たちの服では当然サイズも合わない為、仕方なくカーテンで代用したとのこと。


「うーん、着る服がなかったとしてもねぇ……ねー、兄やん。カーテンの下ってもしかしてありのまま?」


「おっ、よく分かったな。全身タイツと下着は今洗濯機にぶち込んでるから、この下は真っ裸だぞ」


「何が真っ裸よ……ねえ、いっつも思うけど何で兄やんってこうもデリカシーがないわけ? 下着なくてもバスタオルでさらし代わりにするとか考えなかったの? あとスズさんも何かおかしいと思ったら、言いなりにならないで兄やんにちゃんと意見する事。これお姉ちゃんからの忠告だよ」


 カーテンでスズの裸体を隠すまでは良かったが、そのカーテンが(めく)れた時の事をまるで想定していないガサツな男に小春は妹としてではなく一人の女子として叱る。


 それにただ首を縦に振っているだけではこの家で暮らしていくにはあまりに厳しすぎる、そして夏出の母と長男は一人一人が嵐の様な災害だから、己を守る為にも絶対に流されてやるなと、早速お姉ちゃんアドバイスをスズにくれてやる夏出家長女。


 16年もの月日をこの家で過ごしてきた彼女が言うと何だか説得力があるなと、うんうんと頷くスズは唐突に小春に顔を近づけては彼女の両肩をガシッと掴んだ。


「分かった、お姉ちゃん。じゃあ今すぐ私のこと呼び捨てにして。姉が妹にさん付けは違和感あるから」


「うんうん、その調子でどんどん意見していこう! でも……す、スズさんをいきなり呼び捨ては少しハードル高いかなぁ、一応会ったのは今日が初めてだし……」


「ううん駄目。今、スズって呼んで」


「い、意外と強情だねー、あはは……す、スズ? これでいい?」


「うん、それでいい」


 小春に呼び捨てされた事により、より一層妹としての自覚を持ち始めた自称10歳の少女。


 今はスズが着れる服が一つもないのでここ数日はカーテンや大判バスタオルなんかでひとまずは我慢してもらうと、週末の休みにでも一緒に服を買いに行こうと約束を交わす小春とスズは早くも打ち解けている様子。春夜は仲間外れにされて不貞腐れているが。


「──それで、今回は戻るまでどのくらいかかるの兄やん?」


「ん、戻るって何がだ?」


「お母さんだよ、お母さん! どうせ今回も兄やんがお母さんのこと、いじめてこうなったんでしょ?」


 これまでも事あるごとに幼児化を繰り返してきた母親の事情を知っているのは兄やんだけじゃないぞと、小春は母親の頭をヨシヨシと優しく撫でた後、春夜をキツく睨みつけた。


「今回はまあ3日も経てば元には戻るだろ。それと言っておくが、俺は今も昔も母さんを(いじ)めた事なんて一度もねえからな。今回だってちょっとお灸を据えたらこうなったってだけで」


「はいはい、お母さんの前でそんな事言ったりしない。でも3日で済んで本当よかったね。前は半年間ずっと赤ちゃんだったから、子守りが大変のなんの……で、今回は誰が家事やるの? また兄やん一人でやるとか言わないでよ。私だってちょっとぐらい手伝い──」


「──いや駄目だ!! 小春は自分のやるべき事だけやってればいい! いいか、絶対に手伝おうなんて考えるなよ。小春は家事が全くできないダメな子なんだから」


「……ねえ兄やん、私だって普通に傷つく事あるんだよ? 何もそんなストレートに言わなくても」


「ただのトイレ掃除で家全焼させた前科者が家事を語るなッ!!」


 その言葉を聞いた途端、ピタリと黙る小春はどうやら辛い記憶を思い出してしまったらしい。

 もはや家事を手伝ってくれる気持ちすらも有り難いと思わない春夜は、信じれる者は自分だけという勢いで、家事全般を自分でこなすと言い張ってしまう。


 にしてもどうやったらトイレ掃除だけで火事が起きてしまうのだろうか……小春は相当不器用なのだろう。


「じゃ、じゃあ私はもう学校行くから、おお、お母さんの事よろしくねー」


 春夜の所為ですっかり動揺してしまった小春は行ってきますの挨拶と同時に再び母親の頭を撫でると、今度はヨシヨシ優しくではなくゴシゴシ激しく美春の頭髪をかき乱していた。


「……は、ハルちゃん、髪痛いよぉ」


「あっ! ご、ごめんねお母さん! 兄やんに心を乱されてつい……か、帰ってきたらいっぱい遊んであげるからさ!」


「ほんと!? うふふっ、ハルちゃんといっぱいあそぶ! だからはやく帰ってきてねぇ!」


「うん! マッハで帰ってくるよ!」


 そう言って母親に笑顔で親指を立てる小春は、兄から弁当を受け取ると作務衣姿のまま学校へ向かった。


 ちなみに小春の通う高校にはちゃんとした制服が用意されているのだが、小春は作務衣を愛する人間が故、校則破って作務衣登校を繰り返している。

 なので焦りに焦って制服に着替えず登校したという事ではない事をここで一つ伝えておく。

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