28話 燃やす外道
時刻は20時を回り、瑠璃色に染まる空を幾千もの星たちが照らし、華火たちの暗い足元を海の家や灯台の明かりが照らす頃。
あれからというもの、店に客が入る見込みがないと判断した華火は一時的に店を避難所とし、氷漬けになった妖怪たちの救助活動を行なっていたのだが、数時間経った今も海氷は殆ど溶けておらず、未だに妖怪達は氷漬けの状態。
「なあ、救助活動もうやめにしねえか。数時間動きっぱなしは流石に体痛えし何よりめんどくせえ」
数時間前にデコの怪力で首から下の氷を破壊してもらい体の自由を得た春夜は、この騒ぎを引き起こした張本人という事もあって、文句を言いながらも手に持った火炎放射器で海氷を溶かす作業を行っていた。
そしてそれは凍呼やデコボコ、あと子町なんかも同様で、妖怪を丸焼きにしないよう慎重に火器を扱い、その姿はゴーストをバスターする集団を彷彿とさせていた。
「てか、廉禍も廉禍で後の事をちゃんと考えてから行動してもらいたいもんだよな。他に聞いた事ねえぞ……映画邪魔されただけで海凍らせる奴。ア◯雪でも観てたんか」
「春夜くん、命の恩人をそんな風に言っちゃ駄目だよ。廉禍が居なかったら私たち魚の餌になってたんだから。あと観てた映画はア◯雪じゃなくてワイルド◯ピードね。確かアイスブレイクだったかな」
「はあ? アイスブレイクって……廉禍がやってんの真逆だぞ。アイスを壊すんじゃなくて、クリエイトしちゃってんじゃねえか。おーい誰か潜水艦! ドデカい潜水艦を持ってきて波山羊町の海氷をぶっ壊してくれ! こんな小せえ火炎放射器じゃマジでキリがねえから!」
「終わりが見えなくてイライラする気持ちは分かるけど、ここに軍事基地はないよ春夜くん」
春夜たちが使う火炎放射器は名前にある通り炎を噴出する事が可能な兵器ないしは道具。
1000度近くの炎は草木や動物を瞬く間に消し炭にする事が出来るのだが、氷の塊となると話は別。
炎は氷の表面を熱してはいるものの、この程度の温度では氷の中心まで熱が届く事はなく、熱を吸収した外層だけが少しずつ溶けているだけで、はっきり言って効率が悪い。
ならばデコの怪力に頼って氷を砕き、妖怪を助け出した方が効率的なのではと考えるが、いかんせん彼女は力の調節が得意ではない。
運良く春夜は助かったが、下手したら氷漬けにされた妖怪が粉々に砕け散って、これ以上の大惨事を招く可能性がある為、それを懸念した華火は熱で氷を溶かす方法を彼らにとらせた。
但しこの方法は凍呼の言う通り、終わりが一向に見えない絶望感が生じる。
「あ、そうだ凍呼。せっかくこんなイカつい道具持ってんだし、派手なバーベキューとかしてみねえか?」
「また春夜くんは危ない事考えて……火で遊ぶのは危険だって小さい頃に教わらなかった?」
「まあまあそう固いこと言うなよ。ほら丁度目の前にデコの背中もあるし────燃えよチビガキ! ってな」
「────ぬッ!? イギィヤアアアアアアァッ!!」
もう子供と呼べる年齢でもないのにまるで小中学生の様に火に好奇心を抱く春夜。
彼は過去に不器用すぎる妹が家事をした為、家が火事となってしまった経験があるというのに火に対する恐怖はないのだろうか……『カジ』だけに。
春夜は目の前で黙々と救助活動を行っているデコの背中に唐突に火炎放射器を向けると、真面目な顔して引き金を引いた。
1000度近くある炎は一瞬でデコの体を包み込むと、次には彼女の叫び声と共に鼻をつく臭いが空気中を漂っていた。
「さっき俺の顔面を殴ったお返しだ。せいぜいグロい見た目にならないよう死にやがれ」
「アヂャッ! アヂャヂャッ! アギッ、ヂャアアアアアイッ!」
「おい、うっせえぞクソデコ! 今、何時だと思ってんだ! 町のジジババはもう既に寝てる時間帯だぞ!」
「イギイギイギイギ! ギョエエエエエエエエイィッ!」
夜空の下で火炎を纏い、型にはまらないを踊りを砂の上で魅せる現役女子高生。
まさか彼女も春夜からの仕打ちがこんなにも酷いものだとは思わなかったのだろう。思考が完全に戦時中の兵士で、断末魔をあげる事すら許してもらえないのは流石に鬼畜が過ぎる。
そもそもこんな場所から山を越えた先にあるジジババの居住区域にデコの声が届く筈ないのに……
海氷に下手な衝撃を加えてはならないと父親から注意を受けていたが、他者の心配よりも先ずは自分の心配を────火だるま状態になったデコは己の体の消火を優先すべく、海氷目掛けて高く飛び上がると、そのまま急直下で厚い海氷を貫き、水の中へと沈んでいった。
当然、春夜の異常行動は周りの者をドン引かせるもので、華火や子町からこれ以上ない程の軽蔑を貰ってしまう。
「あの状態で海氷ぶち抜けんのか。相変わらずのバケモンだなアイツ」
「……いや、平然な顔して女の子を燃やす春夜くんの方がバケモノだけど」
悪さをしても大抵は味方についてくれる凍呼もこればっかりは過激且つ、れっきとした傷害罪だと、春夜から静かに火炎放射器を取り上げると地面の上にそっと置いた。
「──あはは、僕が居ない間に随分とおかしな状況になってるみたいだね。春夜くんの外道もいつも以上に磨きがかかってるみたいだし……」
「おい誰が外道の極致に達する者だ────ってなんだ、水月じゃねえか。お前生きてたんだな」
日が沈み、暗くなったこの空間でライトや火といった灯りを使用する者は華火達意外にも少数存在するが、火炎放射器で少女を燃やす行為は一際目立ったのか、今まで姿をくらましていた水月が灰色の毛並みをした一匹のネコちゃんを抱きかかえながら突然姿を見せた。
「勝手に僕のこと殺さないでよ。それより春夜くん、凍呼ちゃんの怒りでも買った?」
「何故そうなる」
「いやさ、この規模で海を凍らせるのって波山羊町には凍呼ちゃんしか居ない……あ、もしかして君があまりに甲斐性ないから痺れを切らした凍呼ちゃんが能力を使ったとか。春夜くんの首から下がやけに赤っぽいのって、つまりはそういう事?」
「水月……言葉の暴力って知ってか? 確かに俺は幼馴染に依存し、家族にも依存し、お前みたいな友にだって依存するイケメンかもしれねえ──いやイケメンだ。だがなあ、俺の首から下が凍ったのは目隠しした変態野郎が原因だ! そいつの所為で俺たちは高度1万メートルからパラシュート無しで落下してご覧の有り様じゃい! なのにお前と来たら俺が凍呼を怒らせただと? あー、なんかもうムカついてきたから君の欠けた右乳首吸っていいですか? 歯立てて乳ならぬ血を出してやるからマジおっぱい吸わせてくださいな」
「ごめん春夜くん、君の言ってる事が全く理解できないんだけど……あ、いや、言葉の意味は分かるよ。けど君ってそんなオープンなBLだったっけ」
春夜のセリフの後半部分があまりに強烈すぎて、前半の内容が殆ど頭に入って来なかった水月。
春夜が今日の出来事だけでどれ程のストレスを抱えてしまったのか声量や勢いで何となく察する事ができるが、勿論彼に与えるオッパイなどある筈もなく、水月はイカれ男を足蹴にした。
「──ビビビ、ビーエルッ!? 春夜と水月の白黒コンビが……え、まさか今ここで絡む感じか!? ちょ、カメラの準備がッ」
「はあ、子町さんまで何言ってるんですか。残念ですが僕は子町さんが思ってる様な絡みを春夜くんとは絶対にしませんし、大体僕の右乳首の犠牲が前提なの普通に意味分かんないですから」
「えぇー、そこを何とかお願いしますよ水月さぁーん! どうせ女とは違って男の乳首なんかイヤらしい事でしか使えない部品なんだから、片方失くなったところで変わらん変わらん」
「貴女は僕の乳首を何だと思ってるんですか」
これまでそれとなくあった乳首も、片方失えばそれがどれ程の存在を放つものか理解する事ができる。
毎日シャワーを浴びる度に千切られた右乳首に目がいき溜息を吐いて、服で乳首が擦れない様、絆創膏を貼る時にだって、かつての完全体右乳首が恋しくなってしまう。
水月はそんなにも苦い思いをしているというのに、BL好きの子町と来たら、乳首で快楽を得る男性諸君のヘイトを買うような発言に加えて、携帯のカメラアプリを起動して無許可でイケメン二人に向けるといった非常識な行動を取っていた。
「ねえねえ水月くん、その猫ちゃんどうしたの?」
先程から水月の腕の中で穏やかな表情を浮かべている子猫に顔を近づける凍呼は聞いた。
「ああ、この子はアフロ先輩が飼ってる餡子丸だよ。どうやら先輩とはぐれてしまったみたいでね……」
「へえ、猫ちゃん飼い始めたんだチビヤクザ。うふふ、よろしくね餡子丸!」
むさい男の代名詞とも言えるチビヤクザとは違って、居るだけで癒しを与える餡子丸を凍呼は優しく撫で始めた。
飼い主はデコによって海氷の上に捨てられていたが、今もまだそのままの状態なのだろうか。
誰からも心配されず、ペットも水月に懐き、全くもって不憫なアフロだ。
すると口元を緩める凍呼を尻目に、水着のポケットから発光繊維付きの花飾りを取り出した春夜は投げるようにして水月に渡した。
「ほらよ、お前の女の形見だ。受け取れ」
「おおっ、いきなり物を投げないで──ってこれは……花? それもグッピー探してた娘の花飾りだよね。ほら顔と後頭部両方に口がついてる妖怪の……何で春夜くんが持ってるの」
「山の中で拾った。そしてその持ち主は恐らく死んだ」
「いや、物騒だなあ。一体どういう事、全然話が見えて来ないんだけど」
「仕方ねえ。お前が不在の間に何があったか、懇切丁寧にイチから説明してやるよ……凍呼が」
「そ、そっか。凍呼ちゃんがね……」
「──ぬうぇっ! ま、また私が説明役になるの!?」
面倒ごとは大抵周りの者に押し付ける口先だけの男、夏出春夜。
今回その対象に選ばれたのは幼馴染の凍呼で、彼女は海を凍らせた責任を強く感じている上に春夜の頼みは断れない性格をしている為、華火達にした説明をもう一度する羽目となってしまった。
そしてその間暇になった春夜は、先程から存在感を消していたボコに絡みに行くのだが、少女は氷上にポッカリとあいた穴……つまりは姉が怪力を以て貫いた氷の穴に釣り糸を垂らしていた。
「してボコさんや。釣り竿なんか持って一体何を釣るおつもりで? もしや火炎放射器でちまちま氷を溶かすよりも、波山羊名物メガロドンを釣り上げて氷漬けの妖怪ごと海氷を破壊していくという考えを……まあ、何と高尚な!」
「何言ってるの春夜。私はただデコを回収する為、糸を垂らしてるだけだよ……それにメガロドンなんてデカい魚、私の力で釣れる訳ない……」
「ボコ、お前の姉貴は炎に包まれて海の底に沈んだんだ。デコの事はもう諦めろ」
まるでデコに救いの手を差し伸べてはならぬと言わんばかりに、ボコの肩に手を置いて釣りをやめさせようとする外道男。
本来なら姉を燃やした春夜にボコは怒りをぶつけるべきなのだろうが、この結果を招いたのはあくまでデコの行動が原因であって自業自得だと、春夜を無理に咎めたりはしなかった。
「姉は妹を助け、妹は姉を助ける。そうやって私たちはこれまで支え合ってきた。だから諦めない……というかデコが火炎放射器で燃やされたくらいで、死ぬ筈がない」
「おお、何という姉妹愛! デコはクソだが、妹を持つ身としては立派な心構えだな。デコはクソだ────があッ!?」
「──おいおいおぃ〜、誰がクソだって? よくも私を燃やしやがって……去ねや、このサディストが!」
火炎放射器如きでデコが死ぬ筈がない。
それはボコだけでなく、彼女が氷を貫いた時点で春夜も何となく感じていた事。
春夜は突然左胸あたりに熱を感じるとそれは直ぐに痛みへと変わり、何か刃物のようなもので刺された事を理解した。
罵倒する声といい、過度な攻撃といい、こんな事をするのは彼の知る限りただ一人で、いつの間にか春夜の背後を取った少女とは名ばかりの怪力女デコは、左脇に抱えたカジキで男の肉や骨を非情にも貫いていた。
「お、お前……すっぽんぽんだけど、大丈夫か?」
左胸から血を流し、青褪めた顔で吐血しているにも関わらず、春夜がまず気になったのは火傷で全身が真っ赤になったデコが一糸纏わぬ姿で人前に立っているという事。
彼女の水着は火炎放射器によって灰となり消えたのだが、デコはイヤらしい事に耐性がない純情乙女。
ただでさえ赤くなった顔面を更に濃い赤へと変色させると、その場で即座にしゃがみ込み、恥ずかしい部分が見えないよう必死になって隠していた。
「み、みみっ、見るなァッ!! お前の眼球抉り取るぞ! い、いいのかッ!?」
「い、いいのかも何も、お前の裸体はさっき完全に記憶したから今更隠しても意味ねえぞ……俺のオッドアイ舐めんな」
「ふ、ふざけるな! お前が私の水着燃やしたんだぞ!? せ、せめて服くらい寄越しやがれ!」
「半裸の俺に何言ってんだお前……まさか俺の海パン穿きたいって言ってんのか? うわ引くわー」
「てめえの汚物なんか触れたくもないわよ!」
カジキを胸に刺したまま喋り続ける春夜は常日頃から災難な目に遭っている所為か中々にタフな部分を見せている。
「デコ……店の更衣室に行けば、私たちの服置いてあるよ」
「か、簡単に言ってくれるわねボコ! そこに行くまで私の体をケダモノ達の目に晒せっていうの!? 絶対嫌よ!!」
「デコの動き、速いから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないのよ! 意識の問題なの! 見られてるって意識が私の行動を阻害してるんだ!」
「そっか……じゃあ、ずっとそのままだね」
「ゔっ……」
いくらその場にしゃがみ込んで恥部を隠しても尻は丸見えのデコさん。
幸い夜という事もあって近くにいる者しか彼女の裸体を視認できなかったが、ずっとこのままの状態でいるのもデコにとっては相当な苦行。
最悪、手足が痺れるくらい冷たい水の中に再度潜り、体を隠している間にボコに着替えを取ってきてもらう事も考えたが、この作戦では必ず春夜が妹を拘束し、邪魔をしてくる。
一発で仕留めるつもりでぶっ刺したカジキも全く役に立っていないし、状況は絶望的かと思われたその時、彼女の頭上にいくつかの布がストンと落ちてきた。
「ぬあっ! もう人が焦ってるって時になんなのよ……ってこれ私の服じゃない。まさか私……物を呼び出す能力に目覚めた?」
「目覚めてませんよ。私が持ってきただけです」
「パパ!? えっ、わざわざ私の着替え取ってきてたの!? あ、ありがとう!」
「大切な娘をいつまでも裸にしておく訳にはいかないですからね。それとタオルも持ってきたので髪もちゃんと拭くように」
やはり持つべきものは父親か。
海から上がって間もない素っ裸の娘に衣服とタオルを渡す華火。
つい先程までそこに居た筈だが、このウサギはいつの間に娘の着替えを取りに行っていたのか。
デコは潤んだ瞳で父親に感謝を述べると、瞬時に着替えを終え、ベージュの探検服を披露した。
「デコ、お前のそれ私服か? マジでセンスねえな」
ちびっ子の発表会で使うような格好をするデコに思わず本音が漏れてしまう春夜。
しかし少女は自分のファッションによほど自信があるのか、感性がおかしいのは春夜の方だと鼻で笑った。
「ハッ、センスがないのはアンタの方よ。これはね大自然の神秘を追求する探検隊を彷彿とさせる衣装なのよ。カッコいい以外の言葉が見つからないでしょ!」
「お前、そのうち宇宙の神秘にも魅了されて宇宙服を私服にしそうだな」
「宇宙? ふーん。アンタにしてはいいとこに目つけるわね。ま、一つの案として心の内に留めておいてあげるわ。感謝しなさい」
「宇宙の神秘は世界中の誰しもが興味を示すジャンルなんだよ。何が感謝しなさいだ、クソうぜえ」
自身のテーマに沿って着たい服を選ぶデコは何故、矮小な存在でありながら上からの態度で自然を語ることが出来るのだろうか……
そして彼女は何故、あんなにも女の子らしい普通の水着を着ていたのに私服のセンスは壊滅的なのか……
彼女を見ていると、作務衣を普段使いしている何処ぞの妹が頭に浮かび上がり、デコの態度に無性に腹が立ってくる春夜であった。
「──話は聞かせてもらったよ春夜くん。まさか君が凍呼ちゃんを殴るような人だったとはね……ほんの少しだけ見損なったよ」
春夜が凸凹姉妹の相手をしている間に凍呼からの説明を聞き終えた水月。
彼は早速、春夜のバイオレンスな部分を咎めるのだが、同時に何故彼の胸にカジキがぶっ刺さっているのか正常な疑問を抱いた。
「だからお前たちは注視すべき点がズレてんだよ。少しは俺が凍呼を庇いながら敵キャラと善戦してたシーンに触れろ」
「凍呼ちゃんを庇いながら善戦……あれ、そんなシーンあったの凍呼ちゃん?」
「ないよ。春夜くん、みっともないから嘘はやめて」
先程からダサい部分しか触れられない所為で勝手に過去を改竄しようとする春夜。
凍呼は咄嗟に彼の虚言を注意すると、乙女の優しさ──つまりは春夜の胸に刺さったカジキをさり気なく取り除いてあげる優しさを魅せた。
「あ、あはは、嘘を吐いてまで見栄を張るなんてやっぱり春夜くんは面白いね。左胸貫かれても死なないし」
「お前喧嘩売ってんのか。言っとくがなカジキ超痛えから。チビガキの前だから平気なフリしてるけど、本当は鼻水垂れ流して泣き喚きたいくらい激痛走ってるからな」
「あはは、ごめんごめん。要は痩せ我慢なんだね」
既に顔色悪いし血は溢れ出るしで十分なダメージを食らっているのが丸わかりな気もするが、デコに過度な煽りを受けていない以上、彼の痩せ我慢は効果をちゃんと発揮しているのだろう。
水月はまた馬鹿な事をやっているよと春夜の言動に対しシニカルな笑いを見せる。
「それよりも水月。凍呼から説明を受けて何か分かったか?」
「分かったって、妖怪が立て続けに失踪してる件について?」
「当たり前だろ。わざわざ凍呼が説明してやったんだから、何も分かんないとか抜かすのは禁止な」
「パワハラ上司みたいな事言うんだね春夜くん」
「俺をそんな奴と一緒にするんじゃねえ。こちとら一生社会に出る気のない人間だぞ」
「そういえばそうだったね」
19歳にして一生分の金を持つ春夜の人生スケジュールの中には会社に所属する事など一つたりとも書かれていない。
パワハラはともかく、彼を上司と呼ぶのはあまりに相応しくない事だと春夜は水月の発言を撤回させる。
「でもまあ僕が思うに消えた妖怪は春夜くん達と同じ目に遭ったんじゃないかな。山から空に瞬間的に飛ばすやつ……えーと、妖具だっけ? それを使われて妖怪の反応が一瞬で消えてしまったという」
「つまり凍呼の感知が及ばない波山羊町の外まで飛んだって事か?」
「そういう事。まあ君みたいに空から落ちたりしたかは知らないけど」
「じゃあ妖怪達が死んでない可能性もある訳か。だが青髪男から妖力の反応が無かったのはどうしてだ? 妖具を使うには妖力が必要になる筈だが」
「君はやたらと僕に意見を聞こうとするね。僕は別に探偵じゃないんだけど……」
凍呼から受ける説明はそんなにも価値のあるものなのか、自分の考えを一回述べて終わりかと思いきや、再び春夜から質問を受ける水月は面倒臭そうな態度を取っている。
「いいや水月、お前は探偵だ。高校の頃、学校で起きた殺人事件をパイプ燻らせながら解決してたの俺は忘れてねえぞ」
「何その偽りの記憶。僕たちの学校でそんな物騒な事件一度も起きた事ないよね。しかも高校生で煙草って……もしかして春夜くん、ストレス溜め込んでる? 虚言が凄いよ」
「フッ、俺の虚言はいつもの事さ」
「いやカッコつけて言うことじゃないから」
人はストレスを溜め込みすぎると頭がおかしくなってしまう。
その典型例が何を隠そう夏出春夜という男であり、水月はそんな彼に困惑した表情を浮かべると、先程受け取った二口女の花飾りを手のひらに乗せて見せた。
「この花飾り、僕が最初に見た時は光る糸みたいなのは付いてなかったんだけど、春夜くんはこれについて調べたりした?」
「あー、緑色の繊維みたいなやつか。さっきオッドアイ使って調べてみたぞ。だが何も分からんかった。妖力の反応もなければ、どういう物質で構成されているのかも不明。流石の俺も今ある知識の中でしか語れないからな。未知の物体は放置だ」
「へえ、春夜くんのオッドアイを以ってしても分からない物とかあるんだ。なんか物凄く怪しいねコレ」
「怪しい? こんな奇抜な縮れ毛みたいのが?」
「その奇抜な縮れ毛が妖力の感知を邪魔してるのかもよ」
花飾りに付着した翡翠色の繊維を指先でつまむ水月は、これが妖力に何らかの影響を与えるものだと言うが、見た目が見た目だけにそれはないだろと首を横に振る春夜。
すると二人の会話内容に何か気になる点があったのか、凍呼はハッと口を開けるといきなり春夜の正面に立った。
「あっ、そうだ春夜くん!!」
「突然どうした、そんな間の抜けた顔して。あ、もしかして俺と同じで門限過ぎた?」
「大学生なんだから門限なんてないよ!」
「おいおい大学生でも門限ある奴はいるだろ。因みに俺は最近母さんを怒らせたせいで門限が17時になっちまった。帰ったら多分お仕置きだろうな」
「17時って……とっくに時間過ぎてるじゃん! 大丈夫!? おばさん山越えてここに来ない?」
無職者に門限があるというのもまたおかしな話だが、過保護がすぎる母親なら息子の不在を案じて家からまあまあ距離のある波山羊ビーチまで足を運ぶかもしれない。
そうなれば春夜だけでなく、ここに居る者……主に女性陣がとばっちりを受ける為、凍呼は慌てた様子で聞いた。
「心配せずとも母さんは今仕事中だからここには来ないぞ。まあ電話で帰り遅くなる事を伝えた時は酷く憤慨してたが」
「どうかここにおばさんが来ない事を願います。アメーン」
春夜の言葉を聞いて余計に夏出の母に会いたくなくなった凍呼は意味深な発言をしつつ目を閉じながら両手を合わせた。
「いくら虐められるのが嫌だからって俺の母さんにアメーンはないだろ。それよか凍呼、お前今何を言おうとしてたんだ?」
「んっ!? そうだよ、そうなんだよ春夜くん! さっき空から落ちてる時、春夜くん午後の時間を私の為に使うって言ってたよね!? なのに今、私たち何してる?」
「何って、お前が海を凍らせたからその後始末だろ」
「そう! 言い方が少しだけ気に食わないけど、そう! でもさ何時間もこれは流石に面白くないでしょ?」
「まあ救助活動はクソ程つまらねえな──」
「──だからさ、今ここで花火しようよ!」
「は?」
まだ妖怪を全く救出できていないというのに自分勝手な我が儘を言ってくる凍呼は何とまあ珍しい事か。
午後の予定は大幅に狂ってしまい、殆ど会話のない状態で救助活動を行なっていたのは彼女にとっても精神的に辛い作業だったのだろう。
藪から棒に夏の風物詩である花火を皆に突然勧めくる凍呼に、春夜は目を見張らせる。
「言っとくけど春夜くんに断る権利はないからね。私とちゃんと約束したんだから」
「別に断るつもりはねえけど……ただお前が氷漬けの妖怪を前に突然花火したいとか言うから、凍呼のゲス度も結構上がったなあって。それに華火はあれど花火なんて用意してんのか?」
「いや私は持ってきてないけど、春夜くんは?」
「俺が持ってるわけないだろ」
花火をしたいと言うのなら、せめて道具を持ってきてから言ってくれと、睡魔に襲われ思考を乱している可能性のある凍呼に眉を顰める春夜。
するとそんな二人の様子に笑い声を上げたのは貧乏妖怪だった。
「アッハッハッハ! それなら心配ないぞお前たち! 店に大量の花火セットが置いてあったからな。それをアタイが勝手に持ってきてやった! これでしようぜ、花火!」
まるで凍呼の花火がしたい発言を待っていたかのように店の売り物である花火セットを両手いっぱいに持ってきた子町はどうやら遊ぶ気満々の様で。
それに釣られたデコとボコは目を爛々とさせながら、点火用のライターと消化用のバケツをいつの間にやら用意していた。
「……用意周到だな。どんだけ花火したいんだよ」
「まあまあ、これで君と凍呼ちゃんの仲がより一層深まるならいいんじゃないかな。僕はいつだって凍呼ちゃんの意見に賛成だよ」
「水月は本当それしか言わねえな。大体、俺らが良くてもここを仕切ってる華火がそれを許すかどうかだろ」
子町とデコボコが道具を持ってきてくれたおかげで、いつでも花火をする事が可能になったが、彼らは仮にも救助活動を行なっている身。
それを放棄すれば華火が黙っていないのではと春夜と水月は共に視線を向けるのだが……
「おや、私の許可を得てから花火をしようなどとは、貴方はいつから良い子ちゃんになったのですか? 別に周りに迷惑がかからない範囲であれば好きに遊んでも構いませんよ。それに火炎放射器でこの量の氷を溶かすのは無理だと判りましたからね。ここの海氷は後で貴方の友人であるグラサンアフロの道具を借りて何とかします」
「は? 今更? こんなチンケな炎で海氷溶かすのに相当の時間を要するって事は初めから明白だったろ。それを無理だと判りましたって……俺の時間を無駄にして楽しいかクソウサギ!」
「楽しいも何も、貴方の時間は無駄ではないですよ。一応春夜の使う火炎放射器で妖怪三体の命は救えたのですから。あと話は変わりますが、子町が持ってきた花火セットのお代は貴方の口座から引き落としますのでご理解のほどを」
「てめっ、またこのパターンか! 先日のレストランの件といい今回といい、どんだけ俺を利用すれば──」
「──まあまあ春夜くん落ち着いて! せっかく華火さんが遊んで構わないって言ってくれたんだから、せめておばさんから説教を受ける前に良い思い出作ろうよ!」
またもや華火のエゴに付き合わされて苛立ちを募らせる春夜。
凍呼は花火セットの中から筒状の花火を選んで春夜に渡すと花火は楽しくやるものだと彼を宥めるのだが、デコや子町が自らの金で笑顔になるのが許せないのか獣のように牙を剥き出しにして彼女らを威嚇した。
「はなびっ、はなびっ、はっなっびー! 春夜の金ではっはっびー!」
「あっ、それ私が狙ってたネズミ花火……デコ、取らないでよ」
春夜の威嚇を物ともせず、リズムに乗って煽るデコと、目当ての花火を姉に取られて、しゅんとするボコ。
「ざんねーん早い者勝ちですー! それよりもほらボコも一緒に! はなびっ、はなびっ、はっなっびー! なつでっ、はるやは、汚ねえはなびー!」
「……なあ凍呼。こんな事言われて良い思い出なんか作れると思うか?」
「あ、あははー、私は賑やかでいいと思うけどなー」
はなから花火で盛り上がるつもりはないが、煽られてこれ以上テンションを下げたくもない春夜。
ボコの手を強引に取ったデコは春夜の事を見上げながら耳障りな声で喚くのだが、アホな前髪とバカ丸出しの探検服が挑発の効果を地味に高めていく。
春夜はこのチビ猿をどうにかしてくれと半開きの目で凍呼を目視するのだが、彼女はこれも花火の醍醐味だと苦笑を浮かべて誤魔化した。
「さーてと、皆んな花火は持ったみたいだな? そしたらアタイの掛け声に合わせて一斉に点火するぞ!」
この場にいる人間と妖怪に加え、チビヤクザのペットの餡子丸まで花火を口に咥えて参加の意思を見せると、各々にライターを手渡しした子町が何故か運動会の応援団長の如く仕切っていた。
「あはは、流石は犬神と暮らしていただけはあるね。まさか餡子丸まで花火に参加してくるとは。けど火の扱いは危険だからね、点火は僕がするよ」
「ミャーミャーウ」
その場でしゃがみ込んだ水月は餡子丸と同じ線香花火を右手にぶら下げ、もう片方の手でライターをカチカチ鳴らして火の出方を確認していた。
「そんじゃ掛け声いっきまーす! せーのっ、ハッピーニューイヤー!!」
「「「ハッピーニューイヤー!!」」」
大きく息を吸い、耳を貫くような子町の掛け声に合わせて花火を点火させた一同。
各々が持つ花火は赤色から紫色まで、七色の光を海氷の上で煌びやかにパチパチと輝かせ、その光景に少年少女だけでなく華火や子町の大人たちも口角を上げて心奪われていた──が、一人だけ空気が読めていない男が一人。
その者は言うまでもなく夏出春夜なのだが、子町の掛け声に納得行かなかったのか、そこはせめて『たーまやー!』だろと花火を点火できずにいた。
「おい春夜ー! 一人だけ花火しねえとか本当ノリ悪いなあ! パアッと点火しろよ、パアッと!」
「いや、お前は口だけじゃなく頭までおかしいのか? 何で俺がお前の言いなりにならないといけねえんだ」
「それは私がお前より年上だからだろ」
「はい出ました、時代錯誤な考え方。俺が老人をジジババと呼ぶ要因の一つな」
さも年功序列が当たり前かのように言ってくる子町に、アンタは年上として敬える点が一つもないだろと蔑んだ目を向ける春夜。
せっかく花火で楽しい気分になっているというのに、このままではまたくだらない喧嘩が勃発して、せっかくの雰囲気もぶち壊しになってしまうと思った凍呼は流れを変えるべく、春夜の持つ花火の導火線に咄嗟に火をつけた。
「うおいっ、凍呼! マジかよ!?」
「ぐちぐち言って意地張る男の子はカッコ悪いんだぞ! ほら、子町さんとの喧嘩より私は花火職人さんの技量にケチつける春夜くんが見たいな!」
「俺はそんな捻くれ野郎じゃねえ────ぞッおおおお!?」
春夜のクズは死んでも治らないクズ。ならばそのクズごと愛そうではないかと凍呼は広い心で彼を包み込むのだが、彼の持つ花火は不幸な事に噴出花火。
そしてその噴出口は春夜の顎の真下にあった為、湧き水のように溢れ出る火花は春夜の顔面を激しく覆った。
先程デコを燃やした罰が彼にも下ったか……
本来ならここでデコは春夜の不幸を盛大に笑って喜ぶのだが、彼女含め周りの者たちは幸運な顔から一変、表情を突然歪めると鼻を塞ぎ始めた。
「くっさっ!! 春夜、超くっさっ!!」
「……この臭い、シュールストレミング?」
どうやら春夜の花火は少し……いいや、大分特殊な物だったらしく、パッケージには『激臭10連発』と子供のいたずらのような文言が書かれていた。
この表記をちゃんと確認していれば花火に決して火を近づける事はなかったのだが、デコとボコに後退りされる様ではもはや遅い。
空気中にドブの臭いや生物の腐敗した臭い、アンモニア等々様々な刺激臭が入り混じった香りが漂ってくると水月と凍呼は目に涙をためて嘔吐いていた。
「おゔっ、と、凍呼ちゃん。君は彼になんて花火を渡しているんだい」
「ご、ごめんなざい……私、パッケージよく見てなくて…………ゔぉおえ! どっ、どいうか、おもちゃ花火でこんな酷いの入ってるとか普通は思わないじゃん」
「……た、たしかに」
妖怪相手に売る商品なだけあって内容が本当に馬鹿げていると、二人は軽い気持ちで花火に触れてしまった事を若干後悔し、何故春夜の花火だけハズレもハズレ、大ハズレだったのか、神は彼の行いをちゃんと見ているんだなと実感する一同であった。
「これで貴方もデコの痛みを多少なりとも理解する事ができたのではないのでしょうか。と言っても、その臭いは1週間ほど体にこびり付いて、いくら洗っても取れないと思いますが……ま、大事な娘を燃やしたのですから当然の報いですね」
「因果応報ってやつか。ドンマイだな春夜」
華火や子町といった妖怪たちは体のつくりが人間とは根本的に違う所為か、この激臭に水月たちほど過剰な反応を見せておらず、それどころか春夜の言動にとやかく言う余裕まであった。
「クソッ……冴えねえ」
あまりの悪臭に我慢できず、春夜は体に纏わりついた臭いを少しでも軽減する為、デコのあけた海氷の穴に自ら身を投げて海の底へと沈んでいった。




