24話 指輪が招く災い
露出の少ない水色のワンピース水着で麦わら帽子を深く被る凍呼は人を殺めるのに適したサイズの氷塊を両手で抱えていた。
「凍呼が……なんでここに」
美春やデコと違い、凍呼は日常的に暴力を振るう人間では決してない。
それなのに言葉よりも先に鈍器で後頭部を殴ってくるとは、熱中症で思考が正常に働いていないのか……少なくとも水月に顔を向ける彼女の心は安定している風に見えない。
「水月くん……わざわざこれを見せつける為に私を呼んだの?」
「あぁ、最悪なタイミングで来ちゃったね。凍呼ちゃん」
春夜とは随分長い付き合いになる凍呼はよく親の目を盗んでは二人きりで遊びに行ったりもする仲である。
故に自分のことを勝ち組ヒロインだと思い込んでしまった彼女は、春夜のエンゲージリングが見知らぬ美形の少女に渡す光景を見て半泣き状態。
そして無職者の春夜や週3日で病院のアルバイトをしている水月と違って凍呼は今年で大学2年生。
授業もそうだが、課題も学校から多く出されている為、それを考慮した春夜は海の家に凍呼を呼ばなかった。
しかし彼女の口ぶりから察するに凍呼はいつの間にやら水月から呼び出しを食らっていたらしい。
「また私の知らない奴が出てきたけど、今のはナイスよアンタ」
腹立たしい存在である春夜が殴られ、スカッとするデコは凍呼に対してグッドサイン送る。
そしてデコの前髪に真っ先に視線が行った凍呼はボコと見比べるとある事に気付く。
「この子達、前髪が……双子?」
「そうみたいだね。どうやら華火さんのお子さんらしいよ」
「えッ、子供いたの!?」
水月達と同じく凍呼も化けウサギと面識があるらしいのだが、娘が居るというのはこれまで聞いたことがない。
見た目が全く違う上、娘がとんだ美少女であることに素で驚く凍呼は同時にそんな子が春夜の心を射止めた事実に意気消沈する。
「春夜くん、ちょっとお話しできるかな」
「……え、今?」
「今以外にどのタイミングがあるの? ほら、早く来て」
今一度、自分たちの関係性について見直すべきだと幼馴染の腕を引っ張って凍呼はその場から離れようとする。
「──凍呼ちゃん、僕は誰よりも君のことを応援しているから。頑張って」
「ありがとう……けど、私はここに来たことを若干後悔してるよ」
少女の恋にエールを送る水月はテーブルに置いてあったブルーハワイ味のかき氷を手渡すと、そこに二つのスプーンを突き刺した。
これを二人で分け合って食べてねという水月なりの気遣いなのだろう。
「よし! これで気持ちよく食事ができるわね!」
砂浜で引きずられる春夜は凍呼と共にそのまま姿を消していくと、図に乗った野郎が居なくなった事で気分が高揚するデコはまだまだ食が止まらない。
「それにしても……ボコちゃんだっけ? 君すごいよね。あの唐変木の春夜くんをあそこまで暴走させるなんて……『どんな手を』って言い方は失礼かもしれないけど、春夜くんは君のどこに惹かれたんだろうか」
高校時代から春夜を知っている水月は、彼らが幼馴染同士で結ばれることを期待していた為、この出来事は割とショッキングであった。
彼らの幼少期は知らずとも、高校の頃はよく三人で遊びに出かけたりしてたし、時には凍呼の恋の悩みにも耳を傾けていた水月はボコの薬指にはめられた紅い指輪に納得できていない。
「お兄さん、春夜の友達?」
「春夜くんと同い年の糸南水月だよ。よろしくね」
「イトナ、ミズキ……それ若白髪?」
春夜と同い年ということは水月も19歳。
そんな若いうちから全ての毛が白に染まるとは、日常的に多大なストレスを感じているのではと、初対面でありながら心配するボコ。
「あはは、僕の髪は生まれつきだよ。遺伝ってやつだね」
前髪の毛先を指でいじりながら水月はボコの質問に答えた。
「そうなんだ。パパの毛みたい」
「毛質は結構違うと思うけど、色はたしかに同じだね」
兎の体毛と同じ扱いを受ける水月の頭髪。
水月の髪の毛がサラサラなのに対し、華火の毛はフワフワ。
いくら毛の色が一緒とはいえ、人と兎の毛を比べるのは的が外れているのではないかと、反応に困る水月は苦笑を浮かべている。
すると口の中に物を含みながら喋り始める子町は割り箸の先端を水月に向けた。
「ところで水月。凍呼を呼んだのってお前なんだろ? て事はあの娘も海の家の手伝いをするって感じか?」
「いや、凍呼ちゃんはあくまでゲストだからね。春夜くんと海を楽しんでもらう為に呼んだだけだよ」
「ふーん、そっか。で、それが裏目に出たと」
「やめてください子町さん。僕が春夜くんの色ボケを予測できるとでも?」
凍呼を思っての行動が、煩悩剥き出しの春夜の所為で自身の評価を下げるだけとなってしまった水月。
子町は裂けた口で皮肉を発すると、その言葉に耳が痛くなる水月は下唇を噛みながら困惑の表情を浮かべる。
「あと水月。話変わるが、お前の後ろでファンがずっとソワソワしてるからそろそろ構ってやんな」
「え、ファン?」
妖怪の美的感覚は人間と同じで、万人に受ける物を好む者も居れば、常人では理解できない物に価値を見出そうとする者も居る。
そんな中で目鼻立ちが整った水月は万人受けする部類に属する為、彼の溢れ出るオーラに魅了された波山羊町のガールズ妖怪は水月の背を狙うよう横並びで立っていた。
「おおっ、いつの間に女の子が……アフロ先輩に見つかったら絶対毒突いてくるよね。これ」
「それは知らんが、お前の人気は相変わらず凄いな。同等の顔面偏差値である春夜の性格が町中に知れ渡っている分、人気がこっちに集まってきてんのか?」
「田舎のコミュニティは狭い故に濃いからね」
やはり人間も妖怪も財力の次には外見中身共に優れた者を選ぶ習性があるのだが、顔だけ良い無職の春夜は波山羊町の妖怪から人気がほぼない。
金はあっても賭け事で生計を立てる者への信用はそれ程までに薄いのだろう。
すると水月を囲う妖怪の中から花の髪飾りをつけた黒髪の女の子が口を開いた。
「あのー、急で申し訳ないんですが私の弟見てないですか? さっきから姿が見えてなくて……お兄さんさえ良ければ一緒に探してくれませんか?」
少女は顔についた普通の口とは別に、後頭部の大きな口でクチャクチャ音を鳴らしていることから、かの有名な妖怪『二口女』で間違いない。
そんな妖怪が水月に弟を探して欲しいと申し出るとは、彼を迷子センターのスタッフとでも思っているのか……
はたまた口説き文句として空想の弟を利用しているだけか……
しかし現在の砂浜は妖怪で溢れ返っている為、迷子が出るのは大いにあり得ると判断した水月は一先ず彼女の話を聞くことにした。
「君はさっきお店に買いに来てた子だよね。その時はたしか一人だったと思うけど……弟さんの特徴とか教えてもらえるかな?」
「探してくれるんですか!? 一緒に!?」
「ま、まあ、ずっと迷子って訳にもいかないからね」
「わあっ、ありがとうございます! では早速──私の弟はこんな見た目なんですけど、心当たりとかないですかね?」
迷子探しに水月が協力してくれると分かった途端、テンションを急激に上げる二口女は防水ケースの中にある携帯で、その弟やらの写真を見せてくれた。
だがそこに映っていたのは水槽に入れられた数匹のグッピー。
まさかこれが弟と言わないだろうなと懐疑的になる水月は思わず目を擦った。
「……ごめん、弟さんはどこに居るのかな?」
「どこって水槽の中で優雅に泳いでるじゃないですか!」
「水槽の中で泳ぐ…………えーと、グッピーじゃないよね?」
「はい、グッピーです!」
曇りなき眼で自身とグッピーが姉弟関係にあることを公言した二口女。
華火とデコボコが親子関係にある事を認めるのですら既にギリギリなのに、波山羊町の妖怪は何でもありが信条なのだろうか。
となれば二口女だけでなく、彼女の周りにいるガールズ妖怪も奇天烈な発言をしてくるのではと訝しげな表情に変わりつつある水月にデコはやる気のない声を発した。
「二口女は見た目通り頭のおかしい奴しか居ないから構うだけ時間の無駄よ。無視しなさい、無視」
「君は結構辛辣な事を言うんだね」
「当然でしょ。熱帯魚を弟扱いする程、頭飛んじゃってんだからソイツ」
「……兎が父親の君は人のこと言えなくないかな」
「あ? なんか言った?」
グッピーを弟に持つ二口女と白ウサギを父親に持つデコに違いはあるのか。
ごくごく当たり前の指摘をした水月に鋭い眼光を向けるデコは生粋のファザコン。
「そんなに二口女が気に入ったなら熱帯魚探し手伝ってきなさいよ。勿論、周りのバカ女達も引き連れてね」
「一応聞くけど僕とデコちゃんって初対面だよね?」
「は? 当たり前でしょ。分かりきったこと聞いてこないで。普通にムカつくから」
「あはは……そうだよね。あまりにズケズケ言ってくるから知り合いなのかと思ったよ」
「馬鹿言わないでちょうだい。私はね、アンタみたいなヘラヘラした奴が嫌いなだけよ。そういう奴ほど心に闇抱えてクソ面倒なんだから」
あたかも人間の全てを知っている風に口を利いてくるデコはまだまだ高校生の若造。
チビ猿に気圧される水月は平静を装う為に無理な笑顔をつくると、デコと春夜が何故あんなにも啀み合っていたのか今になって理解した。
両者共に温厚な性格であれば平和的なコミュニティを築けたのだが、傲慢な性格をした春夜とボコは常に反発している為、相性が有り得ないくらい最悪。
「じゃあ僕はこの子の弟さんを探してくるから……華火さん、戻りが遅くなったらすみません」
「店のことは心配しなくて大丈夫ですよ。貴方は元々春夜に無理矢理呼び出された身ですからね。何かあれば春夜をこき使います」
結局デコの言葉通りに二口女の手伝いをすることにした水月は、彼女が本当に海にグッピーを連れて来ているのか、そして仮に連れて来ているとしたら、やはりグッピーはデカい水槽の中に入っているのか。
そういった私的な興味を抱きながら水月は席を立つと、ガールズ妖怪を引き連れて華火達の前から居なくなった。
「春夜も水月も消えた……んじゃ、アタイらはそこら辺で釣りでもして一発カジキ当てますか!」
アルバイト一人取り残され、虚しいといった感情も特段湧いてこない子町は唐突にデコボコ姉妹に釣りの誘いをする。
「そこら辺って、船も出さずにカジキなんて釣れんの?」
「んー、カジキはまだ見たことないんだけど、この前来た時にはメガロドン釣れたからなぁ。かける価値はあると思うぞデコちゃん」
「へー、メガロドン…………めがめが──ぅええッ!? ちょ、メガロドンってとうの昔に絶滅した巨大ザメでしょ!? そんな大物がこんな場所で釣れたって、それ本気ッ?」
「本気も本気、超本気だな。おかげで1ヶ月間食事に困らなかったから、すげえ助かったぞ」
「しかも食った!? よしボコ、この口裂けと一緒に古生物釣るわよ!」
「……え、泳がないの?」
元々は海水浴を楽しむ為に海を訪れたデコとボコ。
しかし子町の話を聞いて一瞬で目の色を変えたデコは絶滅種を己が眼で確認したいが為、乗り気でないボコも巻き込もうとする。
デコは一度やると決めたら否が応でも成し遂げようとする非常に面倒臭い性格をしている為、せっかく買った可愛い水着が魚釣りに使われると知ったボコはげんなりしてしまう。
◆◆◆
一方、白いスワンボートを全力で漕ぐ凍呼と、その隣で溶けたかき氷をスープのように啜る春夜は海から見た砂浜、そして聳え立つ山々の景色を無心で眺めていた。
「ねえ春夜くん! 普通こういうのって男の子が運転するものだよね!? なんで私が汗を垂れ流しながらボート漕いでるのかな?」
「ボートに乗りたいって言ったのが凍呼だからだろ」
「違うよ、私が乗りたいのはバナナボートだったの! それを春夜くんが『バナナ見てると口の中が不快になるから』とか言うから、止む無くスワンボート選んだんだよ。いくらバナナ嫌いでもボートは全くの別物じゃん! 絶対に味なんてしない訳じゃん! というか何で海にスワンボートが置いてあるの!? ここ池じゃないじゃん!」
「じゃんじゃんじゃんじゃん、うっさ。ふしぎの海の大ファンか、お前」
「大ファンだよ! 私がブルーウォーター大好きなの知ってるでしょ!」
いつもなら春夜の言うことに何でもかんでも頷いては優しく肯定する理想的な幼馴染が、今では嫉妬心と茹だるような暑さで完全にやられてしまっている。
凍呼の熱を少しでも冷まそうと、彼女の麦わら帽子で扇ぐ春夜は親密な者にだけ多少の心配りができるみたいだ。
「なんか今日はやけにピリピリしてるな凍呼。最近の母さんみたいだぞ」
「そりゃあピリピリもするでしょ! あんな奇抜な前髪の女の子にエンゲージリング渡してるとこ目撃したんだから! きっとおばさんも春夜くんの裏切りに傷付いて機嫌悪くなってるんだろうね」
「まあそうなんだが、母さんの場合は更年期も合わさってるからな……家出る時の説明とかマジで大変だぞ。今日も華火の店の手伝いするだけだって言ってんのに『また浮気?なら心中しちゃおっか』とか言って俺と小春、ましてやスズに対しても電動ノコギリ鳴らしてきたからな。華火が止めに入らなかったら絶命してたわ」
「なるほど。じゃあ指輪渡したこと、おばさんチクるね」
「俺や妹達を殺す気か」
ヒステリーを起こして一家を危険に晒そうとする美春に朝から苦労させられる夏出兄妹と華火。
今の話を聞いた上で、エンゲージリングの件を夏出の母に告げようとしているなら彼女は中々の鬼畜である。
被害が夏出家に及ぶだけならいいが、指輪を受け取った者を美春が知ればボコは確実に殺される。当然春夜はそれを望んでいない。
すると一旦ボートを漕ぐのをやめて春夜の方に顔を向けた凍呼は頬を赤く染めながらモジモジしている。
「じゃ、じゃあ……私にもゆ、指輪ください。そしたらおばさんに黙っておくから」
「あの指輪を? ハッ、凍呼には必要ないだろ」
「必要あるよ! 愛が込められた指輪は乙女の憧れそのものなんだよ!?」
「愛? まあ、たしかにその意味合いも含まれてるが、ボコに渡した指輪はどちらかと言うとお守りみたいなもんだぞ。アイツの身を守るためのな」
指輪が少女の身を守るとは一体どういう事なのか。
もしや適当言って少女との関係をはぐらかそうとしているのではないかと疑いの念が更に深まっていく凍呼は彼に顔を接近させ威圧する。
「はい? お守り? 春夜くん、あの娘の左薬指にちゃんと指輪はめてたよね。あれは誰がどう見ても完全にプロポーズだよ」
「ああすれば華火とデコが盛大に悔しがるからな。そういう演出は重要だろ。深く考えるな」
「深く考えるなって……えっ、じゃあ単なる嫌がらせのためにそんな事したの? ちょっと外道すぎない?」
人生で大きなイベントとされるプロポーズを親族の嫌がらせの為に利用する春夜の腹の底はドロドロに腐っている。
一応、ボコへの愛はあると言ってはいるが、春夜の殆どが嘘で構成されている為、それに期待する凍呼は何としてでも自分に振り向かせたいところ。
「第一、俺が馬鹿正直に『はい、これお守りです』って指輪渡しても、怪しまれた挙句、即刻ゴミ箱行きだからな。あれで良かったんだよ」
「いや、いきなりプロポーズの方がよっぽど不審だと思うけ────どぉおっ!?」
春夜の行動がいかに遠回りをしているか、それを指摘しようとする凍呼は急に頓狂な声を上げた。
「どうした。突然アホな声出して」
「……消えた」
「何が」
「……今、妖怪の反応が幾つか消えたよ。しかもかなり近くで!」
「あー、それは……前に話してたこの町で妖怪が失踪してるってアレか?」
「そうだよ! だから今すぐ向かわなきゃ!」
波山羊町では数週間前から妖怪が相次いで失踪するという事件が起きている。
もちろん犯人は未だに見つかっておらず、華火もそれを懸念して春夜に気を付けるよう警告してきた。
今までこんなにも近くで妖怪の反応が消失する事が無かった凍呼は再びボートのペダルに足を乗せると、砂浜を目指して全力で漕ぎ始めた。




