23話 セクハラする19歳
華火とデコボコが注文してきた地味に多い料理を三人で手分けして難なく作り終える事に成功した春夜達はこのタイミングで休憩に入る許可を店長からいただいた。
どうやら華火は別の従業員もこの海の家に呼んでいたらしく、朝からずっと体を動かしていた三人はようやく休む事ができると、同時に伸びをしては体をスッキリさせた。
◆◆◆
「──タダ飯、待ってましたッ!」
デコボコの事をもっと知りたいと言い出した貧乏子町がきっかけで、一緒に昼食をとることになったチビ二人とイケメン二人と妖怪二体。
縦長のテーブルまで移動した一行は向き合うようにして座ると、左側には華火とデコと子町。
そして右側には水月と春夜とボコが座っていたのだが、Tシャツを脱ぎ捨て上裸になった春夜は膝の上にボコを乗せていた。
「春夜の汗……水着に染み込んできて、気持ち悪い」
テーブルには華火達が頼んだ料理に加え、アルバイト三人がパパッと作ったありえない量のまかないが机いっぱいに並べられていた。
「スゥーッ、ファーッ……ボコの頭、フローラルな香りがするぅ」
丁度ボコのつむじ辺りの部分に鼻を当てて凄まじい吸引力で彼女の成分を体に取り込む春夜は、ぬいぐるみを抱える子供のようにボコをギュッと抱きしめている。
「春夜くんってそんなに気持ち悪かったっけ」
少女の匂いを嗅ぐたびに白目を剥く春夜の反応は、違法薬物の乱用で頭のネジが吹き飛んだ人間そのもの。
日に日に気持ち悪さや変態度が増していくかつての同級生に複雑な心境を抱く水月は冷めた目つきをしていた。
「うぅッ────キモいキモいキモい、超絶キモい! 私の妹を性の対象にしやがって……てか何でアンタはボコとくっついて座ってんのよ! クズい病気がボコに感染ったらどうしてくれんの!?」
「その時は責任を持ってクズい赤ちゃんをつくります」
「てめえマジで最低だな!」
女子高生の香りを優雅に愉しむ男に戦慄するデコ。
何故このような下衆に大切な妹は目をつけられてしまったのか、今目の前で起きていること全てが夢であって欲しいと願うも、デコの口の中に放り込まれた唐揚げはちゃんと味が染み付いていて美味い。つまりこれは現実。
「ボコも沈黙貫いてないでこっちに戻ってきなさい! そいつの股間握り潰して離れるくらいはできるでしょ!」
「それは、無理……私、デコと違って力ないし。それに、拒絶したら春夜は舌噛んで死ぬって言った」
「はあ!? そんな奴の為にアンタが犠牲になる事はないでしょ! さっさとシカト決め込んで、自害させなさい」
「デコ、冗談でもそんな事言っちゃ駄目。私の所為で人が死ぬかもしれないんだよ。事態は思ってるよりも深刻…………それに春夜……おすすめのケーキバイキングに連れて行ってくれるって言った」
「アンタがそのクソったれを庇う理由が今ようやく理解できたわ」
前回もたしかケーキに釣られて、結果泣きを見る羽目になったボコはまったくもって懲りていない。というよりスウィーツに心がブレブレなだけか。
あっという間に唐揚げを平らげ、焼きそばに箸をつけたデコは妹の扱いに戸惑いながら、ボコをたぶらかす春夜の顔面にゴミの容器をぶつけた。
「俺はゴミ箱じゃねえぞ」
「そうね。アンタは箱じゃなくてゴミよ。だから私はゴミを一つにまとめてるだけ」
「……本当だったらここでお前に仕返しをするところだが、今の俺にはボコがついている。つまりは心が今まで以上に平穏。チビ猿などもはや眼中にねえ。なあボコぉ」
他者を巻き込んで心の安寧を得る男は素手で直接春巻きを掴むとそのままボコの口まで運んでいく。
ボコの匂いを嗅いだ事もあり感情が高まったのか、それともボコの感触を更に味わいたかっただけなのか……右手を少女の喉奥にまで突っ込んだ春夜は指の付け根辺りをボコの唾液で濡らした。
右手に纏わりつく粘液をジッと凝視する春夜。
すると彼は突然その手を自身の頬に擦り付けると、恍惚とした表情を浮かべながらボコと一つになるのを実感した。
「春夜が女に夢中になったらこうなるのか。終わってんな」
これまで異性に対する関心をそこまで見せていなかった春夜が今ではたった一人の少女に性的いやがらせをしている。
こういうイベント事でしかタダ飯にありつけない子町は、むしゃむしゃと口に物を詰め込みながら、春夜の痛々しい姿に心底軽蔑する。
「ねえパパからも何か言ってよ! ボコ、私よりもコイツを選んで言うこと全然聞いてくれないんだけど! 前もこんな感じで泣かされてたんだよ!?」
「そうですね……彼にボコを好き勝手されるのは不愉快ですが、ケーキで釣られたあの娘を連れ戻すのは難しいでしょうね。変なところで頑固ですし」
「じゃあボコがセクハラされるのを黙って見てろって!?」
「そうは言ってませんよ」
ボコの良いところでもあり弱点でもある彼女の優しさを突いた下劣な春夜に、何とかして制裁を加えて欲しいと父に協力を求めるデコ。
ボコが言うことを聞かないなら春夜を納得させて妹を解放するしか方法はなく、華火は一枚の紙切れを見せると春夜は瞬発的に目をギラつかせて食い付いた。
「──わさビッチがーるの握手券」
「なにぃッ! もも、もうくれんのか!?」
器用に前脚を使って華火が見せた山葵色の紙切れ。
それは春夜の敬愛するソロアイドル『わさビッチがーる』と1時間丸々使って握手ができる超絶レアな券。
普通、アイドルの握手会は良くて10秒程度しか握手する時間を与えられないが、何とこの券を使うだけで数秒しかできない握手が『分』を飛ばして『1時間』もの間、わさビッチがーると手を絡める事ができる。
その分手は汗でビショビショになるが、好きなアイドルの手汗など寧ろご褒美。
働くことを誰よりも嫌う春夜がわざわざ山を越えてバイトしているのもこのスペシャルなご褒美があったからで、これは時給870円よりずっと価値のある物。
「この券をあげるのは仕事を終えてからです。ですが前提に、ボコに対するセクハラはやめて下さい。でなければ握手券はビリビリに破いて私の胃の中に入れますよ。私、雑食ですので」
「それは絶対にやめてくれッ!! その券はファンクラブ会員の中でも選ばれし三名にしか配られない俺の命よりも重いチケット! ファンクラブに入ることを母さんに許されていない俺からしたらイエティやツチノコなんかより、よっぽど価値の高い幻のアイテムなんだよ!」
わさビッチがーるファンクラブがどれほどの人数で構成されているのか分からないが、金に恵まれた春夜をここまで言わせるとは相当に価値のあるチケットなのだろう。
春夜は以前、母親に見つからないよう『わさビッチがーる』のファンクラブに入った事があったが、2分後に会員になった事がバレた春夜は3週間毎朝、お尻の穴にすりおろしワサビを詰め込まれるお仕置きを食らった。
当然たった一度のお仕置きで春夜がへこたれる訳もなく、その後もおよそ50回ほど会員になっては即バレで解約を繰り返してきたのだが、徐々にハードになっていくお仕置きで身体を壊した春夜はやがて会員を諦めた。
酷い時には入会する直前でバレると、わさビッチがーるのコスプレをした夏出美春が歌って踊り始めたのは胸が締め付けられるくらい嫌な思い出。
「春夜くん……そんな事で僕を呼びつけたの?」
春夜が海の家で働くと言い出した時は何か裏があると思ったが、まさか握手券が欲しいが為に呼び出しを食らったとは……コイツまじかと言わんばかりの顔をする水月はせっかくの休日を奪われた被害者。
「まあ、いいじゃねえか。こうやって友達と海でバイトするってのも青春だしよ」
「僕らの青春はおよそ1年前に終わったけどね」
「そうか? 青春の期限は別に高校生までじゃねえと思うが……何だったら、この前の撮影会も地獄のように楽しかったじゃねえか。BLサイコー」
「今その話する? はだけた格好で体触れ合うの結構恥ずかしかったんだから」
「────待った! お二人はそういった関係ですかッ!?」
先日のババアによるババアの為だけのBL撮影会を回顧する二人に尾野々子町は声を荒げて割り込んだ。
鼻息を立てて頬を紅潮させるところを見ると彼女はそういった趣味がおありなのか。
「な、なあ春夜、その時の写真とかあったりするか?」
「あ? んなもん俺が持ってるわけ──」
「僕はあるよ」
海パンのポケットを弄って携帯を取り出した水月は、子町が期待する写真を選択し、向かい側の彼女らに画面を見せる。するとそこにはワイシャツを着崩した水月と春夜が純白のベッドの上で互いに顔を見合わせ、クールな表情をとって写っていた。水か汗かは分からないが、髪や肌が若干濡れているのが却って生々しい。
「す、すげえ……モノホンだ。水月の右乳首に絆創膏が貼ってあるのは気になるが、こんな最高の催しが波山羊町で行われていたとは……何でアタイはその場所に居なかったんだ! 水月、この写真今すぐアタイに送ってくれ! 携帯の壁紙にしてやるから!」
「送るのは別に構わないんだけど……子町さんと春夜くんって顔合わせる度に喧嘩してるよね。逆に壁紙にしちゃっていいの?」
「コイツ、顔だけは良いからな。いくらリアルがクソな春夜でも画面の中でだったら憎たらしい口を叩けない。だから、まあオッケーだ」
こんなにも素晴らしいBL写真があるというのに自分の都合で手に入れない訳にはいかないだろうと、春夜の最低な部分は多少目を瞑り、あまりの興奮で鼻血を垂れ流す子町は脳内で卑猥な妄想を繰り広げていた。
「ところでこの写真の下側に写っている茶色いモジャモジャはなんだ? どちらかのへそ毛か? それとも陰──」
「──こんなデカいへそ毛が生えてる人は居ないよ! これはアフロ先輩の髪の毛だね! 体が小さくて見切れているだけだよ」
「なるほど……じゃあこれは後で加工で消しとくか」
撮影会があったあの日、ババアの犠牲になったのは春夜と水月の他にチビヤクザも居た。
その為、チビヤクザも二人に加わり露出度高めな格好でカメラのシャッターを切られていたのだが、ババアの意図かそれとも身長がただ足りていないだけなのか、全ての写真に写るチビヤクザは見切れている。
そして子町にとってもチビヤクザの被写体としての価値は皆無に等しく、加工ソフトで消すときっぱり言われてしまうと、ナンパに失敗したアフロは現在、妖怪の子供達から髪を毟られ、水着を剥がされ、普通にいじめられていた。
「そもそも何でお前がそんな写真持ってんだよ」
自分と同じくババアの被害者でありながら何故BL写真を所持しているのか……もしかして水月はそっち系の人なのではと本能的に身構える春夜は聞いた。
「何度も言うけど僕にそういった趣味は無いよ。けど、春夜くん達とああやって過ごせたのは新鮮だったからね。記念に貰っておいただけだよ」
「そ、そうか…………だがもしも、BLに目覚めたら俺にちゃんと報告するんだぞ? 急に襲われないよう接し方にも気を付けないといけないからな。最悪、唇を触れされるとこまでなら俺も許してやる」
「いやだからそういった方向には走らないから安心して。そして子町さんも鼻血を早く拭いて」
今日も急な呼び出しで海の家を手伝わせた春夜は、その他にも色々な場面で水月に助けられてきた。
だからこそ水月がBLに目覚めてしまった場合は、今度は自分が体を張って借りを返す番だと、キッスまでなら何をしてもいいと許可する春夜は至って真剣。
その言葉にまたもや妄想を広げる子町はテーブルの上に血溜まりをつくった。
因みにこういった刺激的な話に耐性のないデコは顔を伏せては熟れたトマトのように顔面真っ赤にしている。
「趣味の話題で盛り上がるのは良いことですが。春夜、貴方はまず選択しなければなりません。ボコを離すか、握手券を諦めるか」
「それなんだが……どっちも俺のじゃ駄目か?」
「でしたら、この握手券は必要ないですね」
どちらか選べという質問に対し、どちらも選択する欲の塊。
真面目に答える気がないのなら『わさビッチがーる』の握手券を持つ資格はないと、春夜の前でチケットに小さな切れ目を入れる華火。
「──だぁほぉいッ! じょ、冗談だって! ボコは解放するから握手券を破るのはやめてくれ!」
華火がいかに本気か……チケットを失くしてしまう事に焦燥した春夜は直様ボコを空いた隣の席に置くと、あれだけ愛でていた少女よりも決して恋が実ることのないアイドルを選んだ。
春夜の行き過ぎたボディタッチがなくなりボコはホッと一安心する筈だったのだが、春夜がわさビッチがーるを選択した事により自身の魅力が劣っていると思い込んだボコは半開きの目でクズ男を見つめた。
「……春夜、有り得ない」
「いやいや別にボコを捨てた訳じゃないぞ! お前の父親と姉がとんでもなく罰当たりな事を企んだりするから……あっそうだ! ボコに会ったら渡そうと思ってたプレゼントがあったから、少しだけ待っててくれ」
「……プレゼントで釣ろうとするのも、有り得ない」
こんな短期間で二度も怒らせてしまっては、いくら心の広いボコでも『面会謝絶』といった辛辣なワードを放ってくるかもしれない。
そうなっては自分を肯定してくれる稀有な存在が一人減り、春夜は数ヶ月の間やさぐれてしまう。
少しでもボコの機嫌を取り戻す為、店の荷物置き場までプレゼントを取りに行った春夜は一分も経たずして席に戻ってきた。
「ボコ……どうか俺の想いを受け取ってくれ」
ボコだけでなく華火達の意識を一点に集めた春夜のプレゼントは正方形の黒い箱。
難しい顔でボコはその箱を受け取ると、中身を確認するべく恐る恐る箱をパカっと音を立てながら開けた。
「…………へッ?」
春夜の事だから女の気持ちなど理解せずに下着や生理用品をプレゼントしてくるかと思ったが、黒い箱の中にあったのは紅い桜の花が一輪咲いたエンゲージリング。
これまで女の子と付き合った事がない春夜は出会って間もない女子高生に果てしなく重いプレゼントを渡した。
これには皆呆気に取られるとボコの次に口を開いたのは華火。
「これは……美春に知られたら春夜もボコも大変な目に遭いますよ。何を考えているんですか」
「何でだよ。プレゼントで指輪渡すのそこまでおかしくないだろ」
「正気ですか。やはり貴方は親から異常な愛を受けて育ってきた所為か、独特な感性をしていますね」
「おい。俺はともかく、母さんを悪く言うのは許さねえぞ」
「いえ、悪いのは寧ろ私ですよ。貴方も知っての通り、美春を育てたのは私と桜ですからね。どう考えても私たちの責任です」
夏出の家系は少し特殊で、春夜の母親……つまり夏出美春は今は亡き母である夏出桜と華火によって育てられてきた。
しかし春夜の祖母にあたる桜と華火は夫婦関係に在らず。
というのも美春には血の繋がった実の父がおらず、桜が最も信頼していた華火が彼女の父親の代わりを務めていた。
手塩にかけて育てた美春がまさかあそこまで子供に依存する娘だったとは、流石の華火も予想していなかったらしい。
「パパが私たちの他に子育て経験があるのは知ってたけど……そ、それが春夜のママって本当?」
「ええ、もう40年くらい前になりますかね。あの頃は子育ての『こ』の字も分からなかったので、中々苦労しましたが」
初プレゼントでボコに結婚指輪を渡す春夜にも驚いたが、華火がこのクズの母親を育て上げた事にそれ以上に驚くデコは頭の中を掻き乱されていた。
そして春夜と華火が口論している間に太陽の光を指輪を当て、その輝きをジッと眺めていたボコは意外な事に少し口角を上げている。
「私、指輪もらうの初めて」
「おお、本当か!? 実はその指輪、俺がボコの為に作ったやつだからサイズもピッタリだと思うんだが、ちょっと借りてもいいか?」
「ん」
家事も勉強も運動も何から何までこなせるパーフェクト人間の春夜にとっては指輪を作ることなど造作もないのだろう。
プロが作る意匠の凝らされた指輪として出されても、何の違和感も感じない程の出来栄えで、非常に精巧且つ落ち着いたつくりになっている。
そしてボコの許可を得て一旦指輪を拝借した春夜は、サイズが合っているかどうかを確かめるべく、彼女の左手を持つと手際良く薬指に指輪をはめ込んだ。
この行為が何を意味するのか。
それはここにいる皆が知っている常識なのだが、本当にサイズの確認をしていると思っている純粋無垢なボコにニヤリと笑みを浮かべる春夜の行動は意図的。
「桜、綺麗……これ本当に春夜が作ったの?」
左薬指にピッタリ収まった指輪に心躍らせるボコ。
「俺のボコに対する劣情をふんだんに詰め込んだ指輪だからな。綺麗でない訳がない」
「それは言わなくていい情報。けど、想いは伝わった。ありがとう」
プレゼントが指輪であることにいちいちケチをつけてくる連中とは違い、どんな物を貰ってもお礼はしっかり言ってくれるボコはやはり素晴らしい性格をしている。
すると何かを突然閃いた春夜は間髪入れずにボコに耳打ちをすると、こくりと頷いて了承した少女は春夜と共にダブルピースからの満面の笑みをデコ達に見せつけた。
この行為に特段深い意味はないのだが、このタイミングでこの笑顔は相手をただ不快にさせる。つまりは春夜、純真無垢の少女を利用して周りの連中を嘲弄したという……即ち春夜の気まぐれ。
このまま春夜が良い気分になって時間が進んでいくのかと主にデコが大層不満げな様子だったが、春夜の後頭部に突如重い衝撃が加わると、彼の顔面は机に叩きつけられ、何が起こったのか理解できない状態にあった。
「──こ、こんにちは、春夜くん!」
震えた声と引き攣らせた笑顔で春夜の背後に立つ女性。
それは春夜の幼馴染でありながら、この様なクズに恋心を抱く白来凍呼であった。