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17話 嘘吐きは絶対に許さないお母さん

 落雷という自然災害の恐ろしさを身を(もっ)て体感した春夜は三日後に目を覚ました。

 デコにつけられた傷もすっかり癒えている事から、人より優れた治癒力を持っているのだろう。


 春夜はパンツ一枚の姿で自室のベッドで横になり、当たり前のように女性物の黒ショーツを装飾品として頭から被っていた。


「ハルくん。喧嘩は不良のする事だからやめなさいって今まで何度も言ってきたよね? 何でお母さんの言うこと聞けないの」


 春夜に密着するのは寝巻き姿の美春で、息子にこんな変態の格好をさせたのも彼女。

 どうやらデコと争って怪我を負った彼の事を本気で心配しているようだ。


「帰ってくるのがあまりに遅いから、携帯のGPS辿ってみたらハルくんの服が公園に投げ捨てられていて……お母さん本当に心臓止まるかと思ったんだからね!?」


「はい、すみません。反省してます」


「反省してますじゃないでしょ! 大体、台風の日に外出は駄目ってあれほど言ったじゃない! ハルちゃん達の為とはいえ、私の目を盗んで家を出たの裏切り行為なんだよ!? お母さんに対する裏切り! わかる!?」


「いや別に母さんを裏切ったわけじゃ……」


「それに私の嗅覚がなければ、ハルくんは今もあのマンションの屋上でおしっこ垂れ流したままで……私の愛の力があったから、ハルくんが助かったっていうの理解してよね!」


 多少の勝手であれば目を(つむ)るが、今回ばかりは行き過ぎた行動だと、珍しく息子に対してご立腹なお母さんは、春夜の左腕をカプカプ……ではなくガブガブと顎に力を入れて噛み付いている。


「あのー、母さん? 腕、痛いんだけど」


「そうなの? でも今はお母さんの心の方が痛くて痛くて胸がキューってなってるから、我慢してね。あっそうだ! ハルくんの乳首も噛んじゃおっかなー」


「──んゔっ!? ちょ、小春ッ!! スズッ!! 今すぐこっち来て、母さんを引き剥がしてくれェッ!」


 母親が息子の乳首を噛むなど絵面的にかなりマズイ為、ドアに向かって叫ぶ春夜は妹達に助けを乞おうとしている。

 第一、乳首担当は自分でなく、水月がやっているからそれで十分だろうと、乳首に厚い唇を近づける美春の顔を手のひらで押し返す春夜。


「無駄よ、ハルくん。ハルちゃんとスズちゃんはお料理に夢中だから、あなたの声は届かないんだー! うふふふっ」


「はあ!? ちょっ、小春に料理って、この家マジで壊れるぞ!? 母さん一旦離れて! 小春クッキングを今すぐ止めねえと大惨事になる!」


 妹が家事を行なっていると知るや否や、身体を起こし事故を未然に防ごうとベッドから降りようとするのだが、デコに負けず劣らずの怪力を美春も持っているため、降りるどころか強制的に寝かされてしまう非力な春夜。


「たしかにハルちゃんの家事スキルは壊滅的だけど、スズちゃんの料理をハルちゃんが見てるだけだから、何も問題ないんだよ! それに台風の日にケーキを買いに行かせた事、あの子達も反省してるみたいでね、今はハルくんの為に『4t(トン)カツカレー』作ってるんだってー。良かったねハルくん」


「アイツらは人間の胃の大きさを知らねえのか。とんだハイカロリーじゃねえか」


 もはや鼻で笑うしかない量のカツカレーもそうだが、その大量の食材は一体どこから調達してきたのか。

 春夜一人で食すのは論外として、夏出家全員で挑んでも完食するのに何日もかかってしまう。


 台風の日、春夜を無理に外出させた事を反省していると言ってはいるが、ケーキすら守れない男に地味な嫌がらせをしているのではと妙に勘繰ってしまう春夜。

 下の階の状況が余計に気になる春夜は、部屋から出してもらえない事に歯痒さを覚える。


「それじゃあ早速だけど聞いちゃうね。手塩にかけて育てた私の可愛い可愛いハルくんを痛めつけた上、(はりつけ)にしたのは誰なの? そもそも何で買い物に行っただけのハルくんが、争い事に巻き込まれたのかなあ?」


 今にも災いを呼びそうな気味の悪い笑みを浮かべる美春は、やはり親として自分の子供が虐められているのが我慢ならないのだろう。

 デコの事は全然売ってもいいが、喧嘩の相手が女だと知ったら、美春は今以上に憤慨し、デコの存在を確実に抹消しにかかってくる。

 それだけなら構わないが、問題は美春の知らない場所で春夜が別の女の子と過ごしていた事。

 たとえ血みどろの殴り合いでも、美春の脳では若い男女が肌と肌を密着させたと間違った変換をしてしまう為、言おうにも言えない難しい状況。


「一応聞くけど、母さんは俺を痛めつけた奴をどうするつもりなんだ?」


「え、普通に殺すけど」


「え?」


「え? 子供を傷付けられた親は誰だってそうするでしょ」


「誰でもする────えっ、すんの?」


「するよお。ハルくんは知らないと思うけど、この町の保護者の間ではいじめっ子を山に埋める会だってあるんだから。まあ、実際に活動してるの見たことないけど……」


「いや闇深すぎだろ波山羊町! この調子じゃ、俺が女にやられた事も言えね────あッ」


 波山羊町でいじめっ子を見ないのは、人格が歪んだ大人達によって結成された会が存在するからと、過保護が美春だけの特権でない事に動揺する春夜は思わず口を滑らせてしまう。そしてそれを耳にした美春はピクリと肩を動かしては途端に笑みを失くした。

 そして生気の宿っていない虚な瞳で春夜と顔を見合わせる。


「……女? ねえ、ハルくん。ハルくんは、女に痛めつけられたの?」


 声のトーンを露骨に何段階も下げる母の言葉に背筋が凍りつく春夜。


「え、いや、俺が女にやられたら母さんどんな反応するのかなあって……そう! それが聞きたかっただけだから! 何も俺の喧嘩相手が女だったって明言した訳じゃないからね!?」


「…………そう。それならいいんだけど。もしハルくんを虐めたのが女って分かったら、私はそいつの手足を引き千切って、その肉でハンバーグを作って、(いや)しいメスに『美味しい!美味しいですっ!』って言わせながら完食させてたよ。で、最期は首を()ねて、さようなら」


「ゔっ、過激派じゃねえか。悪いけど母さん、どんな生き方したらそんなエグい発想ができんだよ」


「私、愛する人の為なら神さまだって殺すよ。で、やっぱり女なの?」


「いいえ、違います。通り魔です。ロングソックスと白ブリーフしか身に付けてない、すね毛ボーボーのおっさんにボコされました。変態通り魔です」


 いくらデコが殴って、刺して、縛ってと、字面だけ見れば十分全国ニュースにも流れる行為をしたところで、鬱展開が大の苦手な春夜くんは彼女がバッドエンドを迎えるのを望まない。

 これはデコの為ではなく、知人が後味の悪い結末を迎えるのを知った自分が、後で精神的ダメージを負わない為であるのだと、春夜は架空のおっさんを加害者として伝えるも、美春は(いぶか)しげな顔をしている。


「荒れた天気の日に通り魔ねえ。なーんか、ハルくん私に隠し事してそうで嫌な感じだなあ」


「あ、あははは……か、隠し事って俺が母さんにそんな事する筈ないだろー! 大体俺が何かを隠すって、んな珍しい事あるわけ」


「そうだよね、疑ってごめんね。でも一瞬、ハルくんの体からプロポーズの香りがしたから、お母さん怖くなっちゃって……ねえ、これって私の鼻がおかしくなっただけだよね? ハルくんは他の女にプロポーズなんて、そんな悪魔のような所業、絶対にする筈ないもんね!? ねッ、そうだよね!?」


 母の言う嫌な感じの隠し事。それはデコとの喧嘩ではなく、ボコへのプロポーズの方だったかと、最も知られてはならない出来事を思い出した春夜は心臓が縮み上がると、同時に血の気が引いていた。

 しかし彼が青褪(あおざ)めた顔をする理由として、それは美春の口からプロポーズという予想だにしない単語が出てきて平常心を欠いたからとかでは決してなく、馬乗りになった美春によって、春夜は現在、力強く首を絞められ、鬱血(うっけつ)しているからである。

 疑ってごめんと言いながら、首を絞めるヤンデレお母さんの泥棒猫(メス)に対する嗅覚は凄まじく、プロポーズとは一体どんな香りがするのか、美春の手を必死に引き剥がそうとする春夜はそんな事すら考える余裕がなかった。


「……あっ……ゔがッ…………じぃぬゔっ」


「苦しいよね。首絞められるの辛いよね……けどね、お母さん不安なの。この前、お母さんのこと美春って呼んでくれて私とハルくんは正式な夫婦になったけど、ハルくんの周りはいつも女ばかりでしょ? つまり浮気するのも時間の問題。だからさ、浮気できないようにしよっか」


「……ッはゔ?」


「え、何をするかって? そんなの決まってるでしょ」


 そう言った美春は、春夜の首から両手を離すと、彼の身に(まと)う最後の布地を剥がそうとする。

 つまりはアレだ。春夜が夏出家のオヤジとなって、一生責任持って生きていけよといった感じのやつだ……

 名前を呼んだだけで結婚成立の話が生きていたこともそうだが、倫理観の欠けらもない行動に出る美春に狼狽(ろうばい)する春夜は、咄嗟の連続目潰しで彼女の動きを止める。


「あぎゃあッ!! ちょ、ハルくん……い、いきなり目潰しプレイはお母さんちょっと理解できないかも……」


「語弊のある言い方はやめてくれ! 何だァ目潰しプレイって!? 首絞めは聞いたことあっても目潰しはコアすぎるだろ! それに俺の方こそ息子を襲う母さんの思考がマジで理解できねえからな!」


「え、何で? 親が子を想うのは当たり前の事だと思うけど」


「字面だけな!」


 子供を大切にしたいという純粋な気持ちを語るなら一向に構わないが、美春の場合は息子の全てを独占したいという(よこしま)な思いも混じっている為、それは看過できないと口を尖らせ(とが)める春夜。しかし彼の言葉は母の心に全く響いていないようで……


「──あ、わかった! もしかしてハルくん日本の法律気にしてるでしょ? あっはは、ダメだよダメ! 私たちの愛に他人の意思が介入する余地なんて一切ないんだから! それに法律と言っても、所詮は人が人を縛るために設けたルールだよ? 神様ならともかく、私の恋路を人が邪魔するなんてあり得ないでしょ。ま、ごちゃごちゃ言ってきた場合は人間世界滅ぼすからどっちでもいっか。それとも、ハルちゃんとスズちゃんも連れて別の惑星に移住する? それだったら、誰も文句言えないでしょ」


「息子と結ばれたいがためにそこまでするか……世界滅ぼすとか、もう言ってること魔王だし、惑星移住ってそんな簡単にできるもんなのか? 人類に課せられた難題だよな、あれ」


「愛の力さえあれば、何だって成し遂げられるから大丈夫! 行けるよ宇宙!」


「おお、すげえ言い切った。そんな愛の力で本当に惑星移住が成し遂げられるなら、惑星調査に何十年も費やした先人たちは大発狂だろうな」


 いい歳した二児の母親が、魔法少女キャラが使いそうなセリフを堂々と発している事から、我が母ながら図太い神経しているなと悪い意味で感心をする春夜。

 そもそも世界滅ぼせる力を持っているなら、逆に自分だけの国家を作って、その中で春夜たちと暮らせばいい筈だが、未知なる宇宙の存在は彼女の探究心をくすぐるのだろうか……


 と思いきや、そうでもないのが夏出の母。


「まあ、それは私たちの愛を非難する者が現れたら考えるとして、今は私とハルくんの愛の結晶が最優先だよね」


 話を別の方向に持っていき、自身がパパになる未来を何とかして断ち切ろうとした春夜だが、この程度の誤魔化しで彼女の興味が削がれる訳もなく、美春はベッドの上で再び行動した。


「──ちょ母さんッ、だからパンツ脱がそうとするのやめてって! 不安になる気持ちは分かったけど、俺まだ無職だから! 金はあっても常識知らずの男だから! 子育ては難しいからァッ!!」


「そこは子育ての先輩であるこの夏出美春に任せて! ハルくんとハルちゃんを優しくて強い子に育てた実績はあるから! だからハルくんは少しずつでいいから、子育てについて一緒にお勉強していこうね! えへへ、私とハルくんの赤ちゃん楽しみだなぁ」


「いや怖いよッ! 実績の中に俺という捻くれ者が入ってる時点で、子育て失敗する未来しか見えないよ! あ、でも小春は良い子か……ってそうじゃなく! そもそも俺が誰かにプロポーズしたって母さんは本気で信じてんのか!?」


「それは……信じたくないけど。けど、本当にハルくんからプロポーズの匂いがしたから!」


 夏出美春は葛藤していた。

 愛する人の言葉を素直に受け入れたいという気持ち……

 そして、その気持ちとは裏腹に、春夜が他の女にプロポーズするといった悪夢のような情景を、確かにこの嗅覚が捉えたという事を……


 すると涙ぐんだ美春は突然こくりと頷くと、震えた声で『決めた』の一言を呟いた。


「……決めたって、いきなりどうしちゃったの母さん」


「ハルくんさ、本当に他の女にプロポーズとかしてないんだよね?」


「えっ……うん。し、してないデスヨ」


「──言ったね。お母さんその言葉信じるからね」


「あ、はい。信じてください」


 やはり彼女は二人の子を持つ親。

 結果的に子供の言葉を信じる事にした美春は、愛の結晶を一旦諦めたのか、彼の下着から手を離すとベッドから降りてそのまま部屋の扉の前に立って戸を開ける。

 そして彼女は『スズちゃん、今すぐこっちに来て!』と大きな声をあげると、何を思ったのか下の階からエプロン姿のスズを呼びつけた。


「どうしたの(はは)……と、変態お兄ちゃん」


 母親の下着を頭から被っている露出男を蔑視するスズ。


「料理中なのに呼び出してごめんねスズちゃん」


「別に気にしなくていいよ。それで、これはどういう状況」


「ちょっとハルくんに愛の説法をね。で、スズちゃん。少し頼みたい事があるんだけどいいかな?」


「ん、何?」


「えっとね、ハルくんが私以外の女にプロポーズしてないか、確認してくれる?」


「プロポーズ? お兄ちゃんそんな事したの?」


 初めて出会った頃はスズの胸を引き千切ろうとしていた美春。しかし長い間一緒に暮らしていく事で、スズが春夜を狙っていない事、そしてスズが純朴で可愛らしい乙女である事を知った夏出の母は、すっかり彼女を夏出家の一員として認めている。


「ハルくんはしてないって言い張ってるんだけどね」


「なるほど、分かった。お兄ちゃんの心の中、覗いてみる」


「──ヘっ? こ、心を覗くって、いきなり何言ってるんですかスズさん? それに母さんも、今さっき俺の言葉を信じるって言ってたよね!?」


 合流して早々、結託している二人の様子に何やら嫌な感じがする春夜。

 会話の流れといい、場の雰囲気といい、これは母に対して嘘を吐いた事が直様バレそうな予感がする……

 突然部屋に現れたスズに頼み込む美春に、兄の心の中を覗くといった訳の分からない発言をするスズ。


 危険を察知した春夜は咄嗟にベッドを降りて、部屋を飛び出そうとするのだが、美春とスズに両方の腕をがっしり掴まれ、逃げることが不能になると春夜の身に悪寒が走った。


 そしてスズは次にとんでもない事を口走る。


「お兄ちゃん、プロポーズしてるね。デコ……いやボコ? なんか女子高生に求婚して振られてる。それにこれって……お尻揉んでる?」


「おいスズてめえッ!! プロポーズだけならまだしもケツ揉みは関係ねえだろ! てか、何でその事知ってんだ!」


「知ってるも何も私、悟りの妖怪だよ。目がない代わりに人の心を読むことができる」


「何だそのチート能力!」


 春夜の嘘が瞬時にバレた。

 まさかプロポーズ以外のセクハラ、そしてデコボコの名前まで出してくるとは……

 スズの種族を今初めて知ったこともそうだが、美春は彼女の正体やその能力を事前に知っていて部屋に呼んだのだろう。春夜は自分だけが取り残されている事に若干の悲しみを覚える。


「あ、あのー、母さん」


 恐る恐る美春の顔を(うかが)う息子は、彼女の表情から一切の感情が失われているのを確認した。

 それは闇。美春の瞳から光そのものが遮断されると、漆黒の闇が彼女の眼球全てを覆っている。文字通り真っ黒だ。


「──ハルくん、嘘吐いちゃったね」


「……いや、これは嘘というか母さんを暴走させない為の優しさというか」


「何言ってんの、今のハルくんちっとも優しくないよね。ねえスズちゃん、このオオカミ少年がまだ何か隠し事してないか見てくれる?」


「おい嘘だろッ!?」


 このままでは台風の日に起きた事だけでなく、これまで吐いてきた数々の嘘が暴かれてしまうと、焦燥した春夜は掴まれた両手を強引に動かして、頭に装着した母の下着を取っては匂いを嗅ぎ始めた。

 まるで掃除機の吸引力を思わせる、凄まじい勢いで鼻腔に神聖なる母の香りを取り入れたのだ。


「心頭滅却……心頭滅却……」


 下着を嗅いでいる時点で煩悩剥き出しな気もするが、春夜は脳内から美春以外の女を排除すると、スズの読心術に対抗しようとする。

 しかしこんな事で妖怪であるスズの能力を防ぎきれるのかと怪しい点はあるものの、春夜の集中力は常人を遥かに凌駕するもので、その証拠にスズは口を開いて驚愕している。


「お兄ちゃんの頭の中……凄い」


「どうしたのスズちゃん。もしかしてハルくん、これ以上の嘘をまだ隠し持ってる?」


「……ううん違う。お兄ちゃん、心頭滅却って言ってるくせに頭の中にあるのは、母のおっぱい。赤ちゃんの時にいっぱい吸ったおっぱい。一緒にお風呂に入った時に見た湯船に浮かぶおっぱい。プールの更衣室を覗いた際に見えた担任の先生のおっぱい。もう、とにかくお兄ちゃんの考えてる事おっぱいしかない……」


「ハルくんが、そこまでして私のおっぱいを……」


 普通ならここでドン引きするのが母親としても女としても正しい選択のはずだが、彼が母の乳を真剣に妄想している姿を見て、何故か胸が高鳴る美春は気持ちが揺らいでいた。


「母、惑わされちゃ駄目。お兄ちゃん、しれっと担任の先生のおっぱい思い浮かべたんだから。しかも女のおっぱいじゃないよ、胸毛ボーボーの小太りおっさんのおっぱいだよ」


「おっさんのおっぱいと私のおっぱいが同等……」


 せっかく母親の機嫌を取れるチャンスが巡って来たというのに、スズが余計なひとことを言った所為で、今以上に気分を害する美春。

 春夜の妄想におっさんのおっぱいが混じってくるとは、もしかして自分の胸にも毛が生えていたからそうなったのではと、服の中を覗いてチェックする美春は、プルプルでふわふわな無駄毛ひとつない胸を視認すると安堵した。


「スズ! お前余計なこと言ってんじゃねえよ! 俺は人のおっぱい見ると条件反射であのトラウマが蘇るんだから仕方ねえだろ!」


 そう、あれは夏出春夜が小学生三年生の頃だった。

 彼の当時の担任は下っ腹の出た生粋の汗かき()つハゲ頭と、まるで絵に描いたようなおっさんで、いつも放課後になると生徒達が下校したタイミングを見計らっては、プールの女子更衣室に一人そそくさと忍び込んでいた。

 その行動に当然、少年春夜は不審に思うわけだが、ある日彼は幼馴染である凍呼を連れて、更衣室で担任が何をしているのかこっそり覗きに行くと────そこには全裸になったおっさんが、女子更衣室の床をベロベロと舐めていた。

 なんと床に付着した乙女の垢を春夜の担任は舌全体を使って隅々まで舐めとっていたのだ。


 その時、彼らの無垢な心は一人の担任によって(けが)されると、凍呼は大声で泣き叫び、そこに駆けつけた教師達は、変態教師の愚行を目の当たりにし、直様警察に通報、からの連行。

 その日を機にその光景が頭から離れなくなってしまった春夜は、今でもおっぱいを見ると、かつての変態教師の小汚いおっぱいが頭に浮かんでしまう体質になったという。


「……スズちゃん。ハルくんをベッドの上に寝かせて」


 しかし息子の壮絶な過去に対して、今の美春は心配するどころか、スズの能力にまたもや依存すると、スズもスズであっさり母の言いなりになり、自由自在に動かした長髪を春夜の手足に絡ませ、仰向けの大の字ポーズでベッドの上に寝かせた。


「……母さん、もしかして相当怒ってる?」


 そして春夜に続き美春も同じベッドの上に乗ると、一体どこから持ってきたのか、重さ50kgの鉄球を両手で抱えながら息子の股の間に母は立っていた。


「何寝ぼけたこと言ってるのかなハルくぅん……お母さん前にちゃんと言ったよね。ハルくんであろうと浮気したら殺すって」


「あ、あはは……何でもするから許してください」


「そんなこと言ってももう遅いよ。まずはお母さんを裏切った報いを受けなさい」


 いくら美春でも息子に嘘を吐かれたショックは想像以上に大きいものなんだと、本来なら何でもするという言葉に食いつきそうな彼女も心を鬼にすると、春夜の股間目掛けて手に持った鉄球を全力で投げつけた。


「────はゔあッ!!」


 デコでさえ股間を狙うことはなかったのに、まさか血の繋がった母親に股間を潰されるとは……

 春夜は激烈な痛みに悶え苦しむと、同時に呼吸困難に陥ってしまう。


「うわぁ……お兄ちゃん痛そう」


 人の手足を縛っておいて、善人を気取るか貴様はと、言葉にすることができない代わりに恨みのこもった眼差しをスズに向ける春夜は口から唾液を垂れ流していた。

 流石にこの攻撃で命を落とすことはなかったが、この痛みを感じるくらいなら首を落とされて即死した方がまだマシだったと思う春夜に休む暇はない。


 春夜を始めとした子供部屋にいる三人は、突如下から鳴り響く轟音に耳を傾けると、小春の存在を忘れていることに気付いた。


 その轟音はまるで隕石が地上に落下したような衝撃音で、顔面蒼白になる美春は、呆然と口を開かせながらスズに聞いた。


「スズちゃん……まさかだけど、ハルちゃんにお料理任せてないよね?」


「一応ここに来る前、米とぎだけ頼んだけど」


「米とぎ!? それは……かなりマズイ状況ね」


「えっ……お姉ちゃんは米とぎもできないの?」


「あの子はそもそも家事が何一つ出来ない子だからね……これ、リビング大変な事になってるんじゃない?」


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