14話 天使と悪魔の姉妹
「華火って、俺の知ってるあのウサギじゃないよな? だって顔も体も全然似てねえっていうか、まず生きてる世界が違うもんな」
「私のパパはウサギだよ」
「ちくしょうマジかッ!」
華火とはこの町で妖怪専用のレストランを経営するウサギの妖怪。
娘が近々この町に越してくる事は耳にしていた春夜だが、これは全くもって想定外。
まさかウサギの妖怪ではなく、人の姿形をしている童女が華火の娘と告げてくるとは……
ボコにはウサギの耳が生えていなければ、目も鼻も口も身体も、何処から何処まで似てる要素が一つもない。
一体どのような遺伝子組み替えで、奇しくもこの様な天使が誕生したのだろうか……
これでは春夜が以前から決めていた華火の娘に会ったら問答無用で泣かすという目的が潰えてしまう。
ボコと話す前に親が華火だと分かっていたなら、ボコをボコボコにタコ殴りにする事が出来たのだが、ボコが天使だと分かった今、クソったれの春夜でも彼女に手を上げる事は流石にできない。
「因みにボコは、俺がどんな人間か華火から聞いたか?」
「うん。人の嫌がる姿を見て高笑いするクソったれで、脅し文句が『おしっこ漏らすよ』の性格破綻者。パパのお店の従業員を悉く泣かし、『ママぁ、僕から離れてよー』っていつも言ってる割には、自分が乳離れできてない事に全く気付かない生粋のマザコン。他には──」
「──もうやめて! 十分、分かったからもうやめて!? 華火に直接言われるならまだしも、ボコに面と向かって言われると胸が苦しくなる! というか何つー説明の仕方してんだ、あのクソウサギは! 前半はまだ心当たりあるが、最後のやつは俺知らねえ! 何が僕だ。一人称がそもそも違えし、ママ呼びは中3で卒業したんだよ!」
逆に中学三年までママ呼びしていた事を自ら暴露する春夜。しかしこれは華火の言葉の信憑性をかえって高めているのと同時に、その点に気付いていない春夜はいつになく焦っている事を示した。
ボコが『他には』と言っているあたり、夏出春夜の情報は恐らく筒抜け状態にあるのだろう。
直近の情報だけなら問題ないが、幼少期の恥ずかしい思い出なんかをボコに知られてしまっては、軽蔑されかねない。
「俺の一番嫌いな食べ物は?」
「──バナナ」
「俺が最後におねしょしたのはいつ?」
「──高校二年」
「俺と母さんはいつまで一緒にお風呂に入っていた!?」
「──高校三年」
「ぎぃやあああああああああああッ!!」
この様子だとボコは春夜の殆どを知っている。
嫌いな食べ物、そして親子混浴は夏出家の皆が知っている為、誰かが情報を漏らしたと推測できるが……
高校二年の時のおねしょは春夜が思春期という事もあって、彼が布団を秘密裏に処理していた。故に家族どころか知人すらも知り得ない情報の筈だが……
何故、親類ですらない華火にそれがバレてしまっているのか、ウサギの情報収集力の高さに首を絞め付けられる春夜は悲痛な叫び声をあげてしまう。
「ぐあァッ……じょ、情報を武器にしてくるとは中々やるなボコ」
「別に戦ってるつもりない。お兄さん……いや春夜が勝手に自滅してるだけ」
『情報を武器に』とは決して物理的な意味ではないのだが、吐血している春夜からすれば、黒歴史の開示はメリケンサックで殴られる事と同義。
ボコの顔と制服は男の血反吐で真っ赤に染まる。
「……大丈夫、春夜?」
「……お、俺が夏出春夜と分かっても、ボコは気遣ってくれるのか?」
「名前聞いた時は驚いた。けど、どんなに悪評が立っても私が知った夏出春夜は優しい人だよ。ケーキくれたし」
「ボコ……ケーキに弱くね?」
これは春夜が優しいというより、ケーキをくれる人全般が優しいのではと、ケーキを用意すれば何をやっても許してくれそうな反応を見せるボコに、釈然としない春夜。
するとボコは水色のリュックからポケットティッシュを取り出すと、血で汚れた顔を拭いて微笑する。
「それだけじゃない。確かに春夜は口が悪ければ、奇天烈な言動を繰り返す変人……でも、面と向かって話してくれた。初めはチビって馬鹿にしてきたけど、私を反発される事で緊張をほぐしてくれた。真意はどうあれ、話しやすい環境にしてくれた事、助かった。こう見えて私、話すの少し苦手だから……」
「人見知りとかか? だったら無理させちまったな。悪い」
「ううん。家族以外でこんなに喋るの久々だったから……でも楽しかった」
春夜は特段楽しませるつもりで言葉を発していた訳じゃないのだが、どうやら春夜の遠慮のなさが却ってボコの居心地を良くしたらしい。素直に感謝される春夜は慣れない所為か、その言葉に気恥ずかしさを感じていた。
プロポーズは一瞬で断られてしまったが、友情から発展していく恋路もアリなのではないかと、互いに瞳を合わせる事で期待を膨らませる春夜。
しかしそんな悦びも束の間。
「──こんな場所にいたのね。探したわよボコ」
突如二人の前に現れた赤いレインコートを身に纏う少女の所為で、良い雰囲気とやらも一瞬でぶち壊しになる。
雨で足音が掻き消されたのか、それとも春夜がボコに見惚れていただけなのか。
レインコートの少女は気付いたらそこに立っていて、その登場の仕方ときたら幽霊を彷彿とさせる。
「おいてめえ! 俺の恋路を邪魔するんじゃねえ!」
少女はボコと同じ背丈で全く同じ顔つき……まるで写し鏡のような存在の彼女には、一つだけ違う点があった。
それは前髪の形。
ボコが凹の字を逆にしたものなら、レインコートの少女は凸の字を逆にした前髪。
この珍しくも誰も真似しようとは思わない前髪……恐らくはこの二人、血の繋がった姉妹なのだろうが、ボコとは対照的にレインコートの少女は高圧的な態度を取っている。
「何このゴミ」
春夜が突然発狂した事により、氷よりも冷たい視線を向けるレインコートの少女は、彼が動物園から脱走した猿とでも思っているのだろうか。
普段ならこんな子供から発せられる『ゴミ』など、可愛くて可愛くて仕方がないのだが、この娘が言う『ゴミ』は無性に腹が立ってくると、春夜も負けじと冷ややかな目線を送る。
「何このチビ」
「──誰がチビィじゃあああああいッ!!」
レインコートの少女は予想より遥かに沸点が低かった。
出会って早々人を見下してきた為、貶し合いの勝負が得意中の得意なのかと思いきや、『チビ』の一言で彼女は激昂すると、開始1分も経たずに春夜が勝ちを制した。
しかし勝利の代償として激昂少女に頭髪を毟られてしまう春夜は、何故こんなにも面倒な奴に挑もうとしたのか、彼女に対してではなく自分自身に呆れ果ててしまう。
「デコ、みっともないからやめて」
身内の見苦しい行動を止めるべく、デコと呼ばれた少女を宥めるボコは、何故かこのタイミングで食べかけのモンブランを口に運んだ。
「ボコは黙って! コイツは私をチビィって嘲笑ったのよ!? 泣かすまで、いや泣いても絶対にやめないから!」
「デコとボコ……プッ。っあはははははッ! は、腹痛え! 前髪が凸凹、そして名前もデコボコ! ギャグか? 二人の存在はギャグなのか!?」
「──ぃぎぃっ! コイツ、私の身長だけじゃなく私たちの名前まで馬鹿にし始めたわよッ!? ボコもケーキなんか食べてないでなんとか言いなさいよ──って何でアンタ、ケーキ食べてんのよ!?」
「……春夜がくれた」
ボコの名前や髪型といい、新たに現れたデコの存在といい、華火の命名センスと散髪センスは一体どうなっているのか。
お世辞にも素晴らしいといえない父親の頑張りを、春夜は腹を抱えて馬鹿にする。
デコはそれに対し、更なる怒りを露わにするのだが、ボコはそんな事よりもケーキに夢中。
「ちょっと目を話した隙に、私の可愛い妹を餌付けしやがって……毒とか入れてねえだろうなぁ!?」
「入れるわけねえだろクソチビ。それにボコが妹って……この、いかにも知能指数が低いコイツが姉って事なんだよな? おいおい冗談だろ。ギャグもここまで来ると流石に笑えねえ──」
「──誰の頭がコアラじゃあああああッ!」
次の瞬間、春夜の体は宙を舞った。
名前も身長も、そして知能指数も馬鹿にされ、遂に堪忍袋の緒が切れたデコは男の頭を鷲掴みにすると、上体を後ろに捻って春夜を投げ飛ばした。
あまりに素早い行動の為、反応が遅れた春夜は受け身を取れずに、前方にあるジャングルジムへと頭から突っ込んだ。
「……ゔっ…………が、いでぇ……」
まさか自分より背丈のある人間を片手で、それも野球ボールを扱うかの如く、軽々投げ飛ばしてくるとは……
華火が親である事は置いておくとして、妖怪の娘であることに偽りはなかったか。
全身が泥に塗れてしまった春夜は、額に手を当てると、赤黒く、そして生暖かい体液が流れている事に気付いた。
「……お、俺が50過ぎのジジイじゃなかったら、完全に死んでたぞこれ」
「はっ、そのまま死んでしまえばよかったのに」
「…………てめえは、年寄りを労ることすら出来ねえのか」
「アンタは別に年寄りじゃないでしょ。それにたとえアンタが年寄りだったとしても、私をコケにしたド畜生は絶対に労ってやらないから。寧ろケツを思い切り蹴りまくって、ぎっくり腰にしてやるわ!」
「……鬼か」
よもや姉妹でここまで性格が違ってくるとは……ボコが天使だとしたら、デコは春夜と同様に、年配者を愚弄する大悪魔といったところか。
自らをチビと呼称した男に罰を与える事で、爽快な気分になるデコは甲高い笑い声を発する。
「よし決めた……お前は絶対に、俺の手で泣かしてやる。それこそ、泣き喚いても絶対にやめねえからな」
無様に遊具にしがみ付き、苦悶の表情を浮かべながらも立ち上がる春夜は、遂に華火の娘を痛めつける事を決意した。
ボコは心優しい性格の為、虐めるなどもっての外だが、他者を傷付けて高笑いする様なチビメスは制裁を以って分からせるしかない。
春夜は半開きの瞳で歪な笑顔をつくると、それをデコに向けて威圧感を与えた。
「春夜……デコは馬鹿だけど、強いよ。大丈夫?」
「──ちょっと! 姉に対して馬鹿とは何よ、馬鹿とは!」
姉であるデコに応援メッセージを送るのかと思いきや、真っ先に春夜の心配をする妹の態度にデコは眉を顰める。
「案ずるなボコ。俺は殴り合いは得意じゃないが、人への嫌がらせは大得意だ。それに華火の娘は元々泣かす予定だったからな。手頃な奴が出てきてくれたおかげで、こっちもやり易い」
「へえ、アンタそんな格好で随分と余裕なのね。それにパパの事も知ってるみたいだし……もしかしてアンタ、パパのもとで働く下っ端?」
先程の一発が見事に決まった所為か、完全に調子づいてしまったデコは春夜の事を取るに足らない人間として扱うのだが、それを否定するかの如くボコは口を挟んだ。
「──違うよデコ。この人は春夜……夏出春夜だよ」
「夏出春夜? 誰だっけそいつ」
この赤い瞳の青年が夏出春夜だと知ったボコはその時、目を見開いて驚いたのだが、姉の方はこの名前に聞き馴染みがないのか、小首を傾けている。
「はあ……何でパパの話聞いてないの。私とデコを泣かしに来る人が居るって、再三注意受けてたよね」
「あれ、そうだっけ? まあ、でもこんなもやし野郎に泣かされる程、私たち弱くない────ぶべぇッ!」
春夜を弱者と決めつけるデコは如何にも余裕綽々な感じであったが、我らが夏出春夜を侮ってはいけない。
勝負は春夜がデコを泣かすと決めた時から既に始まっており、凸凹姉妹が会話している隙を突いて、彼は近くの花壇から拝借した茶色いレンガをデコに向かって全力で投げつけた。
追い風に乗った3kgのレンガは徐々に勢いを増すと、見事デコの額にクリーンヒット。
少女相手にも容赦なく鈍器をぶつけた春夜は、デコがそのまま後ろに倒れて、後方のベンチの角に頭を打つのを確認した。華麗なダブルコンボだ。
「これはちょっとしたお返しだ。喜んで受け取れ、そして泣け。このクソチビが」
「……春夜、卑怯極まりない」
春夜とデコの間に力の差があるのは歴然だが、手段を選ばず、いきなり不意打ちをしてくるとは……男の風上にも置けない春夜の行動に唖然とするボコ。
だが常人ならまだしも、たった一度の攻撃で華火の娘が落ちる訳もなく、デコは怒り心頭に発するといった様子で、体を小刻みに震わせると真っ赤な顔して立ち上がった。
「よくもやってくれたわね。このクソ男が──」
「うるせえよ。そーれ!」
「──だはぁッ!」
デコはレンガで頭を強打したというのに、流血どころか、傷一つついていない事から、相当な石頭とみた。
だがしかし、そんな事は想定内。
春夜は彼女が立ち上がるタイミングに合わせて、再びレンガをぶん投げると、二度目も額の中心に命中させた。
恐るべきコントロールと肩の強さだ。
それに物理的なダメージは少ないにせよ、精神ダメージはかなり与える事ができている為、デコの怒りは一気に蓄積される。
暴力と陰湿さを兼ね備えた春夜の嫌がらせは、デコ相手にも十分通用している事が判明した。
「キィイイイイイィッ! 許さない……絶対許さないからなお前ッ! 頭のてっぺんから足の指の先端まで、全身の骨を余す事なく、グッシャグシャのこっなごなに折って! 砕いて! イカのような軟体動物にしてやるからなァッ!!」
まるで野生の猿の様に奇声を上げるデコは、歯をギシギシ鳴らしながら春夜に鋭い眼光を向けるのだが、若干涙目になっている風にも見える。
出会って間もない相手にここまでの憎悪を抱かせるとは、これまた変わった彼の才能なのだろう。
「そんな汚ねえ面で俺を見るなチビ猿。お前のチビが感染ったらどうすんだ」
「だから私はチビィじゃねえって言ってんだろ!」
「いやチビだろ────ふゔッン!?」
刹那、春夜の左脇腹に重い衝撃が加わる。
それはまるでクレーンに吊るされた鉄球を横からぶつけれたような……そんな重い衝撃が体に伝わると、春夜は鈍い音を奏でながら『くの字』になって7、8m程吹き飛んだ。