13話 台風の日のプロポーズ
薄暗い空の下、公園にある東家のベンチで横になる春夜は服をびしょびしょに濡らしていた。
というのも今日の天気は最悪で、波山羊町に台風が直撃し、風が吹き荒れるわ、土砂降りの雨に打たれるわで、春夜はすっかり濡れ鼠。勿論、持ってきた傘もしっかりと破壊している。
「……冴えねえなあ」
何故、春夜はこんな荒天の日に外出しているのかというと……
昨晩、夏出家全員分の下着をパンツの中に隠し持っている事が普通にバレて、小春とスズはそれに憤慨。
弁解の余地も当然なく、春夜は台風限定スペシャルスイーツを商店街まで買いに行かされる羽目になったという訳だ。
一応、小春とスズが求める品を手に入れる事ができた春夜だが、傘もカッパも無いこの状況で屋根から出れば、スウィーツとやらも雨に濡れて駄目になる。
というより何故『台風限定』の商品なんかを販売しているのか、波山羊町のイカれ具合に腹が立つ春夜。
すると広い正方形のベンチで天井のシミを数える春夜の隣に一人の少女が腰を掛ける。
台風が直撃しているにも関わらず、外出する馬鹿が自分以外にも居るとは……仲間が増えた様な気がしてちょっぴり嬉しくなった春夜は少女に声をかけた。
「よお、ちびっ子。お前も傘が壊れて雨宿りか?」
「……それ、私に言ってるの?」
「そりゃあな、ここには俺とお前しか居ないわけだし」
突然見知らぬ男に声をかけられたというのに平坦な声で返す少女もまた、春夜と同様に髪や衣服を濡らしており、背中には水色のリュックサック、右手に骨の折れた水色の折り畳み傘を持っていた。
「私、ちびっ子じゃない。高校生だよ」
「嘘つけ、どう見ても高校生じゃねえだろ。せいぜい小学生か、贔屓目に見ても中1ってところだろ」
「……初対面なのに失礼。お兄さん、よく敵つくる人でしょ」
春夜が失礼なのは今に始まった事じゃ無いが、彼の言う通りこの童女はとても高校生には見えない幼い外見をしている。
肩まで下ろした黒い髪に青く澄んだ瞳。
まるで精巧に作られた人形のように綺麗な顔立ちをする彼女は身長がチビヤクザと同じく130cm、もしくはそれよりも少し低い背丈だろうか。
そして何より目を引くのが彼女の前髪であり、凹の字をそのまま逆さにした形をしている。この様なふざけた髪型が最近の女子の間では流行っているのだろうか。まったく理解できない春夜は半身を起こして彼女に顔を近付ける。
「お前、髪切るの失敗しただろ」
「お兄さん。刺すよ? 何で刺すって勿論、錆びた包丁でだけど……今ここには無いから、諦める」
「真顔で恐ろしい事言うなお前」
「……お前じゃない、私にはボコっていう名前がある」
「ぼ、ボコ……え、それって本名か?」
「勿論」
ネタでも付けるのを躊躇ってしまう名前の酷さに春夜は苦笑いをする。
「へ、へえ、最近の子供は苦労してんだな……ペットみたいな名前付けられて」
「私はペットじゃない。そして名前も髪型もパパがくれたもの……パパを侮辱するお兄さん、やっぱり刺す」
今のところボコという少女の否定しかしていない春夜に、彼女は頬を膨らませ機嫌を損ねると、包丁の代わりとして壊れた折り畳み傘で春夜の腹部をポカポカ突きまくる。
しかし殺傷力は愚か、1ダメージも入らないその攻撃に何食わぬ顔をする春夜。
「悪い悪い、小学生相手に少し揶揄いすぎたな」
「だから小学生じゃない……ほら、ちゃんと見てこの制服」
「制服? あ、それ、波高のやつじゃねえか?」
赤いスクールリボンに半袖ブラウス、更にはプリーツスカートと、一見どこの学生服か判別がつきにくい格好なのだが、母校の制服くらいは流石の春夜も覚えていたのだろう。
こんなにも幼い女の子が身の丈に合っていない服装をしているとは、春夜も困惑せざるを得ない様子。
「おいおい駄目だろボコちゃん、他人の制服盗んできたら」
「……もう一度、刺す」
幼児体型の所為で春夜に小学生扱いされる事が気に食わないボコ。
今度は傘の折れた骨を使って春夜の体にグサグサ突き刺す。
先端が尖っているだけあってこれは春夜も割と効いているみたいだ。
「ちょっ、いだっ! ちびっ子に見られるのがそんなに嫌なのか!?」
「……逆に嫌じゃない理由を教えてほしい」
「そんなに気にしてんだったら、ボコもサングラス掛けてみたらどうだよ? 俺の知り合いにもアフロで身長盛っているチビ野郎が居るんだが、そいつを子供扱いする奴なんてこの町には何処にもいねえぞ。理由は何故かって? そいつがサングラスをつけてるからさ」
「お兄さん馬鹿でしょ。私みたいのがサングラスつけても余計に子供扱いされるだけ……それにお兄さんの知り合いが小人でも子供扱いされていないのは、きっとその人が老け顔だから」
「チビヤクザが老け顔とは…………言い得て妙だな」
サングラスを掛けて脱子供は割と好い線行った提案だと思ったが、いくらチビヤクザとサングラスの相性がよくても、それが必ずボコにハマるとは限らず……
スパイ映画に感化された子供がサングラス一つでスパイになりきる姿が容易に想像できると、それはそれで何処ぞの層に需要があるのではないかと、顎に手を当て真剣な顔をする春夜はロクでもない事を考える。
「ボコ、やっぱりサングラス掛けてみないか? その低身長といい、イカれた前髪といい、ボコならサングラス系チビアイドルとして結構人気が出せると思うんだ」
「……お兄さん、何言ってんの」
「いや実は俺、一部のアイドルをかなり推していてだな。そのアイドルと親密な関係になりたいんだ。けどただの一般人じゃ親密になる事は愚か、繋がりを持つことすら出来ない。ならば俺がプロデュースするボコを有名なアイドルにする事で、いずれは最推しと夢の共演。そこから繋がる俺と推しアイドルの恋愛物語……なんだか面白そうじゃないか?」
「面白くないし、夢見すぎ……それと気持ち悪い」
アイドルとの妄想を膨らませ、途端に饒舌になる春夜は、己の願望の為にボコをアイドルの道に進ませようとするが、女を道具にするような男は『死すべし』と即刻拒否される。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
一ファンとして応援していた筈のアイドルを、いつの日か自分だけのモノにしたいという春夜のガチ恋っぷりは、聞き手をドン引きさせる。
「ところでお兄さん……何で暴風雨の中、外なんか出歩いてるの? もしかして煩悩を振り払う為の特訓? 滝行みたいな」
「滝行だったら屋根のある場所で休憩なんかしねえだろ。これはれっきとしたパシリだ。妹たちを怒らせて、ケーキ買いに行かされた憐れな兄の姿なんだよ」
「……ケーキ?」
「ああ、台風限定とかいうアホな付加価値の所為で、商店街までスウィーツを買いに行かされる羽目になったんだよ。ほら」
春夜は透明のビニールに入った白いケーキ箱を右手でぶら下げると、ボコは突然目を爛々とさせながら顔を近づけ、同時に涎も垂らしていた。
「スウィーツ……ごくり」
「態度があからさまだな……食うか? ケーキ」
「──え、いいの?」
「まあここらで俺の株も上げとかねえと後々孤独になりそうだからな。俺の分だけなら食ってもいいぞ。それにボコみたいな善人はこの町では稀有な存在だ。大事にしねえと」
「……お兄さん、私のこと狙ってる?」
「ああ、狙ってる」
冗談混じりにそう言う春夜は箱の中から一つのモンブランケーキを取り出すとプラスチックのフォークと一緒にボコに手渡した。
このモンブランは台風の目を連想させる白いマロンペーストが渦巻き状に巻かれている事から、台風限定とでもなっているのだろう。
「ありがとう、お兄さん」
スイーツを前にし気分を高揚させるボコは甘いモノには目がない様に見える。
小さく分けたモンブランを口に運んだボコは僅かに口角を上げると至福のひとときを味わっていた。
ケーキ一つでこんなにも喜んでくれるとは、思わず顔を緩ませる春夜は珍しくお兄さんらしい事をしていた。
これではただの優しいイケメンだ。
「そういえばボコは何で制服なんか着てるんだ? 今日、台風で学校休みだったろ」
「お兄さん、遂に私が高校生って認めた」
「まあ世の中には130cmのくせに俺の先輩してる奴も居れば、2m以上あるっていうのに10歳を語る女もいるからな……ボコが高校生だっていうのも今思えば全くおかしくない話だったわ」
「10歳で2m越え……羨ましい」
「そうか? 天井に頭ぶつけてるのとか見ると不便でしかねえと思うけどなあ」
同居人である長身のスズが家のあちこちで頭をぶつけている姿をこれまで見てきた春夜は、結局自身の背丈くらいが日常生活に支障をきたさず丁度いいと、ボコの頭をポンポンと軽く叩きながら思うのであった。
「それでさっきの質問の答えはどうなんだ? まさか休校になった事、知らないで学校に行ったとかないよな」
「その通りだよ、お兄さん。この学校、台風が来ると休校になっちゃうんだね。さっき先生に言われて驚いた」
「いや別に驚くような内容じゃなくね……台風直撃してんだし。というか連絡網はどうしたよ。普通こういった天候の荒れた日って家に電話がかかってくるだろ」
「身に覚えのない番号は無視した。詐欺に遭うから」
「人間不信か」
初対面の人から貰うケーキは何の疑いもなしに食べるくせに、他者からの電話には警戒心を高めるという、どこかズレた感性を持つ彼女に困惑する春夜。
「ところでお兄さんって波高の人?」
「元だな、元。今は暇を持て余したパシリって感じだ」
「え、それってつまり無職──」
「──無職じゃない! パシリだ!」
春夜の中では無職よりパシリの方が上位の存在なのだろうか。ボコの言葉を遮ってまで無職よりもパシリを選択する春夜は、無駄なプライドをここでも見せる。
「無職もパシリも大差ない」
「そんな事ないだろ! 無職は自分のためだけに行動をし、パシリは人のために行動する。たしかに字面だけ見ればマイナスな印象しか感じられないが、意味合いが大きく違ってくる為、俺はパシリを選んだ! 無職だからパシリなのではなく、パシリだから無職なんだ!」
「そうなの? 私からすれば、ただ自分に嘘ついてる風にしか見えるんだけど」
「……それもそうだ」
年下に痛いところを突かれ、何も言えなくなる春夜は静かに肩を落とした。
無垢から発せられる言葉とはここまでダメージを負うものなのだろうか……
春夜はこれまでの自分を否定しているような感覚に陥ると、そんな彼を見兼ねたボコは、食べかけのケーキを一旦膝の上に置き、小さな左手で春夜の頭を優しく撫でた。
「けど無職でもパシリでも、私お兄さんの事好きだよ。ケーキくれるから」
「ボコ……チューしてもいい?」
春夜は母親以外に初めて無職を認められた。
妹からは『暇なら働けば』などという非人道的な言葉を浴びせられ、幼馴染からは『また一緒に学校通おうよ』といったまたもや非人道的な言葉を浴びせられ、何処ぞのアフロからは『有職者こそが正義や』などと意味の分からない言葉を散々聞かされ続けた。
そんな苦しい期間が約1年間続いていた春夜に味方するボコという少女……いや、これは天使か。
胸が高鳴りが止まない春夜はこれが恋かと錯覚すると、口を窄めてボコの唇を奪おうとする。
しかし彼の行動を邪魔すべく、突風により飛んできた大きな石が男の左頬を直撃すると、春夜のキッスは早くも失敗に終わった。
「台風は私の味方だったみたい」
「……くそ痛え」
風に乗った石の威力は絶大で、赤く腫れた頬を押さえる春夜は、一歩間違えれば強制わいせつ罪で捕まるところであった。
「そういえばお兄さん……何で生徒じゃないのに、今日が休校だってこと知ってたの。日頃から学校覗いてる不審者?」
「おい俺はそこまで落ちぶれちゃいねえぞ。妹が波高生なんだよ」
「妹……お兄さんを使いっぱしりにした?」
「そう、今年二年の妹だ」
「二年……私と同じだ」
「そうか……おい、ちょっと待て。ボコは波高二年目なのに連絡網無視したのか? 詐欺に遭うのを警戒して」
新入生ならまだしも、高校生活二年目に突入して尚、連絡網もまともに回せないとは……
臨時休校も今に始まった事ではなく、去年も確か感染症の影響で学年閉鎖があったりした。
そんな状況下でもこの少女は連絡網に頼る事なく、学校生活を過ごしていたのかと思うと逆に心配になる春夜だが……
「勘違いしてるところ悪いけど、私転校生。最近この町に越してきたんだよ」
「あー、だから電話で警戒してんのか」
「うん。前の学校では電話で連絡網回すなんて事なかったから」
「連絡網が電話じゃない学校……そんな所もあるのか。凄えな」
「逆に電話の方が珍しいよ……今の学校は何処もメールで一斉送付だし」
ボコの言う通り、今の世代の子はメールやSNSなどで、情報の共有化を図っている。
勿論、春夜や小春だってモバイル端末などを日常的に使っているから例外ではないのだが……
何分波山羊町の大半は老人で成り立っている。
つまりは波山羊高校の教師も年配者ばかりで、電子機器を使える者がいかんせん少ない。
それ故に学校からの情報をメール配信で済ますなど夢のまた夢であり、これがド田舎の宿命なのかと思う春夜はこの町に未来がない事を早くも悟ってしまう。
「所詮は田舎に住まう小物か」
「そう卑下する事でもないよ。たしかに前住んでいた場所に比べると、かなり不便な場所ではあるけど……お兄さんみたいに優しい人にも出会えるから、結構楽しいよ波山羊町」
「ボコ……結婚しないか?」
苦節十九年……妖怪含め数多くの人間から、やれクソったれだ、やれ腹黒マザコンだと、罵られ続けた春夜は初対面の相手にここまで優しくされたのは初めてであった。
ケーキを一つ、それも千円もしないケーキをたった一つあげただけで、こんなにも心揺さぶられる言葉を頂けるとは。
彼女をすっ飛ばして、お嫁さんになってもらう事を懇願する春夜は感極まって涙すると、ボコの両手をぎゅっと握りしめた。
台風の中でのプロポーズとは斬新すぎるこの男。
「お兄さん、さっき最推しのアイドルがどうとかって言ってなかった?」
「言ったッ! 言ったんだが! ここでボコを逃すにはあまりに惜しい! だから俺の推す『わさビッチがーる』とボコと三人とで結婚をしよう! 何、俺は金もあれば顔もカッコいいときた。母さんに滅多刺しにされる可能性が出てくるが、夫婦の逃亡生活を一緒に楽しもうではないか!」
「え、まさかの複婚宣言……それにお兄さんのお母さんが刺しに来るって……これ関わったら絶対にマズいやつだ」
「大丈夫なんとかなるさ!」
他者の人生を泥沼に引き摺り込もうとする春夜は実に短絡的で、根拠のない『大丈夫』をグッドサインと共に送る。
アイドルと結ばれる可能性は限りなく低い為、複婚について問題視する必要はないが、最も気にすべき点は美春からの滅多刺し。
美春がただの過保護であればそんな事態起こる訳がないのだが、彼女は息子に恋する春夜ガチ勢。
自分の知らない場所で見知らぬ女と夫婦になんかなってみろ。
それを知った彼女は文字通り『大発狂』。
怒り狂った美春は体に闇を纏うと刃物を手に取り、わさビッチがーるもとい、春夜とボコを惨殺。
「身の危険を感じるので、お断りします」
「……泣いていい?」
「うん、慰めてあげる」
秒でフラれた春夜は告白を受ける事はあっても、自らが想いを告げる事は無かったのだろうか。
想像以上に深い傷を胸に負った失恋耐性皆無の春夜は、ボコの胸を借りると遠慮なく涙を垂れ流す。
「そもそもお兄さん、何で成功すると思ったの……結婚以前に、まずお兄さんの名前聞いてないよ私」
「ぐすっ……ぅっ……るや…………」
「え、カイザー?」
「……ち、がぅ…………なつで、はるや」
「なつではるや……って、え、夏出春夜?」
春夜の名前を耳にした途端、目を丸くさせる彼女。
「そ、その反応……おれのこと、しってるの」
「知ってるも何も、私のパパ……華火だよ」
「──えっ?」
涙も即刻吹き飛ぶくらいの衝撃的な発言に、春夜も同じく目を見張らせる。