旅の始まり
僕は何かに引きずられているのを感じ、うっすらと目を開ける。何かが僕の首元の服を引っ張り、地面に引きずっている。視界がぼんやりしていて、よく見えない。ぼやける視界でチラチラと見えるのは、赤い鱗だ。
赤い鱗を持つその生き物は、僕を何処かに連れて行こうとしている。抵抗しようとしても、身体中に力が入らない。体も普段より、軽い気がする。出血量が酷すぎるのだ。もはや、痛みすらも感じることができない。
こんな重体を負うのは、人生で二度目だ。こんな体験など二度としたくなかった。その瞬間僕は水の中に投げ込まれた。そこまで、深い水位は無く僕は何とか手で、水を掻くことで水中から抜け出す事に成功する。
「何するんだ!!」
僕は水中から脱出した後、自分を水攻めにしようとした生き物に怒鳴る。
「グルル」
目前に立っていたのは、赤い鱗に赤い眼を持つ子ドラゴンだった。僕の怒鳴り声に怯んだのか、声を聞いた途端木の影に隠れてしまう。ドラゴンをまじかで見るのは生まれて初めてだ。思っていたよりもずっと穏やかな顔をしており、害は無さそうだ。
そこまで考えたところで、僕は異常に体が元気になっている事に気付いた。まさかと思い、服をめくってみると、胸部の傷が綺麗に消え失せていた。僕は先程投げ込まれた水部に駆け寄る。それは小さな水溜まりであった。
眼を見張るほど透き通った水色で、触れてみるとじんわりと温かい。
「これは、回復湖」
世界の何処かには、傷を癒してくれる神秘の湖があるらしい。それを回復湖と言う。この世界で生まれて5歳ぐらいの頃、図書館の本棚で童話集を兄が読み聞かせてくれた時、そのワードを聞いた事がある。
最もその時僕は10歳程だったので、子供向けの童話集など退屈で寝入ってしまう事が多かったが……。
「君が助けてくれたのか。 ありがとう」
僕はまだ木陰に隠れている子ドラゴンに礼を告げる。恐らく、このドラゴンは瀕死の重傷を負う、僕を助けてくれたのだろう。子ドラゴンは此方を警戒しているのか中々姿を現してはくれない。
「そうだ。 さっき怖がらせてしまったお詫びとして、これをあげるよ」
僕は地面に屈むと、腰に巻き付けていた小袋を取り出し、中身を手の上で転がす。昨日、エスターニャで購入した木のみだ。しっかりと腰に巻き付けておいたため、あの騒動の中でも落とさずに済んだ。
子ドラゴンはお腹が空いていたのか、そろりと木陰から姿を現す。一歩一歩慎重に近づいて僕の元までくると手の上の木のみを食べ始める。
食べ続けている子ドラゴンを見ながら、僕はこれからどうするかを真剣に考え始める。これは、推測でしかないが僕を城から連れ出した兄は本物の兄ではない。偽兄が時々見せていた片目だけをつぶる仕草。あれは、どこかで見た事があると思っていた。
あれは父の仕草だ。珍しい仕草だと思ったので、記憶に残っていた。そもそも兄が僕の部屋を訪ねてきた時点でおかしい箇所はあったのだ。基本、王族というのは兄弟同士の暗殺を避けるために、部屋の場所がおしえられていない。
だからこそ僕も兄上達の部屋の位置は知らなかった。全ての部屋の位置を把握しているのは国の主でもあり、自分の父である国王だけだ。
「つまり、あの偽の兄上の中身は父上?」
突拍子もない考えのように感じるが、リリアス王国には相手の体を乗っ取るという禁呪が存在する。そして、その禁術を父が他国には内緒で研究していた事を僕はイレーゼ兄上から聞いていた。
その時には何故父がそのような研究をしているのかを疑問に思ったが、もしその研究が成功していたら……。僕はそれが酷く恐ろしい事実であるように感じられた。遠征に行った時の兄は身振りそぶりから本物である可能性が高い。つまり、遠征時に何かが起きたのだ。
今僕に出来る最善の行いは、すぐさまリリアス王国に帰還し、これを城の人達に伝えなければいけないという事だ。しかし、伝えてどうするのか?国王を嫌っている人達は沢山いるが、あの暴君である父に逆らおうとする者がどれほどいるのか。
それでも僕は帰らなくちゃいけない。僕が殺されかけた以上、母やユーリだって危険にさらされるかもしれない。何より、兄を元に戻してあげなくてはならない。
僕は子ドラゴンが木のみを食べ終えたのを見やると、急いで立ち上がりここが何処かを確認しようとする。そもそも何故僕はこんな森の中に立ち尽くしているのか?
確か僕はエスターニャの城中に居たはずだ。記憶が正しければ、あの時に僕は手で何か硬いものに触れた。その瞬間光に包み込まれてここに飛ばされてきたような気がする。あの時手に触れたもの、それもここに飛ばされてきているはずだ。
それを探せば、帰る方法がわかるかもしれない。僕はその瞬間駆け出し、飛ばされてきた場所に戻る。子ドラゴンが僕を引きずった跡があるので、特定するのは簡単だった。
「剣?」
僕が飛ばされてきた場所に落ちていたのは金色の刀身を持つ、剣だった。巨人大国の倉庫にあったというのに、人間用のサイズだ。これが僕をここまで飛ばしてきてくれたのだろうか。
もしそうだとすると、この剣は僕の命の恩人だろう。あのままあそこに倒れていたら、間違いなく命を奪われていた。僕は左手を伸ばして、その剣のつかに手をやろうとする。
その時、剣がふわっと宙を舞い、僕の手の中にすっぽりと収まる。まるで、剣自体が生きているみたいだ。長い歴史をもつ武具の中には意志をもちはじめる武具があるらしい。ガータ兄上はその仮説を子供騙しだと馬鹿にしていたが、僕はその仮説がとても気に入っていた。
だからこそ、目の前で動く剣の姿を見て僕は感動する。僕が感慨に浸っていると、子ドラゴンが僕の足をせっついてくる。どうやら僕の後をついてきたらしい。僕はその剣のつかに巻かれていたローブを使い、すぐさま背中に剣をくくりつける。
「あぁ。 ごめん。 さっきのじゃもの足りなかった?」
「グルル」
「んーー。 何言ってるか全然わからないや。 やっぱ人語と亜語はちがうんだな」
今日で亜属に会うのはこれで二度目だ。一度目は例外的に言葉が通じたが、やはり子ドラゴンの言っている言葉は理解できない。言語の壁も人間と亜属を隔てる大きな壁にもなっているのだろう。
本来亜属は見たらすぐに殺さなければいけないが、こんな小さな子ドラゴンを殺すなんて僕には無理だ。それにこの子は僕の命の恩人でもある。そんな非道な行いは道徳的にもできっこない。
子ドラゴンは僕の足にすり寄ってくる。どうやら、懐かれてしまったらしい。親と逸れてしまったのだろうか。そういえば、兄の遠征理由は虹色の森のドラゴンの討伐だった。ぐるっと見渡した感じ、ここはリリアス王国から1000キロほど離れた大木の森である可能性が高い。
虹色の森の隣にある大森林で、一本一本の木が50メートルを超えている事で有名な森だ。こんなに高い木がある森はそこしかないため、僕が立っているこの場所は大木の森でほぼ確定だろう。
虹色の森はこの隣。この子ドラゴンはもしかしたら、兄が討伐に向かった先のドラゴンの生き残りかもしれない。そうなるとますますこの子ドラゴンを放っておくわけにはいかない。
僕は子ドラゴンを両手で持ち上げる。
「僕はシュレーゼ。 君の名前は?」
「グルル?」
子ドラゴンの方も僕の発っしている言葉を理解できないみたいだ。名前が無いのは不便なので、名前をつける事にする。
「よし、君の名前は今日から"ソラ"だ」
昔飼っていた猫の名前だが、中々可愛らしい名前だと思う。空を見上げると、遠くで煙が上がっているのが見える。そこに町があるのかもしれない。
僕は子ドラゴンを肩に乗せると、遠目に見える煙を目指して歩き出した。




