蠱毒の王ツージャ
身動きが取れない俺をフリーエルが起こしてくれる。何度か手足を動かそうとすると、人型の手足にも感覚が生まれ始める。やがて、なんとか立ち上がることができた俺は、フリーエルが創り出した氷の鏡をひったくり、鏡に映る自分の姿に驚嘆した。
年齢は10代前半ほどの少年だ。薄青の癖っ毛に、同様の色を持つ瞳。耳が尖っていることから、亜属だと思われる。明らかにドラゴンでは無い。体には鱗でできている様な簡素な服が装着されており、丁寧に手袋や靴まで装備されている。
「フリーエル! これって一体どういうこと?」
自分一人では、理解し切れない状況のため、フリーエルと一緒にこの驚きを共有しようとすると、フリーエルはとても困った様な顔をして言った。
「どうしよう。 これでは翼が……」
「いや、確かにそれもそうだけど……!微妙に気にすることがズレってんだって!! 今はそんなこと気にしてる場合じゃ無いから!」
この状況下に置かれても、フリーエルにとっては俺の翼が無くなってしまったことが重要らしい。流石、異世界人。強靭なメンタルを持っている。
「もっと他に気にすることがあるだろ? なんで、僕は目覚めたら人型の姿になっているわけ?」
「……。 今のあなたの状態は恐らく竜人ね」
「竜人……」
「貴方が元々ドラゴンだった事を踏まえると、その種族が最も近しい存在。 竜人は太古に絶滅したと聞いていたけれど、こんな形で拝むことができるなんて」
「無知で申し訳ないんだけど……。 竜人て何?」
「竜人ていうのは、ドラゴンから進化していった生き物のこと。 最終進化で人型を確定したけど、他種族の争いに敗北して、絶滅に追い込まれたの」
要約すると、昔人間が猿から人間と猿という二つの括りに分かれたことと、ほぼ同じ原理だ。大抵は、進化をとげっていったほうが、種族的に優れていることが多い。
「と、いう事は竜人っていうのはものすごい力を持ってたりするわけ?」
「……。 いいえ。 竜人は知能が髄を抜いて凄かったけれど、力は人型の亜属の中でも最弱だった」
「結局ドラゴンは人型でも、モンスター型でも弱いって事か……。 と、いうかまだこの姿になってしまった理由を聞いてないよ! 君なら何か知っているんだろ? 全然動転してないし……」
周りにいる存在の容姿がいきなり変わってしまったら、動転するのが普通だ。しかし、フリーエルには少しもその要素が見受けられ無い。それは、俺がこうなってしまった原因を知っているからだと推測できる。
「あらかた、想像はついてる。 恐らく、昨日食べたものが原因ね」
「あぁ。 昨日食べた肉か。 美味しかったよね。 そういえば、あれってなんの肉なの?」
「人間の肉」
「えっ?!」
「私もドラゴンが人間の肉を喰らうことで、竜人になるなんて知らなかったの。 これって大発見よね?」
生物の新たな理論を発見した事に喜び、夢中になっている彼女は俺の反応には気づかない。その瞬間俺は猛烈な吐き気を感じた。両手を喉に当て、嘔吐感をねじ伏せようとする。知らなかった。この世界の亜属は人間を捕食するのだ。
いつから、俺は人間が捕食されない側だと思い込んでいたのか……。元の世界の常識がこの世界で通用するはずがない。しかしこれは、共食いでは無いはずだ……。俺の心はまだ人間だが、体はドラゴンだ。人間を喰らう事に、倫理的な問題は発生しない。
そう思わないと、この生理的嫌悪感を抑え込むことができない。俺はなんとかして、嘔吐感をねじ伏せる事に成功する。
「どうしたの? シルフォン。 何だか具合が悪そうだけど……」
「えっと……。 あ、大丈夫だよ。 何でもない」
俺は自分の動揺を必死に隠そうとする。この動揺もその理由も、彼女に悟られてはいけない。生まれつき亜属のフリーエルには、理解ができない悩みだろうから……。
フリーエルは俺の下手くそな誤魔化しに気付いたのか、眉を寄せるが、それ以上は詮索しようとはしない。俺は気まずくなったので、話題をすり替えようとする。
「それよりさ、翼の事どうしようか? 確かツージャに挑むために必要なんだよね?」
自分としては、人型になれた事は素直に嬉しい。ドラゴンの姿よりも人間の姿の方が長かっただけに、こちらの姿の方が愛着が湧きやすいからだ。しかし、ずっとこの姿でいるわけにはいかない。
彼女は早くここから脱出したい様だし、その気持ちは俺も同じだ。母や兄、姉は無事だろうか。あの人間の集団の捜索から、生き残れた可能性は少ないが、生きていると信じたい。
だからこそ、出来るだけ早く家族の無事を確認しに行きたい。しかし、それはツージャを倒さないと不可能だ。それには俺の翼の力がいる。
「私の予想だと、その姿は一時的なものだと思う。 放っておけばそのうち元に戻るはず……。 !!」
「そっか……。 なら、安心だね。 どうした?」
フリーエルが話の途中で、視線を上に向け、驚いた様に目を見張る。俺も釣られて、上を見る事で彼女と同じ驚きを味わう。
それは巨大な蛇だった。体長50メートル程はありそうな、黒蛇が体の前面部分に密集しているムカデの足のようなものを使い、壁を自由自在に蠢いている。蛇だというのに、体には無数の虫羽のようなものが生えており、気持ち悪さを体現したかのような生き物だ。
「なんだ……?? あの気持ちの悪い生き物は?」
「あれは蠱毒の王、"ツージャ"。 この世で最も醜い生き物よ」
「言い方酷いな! キレたらどうするんだ?」
「あいつは魔物。 こちらの言葉なんか分からないわ。 それより、逃げるわよ」
「戦わないのか?」
「勝てるようだったらそうする。 けれど今は無理。 まだ、準備が整ってない」
「だったら、お先に!!」
俺は非戦隊員として、然るべき対応をとった。彼女が無理だと言った瞬間、猛スピードでツージャから反対の位置にダッシュする。ドラゴンで走る時よりも、ずっと早い。飛ぶ事に関してはドラゴンは一流だが、走ることに関してはカタツムリ並みだ。
「ちょっと?! ずるい!」
女の子を迷いもなく、敵の元に置き去りにした俺に対し、フリーエルは呆れ返る。そりゃ、自分より弱い女の子なら、こんな事はしないが、何せ彼女は強い。俺が残っても、足手まといになるだけなのだ。
そんな俺に出来る事は、すぐさま安全基地に逃げ込む事。彼女がもしもの時にと、作っておいた結界の巣穴に俺は退避する。驚いたのは俺がそこに辿り着く前に、フリーエルが結界内にいた事だ。俺はそこに滑り込み、疑問をぶつける。
「え? なんで僕より早くついてるの? もしかして、瞬間移動でもした?」
「いいえ。 貴方が走ったのを確認した後、私もここに走ってきたの。 シルフォンは遅かったから、簡単に追い抜かせた」
「足が速いどころの話じゃないよ?! 光の速さじゃん」
違う道を使ったならまだしも、同じ道を使ってきて、目にもつかなかったというのは、異常だ。どうやら、彼女は腕っ節だけでなく、足の速さも一流らしい。
つくづく自分が弱いということを思い知らされる。俺はそんな何気ないやり取りをしつつも結界の外に目を向ける。ツージャは俺達がいきなり消えたのを不思議に思ったのか、辺りをウロウロして探し回っている。
確か、現実世界の知識に乗っ取ると、蛇は聴力が存在しないはずだ。俺達がどれほど騒ぎ立てても、音で感知される事はまずないだろう。俺が安心に胸を撫で下ろしていると、フリーエルが肩を揺さぶってくる。
「ん? なに?」
「どうして、ツージャがここにいるのか疑問に思っていたの。 あれを見て」
俺は彼女が指差した方向。ツージャの足の部分をよーく見てみる。その足の部分には小さな亜属の子供が捕らえられていた。




