竜人
俺が底無しのダンジョン、またの名を蠱毒の巣に迷い込んで数日が経った。残念ながら、此処の生活にはまだ慣れない。フリーエルが強いというのは本当だった。向かってくる敵は一太刀で真っ二つになり、俺はつい魔物の方に同情してしまう。しかし、そんな事は今はどうでもいい。
俺の腹から盛大に音が鳴る。腹が減った。そういえば、数日前、人間達が巣を襲いに来る日の朝に虫を食べたきりだ。あの時は、余り腹が減っていなかったので、少ししか食べなかった。こんな事なら、もっと食い溜めしておけば良かった。
フリーエルは腹が減らないのだろうか?見たところフリーエルが食事をしているのを見たことがない。鬼は長い間食べなくても平気な種族なのだろうか?とにかく、早く何かを食べないと、冗談抜きで死んでしまう。
今日の夜は、思い切ってフリーエルに食事のことを聞いてみようと思う。フリーエルは寡黙でポーカーフェイスである。日常的な会話が一つもない。俺もコミュニケーションが余り得意な方ではないので、話しかけるのにはかなり神経を使い果たす。
ここ数日フリーエルは俺を連れて、ダンジョンの奥に潜っては、元の場所に戻るという事を繰り返している。蠱毒の王"ツージャ"は定期的に移動するため、現在位置を小まめに把握しないといけないらしい。
まだ、俺の翼は完治してはいない。フリーエルはもっと早く治す方法があると、言っていた。それを今日実行に移すらしい。
やがて、夜になった。俺は勇気を出して、フリーエルに話しかけてみる。
「あ、あのさ」
フリーエルは何かをナイフで捌いているようだが、目だけをこちらに向けてくれる。捌いているものはこの暗闇なので、焚き火があってもよく見えない。ナイフを持ったまま目を逸らすのは危ないと思うが……。
「ここって、食べ物ってないの? 僕そろそろお腹が空いてきたんだけど……。 ……魔物とか?」
「此処に生息している魔物は、毒を持つ個体ばかり……。 私ならともかく、貴方が一欠片でも食べたら、即死するのは確実」
「そうなんだ。 でもその言い方だと、君は食べても大丈夫なんでしょ? お腹減らないの?」
「貴方みたいな子供が空腹の中、私一人だけ腹を満たせと? 私をそこまで非道な亜属だと思ってるの?」
それをしてもそこまで非道にならないと思うけど……。でも、そうか。フリーエルは自分も腹が空いていたはずなのに、俺のことを考えて我慢していたのだ。案外、優しいところがあるらしい。
「あと、さっきのは見栄を張っただけで、私にも毒の耐性はないから。食べたくても食べられない」
「一言余計だよ!! 話が綺麗に纏まろうとしてたんだから、そこで止めとけよ!!」
「ふふ。 貴方面白いのね」
「!」
笑った。一瞬だけだったが、彼女の笑顔は初めて見た気がする。悔しいけど、かなり可愛い。もっと色々な表情をすればいいのに……。まぁでも、こんなジメジメしたところで、何十年も過ごしてきたのだ。少しばかり、性根が曲がってしまうのはしょうがないのかもしれない。
「そう考えると、この子凄く可哀想な子なんじゃ……」
「私を腫れ物でも見るような目で見ないで。 私は私で、結構楽しくやってるの」
俺はこんな何気ない話でも心が安らぐのを感じる。それと同時に、彼女と日常的な会話をするのが初めてだと気づく。会話をしてみた感じ、意外にも気さくなのかもしれない。
こんな事ならもっと早く話しかけてみれば良かった。そう思っていると、フリーエルが手を抑えていることに気づく。
「どうしたの?」
「手を切っちゃただけ。 大丈夫、心配しないで」
俺がフリーエルを横目で見ると、フリーエルの手からはまだ、出血していた。何とか治してあげたい。その時、俺の手が湯に浸ったみたいに、あったかくなったことに気づく。見ると、俺の手からぼんやりと水色の光が輝いている。
それを見てフリーエルはやっぱりと言って頷く。
「貴方の魔法適性は回復。 珍しい。 余り、使い手がいないのに」
「へぇーー。 じゃあこれを使って君の手を治すことが出来るってこと?」
「恐らく、そのまま手を傷口に当てるだけで治せる。 でもそれなら、貴方の翼を直したら? その方が早く此処から抜け出せる」
その発言を俺は考慮する。確かに、俺の翼が治った方がメリットはあるのかもしれない。だが、俺はフリーエルの手を治す方が先だと感じる。情もあるが、フリーエルは俺達の最大戦力。
……二人しかいないので、戦力も何もないが、ともかく戦い手を負傷したまま、放っておくわけにはいかない。それに、俺達がツージャに挑むには俺の体が大きくなるのを数ヶ月も待たなくてはいけない。
どちらにせよ、非戦闘員の俺の翼は最優先ではない。俺はそっと彼女の出血している左手に、手を伸ばす。青い光は傷口に触れると、強く光り輝き傷口を塞いでいく。やがて傷があったことすらも、分からなくなり、俺は驚嘆する。
「凄い……」
「実は、貴方に回復魔法で、翼を治させようと、前から考えていたの」
「それが、今朝言ってた、翼をもっと早く治す方法?」
俺がそう尋ねると、フリーエルは頷く。
「僕が回復魔法使いなの知ってたんだ」
「えぇ。 私は優秀だから。 と、言うのは嘘で、青色の鱗を持つドラゴンは水属性なことが多いから、当てずっぽうで言っただけ」
「最後の一言がいらないんだよな」
シンプルにフリーエル凄いという話で終わらせればいいのに。いい意味で素直な性格なのだろう。それにしても、自分は回復魔法、水魔法の使い手なことに俺は少し嬉しさを覚える。
ドラゴンが世界最弱なら、攻撃面では期待できまい。しかし、回復なら、致命傷から復活することが出来る。ある意味便利な属性かもしれない。
「でも、なんかフラフラする。 これって使った代償?」
「私は水属性じゃないから。 詳しくは答えられないけど、多分そう。 だから、此処に落ちてきた時、直ぐには使わせなかったの。 体力を削る魔法で、重体の時に使うと危ないから」
「なるほど」
「だいぶ、話が逸れたけどお腹が空いてるんでしょ? ちょうど夕方食料が落ちてきたから、貴方にもあげる」
フリーエルはそう言い、何かを俺に差し出してくる。暗くてよく見えない。ドラゴンに暗視能力は無いらしい。焚き火の火でうっすらと見えるそれは、何かの動物の肉だと思われる。
「あぁ、何を捌いているのかと思ったら、肉だったんだ。ドラゴンって、肉食べても大丈夫?」
「えぇ。 ドラゴンの主食は虫だけど、弱すぎて肉を持つ生き物を狩れないだけだから」
「本当に弱いんだな。この世界のドラゴンって……。 じゃあ、有り難く頂くよ」
俺はフリーエルの差し出した、肉を受け取る。生肉だ。フリーエルは早速食べ始めている。元が人間なだけに、生は抵抗があるが、会話で紛れていた空腹がまた復活し出した。俺は、勇気を出し、肉にしゃぶりつく。
美味い。異世界に来てから、虫しか食べていなかっただけに、久しぶりの肉の味は格別だ。あっという間にに完食してしまった俺達は眠りにつくことにした。フリーエルはいつもこうして落ちてきた動物の肉を食べているのだろうか?
よく、それで何十年も食い繋いできたものだ。恐らく生命力が凄まじいのだろう。俺達は最初に落ちてきた場所の近くで朝まで睡眠を取ることにした。魔物もフリーエルを恐れているのか、全く襲ってこない。俺は安心して寝付くことができた。
「……フォン! シルフォン!!」
フリーエルの声だ。物静かな彼女がここまで声を荒げる事は珍しい。目を開けると、フリーエルの目に戸惑いが浮かんでいることに気づく。俺はすかさず起きあがろうとしたが、体が上手く動かない。金縛りにあったように、体が動かず、何が起きているのか確認が取れない。
怪我では無い。体がまるで自分のものでは無いかのようだ。これが、フリーエルの慌てている原因だろうか?フリーエルは俺が起きたことに気づくと、すぐさま、両手で氷の鏡のような物を生み出し、俺を映し出す。魔法。普段なら、魔法に気を取られるところだが、俺は鏡に映った姿に全ての感情をもってかれる。
「なんだーー!! これ?!」
鏡には一人の少年が映っていた。




