夢乃森学園の生徒会長と謎の銀髪少女
中津は午後からの講義が別府と一緒だったので、一緒に行く予定だったが、その前に寄るところができたので、別府とは一旦別れた。中津が向かった先は、保健室だった。右肩が痛かったので、処置をしてもらおうと思ったのだ。
向かっている途中、スマホを取り出して、イヴに怪我の具合を尋ねた。
「イヴ、怪我の具合はどんな感じだ?」
「右肩に擦り傷があるみたい。早く患部を洗って消毒した方がいいよ」
「そっか。わかった」
「痛いでしょ? 大丈夫?」
「ああ。大丈夫だ。心配してくれてありがとう」
「ふん」
保健室に着き、三回ノックをすると中から「どうぞ」という声が聞こえた。ドアをゆっくり開けると、目の前には先生ではなく、生徒会長の安心院希望が椅子に座っていた。
安心院は中津と同じ二年生で、この学園を任される生徒会長である。容姿端麗で成績優秀、専攻は政治学である。運動神経も良く、フェンシング部に所属しており、全国大会で優勝したこともある実力者だ。真面目で責任感が強く、曲がったことが嫌いな性格である。キリっとした紫色の瞳は力強さを感じ、身体全体から凛々しさが溢れている。黒髪ロングストレートの髪はツヤがあり、つい見惚れてしまう。夢乃森学園では叶愛に匹敵する完璧超人である。
「あら、中津くんじゃない。どうしたの? 気分でも悪くなった?」
「いえ、ちょっと右肩を怪我したので診てもらおうと思って」
「右肩? どうしたの?」
「倒れたときに擦ってしまって擦り傷ができたみたいです」
「倒れた!? 立ち眩みでもしたの?」
「いえ、ちょっといろいろあって」
「…そう。まぁいいわ。じゃあそこに座って。私が診てあげるわ」
「えっ、生徒会長が? 先生はいないんですか?」
「えぇ。今ちょうどどこかに行ってるみたい。たぶん『夢乃森』の近くにいるはずよ」
「『夢乃森』の近くに…?」
「私も詳しくは知らないんだけど、さっき『夢乃森』の看板が落ちたらしいの。結構大きな看板だから怪我人がいないか確認しに行ったんだと思うわ」
「そ、そうなんですか」
中津はその話を聞いて、あの現場に来ていた大人たちの中に一人白衣を着た女性がいるのを思い出した。
あの人が保健室の先生だったのか! くっ、もう少しあの場に残っておけばよかった。
中津は今になって少し後悔していた。
「だから、今は私が代わりに診てあげてるの」
「そうだったんですか」
「だからほら。中津くんも座って」
「あ、い、いえ、先生がいないのなら、またあとで…」
「なに? 私だと不満なのかしら?」
「いえ、そういうわけじゃ…」
「んー」
安心院がジーっと中津を見つめてくるので、中津も折れて安心院に診てもらうことにした。中津は安心院の前にある丸椅子に座ってから、ブレザーを脱いだ。そして右肩を見ると、白シャツが赤く染まっていたので、そのシャツも脱いで上半身裸になった。白シャツは結構血がついており、簡単には落ちそうになかったので、着替えた方が良さそうだった。処置を終えたあと、イヴに注文してもらおうと考えていた。
「じゃあ、肩を……って、ちょっと! どうして上半身裸になっているの?」と安心院は目を手で覆いながら恥ずかしそうな様子で言った。
「えっ、シャツが血で汚れているからですけど…」
「あ、そ、そうだったわね」
安心院は落ち着きを取り戻すために深呼吸をしてから、キリっとした目に変わった。
「じゃあまずは血を拭くから、痛かったら言ってね」
「はい」
怪我している場所を直接触られるので、少し痛いときもあったが、安心院の処置は丁寧で手際も良く、あっという間に終わったのだった。安心院が最後にガーゼを貼ったあと「よし、これで完了!」と言って患部を叩いたのが一番痛かった。中津が思わず「イタッ!」と言うと、安心院は「あ、ごめんなさい。つい」とお茶目な感じで謝った。
処置が終わったので、中津は早速スマホで着替えを注文しようとしたとき、安心院が「そういえば、シャツが汚れているけれど、着替えはあるのかしら?」と言った。
「いえ、ないです。なので、今から…」
「それなら、私が買ってきてあげるわ」
「えっ? い、いえ、いいですよ。注文すれば…」
「注文だと届くまでに時間がかかるでしょ! 私が買いに行った方が早いわ」
「それは…そうですが」
「ちょっと待っててね」
安心院はそう言って保健室を出て行った。
中津は言われた通り待つことにした。待っている間、暇だったので上半身裸のまま椅子に座った状態で右肩を上げ下げしたり、回したりして痛みがないか確認した。動かし方によって少し痛みがあったが、安心院の処置のおかげで結構楽になっていた。
「夢翔くん、そんなに動かすと傷口が広がるよ」とイヴが言った。
「ああ、気をつけるよ」
中津が、どこまでなら腕を上げても痛くないか試していると、保健室のドアが開いた。
おっ、結構早く戻って来たな!
中津がそう思いながらドアの方に視線を送ると、そこには知らない銀髪ショートヘアでパッチリ二重の碧い目をした可愛い女の子が立っていた。
彼女を見た瞬間、中津は右腕を上げた状態で固まってしまった。そのとき、中津の頭の中にある光景が浮かんだ。その光景は薄暗くてよく見えなかったが、真ん中に一本の通路があり、左右には人の倍以上にも及ぶ高さの本棚がたくさん並んでいるような場所だった。今までのような事故現場のイメージではなく、こんな光景を見たのは初めてだった。そして一瞬でイメージは消えた。
今のは、一体…?
中津が我に返り、ふと彼女を見ると、彼女も何も言わずに目を大きく開いて固まっていた。中津の上半身裸の姿を見て、驚いて言葉が出ないようだった。彼女が大きな声で「キャー」と叫ばなかったのは、中津にとって幸いだった。
「あ、いや、これは…その…ほら、怪我の治療をしてもらって」
中津はそう言いながら、右肩を見せたが、彼女は何も言わずにゆっくりとドアを閉めた。中津は慌てて「あの、ちょっと待って!」と言い、急いでドアに駆け寄り開けると、彼女はまだドアの前に立っていた。中津は「おっ!」と言って立ち止まり、彼女の目を見ると、彼女は軽蔑するような目で中津を見ていた。
この人、絶対俺のこと変態だと思ってる!
そう判断した中津は、この状況を説明しようとしたが、彼女は中津を避けて保健室に入って来て、棚を物色し始めた。
「あ、あの!」
「なに? あたしになんか用?」
「あ、いや、用っていうか、この状況を説明しようと思って…」
「怪我をして着ていた服が汚れたから、その服を脱いで着替えが来るのを待っているんでしょ?」
「え!?」
「なに、違うの? まさか本物の変態!?」
「い、いえ、違わないです。合ってます」
「そっ」
彼女はそう言いながら棚の物色を続け、「お、あった、あった!」と言って絆創膏の箱を手に取り、その中から一つ取り出して、箱を元の場所に戻した。そして教員用の椅子に座り、先程安心院が使っていた消毒液と綿棒を使って、自分の右手人差し指を処置し始めた。どうやら指に切り傷があるようだった。彼女は処置しながら、中津に話し掛けてきた。
「ねぇ、キミってもしかして、中津夢翔?」
「えっ、どうして俺の名前を?」
「やっぱりそうなんだ。まさか、こんなところで会えるなんてね」
「前にどこかで会ったことありますか?」
「……ううん。今日が初めてだけど」
「じゃあどうして?」
「この学校じゃキミって結構有名だからね。成績優秀だし、生徒会長に気に入られているみたいだし、理事長の孫とも仲良さそうだし、剣聖とも友達だし」
「そうなんですか!?」
「まぁ、有名って言っても人気があるってことじゃなく、それぞれのファンから敵視されているって意味だけどね」
「そう…なんですか」
中津は自分から積極的に人と関わることが少ないので、交友関係は狭い方だが、いろんな人から一方的に敵視されている。なぜなら、叶愛と安心院は、夢乃森学園の女子生徒の中でトップを争うほどの人気があり、別府(剣聖)は、男子生徒の中でトップクラスにイケメンで、三人それぞれに多くのファンがいるからである。なので、中津が三人と仲良さそうにしていると、ファンの怒りを買ってしまうのである。一年生の初めの頃はそうでもなかったが、三人との関りが増えるほど、中津の知名度が勝手に上がってしまったのである。幸い三人のファンは過激な人が少ないため、中津が直接何かされるということはないが、この状態がいつまで続くのかわからないので、少し怖いところである。中津は何事もない平和な学園生活を送りたいと願っている。
中津がどうしてこの三人と関係を築けたのかというと、予知夢の能力がきっかけだった。叶愛とは中学三年生のときに川で溺れているのを助けたことが出会いだった。安心院とは一年のときに彼女が駅の線路内に落ちてしまい電車にはねられそうになっていたところを間一髪で助けたことが仲良くなるきっかけだった。別府とは………特に何もなく、ただ同じ専攻というだけで仲良くなっていた。
中津は予知夢をきっかけに、彼女たちとの交流が増えたのである。おそらく叶愛と安心院は、助けられたことに恩義を感じて中津にやさしくしてくれているのだろうが、中津としては当たり前のことをやっただけなので、そこまで構ってもらわなくてもいいと思っている。二人からは十分過ぎるほどの感謝の言葉をもらったので、中津はそれで満足だった。そのことを二人にも伝えたが、叶愛は「では、これからは恩義ではなく、自分の意志で夢翔様と接しますね」と言い、安心院は「私は自分の行動は自分で決めるから心配しないで」と言った。
ということがあり、今も交流が続いているのである。
「ねぇ、キミ、さっき『夢乃森』の近くにいたでしょ?」と彼女が言った。
「えっ、はい。いましたけど…。それがなにか?」
「あたしもその場にいて見ていたの。看板が落ちるところを…」
「そうですか」
「キミがいなかったら、今頃夢乃森さんは生死をさまよっていたと思う」
「そうかもしれないですね」
「キミ、どうして看板が落ちることがわかったの?」
「たまたまです。看板が揺れているように見えたので、もしかしたら落ちるかもしれないって思っただけです」
「……へぇー、そうなんだ」
「はい」
中津は予知夢のことを言わなかった。言っても信じてもらえないということは目に見えていたからである。小学生のときにそのことで痛い目に遭っているので、同じことはもう懲り懲りだった。それに、また変態と思われるのも嫌だった。
「まぁいいけど。それより、キミは人の命を救ったんだよ。もっと堂々としたり、誰かに自慢したりしないの?」
「自慢するほどでもないですから」
「どうして? キミは人として立派なことをしたんだよ。少しくらい自慢しても…」
「俺が夢乃森さんを助けたのは、彼女を怪我させたくなかったからです。これは自分のための行動なので自慢することはないです。……人が怪我するとわかっていて見過ごすのはもう嫌なんです」
「……ふーん。そう。そういう考えなんだ」
「すみません。生意気な言い方をしてしまって」
「そうだね。ちょっと怖かった」
「えっ、ご、ごめんなさい」
「アハハ、ジョーダンだよ」
「冗談ですか。よかったぁ」
「じゃあ、あたしはそろそろ行くから」彼女はそう言って立ち上がり、保健室のドアまで歩いて行った。
「あ、ちょっと待ってください!」
「ん、なに? まだ何か言いたいことがあるの?」
「あの、キミの名前は?」
中津がそう言うと、彼女は一瞬目を大きく開いたあと、軽く微笑んだ。
「……国東栞」
「国東…栞…」と中津が繰り返し呟くと、国東は「じゃ、またね」と言って保健室を出て行った。
国東が去ったあと、中津は妙に国東のことが気になっていた。どこからどう見ても可愛い女の子だが、どこか独特な雰囲気を感じていた。国東との会話は普通の雑談だったが、中津は何かを探られているような感じがして少し緊張していた。それは初めて会った人に対する緊張感ではなかった。中津は国東の目を見たとき、自分が何か評価されているように感じ、少し敵意のようなものも感じていた。なので、最後は少しでも反撃しようと思い、名前を聞いたのである。
もしかしたら、国東さんは別府のファンで俺を敵視しているのかもしれないな。気をつけよう。
中津がそんなことを考えていると、安心院が戻って来た。手にはパックに入った白シャツを持っており、「はい、これ」と言って、それを中津に渡した。中津は「ありがとうございます」と言って受け取り、早速開封して着替えた。
安心院はサイズを気にしていたが、身長一七八センチの中津にMサイズのシャツはちょうど良かった。ようやく着替えられたことに喜んでいると、それを見た安心院も軽く微笑んでいた。
中津は安心院が立て替えてくれたシャツのお礼をしたいと提案したが、安心院はそれを拒否した。「そこまで高くないから、プレゼントでいいわ」ということだった。中津はそれでは納得できなかった。白シャツが三枚入りのパックだったので、一枚千円としておそらく三千円だろうと予想していたが、そんなに高くなかったということだった。安心院にシャツの値段を聞くと、なんと五百円だったらしい。白シャツが三枚も入って五〇〇円だということに中津は驚いた。これで利益が出るのか、と企業の心配をした。
中津が五百円相当の何かをお返ししようと考えていると、安心院が代替え案として、ジュースを一本奢ってほしいと提案してきた。それだと値段が釣り合わないと言ったが、安心院はそんな細かいことは気にしないということだったので、中津もその提案を受け入れた。
中津と安心院は外の自販機に向かった。安心院が「ブラックコーヒーがいい」と言ったので、中津はブラックコーヒーのボタンを押してからスマホを自販機にかざした。シュリーンという音が鳴ってコーヒーが落ちてきたので、取り出し口から取り出し、間違いないことを確認してから、安心院に渡した。中津は五〇〇mlの麦茶を買った。
それから二人は近くにあったベンチに座って飲み始めた。一口飲んだところで、安心院が中津に話し掛けてきた。
「ねぇ、中津くん。ちょっと聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
「はい。なんですか?」
安心院はなぜか言いにくそうな顔をして、中津と目を合わせようとせず、キョロキョロして何かを言い淀んでいた。
「生徒会長?」と中津は心配して言った。
「……中津くんって……彼女…いるのかしら?」
「いませんけど」
「えっ、そうなの!? でも、女の子と抱き合って…」
「それってこの写真ですか?」
中津は安心院が例の写真を見て勘違いしているだろうと思ったので、自分のスマホで朝の事故を検索し、例の写真を見せて確認した。
「うん、そう! この人って中津くんだよね?」
安心院の答えを聞いて中津の予想が当たっていることがわかった。これで三回目だったので、中津はさすがにもう焦ることなく、淡々と安心院にこのときの状況を説明した。
安心院は、中津の説明を聞いてすぐに信じてくれ、なぜか胸をなでおろしホッとしているようだった。
俺が事故に巻き込まれなかったからホッとしてくれたのか。ホントやさしい人だな。
中津はそう思い、少し嬉しかった。
それから安心院は急に元気を取り戻し、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
そして二人は、それぞれ午後の講義に向かった。
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