臼杵白馬と三ヒロイン①
「卒業おめでとう! 臼杵白馬くん!」
「ウス!」
三月某日、臼杵は中学校の卒業式を迎えていた。
無事卒業式を終えた臼杵は、最後のホームルームのあと、正門付近でたくさんの男子生徒に囲まれていた。その中には同級生や柔道部の後輩がいた。臼杵は男友達が多い。臼杵を囲んでいる男子たちは、泣いたり笑ったりしていた。中学卒業ということで、臼杵と別の高校へ進学する男子や後輩は別れが惜しくて泣いており、同じ高校に進学する男子は新しい生活が楽しみで笑っていた。
そしてテンションの上がった男子の一人が突然「胴上げをしようぜ!」と言い出し、臼杵を周りにいた全員が持ち上げて胴上げをしようとした。しかし、彼らに臼杵を支える程の力はなく、一回宙を舞ったあと、そのまま地面に落ちたのだった。男子共は心配していたが、臼杵の身体は強靭なので無傷だった。臼杵が何事もなかったかのように立ち上がると、さらに盛り上がり始めたのだった。
周りの男子共はまだ臼杵と一緒に遊びたい様子だったが、臼杵はあることをするために移動を開始した。そう。中学三年のとき一緒のクラスになってやさしくしてくれた、出羽に告白しようと思っていたのである。出羽は臼杵と違う高校に進学するため、今後会えなくなる。告白するには今しかない、と考えていた。
臼杵が出羽を探していると、人気のない体育館裏に龍原寺の姿を見つけた。何をしているのか気になった臼杵が声を掛けに行こうとしたら、龍原寺の正面にもう一人誰かが立っている姿が見えたので、咄嗟に隠れて様子を窺った。龍原寺の前に立っていたのは、出羽だった。龍原寺はダルそうな表情をしており、出羽は下を向いて顔を赤くして恥ずかしそうにモジモジしていた。
「あ、あのね。ドラくん。私…ドラくんのことが……好きです!」と出羽が言った。
臼杵は、タイミングが良いのか、悪いのか、出羽が龍原寺に告白している場面に出くわしてしまった。それを目撃した臼杵は一瞬シュンとしたが、すぐに気持ちを切り替えて出羽を応援し始めた。臼杵は今まで何度も龍原寺が女子から告白されるところを見ている。そしてすべて断っているところも同じだけ見ている。だから、「今回こそは、上手くいってくれ!」と心の中で祈っていた。出羽はやさしい人なので、きっといいカップルになるはずだと思った。ちなみに、「ドラくん」というのは龍原寺のあだ名である。龍原寺の龍がドラゴンだから、そこからドラだけを取っているらしい。
「そっ。でもオレ、あんたのこと好きじゃねぇから」
「えっ……!?」
臼杵の祈りは届かず、龍原寺はあっさりと出羽の告白を断ってその場を去った。出羽はその場で茫然と立ち尽くしてから泣き始めるかと思いきや、なぜか去っていく龍原寺の背中に見惚れていた。臼杵は思考が停止して何が起こったのかすぐに理解できずに、拍子抜けした顔で固まっていた。そこに龍原寺がやって来て、臼杵に気づいた。
「おっ、白馬。いたのか! もうあいつらとのバカ騒ぎは終わったのか?」
「おっ、おう……」
「そっか。じゃあ帰ろうぜ」
「おっ、おう……」
臼杵の思考は停止していたが無意識に受け答えし、体も勝手に動いていた。
しばらく龍原寺と一緒に帰っていた臼杵だったが、心ここにあらず状態で電柱にぶつかったり、側溝に落ちたりしていた。
「どうしたんだ? 白馬。卒業したのが悲しいのか?」
龍原寺にそう言われたとき、臼杵は卒業式の出来事を思い出し、ようやく我に返ることができた。そして先程のことを龍原寺に追求することにした。
「そんなんじゃねぇ! 風、お前、どうして出羽さんの告白を断った!?」
「は? なんだよ、いきなり?」
「いきなりじゃねぇ! おれはそれがずっと気になってたんだ! どうして断った!?」
「どうしてって、好きじゃねぇからだけど…」
「どうして好きじゃねぇんだ! 出羽さんはやさしくていい人だっただろ!?」
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「当たり前だ! おれはいつも本気だ!」
「じゃあ、この際だからはっきり言うけど、出羽さんはやさしくもなんともない。お前の勘違いだ」
「そんなはずあるか! 出羽さんはいつもおれにやさしくしてくれたんだ! ウソをつくな!」
「いや、ウソじゃねぇから。あの人、陰でお前のことバカにしてたからな」
「なんだと!? どういうことだ!?」
「あの人がお前にやさしく振舞ったあと、友達とその話題で話しているのを聞いたことがあるんだよ。そのとき、お前のことをゴリラだの、怪物だの言ってバカにしてたから、オレ、あいつ嫌いなんだよ」
「そっ、そうなのか!? で、でも、おれはそんな話聞いたことねぇぞ!」
「まあ、本人の前で言う奴はいないからな」
「そう…だったのか…」
「誰でも、友達をバカにする奴とは付き合いたくねぇだろ?」
「…そうだな。風、すまなかった」
「ん? 何が?」
「うるさくしてしまって」
「今更だろ。もう慣れてるっつーの」
「そうか」
二人の見た目や性格はまったく違うが、臼杵と龍原寺が仲良くやれているのは、龍原寺のこの懐の広さのおかげだろう。臼杵が間違ったことをしてしまったときでも、龍原寺はすぐに許してくれるのである。
「お前は単純過ぎるんだよ。ちょっとやさしくされただけですぐに好きになるだろ?」
「そんなことは……ない…わけでもない…か…」
臼杵は今まで誰かを好きになったときのことを振り返ると、すべてやさしくしてくれたことがきっかけだったのを思い出した。たとえば、小学生のとき、授業中床に落とした消しゴムを拾ってくれた隣の席の女の子を好きになったことがあるし、ドッジボールで同じチームの女の子を護ったことで感謝されたとき好きになったこともあるし、帰り道「バイバイ」と笑顔で手を振ってくれた女の子を好きになったこともあった。
「もう少し人を見る目を養え! そうしないと、変な奴に騙されるぞ」
「お、おう。そうだな」
臼杵は今まで一度も女子からモテたことないが、逆に龍原寺はモテまくりである。だから、龍原寺の言うことは信じられるのである。
臼杵と龍原寺は幼稚園のときからずっと一緒の幼馴染である。家も隣同士なので通学も一緒、休日も一緒、家族で遊びに行くときもなぜか一緒である。周りからは「どうしてお前たちが友達なんだ?」と言われることがあるが、ただずっと一緒にいただけである。そして進学する高校も同じになった。そう。夢乃森学園である。
臼杵はスポーツ推薦で、龍原寺は筆記試験を受けて無事合格した。夢乃森学園は二人の実家から近いので、二人とも寮に入らず、電車通学することになっている。
四月上旬、夢乃森学園入学式の日、臼杵はいつも通り龍原寺と一緒に二人で通学した。学園が近くなると、同じ制服を着た生徒が多くなり、周りが二人を見てザワザワしていた。ある男子集団の一人は「見ろ! 臼杵白馬だ! 本物初めて見た! でっけー!」と言っていた。ある女子集団の一人は「キャー、見て! 龍原寺風連くん! 本物初めて見た! カッコイイ!」と言っていた。
臼杵は昨年柔道で日本一になったり、陸上競技で軒並み日本一になったり、日程の被っていない部活の助っ人に行ったりしていたので、巷ではちょっとした有名人だった。龍原寺もイケメンということで雑誌に載ったことがあるので、それなりに有名だった。
だが、今年の一年生の中には本物の有名人がいた。津久見輝である。彼女が昨年主演を務めたドラマ『見えない天使』は社会現象になり、新一年生の中に彼女のことを知らない人はいないくらいだった。誰もが彼女を見て名前を呟いたり、見惚れたりしていた。彼女の知名度は、流行に疎い臼杵ですら知っているくらいなので、おそらく夢乃森学園では99%あるだろう。それくらい、入学式では圧倒的なオーラを放っているように感じた。龍原寺は興味なさそうだったが、臼杵はつい見惚れてしまった。
また、生徒会長の挨拶で初めて安心院希望を見たときも見惚れてしまった。安心院に対しては男子のみならず、女子も見惚れているようだった。そのとき、臼杵の視界に津久見の姿が入った。津久見ですらも、安心院に見惚れているようだった。
そして、理事長の挨拶で夢乃森雲海を見たとき、臼杵はなぜか親近感を抱いたのだった。見た目は似ていないが、境遇が似ている気がしたのだった。周りの生徒たちは、なぜか恐怖を抱いているような顔をしていたり、委縮したりしていた。その他にも個性的な生徒がたくさんいるようだった。
入学式が終わり、専攻科目ごとに分かれてから学園生活や学園のルール説明などを受けた。臼杵は、先生の説明ではよくわからなかったので、一緒にいた龍原寺に説明してもらいながら、受講する講義を決めた。いくつか必修科目があるらしいので、先にそれを選んでから、あとは空いた場所で興味がある講義を選んだ。
それらが終わったあと、臼杵は龍原寺と早速学園内のどこかで昼飯を食べようとしていた。初めての場所なので、校内地図を見て、二人で食堂を探しながら歩いていた。すると、突然目の前を横切ろうとしていた女子生徒が臼杵の前でふらついて倒れそうになったので、臼杵は咄嗟に手を出して女子生徒が倒れる前に両肩を支えた。
「あっ、ご、ごめんなさい」
彼女がそう言って顔を上げたとき、臼杵と彼女の目が合った。彼女はとても綺麗な顔立ちで、淡い紫色のぱっつん髪にアメジスト色の瞳が輝いていた。その瞬間、臼杵は何かにバキュンと胸を撃ち抜かれたような感覚に襲われた。しばらく固まってしまったが、彼女が態勢を立て直し少し離れたあと、我に返ることができた。
「だっ、大丈夫ッスか?」
「あ、はい。助けてくれてありがとうございます」
「ひ、貧血ッスか?」
「い、いえ。ちょっと目眩がしただけです。もう大丈夫です」
「そ、そうッスか。一人で歩けるッスか?」
「はい。あ、ありがとう、ございます」
「じゃ、じゃあ、気をつけて」
彼女が大丈夫そうだったので、先に行こうとしたとき「あ、あの!」と呼び止められたのですぐに振り返った。
「私、生物学一年の大野千歳と言います! あ、あなたの名前は?」
「うっ、臼杵白馬ッス」
「臼杵…白馬くん……。カッコイイ名前ですね!」
千歳にそう言われたとき、臼杵は再び胸をバキュンと撃ち抜かれた。
「隣のあなたは?」と千歳は言った。
「オレ? 龍原寺風連だけど…」
「龍原寺…風連くん……よろしくね!」
千歳は満面の笑みで言った。このとき、臼杵は察した。おそらく千歳は、龍原寺に恋してしまったんだと。いつものことであるため、さすがに鈍感な臼杵でも気がつくようになったのである。臼杵は親指を立て千歳のこれからの健闘を祈ってから、その場をクールに去った。
その後、臼杵と龍原寺は和食食堂の『夢乃森』で食事をした。あまりにも美味しかったので臼杵は三人前を食べた。決してやけ食いではない。
午後からは特に予定もなかったので、臼杵と龍原寺は街に行くことにした。夢乃森学園前駅に向かっている途中、二人の前を同じ学園の制服を着た女子生徒が一人で歩いていた。その女子生徒は右肩に鞄を掛けて、歩道の左側を歩いていた。
臼杵と龍原寺は彼女の二〇メートル程後ろを歩いていると、突然二人の後ろから原付バイクが歩道に侵入して来て追い越した。バイクに乗っていた男は、前を歩いていた女子生徒に近づき、肩に掛かっていた鞄を取って走り去って行こうとしていた。女子生徒はその勢いで倒れた。臼杵と龍原寺は一瞬で状況を理解し、臼杵がバイク男を全速力で追いかけ、龍原寺が倒れた女子生徒の元へ駆け寄った。
バイク男が臼杵に追いかけられていることに気づいてスピードを上げたが、原付バイクの速さに追いつけない臼杵ではなかった。臼杵はバイク男を捕まえて、逃がさないようにバイクごと抱えてから女子生徒と龍原寺がいる場所まで戻った。そしてバイク男を彼女の前に降ろして正座させた。臼杵が「謝れ!」と強い口調で言うと、バイク男は怯えた様子で指示に従い、頭を下げて額を地面につけた。しかし、バイク男はなかなか「ごめんなさい」という謝罪の言葉を言わず、彼女もまだ怖がっている様子だった。臼杵は彼女を安心させようと思い、隣に行くと、バイク男は一瞬の隙をついて立ち上がり逃げ出そうとした。バイク男は、怯えたふりをして逃げ出す機会を窺っていたようである。臼杵は予想していなかったので、一瞬反応が遅れたが、龍原寺が先回りしており、足で壁を強く蹴ってバイク男の行く手を阻んでいた。龍原寺が「お前、逃げられると思ってんのか?」と言うと、バイク男が龍原寺に殴りかかった。龍原寺はそれを軽く躱し、バイク男の顔を軽く一発殴ってKOした。そして最後に「次逃げようとしたら、ぶっ殺すぞ!」と言った。
これでようやくバイク男は勝てない状況を理解して、女子生徒に謝った。その直後、警察がやって来たので、あとのことは任せることになった。龍原寺が電話で呼んでいたようである。
「あ、あの…ありがとう」と彼女が言った。
臼杵が彼女を見たとき、目が合った。彼女はホワイトベージュの髪、丸い目はブロンド色、背が低めで、まるで小動物みたいなゆるふわ系の可愛いさだった。その瞬間、臼杵は何かにバキュン、バキュン、バキュンと三回胸を撃ち抜かれたような感覚に襲われた。
「お、おう。怪我はなかったッスか?」と臼杵が言った。
「はい。鞄を取り戻してくれて…」と彼女はそこまで臼杵を見て言い「ありがとう」と龍原寺を見て言った。
そのときの照れているような彼女の表情を見て、臼杵は察した。ああ、彼女も風を好きになったんだな、と思った。
「いや、鞄を取り返したのはオレじゃなくて、白馬だから」
「白…馬…?」
「ああ。白馬っていうのはこいつの名前で…」
「臼杵白馬ッス!」
「臼杵…白馬くん…カッコいいね!」
彼女の満面の笑みを見て、臼杵は再び胸をバキュンと撃ち抜かれたのだった。
「オレは龍原寺風連。白馬と同じスポーツ健康科学の一年だ。あんたは?」
「あ、あたしは九重紗菜です。栄養学専攻の一年です」
「同級生だったんッスね!」と臼杵が言った。
「当たり前だろ。今日は入学式だから一年しかいねぇよ」
「あ、そうか!」
入学式は新一年生だけが登校しているということをすっかり忘れている臼杵だった。入学式の間は部活も休みなので、この日制服を着ているということは、新一年生である可能性が高いのである。
九重が「あ、あの、何かお礼を…」と言いかけたとき、彼女の鞄の中らスマホの着信音が鳴った。九重は慌てた様子で鞄からスマホを取り出し、応答していた。相手は友達のようで、呼び出されているようだった。九重の様子から急な呼び出しを食らったようで、相手に一方的に電話を切られていた。
「ごめんなさい。本当はお礼をしたかったんですけど、友達に急いで来るように言われて…」
「ん? お礼? 気にしなくていいッスよ! 早く友達のところへ行った方がいいッス!」
「でも、助けてもらったのに…」
「おれたちは当たり前のことをしただけッスから」
九重はあまり納得していない様子で少し黙り込んでから何か思いついた顔をした。「あ、あの…」と臼杵を見て言ったが、そのあとすぐに目を逸らして、龍原寺を見て「お二人は、お菓子とか好きですか?」と言った。
「お菓子? オレは普通かな」
「おれは大好きだ!」
二人の答えを聞いた九重はパァっと明るい表情をして「そうですか!」と嬉しそうに言った。
「あの、敬語は使わなくていいですよ。同級生なんですし」と白馬が言った。
「あ、はい! じゃなくて、うん!」と九重が言った。
「お前が敬語になってんじゃねぇか!」
このあと、九重が「二人ともありがとう。今日のお礼はまた今度するね! じゃあまた!」と言ってから走って行く姿を臼杵と龍原寺が手を振りながら見送った。このとき、臼杵はこんなことを考えていた。
頑張れ! 九重! おれは応援するぞ!
臼杵は九重の恋を応援することに切り替えたのである。
その後、二人は街に行き適当にふらついていると、中学時代の友達集団と出くわして、一緒にカラオケに行くことになった。龍原寺は嫌がっていたが、臼杵が肩を組んで無理やり連れて行き、結局四時間カラオケで過ごしてから帰った。
翌日、臼杵と龍原寺はいつも通り一緒に通学していた。二人にとって高校生活最初の一日だった。
正門に着くと、先輩と思われる女子生徒がチラシを配っていた。おそらく部活の勧誘だろうと思ったが、配っていた先輩が可愛かったので、自分には縁のない部活だろうと判断しチラシは受け取らなかった。
臼杵はまだどこにどんな建物があるのか、校内の地図をまったく知らないので、龍原寺について行くしかなかった。幸いほとんどの講義が一緒なため、ついて行けばどうにかなりそうだった。
二人が一時間目の講義が行われる教室まで向かっている途中、少し前を歩いていた派手な女子生徒がハンカチを落とした。彼女は黒髪ショートヘアに金色、赤色、オレンジ色、黄色、青色、緑色、紫色などのメッシュが入っている派手な見た目で、制服も周りにいる女子と少し違い、アレンジを加えているようだった。
臼杵は彼女が落としたハンカチを拾い「あの、そこのカラフルな髪色の人! ハンカチ落としたッスよ!」と声を掛けた。すると、彼女はすぐに気づいて振り返った。
「えっ、あ、すみま……」彼女はそこまで言って一瞬固まった。「うっ、臼杵白馬!」と驚いてから臼杵が持っていたハンカチに視線を移し、素早い動きでサッと取った。
「ん? おれのこと知ってるんッスか?」
「昨日あんなに目立っておいて、知らないはずないでしょ!」
「そうッスか?」
そう。臼杵は昨日の入学式で誰よりも目立っていたのである。臼杵の身長は二メートル三センチある。そのため、集団の中にいても頭数個分突き抜けているので、どこにいるのかすぐにわかるのである。
彼女の発言で、臼杵は昨日入学式で自分が目立っていたことを知ったのだが、あまり自覚がないし、気にしてもいなかった。
「……拾ってくれて、ありがとう」彼女の声は徐々に小さくなっていった。
「ウス!」
用が済んだので再び教室に向かおうとしたとき、彼女に呼び止められた。
「ちょっと待って!」
「ん? なんッスか?」
「キミ、ウチのこと知ってる? 知ってるよね!?」
「知らねぇッス」
「なっ、そ、即答!? ま、まあ顔だけじゃ思い出せない可能性があるか…」
「ん?」
「ウチは服飾学の城島莉乃。キミと同じ一年でファッションインフルエンサーとしてアクションしているから、それなりに知名度あると思うんだけど、『リノリー』って聞いたことあるでしょ?」
「いや、ねぇッス」
「なっ!? べっ、別にウソをつかなくてもいいけど…」
「ウソじゃねぇッス」
「えっ……マジでウチを知らないの!?」
「ウス。知らねぇッス」
臼杵が正直に答えると、城島は衝撃のあまり固まってしまった。
「すんません。おれ、そういうのに疎いッス。風は知ってるか?」
「ああ、知ってる。城島莉乃って言ったら、結構有名だぞ。ほら!」
龍原寺はそう言ってスマホを臼杵に見せた。スマホには入学式に出席した津久見輝の写真が大きく一面になっているネット記事が映っていた。その記事の下の端に、城島が夢乃森学園の入学式に出席したことが小さく書かれていた。入学式に出席しただけでネット記事になるとは、それなりな有名人ということである。
ちなみに、臼杵の写真も載っていた。
「そうだったのか! 知らなかった!」
「まあ、お前はSNSあんまやらねぇからな」
「そうだな。だけど、もう覚えた! 城島莉乃だな!」
臼杵が名前を呼ぶと、城島はようやくハッとして意識を取り戻した。
「そっ、そう。ウチは城島莉乃こと、リノリー! よく覚えておきなさい!」
「ウス! おれは臼杵白馬だ!」
「もう知ってるから!」
城島が真っ直ぐな目をしてそう言ったとき、臼杵は胸をドカンと撃ち抜かれた感覚に襲われた。臼杵がそのまま意識を失いかけて固まっている間に、城島が「ところで、キミは龍原寺風連くんだよね?」と言った。
「オレのこと知ってるんだ!」
「当然でしょ! キミも結構有名だからね!」
「あんたほどじゃないけど」
「えっ、そ、そうかな。へへへ」
城島は龍原寺と会話をして照れていた。その光景を見て臼杵は意識を取り戻し、状況を察した。おそらく城島は龍原寺のことが好きだ、と。最初城島が驚いたのは、臼杵の隣に龍原寺がいたからだろうと推測した。いつも通りのことだった。臼杵は気持ちを切り替えて、城島の恋を応援することにした。
城島は「ハッ! 照れている場合じゃなかった!」と言って体裁を整え始めた。「そんなことより…」と言いかけたとき、始業時間前のチャイムが鳴り響いた。チャイムが鳴ると周りにいた生徒たちが一斉に走り出した。
龍原寺が「白馬。もうすぐ講義が始まるから急ぐぞ!」と言って走って行き始めたので、臼杵は「悪い。先に行くから、じゃあな」と城島に別れの言葉を掛けてから龍原寺の後を追った。
午前中の講義を終えた臼杵は龍原寺と一緒に昼飯を食べる場所を探していた。龍原寺はどこでもいいということだったので、臼杵が選んでいた。夢乃森学園にはいろんな食堂があるので、どこで食べようか迷いながら歩いていると、後ろから「ちょっと、そこのキミ、ウェイト!」と言う女子の声がした。臼杵は自分のことではないだろうと思い、気にせず歩いていた。すると「ちょっと、そこの人一倍体の大きいキミ、ウェイティ!」と言う女子の声がした。それでも臼杵は自分のことではないと思い、気にせず歩き続けた。さらに「ちょっと! そこの石仏みたいなキミ! 待ちなさいよ!」と言う女子の声がした。それでも臼杵は、以下略。
臼杵が歩いていると目の前に突然城島が立ち塞がり「はぁ、はぁ、どうして無視するの!」とスカイグレイ色の瞳に涙を浮かべながら言った。
「えっ、あ、おれのことだったんッスか。すんません。気づかなかったッス」
「気づかないはずないでしょ! 体が大きくて石仏みたいなピープルって、キミしかいないじゃない!?」
「そうッスか?」臼杵は周りを見渡した。「そうッスね!」
「キミ…自覚ないの?」
「んー、よくわかんねぇッス」
「そ、そうなんだ…」
「それより、おれになんか用ッスか?」
「あっ、そうだった!」城島は身なりを整えてから「コホン」と言って改まった。「今から一緒にランチしない?」
「ランチ? おれは別にいいッスけど」
「マジ!?」
「ああ。風はいいのか?」
「オレも別にいいけど」
「いいらしいぞ」
「ウェイ! 決まりね!」城島はガッツポーズした。
そして三人は『ドリームバックス』というオシャレなカフェで昼飯を食べることになった。城島が「ここがいい!」とオススメしたからである。臼杵が店内に入ると、速見が案内してくれた。速見はまるでバケモノでも見たかのような目をして驚きを隠せない様子でテーブル席まで案内した。
城島は一番映えるという理由で『夢のパンケーキ』と選び、龍原寺はサンドイッチ、臼杵はあまりカフェに来たことがなく、よくわからなかったので、とりあえずオムライスを頼んだ。夢のパンケーキが届くと、城島は目を輝かせていたので、余程腹が空いてたんだな、と思っていた臼杵だった。城島はなかなか食べようとしないで、スマホで写真ばかり撮っていた。臼杵は城島のその行動が理解できずにいたのだが、龍原寺がまったく気にしていなかったので、今はそういうのが流行なのだろう、ということで納得した。
オムライスが届いたとき、臼杵はすぐに食べようとしたが、さっきの城島の謎の行動を思い出したので、スマホを取り出し写真を撮った。臼杵のその行動を龍原寺が意外そうな顔で見ていた。二枚撮ったところでやはり意味がわからなかったので、スマホをポケットに戻してオムライスを食べ始めた。
「へぇー、キミも写真撮ったりするんだ! いいじゃん!」と城島が言った。
「ウ、ウス」
臼杵は不意の城島の笑顔にドキッとしてしまい、心の中で反省した。
こんなんじゃダメだ! 城島が好きなのは風だ! おれじゃない! 早く静まれ! おれの心臓!
臼杵は胸に力を入れて筋肉で無理やり心臓を押さえて心拍数の高まりを抑えた。力を入れすぎて危うく死にそうになってしまったが、無事心拍数を抑えることができた。周りに気づかれないようにしたつもりだったが、ムキになっている表情が顔に出ていたようで、城島に気づかれてしまい「どうしたの?」と声を掛けられてしまった。臼杵が何事もなかったかのように「なんでもない。ただ腹が空いていただけだ」と言うと、上手く誤魔化せたようだった。その光景を隣で見ていた龍原寺はなぜか笑いを堪えているようだった。
昼食後、臼杵たちと城島は別れてそれぞれの講義に向かった。
放課後、臼杵は龍原寺と一緒に帰っていた。正門が近くなると、誰かが二人に向かって手を振っていた。「臼杵くん!」と笑顔で手を振る彼女の正体は、九重紗菜だった。
「臼杵くん。昨日ぶりだね!」
「ウス。そうだな」
「龍原寺くんも今日一日お疲れさま!」
「お疲れ。九重さん、ひょっとして白馬を待ってた?」
「あっ、う、うん。昨日のお礼を渡そうと思って」
「お礼?」と臼杵は言った。すでに臼杵は昨日のことをすっかり忘れていた。
九重は持っていた手提げバッグから小さな紙袋を取り出し「はい! これ!」と言って先に臼杵、次に龍原寺に渡した。二人は素直に受け取り、龍原寺は「ありがとう」とすぐに感謝を述べた。
「なんだ? これ?」と臼杵は言った。
「…手作りクッキーなんだけど…食べてくれる…かな?」
「なに!? 手作りだと!? 九重はクッキーを作れるのか!? スゴイな!」
「あ、あたし、料理を学んでいるから、お菓子作りも好きで…」
「そうか! 食べていいか?」
「う、うん」
臼杵は紙袋の中から可愛いリボンがついたクッキーの袋を取り出し、自分の大きな手でクッキーを割らないように慎重に開けてから一つ掴み食べた。その瞬間、臼杵の頭の中で花火が上がり、目は最高に輝き出した。九重の作ったクッキーがとても美味しかったからである。臼杵は「うっ、美味い!」と言って次々に食べ始めた。感想を聞いた九重は、ホッとしていた。臼杵はあっという間に全部食べてしまったので、まだ食べたいという欲求が残ってしまい、チラッと龍原寺が持っているクッキーに視線を送った。龍原寺はそれに気づいて「いや、やらねぇからな」と言った。
「一枚!」
「ダメ」
「じゃあ二枚!」
「増えてんじゃねぇか!」
その光景を見た九重は嬉しいのか、照れているのか、顔を赤くしていたが「アハハハ」と笑っていた。
それから九重も実家から電車通学しているということだったので、駅まで一緒に帰ることになった。帰っているとき、九重が臼杵にいろんな質問をしてくるので、臼杵はそれに答えていた。たとえば、好きなお菓子は何かとか、好きな食べ物は何かとか、好きな飲み物は何かとか、臼杵の好きなものばかりを聞いてくるのだった。臼杵は嫌いなものがないので、ほとんどの質問に「全部好きだ!」と答えていた。
しばらくそんな会話をしているときに九重が見せるふとした笑顔を見て、臼杵はドキッとしてしまい、心の中で反省した。
おれはなんてことをしているんだ! 九重が好きなのは風だ! 話したいのは風だ! 知りたいのは風だ! なのに、おればっかり喋ってるじゃねぇか! すまん、九重! おれが未熟なせいで!
臼杵が反省している間に夢乃森学園前駅に着いた。九重は臼杵たちと反対方面だったので駅で別れた。
電車の中で龍原寺が声を掛けてきた。
「白馬。大丈夫か?」
「ん? なにが?」
「いや、やっぱなんでもない」
臼杵は、龍原寺が何を言いたかったのかまったくわからなかったが、微かに笑っているような気がした。
翌日、臼杵はいつも通り龍原寺と一緒に登校していた。すると、偶然正門で大野千歳と一緒になった。
「おはようございます。臼杵くん! 龍原寺くん!」と千歳は気さくに挨拶した。
「ウス」
「おはよう」
「朝から逢えるなんて、奇遇ですね!」
「そ、そうッスね」
「今日は一時間目から講義があるんですか?」
「ウス」
「そういえば、臼杵くんは何を専攻しているのですか?」
「おれはスポーツ健康科学だ」
「そうなんだぁ! 臼杵くん、スポーツ得意そうですもんね!」
「ウ、ウス」
臼杵は朝から千歳の笑顔を見てドキッとしていたが、自分の感情に支配されないように頭をブンブン横に振って煩悩を取り払った。その行動に疑問を抱いた様子の千歳が下から覗き込むように上目遣いで「どうしたのですか? 臼杵くん」と言った。
臼杵は今まで女子とここまで至近距離になったことがなかったので、頭がパンクしそうになり湯気が出始めたのだった。なので、さらに激しく頭を振って煩悩を取り払った。
ウワァァァァァ! どっかに行け! おれの煩悩! 大野が好きなのは風だ! 風なんだ! おれじゃない! おれじゃないんだぁぁぁぁ!
頭の中で叫びながら激しく振って煩悩を取り払っても、そのあとふと千歳を見てしまうと、すぐに「う、好きだ!」という煩悩が現れてしまうため、臼杵は石壁に頭を何度も打ちつけた。臼杵の頭は常人の数倍硬いため滅多に怪我しないのだが、さすがに何度も石壁に頭突きをしたので、微かに傷ができてしまった。そんな臼杵の頭よりも石壁がボロボロになっていた。大抵の人は、臼杵のこの行動を見たとき引くことが多いのだが、千歳は目を輝かせながら眺めていた。龍原寺は今まで何度か見ているので慣れており、呆れた様子で終わるのを待っていた。
臼杵は頭を打ちつけたことで冷静さを取り戻し、一時間目の講義が行われる教室に堂々とした態度で向かい始めたのだが、千歳と別れる際に「じゃあ、またね! 臼杵くん!」と天真爛漫な笑顔で手を振る千歳の姿を見てしまい、一瞬で煩悩が戻ってきてしまった。そしてもう一枚石壁を破壊した。
それからも、臼杵は三人と専攻している科目が違うにもかかわらず、なぜか彼女たちと度々出逢うのだった。移動教室のとき、昼休み、登下校時、三人はまるで計画しているかのように、見事に重なることなく臼杵たちの前に入れ違うように現れた。彼女たちが予告なく突然現れるため、臼杵は出逢う度に自分の煩悩に負けないように必死に抵抗していたが、勝負は五分五分だった。あるときは冷静になれるが、ふとした瞬間に彼女たちの笑顔を見ると「う、好きだ!」となってしまうのだった。
そんなある日の帰り、学園内の中央広場に集団ができていた。臼杵と龍原寺は、路上ライブをしているところに出くわした。ライブをしていたのは、この前正門でチラシを配っていた姫島響歌という先輩だった。どうやら、あのとき配っていたチラシは部活の勧誘ではなく、路上ライブの宣伝だったらしい。臼杵と龍原寺は足を止めて立ち聴きすることにした。姫島の歌声はとても綺麗で臼杵の胸に響いた。隣で聴いていた龍原寺も「すげぇ!」と呟いていたので、同じ気持ちだったのだろう。
臼杵は姫島の歌を聴いて癒されると同時に自分の不甲斐なさを振り返った。
おれが中途半端なせいで、大野、九重、城島の恋の応援が上手くできてねぇ。こんなんじゃダメだ! 最後に風が誰かを選ぶまでは、おれは三人全員を応援し続けよう!
臼杵は姫島の歌を聴いて励まされ、そう決意した。
それから臼杵は、三人と会うと自分の話をしないようにして、龍原寺のいいところを話すようにした。すでに龍原寺のことが好きな三人には言う必要のないことかもしれないが、臼杵は長年付き合ってきたことで自分だけが知っていることもあると思い、いろんなエピソードを語った。
たとえば、小学生のとき臼杵が忘れ物をして先生に怒られそうになったとき、龍原寺は持っていたにもかかわらず忘れたとウソをついて一緒に怒られたこと。臼杵が力加減を間違えて学校の水道の蛇口をぐにゃぐにゃに曲げてしまい先生から怒られそうになったとき、龍原寺も水遊びをして一緒に怒られてくれたこと。体育のとき、全力でやったせいで、バレーボールやバスケットボール、サッカーボールなどあらゆるボールを破壊してしまったことで先生から怒られそうになったとき、龍原寺もわざとふざけた行動をして一緒に怒られたことなどを語った。一人だと怖かったが、龍原寺が一緒だったので全然怖くなかったのである。龍原寺のカッコいいエピソードを語ろうとすると、なぜか臼杵の失敗話がセットになるのだった。
話を聞いているときの反応は三人それぞれ違った。
千歳は一応話を聞くが、あまり興味がなさそうで、すぐに臼杵のことを質問してきた。九重も話は聞いてくれ、千歳に比べると興味がありそうだが、あまりムキになって聞くことはなく相槌を打つだけだった。城島はエピソードに関係なく、龍原寺とファッションの話をすることがあったが、盛り上がるほどではなかった。
この反応は臼杵にとって予想外だった。今まで臼杵が男友達に龍原寺のエピソードを話すとき、教室にいた全女子がコッソリ聞き耳を立てる程聞きたいことだった。なので、彼女たちもムキになっていろんな質問をしてくるだろうと予想していた。しかし、彼女たちの反応はまったく違った。臼杵は全然理由がわからなかったが、後日、その原因が判明したのである。
ある日の帰り道、臼杵と龍原寺はいつも通り一緒に帰っていた。
「なあ、白馬。お前最近どうした?」
「ん? なにが?」
「なにがじゃねぇだろ! 最近のお前、なんかおかしいぞ」
「そうか? どうおかしいんだ?」
「お前、大野さんや九重さん、城島さんにオレの話ばっかりして、何がしてぇんだ?」
「なにって、風のカッコいいところを教えているだけだが…」
「何でそんなことしてんだ? 遠回しに断ってんのか?」
「なんでって、三人が風のこと好きだからに決まってんだろ! 遠回しに断るってなんだ!?」
「はぁ~、やっぱりお前、気づいてなかったか!」
「ん? なんのことだ?」
「あの三人が好きなのはオレじゃねぇよ。お前だ、白馬」
「はっ……!?」
臼杵は龍原寺の言った言葉の意味が理解できずに思考が停止した。
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