迷路を攻略せよ【天瀬編】
天瀬は国東と分かれてしまったあと、独りで迷路を回っていた。国東に言われた通り、来た道を戻っていると、見落としていた隠し通路を見つけた。天瀬はその道を進み始めた。すると、国東と一緒にいたときには体験できなかった仕掛けに次々にはまってしまった。
あるところでは、四隅から宙づりになっている不安定な橋を渡らなければならず、落ちたら暗闇の中という状況だった。多くの人は落ちる恐怖心から、なかなか揺れる橋を渡れないような状況だろうが、今の天瀬は好奇心の方が上回っており、恐怖心は微塵もなかった。先程の異常な迷路の変形を見たことで、科学者の血が騒いでいたのである。天瀬は外観を念入りに調べたあと、淡々と橋を渡り始めた。途中バランスを崩して落ちそうになったが、寸前のところで踏ん張ることができて、無事渡り終えた。
またあるところでは、人が渡れない程の細い道が二本あり、その道にドラム缶が横向きに倒れて乗っていた。案の定、道の下は暗闇だった。つまり、この道を渡るには、ドラム缶の上でバランスを取りながら進まなければならないということだった。ここでもバランス感覚を問われる仕掛けに天瀬は好奇心を抱いた。落ちたら一巻の終わり。しかし、先に進むためにはこの道しかない。天瀬は挑戦することにした。壁に掴まりながらゆっくりとドラム缶の上に左足を乗せたが、なかなか右足を乗せることができなかった。横たわっているドラム缶の上に立つだけでも難しいのに、バランスを保ちながら進むことなどできるのだろうか、と思われたが、勢いで乗ると、勝手にドラム缶が前に転がり始め、進まざるを得ない状況になってしまった。天瀬は必死にバランスを保ちながら、スピードが増していくドラム缶の上を走っていた。そして、あと少しで地面がある場所に辿り着くというところで、足を滑らせ態勢を崩したのだが、勢いがあったので、暗闇に落ちることなく、そのまま地面まで届いて背中から着地した。
それからも様々な仕掛けを見つけて体験していたが、天瀬が一番興味をそそられたのは、迷路が変形するときの空間が歪むような感覚だった。今まで体験したことも見たこともない現象に、宇宙物理学を専攻している天瀬はとても興味が湧いたのだった。その現象がもう一度起こらないだろうか、と願いながら進んでいた。
そして、天井からロープが十本下がっていて、床がない場所に出た。先に進むにはロープを渡って対岸まで行かなければならなかったが、ここでも天瀬は恐怖心を感じることなく、難なく渡り終えた。
対岸に辿り着くと、後ろから「天瀬ちゃん!」という声がした。天瀬が振り返ると、さっきまでいた場所に国東の姿があった。
「国東ちゃん! 無事だったんだね! 良かった!」
「うん! 天瀬ちゃんも無事で良かった! あたしもそっち行くから、ちょっと待ってて」
「うん。わかった」
そう言って国東が最初のロープを掴んだとき、突然迷路が変形を始めた。天瀬は内心、来た! と興奮し周りを観察した。一体どういう物理現象で迷路が変形しているのか、非常に興味があり、しっかり目に焼き付けようとした。
しかし、今回の変形は少し様子がおかしかった。変形と言うより、崩れているような感じだった。壁や天井、床がボロボロと崩れ落ちていた。
「ヤバい!」
国東はそう言って崩れ落ちそうになっているロープに掴まり、天瀬がいる場所まで来ようとしていた。だが、明らかに間に合いそうになかった。案の定、途中でロープが下がっていた天井も崩れ始め、国東はそのまま暗闇の中に落ちるかに思われたが、落ちながらもロープを渡って行き、最後に思いっきり飛び込んできたのだった。天瀬は両手を開いて国東を受け止めた。
「ありがとう。天瀬ちゃん」
「無理しすぎだよ、国東ちゃん! また落ちるんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「アハハ。ごめんね」と国東はあっさり言ったあと真剣な顔つきになった。「それよりも早くここから…」
国東がそう言いかけたとき、地面が激しく揺れて崩れ始めた。天瀬はバランスを崩して落ちそうになり、国東が咄嗟に天瀬の右手を掴んだ。そのとき、周りの暗闇が晴れていき、風景が夢プラザに変わった。
二人が戻った場所は、夢プラザの吹き抜けの一番上だった。そのまま落ちると大変なことになりそうだったが、国東が咄嗟に天井から吊るされている飾りを掴んで、二人は宙ぶらりん状態になった。その場所は吹き抜けの真ん中で、そこから足場のある場所まで行くには遠かった。勢いをつければ届くかもしれないが、国東は二人分の体重を支えており、苦しそうな顔をして掴まっていたので、動く余裕がなさそうだった。このとき、天瀬は考えた。
この高さから落ちればおそらく二人とも死ぬ。でも、私が落ちて国東ちゃん一人なら助かるかもしれない。一緒に落ちるくらいなら、国東ちゃんだけでも助かった方が良い!
天瀬は落ちる覚悟を決めて、握っていた手の力を緩めた。しかし、国東はさらに強く手に力を入れたのだった。
「国東ちゃん。手を離して! このままだと国東ちゃんも一緒に落ちちゃう」
「ヤダ! 絶対離さない! 言ったでしょ。あたしが護るって!」
「この状況じゃ二人が助かるのは難しい。二人分の重さを腕一本で支えるのはキツイでしょ。私が落ちれば半分になるから、国東ちゃんは助かるはず。お願い! 手を離して!」
「い・や・だ!」
「どうして?」
「天瀬ちゃん『夢』があるでしょ! 将来月に行って自分の足で歩くっていう『夢』が!」
「夢? 今そんなこと話している場合じゃ…」
「大事なことだよ! 天瀬ちゃんは本気で『夢』を叶えたいんでしょ!? だから、夢人を探してる。どうしても叶えたいから!」
「どうしてそれを!?」
天瀬は驚いた。なぜなら、夢人を探している本当の理由は誰にも言ったことがなかったからだ。将来月に行って自分の足で歩きたいという天瀬の夢は、前に教えたことがあったので、国東が知っていてもおかしくない。そして夢人を探している理由は、ただ興味があるからという適当な理由を言っていた。
「でも、大丈夫! 天瀬ちゃんは『夢人』に頼らなくても、自分の力で『夢』を叶えることができるから!」
「……そんなの…わかんないでしょ!」
「わかるよ! あたし、天瀬ちゃんが今まで頑張ってきたこと、知ってるから! 他人から笑われたり、バカにされたりしても諦めずに頑張っている天瀬ちゃんを知ってるから! だから、こんなところで『夢』を諦めないで!」
天瀬は、国東がどうしてここまで必死になっているのかわからなかった。二人が知り合ったのは最近のことである。たしかに、天瀬は今まで自分の夢を他人に笑われたり、バカにされたりしてきた。「そんなことできるはずないだろ」「いつまでも夢見てないで勉強した方がいいよ」「いいなぁ。そんな夢見られて」などという心無い言葉を何度も言われた。それでも、天瀬は自分の足で月を歩きたいという夢を叶えたいと思って頑張っていた。それは事実である。しかし、そのことを知り合ったばかりの国東は知らないはずである。
どうして国東が知っているのか、という疑問もあるが、それよりも、国東の力強い言葉の方が天瀬の心には響いていた。
「国東ちゃん、どうしてそこまで…?」
「あたしは…天瀬ちゃんを信じてるから!」
国東は苦しいはずなのに、そのときは笑顔になった。
その言葉と表情を見た天瀬は励まされ、再び手に力を入れてこう言った。
「ありがとう。私も国東ちゃんを信じてる!」
「ありがと! じゃあ、一つだけ、お願いしてもいい?」
「ん? なに?」
「この状況を乗り越えるために、天瀬ちゃんに祈って欲しいの」
「祈って欲しい?」
「うん! 目を瞑って三回『あたしたちを助けてください!』って。そうしたら願いが叶うから!」
「わかった!」
天瀬は国東に言われた通り、目を瞑って三回「私たちを助けてください!」と心の中で祈った。すると、身体がスーッと浮いたように軽くなった感じがして、後ろからパラパラパラパラ…という音がした。
天瀬がゆっくり目を開くと、周りには誰もおらず、本でいっぱいの場所に座っていた。あまりの予想外の状況に天瀬は理解が追いつかず、「え……!?」と声が漏れ、周りを見渡した。そして自分が座っている場所が本屋の一番端であることがわかった。天瀬の後ろの棚に置いてあった本の一冊はパラパラパラパラと捲れており、その本の斜め前に国東が立っていた。
「国東…ちゃん…?」
「天瀬ちゃんの祈りが届いたね!」
「う…うん」
国東が手を差し出してきたので、天瀬は手を掴んで立ち上がった。今の状況はわからないことばかりだが、とりあえず二人とも助かったことだけは理解した。国東が笑顔だったので、天瀬も釣られて笑顔になった。
そのとき、国東が急に何かを感じ取った様子で斜め上を見ながら「この力…まさか!?」と言った。
「どうしたの? 国東ちゃん」
「天瀬ちゃん、ごめん。あたし先に帰るね」
「えっ、う、うん」
国東は驚いた顔をして先に帰って行ったので、天瀬も帰ろうと思ったが、帰る前に本屋を見て回ることにした。何か気になる本がないか適当に見て回っていると、小説棚に並んでいた『変形ラビリンス』という小説が目に入ったので手に取ろうとしたら、ちょうど同じタイミングでもう一人の手が伸びてきて、手が触れてしまった。天瀬はサッと手を引いたが、相手はそのまま本を掴んでいた。
「あっ、すみません……って、文護か!」
「月歩」
天瀬が会ったのは、大野文護だった。そう。あの、ベストセラー作家である。文護は夢乃森学園の三年生で天瀬と幼馴染である。グレーカラーの天然パーマが特徴的である。ベストセラー作家であるため、多くの人に名前は知られているが、SNSを一切しておらず、学校にもほとんど行っていないので、顔を知っている人はほとんどいない。学園で知っている人物は夢乃森雲海と天瀬くらいである。講義はすべてオンラインで受けており、意外と勉強はできる方なので、単位を落とすことなく取得している。有名人だが誰も顔を知らないので外出しても問題がない。そのため、よく独りで小説のネタ探しをしている。ネタ探しをしているときの文護は、まるで好奇心旺盛な子どものように行動する。それがたまに周りの人から奇行と思われるときがあり目立つのだが、本人はまったく気にしていない。
文護は天瀬と目を合わせたあと、何事もなかったかのように『変形ラビリンス』を手に取ってレジに向かおうとしていた。
「ちょっと文護! それ、私が買おうとしてたんだけど」
「僕の方が少し早く触れた」
「いーや。私の方が早かった!」
「でも、月歩は手を離した」
「それは、文護の手が触れたから」
「僕は手を離さなかった」
「私も文護ってわかってたら離さなかった」
「僕は相手が誰でも離さない」
「んー」
「それより月歩。手が赤く腫れているように見えるが、何かあったのか? 強く握られたような痕が見えるぞ」
「えっ!? あっ、これは、さっき友達と握力を競ったときについたの」
「そうか」
天瀬が咄嗟に誤魔化すと、文護はあっさりと納得し、本を持ったままレジに向かい始めた。天瀬は誤魔化せたことにホッとしていると、少しして自分が誤魔化されたことに気づいたので、文護の後を追って行った。結局『変形ラビリンス』は文護が購入し、天瀬は文護が読み終えたあとに貰うことになった。それから二人は一緒に寮に帰った。
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