迷路を攻略せよ【安心院編】
安心院は微かに「安心院さんを頼みまーす!」という中津の声が聴こえて目を覚ました。先程よりも熱は下がったようで、少し楽になっていたが、まだ動くのは気怠かった。ゆっくり目を開くと、ぼやけた視界の中に二人の女性らしきシルエットが見えた。しばらく目を凝らして見ていると、一人はベージュカラーでセミロング程の長さの髪、もう一人は金髪ロングのようだった。二人はこんな会話をしていた。
「やっぱり、中津さん落ちましたね」
「う、うん。なんか申し訳ない気持ちになっちゃった」
「気にする必要ないです。ちゃんと公平にジャンケンで決めたんですから。それに中津さんも本望だと思います。あの人、こういうときカッコつけたがりますから」
「フフフ、輝ちゃん、中津くんのことがわかってるんだね」
「ち、違います! 全然わかってなんかいません。むしろ落ちて嬉しいくらいです」
「フフ、そうだね」
「そ、そんなことより、安心院先輩です。中津さんがいなくなったから、あたしが背負って移動しますね」
「えっ、大丈夫?」
「大丈夫です。こう見えてあたし鍛えているので」
ここで安心院はベージュ髪に体を支えられ、前に金髪ロングが背中を向けてしゃがみ込んだ。安心院はゆっくりと金髪ロングの背中に寄せられ、彼女の肩に腕を掛けさせられた。そして、彼女が踏ん張って立ち上がろうとしていたが、足がプルプル震えているようで、その振動が背中側まで伝わって来ていた。それがしばらく続き、結局彼女はそのまま立ち上がることができなかった。
彼女たちが自分を助けようとしていること、感謝しなければならないことは重々承知しているが、安心院はこのとき少しムッとした。
私、そんなに重くないのだけれど!
と心の中で思っていた。
一度態勢を立て直すことになり、安心院は背中から降ろされて壁に寄りかかった。このときようやく視界が晴れて目の前の女性二人の姿が鮮明に見えた。そして、ベージュ髪は姫島、金髪ロングは津久見だということがわかった。
津久見は気合を入れ直してから再度安心院を背負おうとしたのだが、結局同じ状況になり失敗に終わった。
その流れで次は姫島が試してみることになった。安心院は試す前から不安だったが、案の定、姫島も立ち上がることができなかった。
安心院は意識を取り戻していたので、動くことも声を掛けることもできるのだが、今話しかけるのは恥ずかしいので、しばらく黙り込んで様子を伺っていた。というより、自分の体重が増えたのではないかという心配で頭がいっぱいだった。
えっ!? 私ってそんなに重いのかしら!? たしかに最近ちょっと甘いものを食べ過ぎていたかもしれないけれど、ちゃんと運動はしていたし、総カロリーも計算していた。でも、しばらく体重計に乗っていないから、もしかしたら急激に太ったのかもしれない! そう思うと、ちょっとお腹周りが気になるかも…。今日帰ったら量ろう。
安心院の帰宅後の予定が一つ決まった。
安心院がそんなことを考えている間、姫島と津久見はどうやって安心院を抱えて移動しようか考えていた。すると、「あれ? またこの場所に来ちゃった」という女性の声がした。
安心院は起きていることが気づかれないようにコッソリと視線を移し、姫島と津久見も声のした方を見た。
「あっ! 速見さん!」と姫島が言った。
「ん? あー! 姫島響歌さん! えーっ、どうしてこんなところにいるんですか!? ていうか、隣にいるのは津久見輝さんじゃないですかー!? キャー! すごいツーショット!! まさかこんなところで二人に出会えるなんて、感激です!」
「速見さんも来てたんだね。一人?」
「いえ。叶愛と一緒に来てたんですけど、罠にかかって別々になってしまって。今探しているところです!」
「速見さんも…」
「もってことは、姫島さんたちもですか?」
「うん」
「じゃあ、もし良かったら一緒に探しませんか? その方が早く見つかるかもしれないですし」
「うん。そうだね」
「やったー! 私、姫島さんと津久見さんと一緒に迷路を回れるんだ! 夢乃森学園を代表する二人と一緒に! 夢のようです!」
速見はここに来てからずっと興奮した状態で姫島と会話していた。おそらく純粋に二人のファンなのだろう。これは安心院にとって好都合だった。なぜなら、速見のおかげで気まずい空気が吹っ飛んだからである。また、速見の声が大きかったので、その声で目を覚ましたという理由付けも簡単にできるからだ。
この状況を活かして安心院が声を発しようとしたとき、先に速見が安心院の存在に気づいて「あれ? そこで寝てる人って、もしかして生徒会長じゃないですか!?」と言ったので、安心院は再び寝たふりをした。
「どうして生徒会長がこんなところで寝ているんですか?」と速見が言った。
「体調が悪いんです。自分で動くことができないくらいに。だから、もう少し静かにしてください。安心院先輩が目を覚ましてしまいます」と津久見が言った。
「あっ、ごめんなさい」と速見は言って口を両手で塞いだ。
せっかくの起きるチャンスが消えてしまった。津久見は気遣って言ってくれたのだろうが、これでまた起きにくい状況になってしまった。
それから三人はヒソヒソ声で会話を始めたので、さっきの理由が使えなくなってしまった。
どうしてさっき寝たふりをしてしまったの! 私のバカ! ……いや、こうなってしまった以上、仕方ないわ。自分を責めても意味がない。このあとどうやって起きれば一番自然で気まずくならないかを考える方が建設的ね。
安心院は自分の選択を責めたが、それが意味のないことだとすぐに悟り、より建設的な方法を考えることに頭を切り替えた。この切り替えの早さが安心院の得意なことの一つである。
安心院はまず、三人がヒソヒソ声で何を話しているのか聴くために耳を澄ました。
「今、どうやって移動しようか考えているんです。安心院先輩を背負って行こうとしたけど、あたしたちの力では難しかったです」と津久見が言った。
「面目ないよ」と姫島が言った。
「じゃあ私が来てちょうど良かったですね!」
「えっ、何かいい方法があるんですか!?」と津久見が言った。
「三人で一緒に運べばいいんだよ!」
安心院は速見の提案を聞いたとき「なっ!」と思わず言葉を発してしまった。そんなの恥ずかしくて嫌だったからだ。安心院が声を出したことで起きていることが三人にバレたかもしれない。いっそ今の声でバレた方が良い、と思いながらそっと薄目を開けてチラッと三人を見ると、まったく気づいていなかった。姫島と津久見は、その方法があったのか、と言っているような驚き顔をしており、速見はドヤ顔していた。
それから三人は安心院を取り囲み、津久見が背中側から脇の下に腕を通して抱え、姫島が両足を持ち、速見がお尻を支えるように手を添えて持ち上げた。
「これならいけますね!」と津久見が言った。
「うん!」と姫島が言った。
「よし! じゃあ行きましょう!」と速見が言って、三人は進み始めた。
一方、安心院の内心は…。
キャー! 恥ずかしい! こんなところ、誰かに見られたら恥ずかしくて顔を合わせられない。たしか速見さんは夢乃森さんと一緒に来ているって言ってたわね。彼女と会う前にどうにかしなければ! それに、中津くんにもこんな姿見せるわけにはいかないわ!
目を覚まして自分で移動すればすぐに解決できることなのだが、安心院は体調が悪いせいか、そんな簡単な方法を思いつかず、別の方法を必死に考えていた。
そのまましばらく三人に抱えられて進んでいると、さっきとは別の開けた場所に出た。そこにはトロッコがあった。トロッコの大きさはちょうど四人が乗れるくらいだった。三人がヒソヒソ声で話し合った結果、トロッコに乗ることになった。三人はまず安心院をトロッコにゆっくりと乗せた。そして三人は、まるで重い荷物を置いたあとのように肩をグルグル回したり、背中を伸ばしたりしていた。それを見た安心院はちょっとムッとしたが、ここまで慎重に運んで来てくれたので、文句を言う権利はなかった。
三人がトロッコの横で身体を解していると、突然「ガシャン!」と音がした。安心院は驚いて薄目を開けて状況を確認すると、自分は動いていないのに、周りの風景が少し動いていた。そして「ガタン…ゴトン…ガタン…ゴトン」という音が鳴り始めたことで、状況を察知した。
まさか、トロッコが動き出した!?
安心院は上体を起こすと予想が当たっていることがわかった。まだ三人が乗っていないのに、トロッコが勝手に動き出したのである。トロッコは安心院だけを乗せて進み始めた。三人は音で気づいてトロッコを止めようと追いかけて来たが、トロッコの初速が早くて誰も追いつけなかった。そしてトロッコは下り坂に差し掛かり、一気に加速した。三人は「しっ、しまったー!」と声を揃えて言い、手を伸ばして見送っていた。
トロッコが走っている間、安心院は身を縮めたまま乗っていた。トロッコに揺られること二分、ようやく到着したようでゆっくりと止まった。周りに誰もいないことを確認してから、安心院はトロッコから降りた。さっきまで恥ずかしい状況をどうやって解決しようか必死に考えていたのに、まさかこんな形で解決するとは思っていなかった。あの状況を脱したことは良かったが、また新たな問題が出てきたので、少し複雑な気持ちだった。
安心院は独りになってしまい、少し寂しい気持ちになった。あんな恥ずかしい状況だったが、周りに人がいるということで励まされていたようである。しかし、こんなところで独りでメソメソしているわけにはいかないので、安心院は気持ちを切り替えて、独り迷路の先へ進み始めた。
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