夢人は誰だ!?【推理編】①
火曜日の朝、中津は少し後ろめたい気持ちになっていた。なぜなら、学園のトップである雲海は仕事で忙しいはずである。それなのに、個人的な理由で時間を取ってもらい、しかもその内容が夢人というファンタジーな存在の確認だったからだ。昨日の夜の時点では、謎にテンションが上がっていたせいで、その勢いでお願いしてしまったが、朝起きて冷静な頭で考えると、とんでもないことをしてしまったのではないか、と思ったのだった。
今からでもキャンセルするか。いや、それはそれで失礼だ。自分から誘っておいて断るなんてできない。じゃあ、他の話題にするか。でも、それだとせっかくのチャンスを不意にしてしまう。くそ、どうすれば…。
そんなことを考えながらいつも通りの時間に登校していると、校門前に叶愛が立っていた。叶愛は中津と目が合うとパァッと笑顔になったので、どうやら中津を待っていたようである。
「おはようございます。夢翔様」
「おはようございます。夢乃森さん」
「ん! 夢翔様。違いますよ」
「えっ!?」
「この前約束したはずです」
「あっ、えーっと…叶愛…さん」
「はい」
叶愛は満面の笑みだったが、中津は少し恥ずかしくて顔が赤くなっていた。しかし、いずれ慣れるだろう。少しの辛抱である。
挨拶を交わしたあと、二人は並んで歩き始めた。中津は周りから痛い視線を感じていたが、気にすると叶愛の話に集中できなくなるので、できるだけ周りを見ないようにして歩いていた。
「ところで、俺に何か用ですか? 待っていてくれたみたいですが…」
「はい。夢翔様にお聞きしたいことがありまして」
「聞きたいこと?」
「今日の放課後、おじい様とお会いになるそうですね」
「あっ、はい。理事長にちょっと聞きたいことがあって」
「そうですか。夢翔様のことです。きっと大事なことなのでしょう」
「い、いやぁ。あまりたいしたことでは…」
胸に槍がグサッと刺さった気がした。
「せっかくですので、放課後の時間だけでなく、夕食も一緒にどうですか?」
「えっ!?」
「きっとおじい様も喜んでくれると思います。もちろん私も。一流のシェフを呼んで、最高のディナーを準備します」
「い、いえ、そこまでは、さすがに…」
「遠慮しないでください。あっ、もしかしてお疲れでしょうか? でしたら、神の手を持つマッサージ師を呼んでリラックスすることもできますよ」
中津は焦り始めた。内容が内容なだけに、これ以上大きなことにしたくなかったからだ。「叶愛さん、お気持ちだけありがたく受け取っておきます。じゃあ俺、ちょっと急ぐので失礼します」と言ってその場から逃げるように走って行った。
叶愛はいつも通り、いや、いつも以上に積極的な感じがしたが、特に夢人と思われるような様子はなかった。そもそも叶愛は今まで何度も危険な目に遭っているので、もし夢人ならわざわざ自分からそんな目立つことをするだろうか。その可能性は低いだろう。中津は叶愛が夢人である可能性が低いと予想した。
三時間目の講義では、別府と同じだったので、始まる前にさり気なく夢人の話題を出した。
「なぁ、別府。夢人って本当にいると思うか?」
「なんだよ、急に。そんな非科学的なこと信じるタイプだったか?」
「最近ちょっと気になって」
「ふーん。そっか」
「で、どうなんだ?」
「そうだなぁ。俺は…いると思うかな」
「どうして?」
「んー、なんとなく…。こんなに噂話があるってことは、いてもおかしくないかなって」
「そっか。そうだな」
「中津はどうなんだ。いると思うのか?」
「俺は……いる…と思う」
「へぇー、そうなのか! 中津ってそういうのを信じるんだな! 知らなかった」
「なんだよ。俺が信じたらおかしいのか?」
「いや、おかしくねーよ。むしろ、ちょっと嬉しいくらいだ」
「嬉しい? なんで?」
「それは…」
別府がそこまで言いかけたとき、先生が教室にやって来たので、話は途中で終わってしまった。講義が終わったとき、別府はそのことを忘れている様子でいつもの世間話に戻ったのだった。
別府もいつもと変わらない様子だった。正直、別府とは一年の頃から付き合いがあるが、まだ知らないことばかりである。なので、一旦保留にした。
四時間目は別々の講義だったので、別府とはまた昼休みに食堂で集まる約束をしてから、ここで別れた。
昼休み、中津と別府は合流してから和食食堂の『夢乃森』で昼食をとることにした。二人は四人掛けテーブルに向かい合って座り、中津は夢乃森学園独自ブランドの夢アジ・夢サバ御前を注文し、別府はハモの天ぷら定食を注文した。料理が届くまで待っていると「あっ、中津くんと別府くん!」と言う声がした。二人が声のした方に視線を送ると、姫島と津久見がいた。
「姫島さん! と津久見さん!」と中津は言った。
「久しぶりだね。二人も今から昼食?」
「はい。お二人もですか?」
「うん。さっき偶然会ったから、一緒に食べることにしたの」
「そうですか」
「じゃあ、せっかくだし、俺たちと一緒に食べないか? ちょうど席も二つ空いてるし」と別府が言った。
「えっ、いいの!?」
「ああ。中津もいいだろ?」
「俺は、いいけど…」
中津はチラッと津久見を見た。中津は津久見に嫌われていると思い込んでいるので、嫌がられるだろうと思ったからだ。
「ありがとう。輝ちゃんもいいかな?」
「はい。もちろんです」と津久見は笑顔で言った。
このとき中津は思い出した。津久見が好きな人の前では猫を被るということを。当然、津久見は姫島のことが好きな人なので、猫かぶり中である。中津が呆気に取られた表情で津久見を見ていると、津久見が「なに?」と言ってきたので、中津は「い、いや、なんでも」と答えた。
二人増えたことにより、少し席替えをした。別府が中津の隣に移動し、向かいに姫島と津久見が座った。そして四人になったことで、周りからの視線が急に集まりだした。それも当然のことである。目の前には、今最も注目されている姫島と元々有名だった津久見、隣にはイケメンの別府がいるのだから、目立たない方がおかしいくらいだった。そんな中に中津がいるのだが、元々周りの視線をあまり気にしない性格と一年の頃から経験していたために慣れていた。
中津がメニュー表のタッチパネルを渡すと、二人は顔を寄せてパネルを見ていた。二人が選んでいる間に、中津と別府が注文した夢アジ・夢サバ御前とハモ定食をロボットが運んできた。中津が御前、別府がハモ定食を自分の目の前に置くと、姫島と津久見がチラッと見た。そして姫島は車えびのエビフライ定食、津久見はマグロの赤身をふんだんに使ったひゅうが丼を注文していた。もしかしたら、届いたものを見て魚介料理が食べたくなったのかもしれない。そのまま姫島たちの注文したものが届くまで待っておくつもりだったが、姫島が「気を遣わないで先に食べて」と言い、隣の津久見も頷いたので、遠慮なく食べることにした。食べ始めてすぐに姫島と津久見の料理も届いた。
「そういえば、この前の姫島のライブ、めっちゃ良かったよ!」と別府が言った。
「えっ、あのあと見に来てくれたんですか!?」
「ああ。用事が早めに終わったからな。最高だった!」
「あ、ありがとう」
「えっ、別府も姫島さんのライブに来てたのか!? 知らなかった」
「ってことは、中津も来てたのか!」
「ああ。津久見さんもいっ…」と中津が言いかけたところで、津久見に鋭い目つきで睨まれた。「津久見さんも見に来ていたらしいね」
「当然です。響歌さんの大ファンなので」
先日の事件のことは、公には叶愛が誘拐されたことと警察が見事犯人を捕まえたことしか報じられていない。捜査に中津、安心院、津久見が関わっていたことは関係者以外知らず、他言無用になっている。なので、休日に中津と津久見が一緒にライブを見ていたことなど誰も知らないのである。
「へぇー、じゃああの場に俺たち全員いたんだな。夢乃森さんも一緒だろ?」
「ああ」
「えっ、ゆ、夢乃森さんが見に来ていたの!?」と姫島が言った。
「安心院先輩もいたよ」
「えっ、生徒会長も!? だっ、大丈夫だったかな。私の歌…」
「みんな幸せな気持ちになったと思いますよ。とてもいい歌でした」と中津が言った。
「俺も初めて聴いたけど、あんなに心に響く歌を聴いたのは初めてだったよ!」
「当然です。響歌さんの歌声はみんなを幸せにするんですから!」
「あ、ありがとう。みんな」
姫島は顔を赤くして照れているようだった。
そのあと、別府が唐突に「そういえば、二人は夢人って本当にいると思う?」と言ったので、中津は別府に視線を送った。すると、別府は「任せろ!」と言っているような顔をしていた。
「なんですか、急に」と津久見が言った。
「夢人って、あの夢人?」と姫島が言った。
「その夢人。津久見はまだ入学したばかりだから知らないか」
「いえ、知ってますよ。頑張っている人の前に現れて願いを叶えてくれると言われている、謎の存在ですよね」
「知ってたのか!」
「さすがに知ってます。この時期でも一年生全員知ってると思いますよ」
「へぇー、そうなのか。……で、津久見は信じているのか? 夢人の存在」
「そうですね。いて欲しいとは思いますけど、いないと思います。幽霊や妖怪みたいな創造物と同じかと」
「そっか。姫島はどう思う?」
「んー、私もいると信じたいけど、見たこともないし、よくわからないから、はっきりいるとは言い切れないかなぁ」
「そっか…」
「先輩たちはどうなんですか?」
「俺はいると思ってる! その方が面白そうだからな」
「そうですか。……中津さんはどうなんですか?」
「俺は……いる……と思う…かな」
「へぇー、意外とそういうの、信じるんだ」
「まあ、人並みには…」
「私にとっては、中津くんが夢人みたいだけどね」と姫島が言った。
「え!?」
「だって、あの日中津くんが来てくれなかったら、多分、私、歌わなかったと思う。そしたら輝ちゃんにも気づかれなかったし、今みたいに歌えていなかったと思うの」
「そんなことは…」
「そんなことないです! 今の響歌さんがあるのは、響歌さんが頑張ってきたからです。中津さんは偶然タイミングが良かっただけです」
津久見がそう言ってから中津を見た。中津は同じ意見だったので「そうですね」と言った。
「でも、案外姫島が言っていることも間違ってないかもな」
「ん? どういう意味だ?」
「前にネットで見たことがあるんだけど、中津が夢人っていう説があったからな」
「は!? 俺が!?」
「中津ってあまり人と関わらないだろ。でも、学年主席だからそれなりに知名度がある。だから、中津のことを知らない人がそう言っているらしいんだ」
「なっ!?」中津はあまりの驚きに言葉が出なかった。まさか自分を夢人だと思っている人がいるとは一ミリも考えなかったからだ。中津も夢人の情報をネットで探したが、そんなことが書かれている記事には気づかなかった。おそらく、これが天瀬の言っていた適当なことを書く連中なのだろう。信ぴょう性を確認しないまま、話題になりそうなことを片っ端から拡散する奴らである。幸い、中津=夢人説は話題にならなかったようでホッとした。
「当たっているかもしれないですね。中津さん、いつも突然現れますし」と津久見がからかう様子で言った。
「フフ。そうだね」と姫島が言った。
昼食を食べ終えたあとも四人の雑談は続き、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴るまで予想外に盛り上がったのだった。
そのあとは全員午後の講義に向かうために食堂前で解散した。
姫島は夢人というより、夢人に出逢った方ではないか、と中津は考えていた。今まで一生懸命に努力してきたことが、最近になって報われ始めていることを見ると、ちょっと前まで夢人と関わっていたのかもしれない。姫島には改めて話を聞くことにした。
津久見も姫島と同じように、夢人というよりは、出逢った方ではないか、と推測している。すでに成功しているので、小さい頃に出逢っていたかもしれない。話を聴きたいとこではあるが、おそらく教えてくれないだろう。最悪、プライバシーの侵害で訴えられるかもしれないので、やめておくことにした。
午後の講義を終えた中津は、理事長室のある教員棟に向かっていた。
もういっそ、腹をくくって正直に行こう!
考えた結果、そう決心したのだった。
教員棟に着いたときは午後四時一〇分だったので、予定の午後四時三〇分ちょうどに理事長室前に着くように、一階のロビーにある休憩スペースで時間を潰すことにした。雲海はおそらく分刻みでスケジュールをこなしているはずなので、早く到着すると迷惑をかけるだろうし、かといって、残り二〇分で図書館に行って本を読んでしまうと、時間を忘れて遅れてしまう恐れがあるからだ。
休憩スペースで特に何かをするわけでもなく、ただボーっとして過ごしていると、後ろから「あっ、中津くんだ!」という女性の声がした。中津が振り返ると、速見が立っており、その姿を見た中津は一瞬背筋がゾクッとした。そして速見の右手に視線を送ると、ガーゼを巻いていることに気づいた。
「速見さん。ん? どうしたんですか!? その右手!?」
「あ、これはちょっとバイト先で熱湯が掛かっちゃって少し火傷しちゃったの」
「やっ、火傷!? それって大変なことじゃ…」
「そんなに酷い火傷じゃないから大丈夫だよ」
「そうですか。ハッ! 右手の他は大丈夫ですか? 腕とか、体とか」
「うん。火傷したのは右手だけ」
「そうですか…よかった……いや、よくないか! 左手を火傷してるんだから! すみません、変なこと言って」
「アハハ、叶愛から聞いていた通り、やさしいんだね」
「え?」
「心配してくれてありがとう」
「い、いえ。心配することしかできないので」
「それが結構元気づけられるんだよ」
「それなら…よかったです」
「でも、火傷したのが右手でよかったぁ」
「えっ、どうしてですか!?」
「私、左利きだから左手を火傷してたら大変だったよ」
「あっ、そうなんですね。……バイトはどうするんですか?」
「んー、私はしたかったんだけど、マスターに休むように言われたから、しばらく休むことになったんだ」
「そうですか」
そう聞いて中津はホッとした。怪我をしたときは休むのが一番である。無理をすると怪我の治りも遅くなるだろうし、また怪我をするリスクも高くなるだろう。そんなことになるよりは、しっかり休んで万全の状態になってから復帰した方がいい、というのが中津の働き方の考えである。
そのとき、速見のスマホに着信が入り、着信音が鳴りだした。速見は左側のポケットからスマホを取り出し、画面を見て「あっ、叶愛だ!」と呟いてから応答した。すると、スピーカーモードにしていないにも関わらず、スマホから「時音! 今どこにいるのですか!?」という叶愛の心配している声が聴こえてきた。
「あー、今、ちょうど保健室で治療し終えたから『ドリームバックス』に戻ろうとしてたところ」
「そうですか。わかりました。では、私は『ドリームバックス』で待っていますので、早く戻ってきてください」
「あー、うん。わかった!」と言って通話は切れた。「ということなので、じゃあまたね。中津くん」
「あ、はい。また」
教員棟を出るときの速見の横顔は笑っていた。おそらく、叶愛が心配してくれていることが嬉しかったのだろう。速見は教員棟から出たあと、速足で『ドリームバックス』まで行った。
速見のことはまだ知り合ったばかりでほとんど知らないので、何とも言えない。夢人であるかどうかなんて判断できる程情報がないのである。しかし、一応知り合いなので、保留ということにした。
速見を見送ったあと、時計を見ると四時二三分になっていたので、中津は立ち上がり移動を始めた。時間調整とちょっとした運動をするため、エレベーターは使わずに階段を上って最上階まで行った。
四時三〇分ちょうどに理事長室の前に着き、インターホン鳴らすと、確認もせずに「どうぞ」という声がしたので、「二年の中津夢翔です。失礼します」と言ってからドアを開けた。
理事長室は、向かって一番奥に理事長が仕事をする大きくて立派な机があり、その手前に来客用の小さな机と革張りのソファーがある。雲海はお茶の準備をしており、小さな机の上にはすでに茶菓子が置かれていた。
「いらっしゃい、夢翔くん。今、お茶の準備をしておるから、そこに座って待っててくれ」
「あ、はい。失礼します」
しばらく待っていると、雲海が急須を持って来て、机に置いていた二つの湯呑に注いだ。その一つを中津の前に置いたので、中津は「ありがとうございます」と一礼した。そして雲海は片手で湯呑を持ち一口飲んだので、中津も両手で湯呑を持ち一口飲んだ。
「はぁ~、美味いの~」
「そうですね」
「夢翔くんがここに来るのは珍しいの。わしと話したいこととは何じゃ? ハッ! もしかして、とうとう叶愛と正式に付き合い始めたのか?」
「そっ、そんな滅相もないです。叶愛さんが僕と付き合うなんてこと…」
「何じゃ。違うのか。わしはいつでも歓迎なんじゃが」
雲海と二人で話すときはいつも最初にこのジョークが飛び出すので、中津もテンプレートのように返すのがお決まりになっていた。
「ん、んん。とりあえずその話は置いといて。まずは、急なことにも関わらず、お忙しい中時間を取っていただきありがとうございます」
「いやいや、全然忙しくないから気にしないでくれ。むしろ声を掛けてもらって嬉しいくらいじゃ。最近、わしみたいな老人と話したいという生徒が減っておる気がするからのぉ」
「そんなことないと思います。理事長を尊敬している人はたくさんいると思いますよ」
「そうだといいんじゃが。……わしって、見た目のせいでみんなから怖がられているような気がするんじゃが、どうかの?」
「えっ、そ、それは…」
中津は言葉に詰まってしまった。見た目のせいで怖がられているというのが事実だったからだ。雲海の顔は色黒でいつもサングラスを掛けているが、目つきも鋭く左目には縦に傷跡もある。知らない人が見たら、どっからどう見てもヤクザである。そんな人がSPを連れて街中を歩いていると、どこかのヤバい組織が動いていると勘違いしてしまっても仕方ないくらいだ。しかし、そんなことを言って雲海を傷つけるわけにはいかない。こう見えて雲海は繊細な心の持ち主なのである。ということで、中津はこう答えた。
「理事長はすごく威厳のある顔なので、僕はカッコイイと思います!」
中津は雲海の質問の意図を逸らして自分の正直な感想を言った。もちろん、嘘ではなく本当に思っていることである。
少しの沈黙が流れた。緊張した時間が流れ、額からは冷や汗が流れ、息が詰まりそうになったとき、雲海がゆっくりと口を開いた。
「……そうかの。夢翔くんがそう言ってくれるのなら、わしも頑張って話しかけてみようかの」
「はい。応援しています!」
どうにか誤魔化せたようだった。
「すまん、すまん。わしの愚痴を聞かせてしまって。今日はわしが夢翔くんの話を聞くんじゃったの。話したいこととは何じゃ?」
「あっ、はい。理事長に聞きたいことがありまして…」
「わしに聞きたいこと? 何じゃ?」
「単調直入に言います。……理事長って……もしかして……夢人…ではないですか?」
変に誤魔化しても意味がないし、この前のメールからして、はっきりと言った方がいいだろう、と中津は思っていた。
理事長は「わしが…夢人…?」と呟いてから、眉間にシワを寄せ真剣な顔になった。ただでさえ怖い顔なのに、眉間にシワが寄るとより一層怖い顔になった。その顔で見られると怖すぎて目を合わせることができない程だ。中津は雲海の視線に八秒耐えたが、その後は視線を斜め上や横にキョロキョロと逸らした。雲海は湯呑に右手を伸ばし、口に運んでから残っていたお茶を一気に飲み干して、ゆっくり湯呑を置いた。
「……うーむ、夢翔くんも、とうとうここまで辿り着いたか」
「え!? じゃあやっぱり…」
「まさか夢翔くんも夢人を信じているとはの。わしは嬉しい!」
「えっ? 嬉しい…ですか?」
自分が夢人だと言い当てられたことが嬉しいのか? と中津は思った。
「夢翔くんは科学が好きじゃから、夢人を信じておらんと思っておったが、わしの思い込みだったようじゃの」
「は、はぁ…」
「じゃが、よくわしが秘密裏に夢人を調べていることがわかったの?」
「はい……えっ!? 秘密裏に…調べている?」
「ああ。わしはあらゆる専門家にお願いして夢人について調べておる。こう見えてわしはロマンチストじゃからな」
「専門家に!?」
「いろんな専門家にお願いしておるんじゃ。物理学者、化学者、生物学者、数学者、法学者、社会学者、神学者などの科学者から、占い師、メンタリスト、マジシャンなどいろんな分野のエキスパートに調べてもらっておる。もちろん、研究や仕事の合間に余裕がある者じゃが」
「そっ、そうだったんですね!」
「じゃが、長年の調査にも関わらず、成果はまったく上がっておらん。現在の最新技術を駆使しても夢人は謎な存在なんじゃ」
「そう…ですか」
「すまんの。夢翔くんは夢人のことを知りたくてわしのところまで来たのじゃろ?」
「あっ、はい。そうです」
「力になれなくてすまない」
「い、いえ」
「だが、せっかくじゃ。今わしが持っている情報だけでも教えよう。夢翔くんのことだから、すでに知っていることじゃろうが」
「あっ、教えていただけると、ありがたいです」
「そうかの。じゃあまずは、夢人は複数人いる可能性が高いということじゃ」
「複数人説、ですか」
「ああ。夢人は夢乃森学園だけにいるわけじゃないようじゃからの。日本全国はもちろん、世界にも似たような存在の話がある。そして離れた場所で同時期に夢人と関わったという話が多いことから、複数人いると考えるのが妥当じゃろう」
「そうですね」
夢人が一人なのか、複数人いるのかは、考察本にも書かれていたので、中津もすでに考えていたことである。そして、おそらく複数人いるだろう、と推測していた。
もし夢人が一人だと考えた場合、世界各地で同時期にいろんな人と関わることなど不可能である。夢人一人説を支持している人たちの意見としては、夢人は神の御使いと信じられているので、一瞬で離れた場所まで移動できるということらしい。同じ時間に離れた場所で確認されていることに関しては、分身を何体も作っていると信じられている。このこじつけのような意見に中津はあまり賛同できなかった。
それよりは夢人複数人説の方がしっくりくるのである。複数人いるのであれば、世界各地で似た話があることも、同時期に現れていたとしても辻褄が合う。それに夢人の外見的特徴が人によって様々なことにも説明がつく。よって、中津はどちらかというと、複数人説を支持している。
「そして、夢人の姿はおそらく人型じゃ。たまに動物やタコ型宇宙人だという話が出ているようじゃが、注目を浴びたい人が考えた嘘じゃろう。九割以上が人型だったという結果が出ておる」
「そうですね」
「さらに、夢人はいろんな超能力が使えるだろうということじゃ」
「瞬間移動とか心を読むとかですか?」
「それらも可能性としては十分あり得るじゃろう。じゃが、科学者が最も有力視している能力は、未来視じゃ」
「未来視? 未来を見ることができるということですか!?」
「ああ」
「それが…最有力ですか」
「簡単には信じられんが、可能性としては高い。今現在、社会で成功を収めている人たちはみな夢人に助けてもらったと言っておる。それに、過去の偉人たちの発言にも夢人が出てきておる」
「そう…ですね」
「……実はわしも、過去に夢人に助けてもらったんじゃ!」
「えっ!? 理事長も!?」
「ああ。まだわしが二〇代だった頃の話じゃ…」
それから雲海の過去回想が始まった。中津は初めて聴く内容だったので、聞き逃さないように集中した。話の内容は、仕事に奔走していた若かりし頃の雲海が様々な壁にぶつかりながらも一つひとつ乗り越えていったというサクセスストーリーであり、波乱万丈な生活をしていたということだった。そんな生活の中で、雲海が困難な状況に陥って諦めてしまいそうになったとき、夢人が助けてくれたということだった。具体的にどんなことをしてくれたのか、どんな人だったのか、などは覚えていないが、夢人が助けてくれたことだけは、はっきりしているらしい。天瀬が言っていた、夢人について語る人の典型例だった。雲海は「ほとんど覚えていないが、もしまた会うことがあれば、『ありがとう』と伝えたい」と言って感慨にふけっていた。
「おっと、すまん。つい話し込んでしまったな」
「いえ。理事長の昔の話を聴けて良かったです」
「そうかの。他に何か質問はないかの?」
「大丈夫です。今日はここで失礼します」
「そうか。もしまた何か聞きたいことができたら、いつでも歓迎する」
「はい。ありがとうございます」
中津は立ち上がり、雲海に一礼してから理事長室を出た。
そして帰りながら早速振り返っていた。
理事長のあの話しぶりからして、嘘をついているようには見えなかった。ということは、理事長は夢人ではなかった? いや、まだそう決めつけるのは早い。もしかしたら、さっきの言動がすべて演技だった可能性がある。木を隠すには森の中と言うように、夢人を隠すにはそれを調べる専門家の中ということかもしれない。長年そうやって隠れていたのかもしれない。理事長なら、もし誰かにバレてしまったとしても、権力を使って口止めすることなど容易いはずだ。
この日の時点で、中津は、雲海が夢人候補の中で一歩リードしていると考えた。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回もお楽しみに。
感想、お待ちしております。