さらわれた夢乃森⑤
「パリ…メモリー…友情…」と中津は呟きながら、思考を巡らせていた。
パリはフランスの首都、メモリーは記憶、友情は友達、友人、friendship、悲しいは感情の一つで英語だとsad、unhappy、もしかしたらネガティブな感情と置き換える可能性もある。治癒は治す、healing、cure、アーチは橋、孤形の入り口、などがある。これに何か繋がりがあるんだ?
中津は元の言葉をいろんな言葉に置き換えてメッセージを読み取ろうと試みたが、どれも意味のわかる文にはならなかった。今までの問題では、文字、数字、記号を変換していたので、今度の問題でも何かに変換するだろうと予想したが、なかなか上手くいかなかった。
安心院と雲海も苦戦している様子で、しばらく考えていると、安心院が「どうやら、置き換えるわけじゃなさそうね」と言ったところで、ようやく問題を見る視点を変えることにした。中津たちには一つのやり方に固執し過ぎて時間を無駄にする暇はない。この手の問題を解くときは、柔軟な思考の方が役に立つだろうと考えてのことである。
このときの時刻は、午後四時三分。制限時間まで残り五七分。
「これ、ひょっとしてアナグラムじゃないかしら?」と安心院が言った。
「アナグラム! そうかもしれないですね!」
アナグラムとは、単語または文の中の文字を入れ替えることによって、まったく別の意味にさせる言葉遊びである。
「それならまず、すべて平仮名にした方がいいわね」
「そうですね」
問題の文をすべて平仮名にすると『ぱりめもりーはゆうじょうやかなしいちゆのあーち』になる。これを正しく並べ替えると、次の場所を示しているはずである。
「結構長いわね。文の中に『の』があるから、〇〇の〇〇ってなるかもしれないわね」
「そうですね。それに『や、ゆ、よ』があるので、大文字と小文字が入れ替わっているかもしれません」
「そうね。あと『ー』が二つあるわ。これがいいヒントになるわね」
「そうですね」
「こ、これを並び替えて場所を特定するのか?」と警察官が言った。
「そうじゃ。お前たちの力も貸してくれ」
雲海が警察官にお願いしたことで、全員が問題を解き始めた。何度も問題文を呟いている人や腕を組んで上を見つめながら考えている人、スマホの地図アプリで周辺を検索し『ー』が二つ付いている場所を探している人などがいた。津久見もスマホで探していたらしく、突然「あっ!」という津久見の声がスマホから聴こえた。
「津久見さん、何かわかったの?」と安心院が言った。
「もしかして、『夢乃森ハイパーアリーナ』じゃないですか!?」
「たしかにできるわね。それなら残りの文字は、うじようやかしちゆち、だから……ちゅうしゃじょう、ちか、地下駐車場!」
津久見と安心院の閃きにより、次の場所は夢乃森ハイパーアリーナ地下駐車場であることがわかった。
「津久見さん。よく見つけたわね」と安心院が言った。
「やっぱり……」と津久見が言った。
「どうしたの?」
「さっきからちょっと気になっていたことがあるんです」
「気になっていたこと?」
「はい。偶然かもしれないですけど」
「なにかしら?」
「今まで箱があった場所なんですけど、『見えない天使』の話に出てくるところと一緒だなって思って」
「たしかに、同じね」
「ストーリーの流れとも同じです」
「見えない天使……」と中津が言った。
中津も『見えない天使』の原作を読んだことがあるので、内容は覚えている。『見えない天使』は章ごとにストーリーの舞台が変わる小説である。第一章が美術館、第二章が駅、第三章が病院、第四章がライブコンサート会場。今まで木箱があった場所と、偶然とは思えない程の一致だった。ということは、もしこの仮説が正しいと考えた場合、その次の場所は大方予想がつく。『見えない天使』の第五章の舞台は学校である。学校と言っても、小学校、中学校、高校、専門学校などいろんな種類の学校があるが、今までの過程を踏まえると、おそらく夢乃森学園だろうと思われる。
しかし、あくまで推測であり、また、夢乃森学園は広すぎるので木箱を探すのに時間が掛かってしまう。今いる数十人で探してもさすがに厳しい。そうなれば制限時間に間に合わないので、もう少し範囲が特定された情報が必要である。つまり、どちらにしろ、夢乃森ハイパーアリーナにある問題を手に入れて解かなければいけないということだ。犯人もそれを計算に入れての制限時間なのだろう。まったく抜け目のない人物である。
中津は急いで夢乃森ハイパーアリーナに向かおうと、車に乗り込もうとしたとき、ポケットに入れたスマホの通知音が鳴った。中津は安心院からの連絡と思って確認すると、相手は安心院ではなく姫島だった。そして姫島が送ってきた内容は「中津くん。これどういう意味かわかる?」というメッセージと例の木箱と問題が書かれた紙の写真が添付されていた。さらに、木箱の蓋には「姫島響歌さんへ」という文字が書かれた紙が貼られていた。
中津は慌てて姫島に電話をすると、すぐに応答があった。
「はい。姫島です」
「姫島さん! 中津だけど、これ、どうしたんですか?」
「あ、ごめんね。急に変なの送って」
「い、いえ。それよりも、この箱、どこにあったんですか?」
「うーん。それがちょっと不思議で。たまたま座ったベンチに置かれていたの」
「ベンチに…?」
「うん。なぜかこの箱の差出人は、私がそのベンチに座るってわかってたみたい」
中津は違和感を覚えた。手に入れた情報の地下駐車場と違ったからである。偶然似たような木箱の可能性も考えられる。しかし、問題を見る限り、今までと似たような形式だったので、同一人物の可能性が高い。
姫島が送ってきた問題はこんな内容だった。
(128、18、12)(33、4、10)(76、22、9)…………
というように、一つのカッコに三つの数字が入っているものがいくつか続いていた。
中津はこれを見てすぐに閃いた。これはおそらく本で解読することができる暗号である。カッコ内の最初の数字はページ数、二番目は行、三番目は上からの文字数だと考えられる。そしてその本は今までのことから推測すると、おそらく『見えない天使』だろう。
これが本物なら大きな時間短縮になる。しかし、急に今までと違う展開に中津は少し戸惑っていた。
もしかしてこれも犯人の思惑か? 俺たちが戸惑うことを予想してわざとこんな風にしているのか?
などと考え、混乱しそうになっていたとき、中津のスマホにメールが届いた。送り主は先日登録したばかりの『夢人』だった。中津はこんな大事なときにもかかわらず、なぜかその内容が気になったので、姫島に「ありがとう。すごく助かった。このお礼は必ずするから!」とお礼を言って通話を切り、夢人からのメールを開いた。
夢人からのメールはこんな内容だった。
「その問題は本物です。だから、早く解いてください。夢人」
中津はそのメールを見て信じることにした。直感でそう判断した。
中津は早速スマホに入っていた『見えない天使』の電子書籍で先程の暗号を解読した。その結果、夢乃森学園の時計塔、という文字に変換されたので、中津は雲海にこう言った。
「夢乃森学園時計塔です。そこに叶愛さんがいます!」
突然の中津の発言に警察官たちは「夢乃森ハイパーアリーナじゃないのか!?」と戸惑っていたが、雲海と安心院はすぐに信じてくれ行動に移した。
中津がそう判断した理由は、『見えない天使』の最後の舞台が学校だったからだ。今までの場所から『見えない天使』と今回の事件が絡んでいることは一目瞭然。つまり、最後の舞台である学校に叶愛が捕らわれていると考えるのが妥当である。しかし、中津は何か違和感を覚えていた。
本当にこれで終わりか? まだ、何か見落としていることがあるんじゃないか?
そんな心配を抱えながらも、今わかっていることは、次の場所が夢乃森学園の時計塔ということだけなので、そこに向かうだけだった。
移動は緊急車両として通行したため、通常よりも速く夢乃森学園に着いた。時刻は午後四時一九分。
車から降りて急いで時計塔前まで走って行っている途中、中津のスマホに着信が入った。中津は走りながらポケットからスマホを取り出した。相手は安心院からだったので、すぐに応答した。
「中津くん、今どこに…?」
「もうすぐ時計塔前に着きます」
そのとき、ちょうど時計塔から安心院と津久見が出てくる姿が見えたので、中津は「あっ、今、生徒会長の姿が見えました」と言って手を振った。それに気づいた安心院は少し深刻そうな顔をしていた。そして右手には例の木箱を持っていた。
雲海が「安心院くん、叶愛は?」と言うと、安心院は首を横に振った。そして持っていた木箱を見せてきた。
中津が木箱を受け取り、蓋を開けて中身を確認すると、紙が一枚入っており、そこには、「おめでとう。これですべてのピースが揃った。あとはゴールで待っている」と書かれていた。
「なっ、なんじゃと!? 叶愛はここにいないのか!?」と雲海が言った。
中津の嫌な予感が当たってしまった。これは、まだ中津たちが気づいていないことがあるということだった。
そのとき、雲海のスマホから着信音が鳴りだした。相手は非通知のテレビ電話だったので、おそらく犯人だろうと判断した雲海は応答した。雲海のスマホ画面には綺麗な画質で撮られている叶愛が映っていた。椅子に座り、手と足を縄で縛られて動けない様子だった。
雲海が「叶愛!」と言うと、「フン。四問目は運が良かったな。だが、このゲームはそう簡単にクリアできない。お前の孫の命はあと三五分だ。急がないと、これが最後の対面になるぞ」と変声機で低くした声の犯人と思しき人物が言った。
「そんなことは絶対にさせん! 孫はわしの命に代えても護ってみせる!」と雲海が言った。
「それなら、早く問題の謎を解くんだな」
犯人の発言からして、犯人はどこかで中津たちを監視しているということがわかった。今までもなんとなく視線を感じていたので、予想はしており、迂闊な発言はしないようにしていたが、どこからどうやって監視しているのかわからないので、確信が持てなかった。しかし、それが今わかった。
それに、犯人にとって、姫島が問題を手に入れたことは予想外だったようだ。でなければ、最初に「運が良かったな」などとは言わないだろう。それに、犯人は少し焦っているような喋り方に聴こえた。
先程の夢人のメールから察するに、これはおそらく夢人が絡んでいるだろう、と中津は思った。中津たちにとっては幸運である。
雲海と犯人がやり取りしていると、叶愛が会話に割り込んできた。
「ごめんなさい…おじい様。…私は…大丈夫だから…心配…しないで…」
「叶愛!」
「フハハハハ。お前に比べて孫は落ち着いているようだな。さすが夢乃森家のご令嬢だ」
中津は勝ち誇ったような様子の犯人の言葉には耳を傾けず、ただ叶愛が映っているスマホを集中して見ていた。何か手掛かりがあるかもしれないと考えたからだ。そしてあることに気づいた。
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